高位と低位と好意
「コラ、メイン。ノワがまた暴走したわよ」
「ご、ごめんなさいテスフィア先輩」
三人組の先頭でメインが息を切らせながら頭を下げる。続いてシュルトが面倒くさそうに後に続いた。彼としては完全にとばっちりでお目付け役にさせられたのだから常にこんな調子だ。とはいえ、彼自身ノワールの身体能力の高さは評価しているし、自分より遥かに強いことも理解していた。
だから釈明が無駄であることを三人の中で一番わかっているのだ。ノワールがその気になったらこの三人では止められるはずもないのだから。
そして三人目は女生徒であった。青みがかった長髪で片側にお団子を作っている少女はシュルト同様に実力試験でアリスが担当した新入生だ。
「フィオネがついていて、珍しいねぇ」
怒るというよりも意外感を含ませた声はアリスのものだ。この三人の中では特にしっかり者である彼女だが、今日に限ってはノワールが暴走した際の対処が遅れ気味だった。
それも本来新入生が負う役目ではないのだから、テスフィアのように叱るような言葉はアリスにはでてこない。とはいえだ、この役目を買って出たのはテスフィアとアリスに憧れるメインとフィオネなのだ。偶然シュルトが加わって三人。彼に至ってはたまたま同じ講義で、顔見知りだったアリスに声を掛けられただけである。
それもあれよあれよという間に一組に括られ、学内一位のソカレント家の子女に頼まれてしまったのだ。貴族としてアルファに移ってきたばかりのシュルトの家は派閥のトップに君臨するソカレント家と懇意にしておくことに損はなかった。というのはあくまで彼の言い分だ。実際は断れるだけの勇気を持ち合わせていなかっただけの話。
フィオネとアリスに呼ばれた女生徒は激突する勢いで急ブレーキを掛けて停止と同時に頭を下げた。
「すみませんアリス先輩。まさか屋上から飛び降りるとは予想していませんでした」
「あぁ~そのあたりは常識外だね。というかノワちゃんもできてもやっちゃダメだよー。他の人が真似すると危ないから」
「それはそれで綺麗そうですのに……」
落下後の顛末を想像したのか、そんな物騒な感想を抱くノワールにすかさずテスフィアが声を上げた。その声調はやはりアルスという前任者を踏まえている分ため息に近いものを滲ませている。
「あんたはまた不謹慎なことを、綺麗なわけないでしょ。想像するだけでも気が塞がるわ!」
「…………それも、そうですの」
一瞬だけ間をおくノワールは以前アルスが抱いたように認識の乖離を見たのだろうか。そもそも見てきた世界の違いは価値観を根底から別物にしてしまう。だからこそ、ノワールは肯定側に意見を変えた。自分から擦り寄ったのではなく、相容れないからこその壁として放った言葉だ。
自分を理解できるのはアルスだけで十分であり、ここの連中とでは相容れないどころか同じ秤にすら載らないことをわかった上で区別しているのだ。
「ノワ、行くわよ。騒ぎはコリゴリなんだ、か、ら……ん、騒ぎ?」
ノワールの手を躊躇いなく掴んだのはフィオネだった。彼女たちは今自分が置かれているこの状況――大勢の注目の中心にいるということに遅れて気づいた。
場違いな感は居た堪れない衝動を新入生の少女に湧き起こる。
まるで理事長が全校生徒へスピーチするように壇上に上がった気分だった。すでに手遅れかもしれないが、一先ずこの場から逃れるべきだと判断する。フィオネは俯きつつすぐさま退こうと足を動かす、が。
「お前らもいっちょ前に先輩気取りか」
聞き慣れない声と先輩方に対する不遜な物言いをフィオネは驚愕と渦巻き出す不穏な感情を抱いて声の主に鋭い視線を飛ばす。今では三年生であろうとテスフィアとアリスに横柄な物言いをする者は一人もいないのだ。フィオネは感情的な反射行動であるかのように弾かれて振り返る。そして、その姿を視界に入れ一瞬で硬直した。
「当然でしょ! これでも二年生なんだから。あんたから見たらまだまだだけど、これでも校内上位なんだから」
「そうだねぇ。年上という意味では下級生のお手本にならなきゃいけないんだよぉ。ねっフィオネ」
テスフィアの言い分はもっともだ。忘れがちだがここは学院で軍のような順位による格差とは別の側面も持つ。正しくは軍でも見られる光景ではあるのだが、アルスの経験上稀有な光景なのだ。年功序列という旧体制は当然存続している、その一方で外界に出る魔法師同士にはあまり適用されないものでもある。外界では有能な者や順位が高い者が隊の指揮を取るため、年齢による遠慮や気遣いは寧ろ密な連携には不要とされがちだ。
そしてアリスはアリスで、何故かフィオネに抱きつき、お団子を崩さないように丁寧に頭を撫で始めている。
「せ、先輩……い、今は……それとですね。ご紹介だけでもいただければ……」
フィオネの手は今もノワールを放さない。それでも彼女は自分自身に不遜な態度を許容できるだけの情報を欲してアリスに問いかけた。撫でられるのは嫌いではないが、あまりにもここでは人の目があり過ぎる。一年生だから許されるかな、という甘い考えはすぐさま改められ、突き刺さる視線の集中砲火による羞恥心から話題を逸したのだ。
だが、結果としてアリスの回答を待たずに答えは告げられた。
「ア、ア、アルス……レーギン!?」
至近距離でそんな大声を上げたのはシュルトだった。普段の彼は澄ましたキャラで通しているだけあり、そんな頓狂な声を聞いたのはメインもフィオネも初めてのことだ。
「え、ええぇぇぇッ!!!」
「…………ちょ、わっ!」
連鎖する恐慌状態。シュルトに続いてフィオネも裏返りそうな声で叫び、ノワールの手を掴んだまま片膝を突いた。それに引きずられるようにノワールも屈む姿勢にさせられる。
そんなノワールを見て、アルスの隣で鼻で笑うロキの姿が彼女の視界の端に映った。
「三馬鹿、なんで私までこんな体勢にならなければならないんですの!」
「シッ! 下手なことはしゃべっちゃダメ、いい? ノワールさん、ここはなんとかして逃げることだけを考えて!」
小声で耳打ちするフィオネは誰よりもこの事態を深刻に受け止めていた。相手はかのシングル魔法師だ。ノワールが何をしでかしたにせよ、状況から察するによろしくはないのだろうと、考えていた。
だからこそ、一先ずは頭を下げる。目でも合わせようものならば自分程度あっさりと吹き飛ばされてしまう。フィオネが抱くシングル魔法師像とは一介の魔法師、それも学院生では遥か天上の人なのだ。一桁、二桁と限りある席に就けるのは選ばれた者のみ、その指し示す位は称号に等しい。
最上級の敬意をもって接しなければならない。だというのに隣ではシュルトが呆けたように立ち竦んでいる。彼は貴族としての立ち振舞など身につけていると思っていただけにこれは予想外だった。
もっともフィオネにとって深刻だと感じさせたのは後に続かなければおかしいはずのメインだった。彼もまた立ったまま――その表情はシングル魔法師相手に値踏みするかのように視線を固定している。
普段から温厚な彼は敵意とさえ勘違いされそうなほどの視線をシングルに向けていたのだ。
――メイン! 何やってるのよ!
胸中で吐き出された声をメインは汲み取ること無く、一心に憑かれたように微動だにしない。
「フィオネってば」と自分を呼ぶ呆れ混じりの声に彼女が気づいたのはアリスが呼びかけて三度目のことだった。
それでもアリスの呼びかけにフィオネは応えられない。必死に自分の中で高位魔法師に対する礼を呼び起こすが、そんな知識もマナーも彼女には最初から備わっていなかった。
こんな場合はどちらを優先すべきなのか、頭が混乱し始めてきていた。
万事休すかと思われた直後。
「フィオネと言ったか。さすがにそこまでされると俺の安心安全な生活が崩壊しそうになる……それにノワールも限界だしな」
「えっ?」
隣ではプルプルと膝が震えているノワールがいた。絶妙な高さで中腰になっている彼女には筋トレにしかならない。ましてや、それがロキという侮辱的な視線を向けてくる刺客がいるのだからそろそろ我を忘れそうになるというものだ。
大鎌がゆっくりと直立し、フィオネの腕に狙いを定めていた。
「放してくださいます? いらない腕なら構いませんの」
「そんな脅しが毎回利くと思わないで!」
「脅しだとよかったのでしょうね」
フィオネは気丈にも言い返したが、満面の笑みを浮かべるノワールとの視線を切るように何が目の前を――フィオネとノワールの間を抜けていく。
大鎌の刃が地面に突き刺さる音が響き、フィオネは咄嗟に目を閉じた。
だが、彼女は自身の身体が予想に反して浮き上がっている浮遊感を不思議に思う。まるで羽のように軽々と舞い上げられたのだ。
そして下から全身を包み込むように抱えられる。状況は理解できないが、目を開けたすぐ傍にシングル魔法師の顔があれば困惑を通り越して声すら発することもできない。
先程自分が膝を突いていた場所には大鎌が刺さっていることだけは確かなようだ。
「ったくどうして面倒なことをする。場所さえ選べば相手してやると言ってるのに」
「ちょっとした冗談じゃありませんの」
そうノワールは確実にフィオネの腕を切り落とす目的で鎌を振り下ろした。それはアルスがフィオネを助けると確信を抱くほどの信頼があってのものだ。一方的ではあるが。
だからそんなお茶目に微笑んで見せても誰も共有してはくれない。
アルスはフィオネを抱えたままノワールを牽制する――無論、ただ威圧すればいいという問題ではない、それこそ彼女の思う壺だ。
ノワールはアルスとの再戦を求めている。それは血が舞う戦いをだ。だからこそ、彼女は不器用にもアルスの首を狙い続けることでしか、焚き付ける術を知らない。
「学院で問題を起こせば……お前にもわかっているだろ」
「だから冗談だと言っていますの。そんなに怒らなくてもいいですのに」
本当にノワールとしては冗談のつもりだったのだろう。それを冗談だと思えるのは彼女が育った環境を知っている者のみ……いや、劣悪な環境で育った者のみなのだろう。腕を一本落としてもノワールにとっては冗談程度、それこそ避けて当然のゲーム感覚なのかもしれない。
「アル……わざわざ抱える必要はなかったのでは?」
「ん? まぁそれもそうだな」
真っ先に入ったロキの指摘は避けるのなら突き飛ばせばよかったのでは? というものであったが、アルスはそれをいつまで抱えているのかという解釈し、フィオネをそっと降ろす。
何故かいつものような冷たい表情のロキは一先ず置いておくとして。
「こいつのお守りも大変だろ」
「ハイッ!! あ、いえ、そんなことはありません……助けていただきありがとうございますッ!」
フィオネは髪が舞うことを気にする余裕もないほどの勢いで頭を下げた。止めた衝撃で鞭打ちにでもなってしまうかというほどに。
事実、今日までもノワールにはほとほと手を焼かされていたフィオネだが、彼女が実行することはこれまでもなかった。ただの脅しだったのだ……今までは。
だから、箍が外れた子供のような今のノワールはそれこそアルスとの再会に無邪気に喜んでいるだけなのかもしれない。
「あいつらの後輩というなら別に大した手間じゃない。それよりノワールとの再会早々に不祥事じゃ、俺のせいにされかねんからな。これ以上何かあったらさすがに逃げたくなってくる」
「はぁ~……ハッ!」
要領を得ない返答にフィオネは同輩に対するような軽い相槌を打ってしまい、即座に口を手で覆い隠す。そんな非礼にも値する行為をアルスはまるで気にも留めなかった。
彼女からすればそれは器の大きさを垣間見た瞬間であるのだが、当人としてはいちいち面倒くさいだけなのだ。というよりもそんなことで目くじらを立てていたらテスフィアやアリスとは会話もできないだろう。
一先ず危機を脱したところで。
「さすがに学院で暴れるなら相手してやらんぞ」
「いけず……ですの」
指を咥えていれば間違いなくアルスは拒絶したであろう台詞は、この場に集った男子生徒全員に狂気的な魅了を植え付けていた。なまじ、その手を得意とする魔法特性であるのが悩ましいが。
「アル、そろそろ……」
「あぁ、そうだな」
ロキの言葉は先約があることを促すものだ。校内放送があってから十分な時間が経っているにも関わらず、未だ研究棟から出て十メートル足らずであった。
これまでの理事長とのやり取りから、遅れている状況はアルスにとって何か良からぬ気配を抱かせた。
呆然と立ち尽くしたままの新入生の脇をアルスは無言で通る。初対面で気安く話し掛けたりはしない。ちょうどシュルトとメインの間を抜け、二人は身体ごとアルスへと向き直るが、掛ける言葉は見つからなかった。
「ちょっと、置いてかないでよ!」と真っ先に後を追うテスフィアに一同は取り残されたように放心状態となった。そしてテスフィアの後に続くアリスは思い出したように振り返って。
「まってぇ。あ、フィオネ、後はお願いね~」
「はい! アリス先輩も……お、気をつけて……」
咄嗟にそう返事をしたものの、それが的確でないことはフィオネ自身わかっていた。何に気をつけろ、というのか。
まだ自分が夢の中にいるようなそんな囚われた意識で、かのシングル魔法師を見つめていたのだからその理由は容易に察せられる。
魔法師としての最高位はこの学院に限らず憧れの存在だ。その年齢がたった一つしか違わないのだから、フィオネは自分を卑下してしまわないように魔法師としての志を再認識する。まだ知識も乏しい彼女が目指す道の先にはテスフィアやアリスがいて、少し前には学内トップのフェリネラがいて……。
魔法師が歩き続ける、その先頭にいるのはきっと……。
もっと精進しなければ、と自らを鼓舞するフィオネであった。
そしてシュルトは、というとこちらは顎が外れてしまったように開いた口が塞がらず、緊張のあまり第一声が呼び捨て、という無様な初対面を果たした。彼としては絶好の機会にも関わらず視界に入れてもらえたのかも疑わしい。
後々シュルトは女々しくも無礼に対しての謝罪をすべきかで数時間を無駄にするのであった。
そして……。
遠ざかる和気藹々とした空気を見つめて一人の少年は未熟な己を恥じていた。何よりも彼女が見せる横顔は少年にとって初めてみる顔だったのだ。
理知的なイメージとは違い、それは天真爛漫な麗らかさが表情に現れている。
何かを言われたのか、紅いポニーテールが上下に激しく跳ねて、少し剥れた横顔が視界に飛び込んできた。その時、少年の胸の奥を何かがチクリと刺した。
それはすぐさま声が掛かったのと同時だったために、深く刺されることはなかったのだろう。少なくとも少年の意識は名残惜しそうに呼ばれた声の主に向く。
「メイン、行くよぉ。ノワールさんを連れて行かないと」
「あなたたち、本当に懲りませんのね」
「それはこっちのセリフ。何をしたのか知りませんが、強制連行します!」
「ちょっと先輩を殺そうとしただけじゃありませんの」
「…………」
その言葉にフィオネの顔をサッと青褪めていく。風邪でも引いたのかと勘違いしてしまうほど芯から冷えていった。
アルスの口調から察するに問題にされるようにはフィオネには思えなかった。それでも人類の救世主・英雄、そう呼ばれる人物を殺害しようと目論んだ段階で人類に対しての反逆と捉えられるほどの重罪だ。すぐさま聞き耳を立てている者がいないか周囲に血走った目を向ける。
こんな不穏当な発言が連発されれば学院にノワールの居場所はなくなってしまう、何よりそれを監督する三人も白い目で見られかねないだろう。
気がつけばノワールに対して限界まで目を見開いたシュルトがおり、フィオネは何か共通するものを瞳から感じ取った。
「シュルト君、そっち持って!!」
「ま、任せろ!」
二人はノワールの両脇を抱え、引き摺るように退散する。メインはノワールから大鎌型のAWRを奪取して縮こまりながら小走りで追いかけた。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)
 




