生と死の狭間を見る
「さて、始めるとしよう」
そう切り出したアルスは腰から徐にAWRを抜いた。
妙な緊迫感に包まれる中でシングル魔法師の訓練が再開されようとしている。そしてテスフィアとアリスも長い前置き、もとい再確認を済ませた今、もう迷いのない目を向けていた。
「前みたいに模擬戦でもするの?」
「下級生たちがいる前だと、ちょっと緊張しちゃうね」
テスフィアの疑問をアリスは半ば決定事項のように受け止めているが、返ってきたアルスの回答は少し異なったものだった。
「いや、正直言うが、三年の間に魔物と戦えるようにするのは実際かなり難しい。その辺りは経験がモノを言うからな」
「えっ!? それを今さら言うの?」
意識的に思考を停止してしまいそうなテスフィアにアルスは片目を眇めて少し意地の悪い笑みを向けた。
「魔物と戦えるというのは、魔物を倒した数に比例する部分がある。ようは死線を乗り越えた数だけ強くなれる。お前らには実感の湧かないことかもしれないが、外界で二・三年前線に放り込まれて生きて帰っただけでも猛者に化けるからな。具体的な順位や戦闘力として反映されないまでも、そいつは外界で生きていく術を身につけたはずだ。そうなれば運が悪くなければ長生きできる」
アルスの唐突な言葉にテスフィアは慌てて額に手を当て、整理するようにもう片手を突き出してストップを掛けた。
「え~っと、ちょっと待って……つまり私たちは魔物と戦うことはできても長生きできない?」
「死にたがりかよ。お前は本当に短絡的だな。俺がこれまで教えたことを根底から覆す方法を取るとでも思ってるのか」
「じゃあ、どうするのよ。私だって模擬戦が対人戦闘技術であることは理解しているつもりよ。それでも訓練である以上、魔物との戦闘は学生じゃ早々できることじゃないわよ」
テスフィアの意見は正しい。もちろん、この生存圏内ではできることは限られているのだ。
二人のやり取りを静観していたアリスも同様の疑問を浮かべている。薄々今までとは訓練の意義が変わりつつあることを察したのだろう。
彼女はいつものような朗らかな笑みを顔から消し去り、代わりに弱々しく挙手して発言を求めた。恐る恐る尋ねるその質問はアリスが以前に見た記憶の中から掘り起こしたものだ。アルスがいない間に訓練ができるようにと残された、あの分厚いマニュアルの中身……その最後辺りのページに書かれていたような気がする。
「模擬戦はやらないってこと? 確かもらった訓練プログラムは次の段階として外界の知識とか、サバイバル術とか、有効な戦略とかだったはずだけど」
「そうだな、その辺りはおいおいやらなきゃいけないことだが、時間的に見ても少し優先順位を変える。お前らが俺の予想を越えて力を付けたのは確かだからな」
「あ、誉めた」
「誉めたね~」
テスフィアとアリスは二人して嫌らしい笑みをアルスへと向けた。テスフィアはニヤリと持ち上がった口を隠すように手を口元に当てるが、脇から覗く白い歯までは隠しきれていない。もっとも本人たちの照れ隠しの意味も含まれているが、やはり以前の彼では考えられなかった台詞でもあった。
しかし、そんな含んだ笑みをアルスは一蹴する。そんなことを言っていられるのは今の内だとでもいうように。
「今回の訓練は変わらず模擬戦だ」
「なんだぁ~」
「訓練場だもんね、そんな気もしてたけどぉ」
「そういうことだ。ただし、お前たちには何回か死んでもらうけどな」
「「…………」」
たっぷりと沈黙の時間が流れていく。
一言も発さないアルスとロキに二人は何を思ったのか……きっと冗談の類だとでも思ったのだろう。
テスフィアは手首をスナップさせて。
「もう、どうしたのよ。頭ね、頭を強く打っちゃったのね。そうなんでしょ」
そして両手を組み合わせて慈愛に満ちた顔、それでいて彼女にしてはこれ以上ないほど優しい微笑みを向けてくる。それはきっと迷える子羊を諭すようにも見えた。
「人の生命は一つしかないから美しいのよ……いだッ!?」
そんな現実逃避のために展開された茶番は、アルスが紅い髪の脳天に喰らわせた手刀によって両断された。
アルスの冷ややかな目はすぐさま隣の茶髪の彼女にも向けられる。
「フィア、許してあげて、アルもそういうことを言っちゃう年頃……なの……ごめん」
シュンとしおらしく俯くアリスであった。
「アル、それでは誤解を招きますよ。とはいっても彼女たちにとっては誤解であって欲しいところでしょうけど」
ロキの冷めきった言葉は、やはり軍での経験から来ている。アルスのいう訓練内容をロキを大凡見当を付けていた。言葉での説明が難しいことも……だから口下手な彼に代わってロキは代役を買って出た。
「アルが言いたいことは、ですね。要は二人には死に目にあってもらう、ということです。生存圏内では魔物との戦闘は難しいことですが、協会の始動との兼ね合いもありますから今後どうなるかわかりません。つまり魔物との戦闘前に死線を潜っておくことは得難い経験になります。これから行う訓練は言ってしまえば裏技です」
死線を乗り越えるというのは対価に自分の生命を賭けているようなものだ。乗り越えるとはいうが、言わば博打に勝ち続けているだけの危うい橋を渡っていることに変わりはない。
それをアルスは本人達に自覚させるだけで、実際に生命を奪うことまではしないという確証がある。それはあまりにも大きいアドバンテージだ。
もっともテスフィアとアリスが生命まで奪われないという認識をしている間は無意味な訓練になってしまうのだが。
そういう意味でもテスフィアはアルスの狂気じみた戦闘を間近で見た経験が少しは生かされるだろう。
「つまりはそういうことだ」
「つまりはどういうこと?」
「とてつもない経験が得られるっていうのはわかるんだけどねぇ」
赤毛のポニーテールを傾けてやはり同じ疑問を浮かべるテスフィアと、漠然とし過ぎた解釈をしたアリス。
やはり二人はまだこの平和な世界から抜け出せていない。甘さではなく、過酷という言葉の意味を実感できないのだ。守られた世界に長くいた二人は今やっと外に目を向け始めただけで、そこから足を抜くことまではできていない。
だからこそ、アルスはきっぱりと言い切った。
「つまり今までのような手加減をしないということだ」
「ちょっ!?」
「う、そ……」
「ホントだ」
そういう意味でもアルスがこの二人だけ目をかけているという、他生徒のやっかみを事前に潰しておくことができるだろう。これから始まる容赦ない訓練を見てもまだ、教えを受けたいと思えるならば……。
「お前らには自分が死ぬ瞬間をギリギリまで自覚してもらう。見極めてもらう必要がある。一方的になるだろうから、俺から言えることは一つだ」
未だ茫然自失の二人に対して唯一彼女たちが縋れる可能性を提示する。
指を一本立てたアルスはやはり脅しの言葉を選ばざるを得なかった。
「早く感覚を掴め、じゃないと本当に死ぬかもしれないからな」
「このドSッ!?」
なんとか捻り出したテスフィアの弱々しい反発。アリスは喉を鳴らすだけで言葉を紡ぎ出すことができずにいる。湿る手が金槍を取りこぼしそうになっていた。
そしてもう後戻りができないことの証拠として、アルスはロキに対して「ロキ、ここの置換設定を最低値に」と発した。
そう、このシステムもある意味では前線では感覚を鈍らせる厄介なものだ。単純な練習や訓練として必要なものだが、外界でギリギリの戦闘をする上では曲者と言わざるを得ない。
人間がどれほど脆いかを希薄にさせるのだ。今の置換システムは本来死んでもおかしくないものまで頭痛程度で収めてしまう。この感覚は外界では必ず足元を掬い、あっさりと生命を掻っ攫っていくはずだ。
軍でもこの辺りのダメージ換算を考慮して初等教育をする。しかし、即戦力を求められる軍ではやはり魔物との戦闘によって身につけていく他ないのが現状だ。
だからアルスはこの裏技を使わざるを得なかった。もっとも魔法の微細な調整という意味では魔力操作に造詣が深いアルスならではの裏技ではある。
それでも――。
さしもの彼も痛めつけることを望んでいるわけではない。だが、そんな甘さを捨てなければ、そのツケを支払うのは彼女たちなのだ。
裏の仕事をしていたことがこんなふうに役に立つとはなんの皮肉か。
アルスは無防備な彼女たちに剥き出しの殺意を放った。
「「――!!!」
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)
 




