雛を迎える
「おい、俺を巻き込むな」
鬱陶しく振り返るアルスの目の前にはノワールの整った面立ちと、悪巧み遂行中の無邪気な表情があった。ロキとの再会を心の底では喜んでいるようにも見えるが、きっと気のせいなのだろう。過去を知り、今を理解できるのはアルスとロキの二人だけで、そんな仲間意識が彼女の中で芽生えたように見えたのは……きっと気のせいなのだろう。
アルスは自分が発した言葉ほどの怒気が籠もっていないことに気がつく。
「そう邪険にせず、せっかく楽しくなりそうですの、に……」
吐息が首元を粘り気を帯びて這っていく。当然、その欲情を掻き立てる仕草に周囲からは色めいた声が津波のように湧き、一方ではそれにも劣らないほどの生唾を飲み込むくぐもった音が確かに混ざっていた。後者はおそらく男のものだろう。
「ちょっとノワ!!!」
「ありゃりゃ……」
テスフィアはその勇気ある行動に対して奇声に近い声を上げた。ノワールのはしたなく甘える行動は魅惑的なアプローチの一つではあるが、テスフィアの自制心が強くストップを掛けてしまうものだ。しかし、それは彼女が一度は夢見るシチュエーションでもあった。まさに下級生に先を越された驚愕から出たものだ。
アリスの苦笑はある意味ではお手上げの合図でもある。もちろん、これはノワールの行動に対してではなく、銀髪の少女に対してである。
二人揃って声を上げるのが精一杯で、咄嗟に対処が思いつかない。あれを引き離そうにも真っ先に動いたら下心を見透かされそうな気がしたのかもしれない。
そんな堂々巡りをしている、悠長な時間もノワールの行動は継続している。
唾液の糸を引く口から淫靡に伸びる舌。
黄色い声の中でノワールの口元がアルスの耳元へと向かう。
そして下から舐め上げるように舌が爬虫類のような動きを見せ――と、焦らすように口腔内へと引き返していく。
次に彼女が取った行動に音を付けるとすればパクッだろう。そう、ノワールは飛びつくようにアルスの耳介を食んだ。さも甘噛でもするかのように。
当然、アルスは気持ち悪いな、とは思っても彼女の意図から察するに反応を示すのがこの上なく面倒だった。危害を加えるつもりはないのだろう。幼少期にも軍で似たようなことがあったな程度の感想しか湧いてこない。
ノワールの視線はその行動がもたらす精神的ダメージのほどを確かめるためにアルスではなく、後方へと向いた。
「だから俺を巻き込むな、と」
まったく意に介さないアルスは重くのしかかるノワールを振りほどこうとしたが、それよりも早く何かが動いた。地面を迸る電撃の余波。
ノワールの視線、意識さえも追い抜いて至近距離にその少女は現れた――一言も発さずに。
ロキの中で理性や自制といった錠が外れた瞬間だ――それも強引に。
「えッ!」
ノワールはそれしか漏らすことができなかった。このお遊びがもたらす危険度を彼女は軽視していたのだろう。そう自覚したのは眼前に迫ったナイフの刃先を捉えてからだった。
ロキはフォースをも使っていた。それが意識的なのかロキ自身わからなかったことだ。
今度は警告もなく、確実に仕留めるために放たれた一撃。薄皮一枚どころでは済まない。急所を確実に狙った突き。
アルスとノワールの僅かな隙間、寸分違わず的確にノワールの眉間を、電撃の纏ったナイフが襲いかかる。
「あなた正気ッ!?」
ノワールは弾かれたように首を後ろに引き、間一髪回避には成功した。すぐさま距離を取るが、完全に銀髪少女の目は虚ろである。
一応大鎌を構えるノワールだが。
「待ちますのロキ。私、一応制限が……」
「天誅です。よりにもよって甘噛とか……天誅……決定事項ですね、ハハッ」
「やめぃ!」
さすがのアルスも今のは冷やりとさせられた。予想していなかったこともあるが、何よりフォースまで使う事態に発展しては無視し続けることもできない。
沸騰したロキの頭を鷲掴みにして、自分に向かせる。
その目は半べそをかいていた。
「だって、アルゥゥ……」
「実害はないから、もうやめておけ。あの手の輩に構ってたらキリがないぞ。それといちいち感情に流されるな」
ポンポンと頭を軽く叩き、纏ったフォースが綺麗に消えていく。
「ほんとにイカれ者揃いですのね。育成プログラムは……」
少し距離を取ったノワールは火に油を注がないように一先ず口を噤む。それも暗殺される側の一端を垣間見たからだ。意識の外、ふいに生命が刈り取られるという不条理を垣間見たのだ。
彼女にしては珍しく戦いの中に悦びを見出すことができなかった。それもそのはずだ、戦いすら始まっていないのだから。というよりもこの首輪があるおかげで戦闘の火蓋が切って落とされることはない。魔力を制御された状況での戦闘はあまりにも分が悪い。何よりも楽しさなど微塵もないはずだ。一先ずは溜飲を下げられただけでも良しとしなければならないのだろう。
「あんたも淫らな真似をするなっ!」
軽くノワールの頭に手を触れさせたのはテスフィアだった。二人の身長差に大きな開きはないが、テスフィアは若干爪先立ちになっていた。
「あら、テスフィア先輩、まだいたんですの」
「あんたね……今回の一件はフェリ先輩に報告する必要がありそうね」
「本当に残念ですの。フェリネラ先輩がいたらこれをなんとかしてもらえましたのに」
「んなわけないでしょ!」
ノワールの魔力制御装置の解除コードはフェリネラとシスティの魔力情報によって登録されている。そのためフェリネラさえいれば解除してくれると期待しているのだ――もちろんそんなことはないのだが。
間違ってもアルスに危害が及ぶ可能性が僅かでもある限りフェリネラが解除することはないだろう。
ある意味ではアルスよりも問題児という認識が校内では強い。もちろん、アルスに関しては一部のみではあるが。
「せっかく先輩の許可があるのに歯痒いですのね」
ノワールが残念そうに告げるその先輩が指し示す人物は当然アルスだ。郷に入っては郷に従えとは言うが、彼女の制約はあまりにも退屈なものだった。最近始めた仕事も頻繁にあるわけではないため、こう期間が空くと内側から疼き始めるのだ。
ノワールの脳内には今もあの恐慌状態での戦いが尾を引いている。生命という何よりも脆い物を取り合う、単純さが今も身体を内側から痺れさせるのだ。
彼女の情欲とさえ同等の悦びはこの学院内ではとうてい許容できるものではない。そのため、テスフィアはノワールが学院にいる間、世話役として指名されている一年生組の所在を訊いた。
「で、あんたのお目付け役は?」
「あら、それでしたらどこかに置いてきてしまいましたの」
「はぁ~、荷が重かったのね」
テスフィアの頬を掻く動作はなんとかして苦笑を堪らえようとする努力だったのだろう。そもそもお目付け役というほど徹底してはおらず、確か「仲良くしてあげてね」程度のやり取りがフェリネラとの間で行われたはずだ。そしてこの両者の間を取り持ったのがテスフィアとアリスである。
何故お目付け役とテスフィアが呼ぶのかというと、何かと問題行動の多いノワールに対してお目付け役を任された一年生はしっかりと彼女に対して言い返せるからであり、報告できるからなのだ。同学年で、かつ隔てなく付き合える人柄といえば良いのだろうか。
ともかく、テスフィアやアリスの頼みを断らないという点は共通している。
そしてテスフィアの呆れた顔は遠くから駆けてくる三人組を見てのものだった。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)




