九枠の魔法師
◇ ◇ ◇
数カ月ぶりの挨拶はそろそろ良いだろう、とアルスは話題を本筋へと移す。
「さっそくで申し訳ないのですが、いくつか聞きたいことが」
「そうね。立ち話もなんだから、どうぞ座って」
すでにアルスは道中で学院の空気に当てられ、一悶着もあり歩くのすら億劫になりつつあった。外界で魔物を一掃していた時よりも疲れているかもしれない。学院特有の緊張感のなさは、精神的な面でアルスに馴染まない気疲れを与えている。
それがまた悪い気はしないのだから、アルスも大概だ。今更なのかもしれないが。
お茶でも、と言い出して立ち上がろうとしたシスティにロキが買って出る。簡単な場所だけを聞き、後は手慣れた動作で人数分のお茶を用意し始めた。
さすがにテスフィアやアリスは理事長を前に未だ萎縮している節もあるため、若干縮こまっていた。
ただ、ロキが気を利かせたこと自体、失敗だったと彼女が自覚したのは程なくして人数分のお茶を持ってきた時だった。片側三人分の椅子には真ん中にアルスを置いて、その両脇をテスフィアとアリスに固められてしまったからだ。
単に対面式テーブルの片側に理事長が移動してきたため、必然的にテスフィアとアリスの座る場所が限られただけの話で、そこに心算はない。
結局ロキは全員からのお礼を無表情で受け取り、渋々システィの隣に腰を降ろした。
場が整ったと見て、最初に口を開いたのはアルスだった。
「まず、俺は退学になったと思っていいのですよね?」
「そんな平然と言われると復学させたくなるわね」
「正直言うとそれも悪くはないのかもしれません。時間は無駄にしましたが」
システィは口に運んでいたカップを途中で一度止めた。傾けられたカップに隠れてはいたが、少し微笑んでいたようにアルスには見えた。
改めて口をつけるシスティは口の中に広がる暖かさが喉を通り、全身に広がっていくの感じる。
「とは言ってもあなたも気づいている通り、退学と言ってしまうと、少し違うのよね」
「と、言いますと?」
「重たい話でもないから気軽に聞いてちょうだい。そうね、まずは私達魔法師に関するところから話さなければならないわね。とはいってもだいたい予想はついているんでしょう?」
無言でアルスは頷く。
先の事件が原因であるのは確かだ。事件の前後で魔法師の数や順位の変動など大きく変化したはずだ。
「退学と断言できず、何より俺の研究室も健在。押収したのが軍であるなら戻したのも軍ということ。つまりは順位でしょ? 予想はしていましたが」
眉間に皺を寄せてアルスは一つ唸るように考え込んだ。いや、いくら考えてもどうしようもないのだ。一先ずの時間稼ぎとして、アルスとロキは各国周辺の魔物を定期的に掃除してはいたが。
順位の変動は多くの魔法師を失ったことと直結する。
本来ならばここから先の話は一般的には伏せられている内容だ。とはいえ、貴族であるフェーヴェル家ならば伏せられた内容もすでに掴んでいるだろう。
だからこそ一応同席を許したわけだ。何より今のアルスはアルファに縛られる存在ではないのだから。
それでも事前に口外しないことをテスフィアとアリスの二人に約束させた。
「今、魔法師の総数こそ激増しているものの、その頂点、象徴たるシングル魔法師は未だ空席があるわ。暗黙の了解として各国に最低でも一人のシングル魔法師を置くべきという判断故ね」
システィは世界情勢、正しくは魔法師の情勢を語りです。ここから先はアルスとロキの二人は外界に出ていたこともあり知らない情報だ。
そしてテスフィアとアリスも実は知らないことでもある。無論、それは混迷の証でもあるため公表されていないだけのことだ。
シングル魔法師はただの順位ではなく、その実力は突出したものがある。魔法師の順位内でも最も開きがあるとされるのは一桁と二桁の差だ。単純に順位が繰り上がったからといって従来のシングル魔法師同様の戦闘力を有しているとは限らない。
それは過去、バルメスで9位の座に就いていたダンカル・コンツェルにも言えたことだ。9位とはいえ、当時8位のガルギニスとの差は歴然としていた。
「単純なシングルの繰り上がりだけで、6位ガルギニス・テオトルト、5位レティ・クルトゥンカ、4位ファノン・トルーパー、3位ジャン・ルンブルズ、2位ヴァジェット・オラゴラム。そして1位アルス・レーギン。ここまでシングル魔法師に空席が出たのは状況的に芳しくないということね。一応、先の事件を経て各国間でもシングル魔法師の情報は一部公開されるようだけどね」
「理想をいえば各国がシングル魔法師を最低一人保有枠として用立ててくれればいいと」
「理想をいえば、各国の思惑はそうでしょう。ただ、バルメスも現実的に不可能というのは確かね。そういう意味でいえば協会に頼らざるを得ない。ライセンスを見てわかるように一応あなたは協会所属になっているわけだから協会がシングルの保有枠を得たことになるわ」
「俺としてはイリイスに一任したかったのですが」
「それは難しいわね。シングル魔法師の信用を失墜させかねないのと、濡れ衣を着せられた1位を順位から外せばどんな理由だろうと各国に不信感は強まるばかりでしょう? しばらくは避けられないでしょうね」
アルスは自分の持つ順位について少し誤認していたようだ。今まで秘匿にしていたとはいえ、先日の国家転覆を狙った事件のせいでアルスの諸々の功績も開示されている。
そうやすやすと順位の入れ替わりがあるというのは人々にとっても不安にかられる要素だ。
システィの言い方では各国がそう仕向けたように思っているのだろうが、実際にはイリイスの私情によるところが大きい。その辺りの事情はおそらくアルスより早く察知したのだろう。
無論、協会が力を持ちすぎるのは結果的に見ても、各国の魔法師育成弱体化など懸念材料は多い。という背景ならばきっと許せる、が、これがシセルニアの思惑が一部働いているという気がしてならないのはアルスだけだろうか。
ただし、イリイスがそうせざるを得なかったのもこのシングル不足を考えれば致し方ない。できれば1位の椅子に座るのも短期間であることを願うが。
ふとシスティとアルスの会話にテスフィアが割り込む。萎縮していたようでいて疑問をそのまま飲み込めないのが彼女の良いところであり、悪いところだ。
「アルが協会所属だと何か不味いの?」
「イリイス会長も魔法師としてかなり上位だよねぇ?」
続いてアリスの疑問をアルスに代わってロキが参戦するかのように一蹴する。無論、彼女が得た知識は全てアルスからの受け売りであるのだが。
「協会への依存体質ができてしまうのをアルは懸念しているんです。アルファがそうであったようにシングルの依存ならば国内で対処できますが、協会への依存は国力に大きな開きを作ってしまいます。だからこそ従来通りに各国がシングル魔法師を保有していることが望ましいんです」
ロキの神妙な口ぶりとは反対にアルスに向けられる確認の視線は少し誇らしげである。
それを肯定する形で、喉を潤しつつアルスが引き継いだ。
「あくまでも協会の役割は戦力の分配だ。補填要員程度の役割であるのが望ましい。最悪の事態や協会そのものの有用性はイリイス一人で十分だったんだ。あれでも元2位だしな。その実力も俺とそう大差あるものじゃない」
実際にイリイスの戦闘力を現在の順位に当てはめるとすればアルスの次に就くのは間違いないだろう。彼女にもアルス同様におおっぴらにできない異能を持っているし、その不死性も健在だ。
何の気なしに発した一言に、テスフィアはガタンと一度テーブルに膝を打って悶絶し、アリスは口に運んだお茶で唇を湿らせただけで、カタカタと震えながらカップを戻す。
そして向かい側ではシスティが我関せずとばかりに優雅にお茶を口に運んでいた。その薄い笑みは張り付いただけで調子が良いわけでも、可笑しいわけでもない。ただ私は知らないわよ、という責任の放棄だ。
「それも協会が正式に認知され、成果を出さなければ意味がないがな」
「えっと、イリイス会長って何者?」
テスフィアの疑問に応えることはアルスにもできそうにない。だから、一先ず、話しを戻すためにシスティに目配せをした。
汲み取ってもらえたのか、システィは訳知り顔で話を戻す。それはアルスからもわかるほど明確にイリイスの過去を知り得る者の表情でもあった。
「一見して協会設立は魔法師にとっても大きく助かるものであると同時に、その効果が表れるのはもう少し先のことね。で、話は最初に戻るけど、1位であるということは学院にとっても簡単に退学させるのは得策ではないのよ。学院の評判にも関わるからせめて卒業までの間、研究室だけでもというわけ……」
言葉を一瞬詰まらせたシスティは盛大に溜息を吐き。
「元々特例ではあったけど、在籍だけはしてもらうということね。シセルニア様からもそう計らうようにとも言われているし。学院側からは特に制限はないわ。これまで通りに好きにしてちょうだい」
「いや、これまで好きにしていた記憶はないのですが」
「適当に装ってくれればいいわ。誰も文句は言わないでしょう。天下の元首様口添えだしね」
「こちらとしては実際住む場所には困っていたので助かりますが」
でも、とシスティは指の腹を見せるように一本、アルスの鼻先に向けて突き出す。それは釘を差すためのもの。
「いい、今やあなたは学院中が知るシングル魔法師。余計な騒ぎは極力控えてちょうだい」
「留意しておきます」
その後もちょっとした雑談が続き、得られた情報は外界に出ていた数ヶ月分を十分取り戻すに値した。アルスの研究室は体面上学院の敷地ではあるが、借家として費用の一切は軍から出ている。契約期間は卒業までとなっているらしいが、それ以上いてもらって構わないということだ。
システィの余計な一言を補足するならば「学院のPRにもなるし」とのことだ。
お茶も一人あたり三杯ほど頂いた頃には外はとっぷりと夜の闇に沈んでいた。テスフィアとアリスはまた訓練が再開できるとあって終始浮かれていたが、度続く依頼のせいもあり、また完遂できたことへの安堵からかいつの間にか座ったまま寝息を立てていた。
その姿勢はアルスにとって大変疲れるものでもあった。なんせ両側から頭を肩に乗せられているのだから。
二人の頑張りを認めないわけにはいかないアルスは、それを口に出して起こすような無神経なことはできなかった。それでもさすがに涎は垂らさないで欲しいとは思うのだが。
呆れながら向かいで笑みを湛えるシスティと諦めたような苦笑を覗かせるロキ。
テスフィアとアリスが仕方なく起こされたのは女子寮の門限ギリギリになってからだった。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)




