試験の結果
「そう思い詰めるな、魔物と戦えるようにすると言ったんだ。魔法も含めて面倒は見てやるよ」
ロキにしていた癖のせいかついアリスの頭に手を乗っけてしまった。
それに気付いたのはアリスの瞳が潤んだからだった。
「わ、悪い。つい」
咄嗟に手をどける。こういう反応に経験がないアルスはたじろぐことしかできない。何故か女の子の涙は罪悪感を湧き起こすのだ。
「ううん、違うの……」
指の腹で雫を拭うが、じわじわと透き通るような雫は止まることはなかった。表情はいつも通りなので本当に違うようだ。
「おかしいな、なんでだろ」
その理由にアリスは気付いていた。幼い頃の記憶が一瞬フラッシュバックしたのだから。
ただそれでも治まらない不思議はあった。もう踏ん切りがついたものと思っていただけに……。
「ちょ――――!! あんたアリスに何したのよ」
駆け足で寄るテスフィアがアルスを突き飛ばすように間に割り込んできた。こういう第三者がいるから罪悪感を感じるのだろうな。
「俺は何もしてないぞ」
「うん。アルのせいじゃなくてね。私にもよくわからなくて…………少し休むね」
「そうだな、少し落ち着け」
アルスはそれほどまで思い悩んでいたのだと思った。
結果としてそれは勘違いであるのだが、それはアリスにしかわからないことだ。
「どうしちゃったのかしら」
アリスの口から釈明があったことでテスフィアは敵意を治めたが、その原因については心当たりがないように不安だと首を傾げる。
「アリスの問題だが、研究が進めば多少はよくなるんじゃないか」
「……あんたが気に掛けるなんて珍しいわね。てっきり無関心だと思っていたわ」
「……どう思われようが構わないが、引き受けた以上そうもいかんからな」
ワザとらしく誇大に目を見開いたテスフィア。
ならばと口の端が僅かに上がった。
「じゃあ、霧結浸食を使えるように指導……して」
てへっと舌が出そうな調子だ。
「お前には早いと言っただろうが」
【フリーズ】の完成系である【ニブルヘイム】と難易度的にはそれほど大差はない。
それをいきなり使えるようにと言われたところで無謀どころの話ではない。
「ちゃんと順序を踏まなければ一生出来んぞ」
「そんな~」
後ろではロキがうんうんと頷き、アルスは溜息混じりに説明を加えた。
「【フリーズ】を使ってみろ」
テスフィアは言われるがままに少し距離を取り、刀を地面に突き立てた。
このぐらいならば無詠唱でできるレベルだが、
「ひどい…………」
それを見たアルスの第一声は意識してのことではなかった。
「ちょっ! これでも凄く上達したのよ」
評価に不満を洩らしつつ、凍った地面から刀を抜き魔力に還す。
「よくそれで使えると思ったな、正直言って失笑レベルだぞ」
「なっ――――!」
無論学生であることを含めれば上出来なのだろうが、この程度で《ミストロテイン》を使えると思っている辺り能天気だった。
「言っとくがあれはレベルが段違いだぞ」
反論どころか意気消沈とばかりに肩が降りる。事実を事実と伝えなければわからないだろう。
いつかはできるなんて妄言を吐くつもりはない。ちゃんと手順を踏んで行けば可能性はある。テスフィアのセンス次第でもあるが、今までの訓練は本当に魔力操作だけなので魔法に関して言えばちゃんと時間を取るのはこれが初めてということになる。
「それでも習得したいのならばまずは【フリーズ】を極めることだ」
「……!!」
活路を見いだしたテスフィアの目は様変わりしたように光を宿らせて続きを促してくる。
「これも段階で考えた方がわかりやすい。複数を同時に凍らせたければおのずと範囲は周囲一帯に及ぶからな、それが出来るようになってようやくスタート地点だ」
「なるほど」
勤勉なのは結構だが、アルスは何から何まで面倒見ている自分に嫌気が差してきた。
「何にしても俺はお前等を魔物と戦える魔法師にするためにやってるんだ。とりあえず、訓練の成果を見てやるから立ち会え」
「……!! えっと」
チラチラと視線が彷徨う。
彼女も二人が戦って完膚無きまでに叩きのめされたのを見ていた口だ。その戸惑いだろう。
「安心しろ。手加減はしてやる」
中央に進み出たアルスが振り返り、ニヤリと口で弧を描いた。
「と、当然でしょ!!」
後に続くテスフィアはおっかなびっくりといった風情で憤慨する。それは外界での戦闘を目の当たりにしていたことにも遠因があった。
訓練は閉場時間ぎりぎりまで続いた。途中からはアリスも復活して二対一、三対一と様々なシチュエーションでの模擬戦を行う。
分けられた仕切りからでると訓練場内にはアルス達四人しか残っていなかった。
すっかりと暗くなった夜道を珍しくアルスは女子寮まで送り届ける。珍しくとは言っても今まではその時間すらなかったのだが。
「テスフィアは夏休みは帰省?」
「そう……成績表を携えてね」
苦笑いを浮かべながら二人はアルスとロキの前を歩いている。
そう学期末試験の後は夏休みが控えている。
生徒は寮暮らしのため、この機に帰省するのだ。本来ならば休みと言えば浮かれそうなものだが、学院の生徒はいつもと変わらない休日を過ごすのだろう。それは毎日のように学院内で生徒を見かけるということだ。
全校生徒でこの休みを一番楽しみにしているのは何を隠そうアルス本人だ。
テスフィアも帰省すると聞けば一層だ。
「そうか、そうか、研究漬けの日々がやっと訪れるのか」
「あの~アル? 私はいるんだけど」
申し訳なさそうにアリスが振り向いて頬を掻いた。
「大丈夫だ。うるさいのがいなければ捗るだろうからな。それに被検体がどっかに行かれては困る」
「う……」
隣を歩く赤毛、一つに結わわれた髪がプルプルと揺れる。
「どういう意味よ。言っとくけどね私がいない間にアリスに何かしたらただじゃおかないからね」
「アリスのためでもあるんだ、多少はな」
「「……!!」」
無論、多少は調べたり、血液採取なんかもしておきたいのだ。
しかし、言葉足らずをどう解釈したのか憤慨を溜めたような沈黙。
「い、いい度胸じゃない」
カクカクと機械じみた動作でテスフィアの手が刀に向かった。
「この変態魔法師が!」
チャキっと鞘から銀光が月の明かりを反射するが、それ以上引き抜かれることはない。
「アルス様、その……至らぬ所があれば私に言っていただければ……その……」
「えっ!?」
暗くなった空の下でもわかるほどロキの頬に紅が差した。それが何を意味しているのかアルスにはわからない。
「いや、十分やってくれてるとは思うぞ」
「そ、そうですか」
語尾に向かって気落ちするように弱々しくなっていった。
「アル、もしかしてロキちゃんに……」
「あんたロキにまで手を……」
犯罪者を見るような目で二人は足早に距離を開ける。
までって何だと思ったが、どうやら誤解が誤解を生んでいるようだ。
弁解する面倒を感じながら本筋に戻す。
「言っとくが検査のために血液サンプルを取るだけだぞ。ロキは日頃の手伝いに満足しているだけだ」
それがパートナーとしての役割なのかは一旦別としても。
「本当でしょうね」
この疑わしげな視線は無くなることはないのだろうと思いながら女子寮へと歩を進める。
「大丈夫。少しぐらいなら……」
と追い打ちを掛けるアリスの一言がその後も尾を引いたのは言うまでもない。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
試験休みが三日間、四日目は登校日となっている。無論授業の類はなく、成績発表だけとなっているのだ。
所々で科目別に上位得点者がスクリーンに映し出される。
全科目の点数、学期の成績表は教員が手渡しするということはなく。学年別に設置されている大量の機器に自分のライセンスを翳すことで二枚の紙が印刷される仕組みになっている。
雑然としたホールに並びながら順番を待つ。三つの教室に設置されており、流れ作業のように入口から入り、成績を受け取ると出口に向かう動線が出来ている。
廊下では成績表を手にした生徒達が歓喜の声を上げる一方で、愕然と肩を落とす生徒の数も少なくはなかった。
だと言うのに、一向に生徒の数は減らない。
その理由はすぐにわかった。
アルスは自分の成績を何の心配もないとばかりに確認する。
微妙なラインだとアルス自身思っていただけにギリギリでも全科目の単位を取得できたことに少なからず安堵の息を吐いた。
筆記では出来すぎると何かと注目を集めてしまうので、点数を調整しながらだったのだ。そして予想外の実技試験ではミスを犯してしまったもののなんとか合格していた。
そして廊下に出ると見るからに心を弾ませているロキが出迎える。
「どうでしたかアル?」
「なんとかな」
ロキは? という決まった返しはしない。自分が単位を取れてロキが落とすとは考えられなかったからだ。
それでもロキは聞いて欲しかったと思っていた。胸に抱える二枚の紙をすぐに見せられるように準備していたのだから。
そんな様子を不思議に思っていると――
同じくして廊下や教室内のスクリーン、液晶画面などで科目別の上位者を表示していた画面が一斉にリンクしてファンファーレのようなけたたましい音楽が鳴り響く。
生徒達の注目を一手に集めた画面達は次々にスクロールするように画面を切り替える。
そこには――学期成績優秀者上位10名の発表を告知する内容が表示された。
そして10位から順番に表示されていく。
アルスは興味の無いことだとロキを連れて歩き始めた。
興味の無いことだが、これだけ至る所に設置されていれば目には付く。
3位にはアリス・ティレイクの名前が挙がり、2位にテスフィア・フェーヴェル。
この差をアルスは魔法の差と考えた。学科ではアリスのほうが上だ。それは二人に勉強を教えたアルスだからわかる。
魔法の差とは言ったが単にアリスの魔法が少ないことにあると確信にも似た推測をしていた。正直二人の実力の差はほとんどないと言ってよい。
2位、3位とうんざりする名前が挙がったのはよかったが、1位ではないのかという疑問も湧くというものだ。
(二人よりも優秀な奴がいたのか)
そして画面が切り替わり、でかでかと『1位、最優秀成績者』と表示された後に、ロキ・レーベヘルと名前が挙がった。
「……!!」
アルスはロキが試験に対してあまり関心がなさそうだと決めつけていただけに足を止めるほど驚いていた。
(ちゃっかりしてるな)
と思った辺りでさっき不思議に思った原因がこれだと直感した。すでに成績表を受け取ったロキには学年順位が載っているはずだ。だから物足りなさそうな顔を浮かべたのかと。
「さすがだな」
遅れながらも振り返ってロキの頭に手を置く。
「ありがとうございます」
ロキの表情に物憂げな翳りが無くなり、微笑を浮かべたことで確信する。
(褒めるのも難しい)
などと思ったが、それを煩わしいとは感じていなかった。
周囲の注目を集める一幕であったのは言うまでもない。名前の挙がった最優秀生徒が名前も上がらない男に頭を撫でられているのだから、やはり合点がいかない視線と憤然たる面持ちの生徒がいる。
当然無視して歩き始める二人を待ち構えていたのはやはり……。
「どうよ!!」
歩き始めて早々である。
懸念、危惧、その手の予感はつくづく的中するものだとアルスは世界法則のような理不尽に悪態を吐きたくなった。
仁王立ちでアルスの目の前に成績表が掲げられた。テスフィアのほうが背が低いため、多少なりとも上方に向いている。
実質的にロキが1位であることはしょうがないと諦めているのか、二人の顔は悔しさよりも誇らしそうだった。
感情の乏しいアルスでも、この時ばかりはイラッとした。
「なんて言って欲しいんだ」
だから同級生で教えを請う側の彼女からしてみれば素直に褒められても釈然としないだろうと思っての切り返しだったのだが……。
「頑張った私を褒めて、も、いいのよ」
言ってのけた。
普段の彼女はプライドがストッパーとなってハッキリとは言わないのだが、完全に箍が外れている。
それも試験前にあれほどまで成績に固執していたのも貴族ならではの憂慮だったのだが、最大の懸念が最上の形で迎えられたことで興奮を抑えきれないのだろう。
アルスは頭を冷やしてやろうと――
「凄いなやればできるじゃないか」
偽物の笑みを浮かべてロキにしたように頭に手を置いて撫でてやったのだ。
僅かに頬が緩む。
周囲がざわめきだしたことでテスフィアは「ハッ!」と我に返った。
一瞬で紅潮し、アルスの腕を振り払わずにササッと退いた。
罵声が飛んでこないあたり、自分で言い出したことの自覚はあるようだ。
(こいつ褒められなれてないな……)
と呆れるように頬を緩めるアルスであった。