旧知の敵
緊迫した空気は刹那的なものであり、危機的状況を見た生徒たちの間にも何故か頭を抱える者がいた。
おそらく予感のようなものがあったと窺える。ただし今回に限ってはその相手がシングル魔法師たるアルスであったのが問題といえた。今やその名を良くも悪くも知らぬ者はいない。
ましてやここはアルファのお膝元だ。
生徒たちが集ったのもアルスという一人の最高位を一目見るためでもある。もちろん旧友が身分を隠していたという一部の顔見知りを除いて羨望せずにいられない。
学院に在籍していたという事実は魔法師を志す彼らには刺激的過ぎたし、劇的過ぎた。だからこそ、こうして他国でも見られるようにシングルの凱旋を整理の付かない心持ちで見届けたいのだ。
だが、そんな魔法の叡智を極めた者に対するこれ以上ない非礼を目の当たりにして、辺りはしんと絶句が舞い降りる。
同輩ということを抜きに身分だけで考えればノワールのしたことは極刑に近い。もちろん、アルスがアルファの魔法師であるならば、だが。
だとしてもアルスという個人を知らない者からすればこれは非常によろしくない事態ではある。ロキが彼女の首元にナイフを突きつけたのは至極当たり前の行動だ。本来ならば生徒たちが是が非でも止めに入らなければならないのだが、すでに一線はスキップでもするように容易く越えられた。
この場から逃げ去りたい衝動を生徒たちに与えるほどだ。それでも誰一人立ち去ろうとする者はいない。きっと想像を絶する事態に呆けるという状態を取るのが関の山だ。
もちろん、アルスという個人を誰よりも知っているものからすれば、また違った言葉が出てくる。
「ノワ、あんたはまた問題を起こす!!」
嘆息しながら怒るというテスフィアの奇妙な一面はこうした厄介事は初めてではないことを裏付けていたし。
「ほら、ノワ。またフェリ先輩に迷惑かけるでしょ」
また、という単語がアリスから飛び出ればなんとなく察せられる。
アリスの叱り方はかなりと言ってよいほど甘かった。いや、どうしたってアリスでは本当に怒っているのかわかりかねるのだが。
この二人によって状況の緊迫感という意味では随分緩和されたのだろう。まるで下級生のするおいたのように。
そんな上級生であるテスフィアとアリスに対してノワールは軽く目を伏せ「御機嫌よう先輩方」と表情だけは取り繕う。無論、その手先、指先に至る感覚は変わらず、気の抜けた言葉以上に神経を研ぎ澄ましている。
首元に刃が添えられていようともアルスに敵意や対抗手段を講じる素振りは微塵もなかった。いっそ、呆れる――最初から殺す気などないのだから。
顔見せにしては随分と不器用な奴だな、という感想しか湧いてこない。
実際のところ、ノワールに挨拶や礼儀、そういった一般的な定型句は備わっていない。それもそうなのだろう。大人に混じって育ったアルスとは別に、彼女は暗殺のみの教育しかされていないのだから。
人と会い、交渉や他愛ない雑談すらノワールからしてみれば意味がわからないものだ。
殺す、殺人、殺める、そうした前提から派生する行動でしか表現できないのだろう。
だからアルスが人差し指と親指の二指で危ないものを掴むように刃から簡単に抜け出ることが可能なのだ。
「あら! つれませんの。また狂乱の中で踊りたいと思っていましたのに」
「学院では難しそうだな」
と彼女の要望を一蹴する。アルスの指は自分の首元を指差していた。そう、容易く掻い潜れたことに、ではなく、ノワールの首を指し示す。
そこには首輪のようにぴったり巻き付くタイプの黒いチョーカーがある。そして側面には幾何学的な式が描かれた白銀のプレートが埋め込まれていた。
それが何なのかアルスは一目で察した。そしてこの場ではテスフィアとアリスも、そしてロキでさえも彼女のチョーカーの意味を理解している。
ロキに関しては最初は本当にただの装飾品として見ていたのだが。
一見してそれは確かに装飾品だ。しかし、プレートの意味を知るものからすればあまり好ましいものではない。それは確かに首輪の意味を持っているのだから。
「かなり魔力を抑えられているんだろ?」
アルスの言葉にノワールが気落ちしたように口を尖らせた。これのせいでせっかくの機会が失われたのだ。
ノワールの首についているのはチョーカーとしてカモフラージュされてはいるが、個人の魔力を抑制する制御装置でもある。悪くいえば魔法犯罪者が付けるものだ。
一定以上の魔力放出、魔法の構成段階が上位級並のプロセスを踏むことで制御装置が魔力そのものを乱す作用を自動で行うというものだ。
魔力放出量や構成の制限については設定できるが、学院にいることを考えれば間違っても最上位級魔法の構成は制限対象だろう。
そもそもノワールが使う魔法は先の戦闘でもわかるように基本的には大全に収録されていない禁忌扱いのものが多い。禁忌と指定されていなくともその殺傷性から間違いなく抵触するはずだ。
彼女が欲する戦いはそれこそ一歩間違えればあっさりと死んでしまえる狂気の宴。刹那的な快楽をノワールは誰よりも強く感じる。それでしか生を実感することができないのだ。
それしか方法がわからないのだ。
アルスやロキ、そしてノワールに共通する強化育成プロジェクト。ここで育った者特有ともいうべき生への執着心――いや、もっとシンプルに例えるならば生きている意味を知ろうとする。自分に価値を見出そうとするのだ。
凡百の魔法師がまず到達できない価値観。もっといえば誰もが気付き見ないふりをする。その価値を彼らは異様に欲していた。
その意味でいえばノワールの生を実感する瞬間というのは狂気の沙汰であるが、彼女が言わんとしていることはアルスにも何となく理解できてしまう。だからこそ、彼女が失ったものを取り戻すまで自分を標的として定めることを許可したのだ。
ただし、彼女が本気でないのならば付き合うつもりはない。更にいえば場所ぐらいは選んでもらいたかった。
「ソカレント卿や理事長には条件としてこれを付けることを義務付けられましたが…………」
大鎌を立て、指で髪の毛先を弄るノワールは随分と上機嫌に口を開いていた。しかし、その先を告げさせない状況が彼女の首元に添えられたままだ。
一端言葉を止め、ノワールはアルスに向けた視線をキィッと真下に向ける。
「ロキ、あなたぐらいなら十分殺せるの」
「やってみるといい。危険分子は早々に排除しておくに越したことはないので……で、訓練で私に一度も勝ったことがないあなたが、どの口で言うんですか? 身の程を弁えるということを知らないのですね。一度救われた生命をむざむざ捨てる愚行。言っておきますが、二度目はありませんから」
「あなたこそ、一期早かっただけで昔を持ち出してみっともないの」
「首輪を付けたペットがよく吠えますね」
火花を散らす二人はお互いの過去を知っているがために譲れない何かがあるのだろう。
学年でいえばロキは一学年分繰り上がっているが、年齢でいえば同年代にあたる二人。
すぐさま、戦闘に移行することはない。冷静に分析すればわかることだ。ロキにとって見逃すことはできないが、実際に戦闘になれば間違いなくアルスの迷惑になる。
一方のノワールも現状でロキと対峙するにはあまりにもパワーダウンしていた。安い挑発が応酬するうちはまだいい、感情の昂りが理性さえ越えなければ。
幸いにもこのやり取りはノワールの知らない数年――すなわちロキの圧倒的変化に気づかないために発した一言が事態の収拾に一役かった。
「これが欲しいならいつでも私のペットにしてあげますの……あら、そうだったわ。あなたはすでにペットでしたのね」
「…………」
言わずも知れるその皮肉をそのまま、顔に貼り付けたような表情で見下すノワール。
だが、彼女の意図した反応をロキは示さなかった。
妙な間が降り、銀髪の下で白皙の頬に紅が差す。熱を帯びた顔はノワールの訝しんだ視線で引き戻される。
「ち、違います! 違いますとも……えぇまったく、もう……」
「ふ~ん」
その動揺ぶりを目の当たりにしてノワールの瞳が怪しく光る。
すでに無視して歩き始めたアルスの背中目掛けて盛大にダイブしたのだ。
その衝撃は当然のことながら持つべき者の特性として緩衝材の役割を果たす。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)