殺意は日常の中で
一先ず、アルスはこの状況を確認する必要を感じた。
故にこの学院の最高責任者に直接訊きにいくほうが良いのだろう。
何故、この研究室が未だアルスの私物で溢れかえっているのかということを。
先程テスフィアが言ったように再度確認しておく。
「一応帰ってはきたが、俺は退学ということでいいんだな」
「そうですね。さすがに半年以上も無断欠席して在籍しているというのも変な話です」
ロキが補足するように学院では進級に必要な単位を取得しなければならない。
とはいえ。
「さすがに留年はしたくはないから、退学なら願ったりではあるな」
もちろん、そうなるとこの研究室を使用できなくなるのだが。
アルスの疑問に対して事情に詳しいはずのテスフィアとアリスは何故が苦笑を漏らして言葉に詰まった。
知っているような曖昧な表情。
それに対して、なんとかして口を開いたのはアリスだった。しかし、彼女も実はそれほど詳しいわけではない。単純にここの清掃を任されただけなのだ。
そこに疑問など今の今まで気づかなかった。当然、アルスの事情は大凡聞き及んでいたため、戻れて当然だという考えだったのだ。
「それについてなんだけど、理事長は事件直後から保留にしていたらしくて、上から相当圧力が掛かったらしいんだけど」
そんな内情を愚痴としてその場で聞いていた二人は理事長に対する尊敬の念が一層増していた。
とはいえ、実際問題、アルファ軍は裏側でアルス擁護の姿勢を取ったが、学院まではそうもいかなかったはずだ。それでも上に反発してまでアルスの籍を残したのはやはり骨が折れただろう。
いや、理事長という職さえ危ぶまれるものだったはずだ。
だが、ルールを曲げては学院としての体裁すら守れないのではないか。そこまで考えてアルスは結局理事長に会いにいくほうが要領を得やすいと判断を下す。
もちろん、こうしてアルスの部屋が再現されている現状を見る限り、何やら嫌な予感が漂う。
「さすがに俺らが学院にいることは知れ渡ったようだな」
ふいにアルスの視線が階下へと向けられた。当然床を透かして見ているわけではないが、外が騒がしいのは間違いない。
「そのようですね。散らしますか」
「お前がいうと物騒に聞こえるな」
「そんなことはありません。お手柔らかにお引き取り願うだけです。本来ならばお目にかかれるような方ではありませんので」
白い目がロキへと向けられるが、彼女は至って真剣なようだ。
「いや、それはやめておこう」
「左様ですか」
さすがに全校生徒とは思えないが、理事長に会いに行くというのは基本的に決まった事項だ。
つまり……。
直後、じれったいほどの前奏が学院内のスピーカーから流れ出し、続いてアルスの名前が呼ばれる。その内容は至急理事長室に来い、というものだ。
この校内放送にアルスは遅かったか、と面倒な予感を抱く。
それに何故か、気乗りがしないのはアルスが少なからず、学び舎で暮らしたためだろう。だから、まるでこれから怒られることが決まっているかのように浮かない。
「どうしてこうわざわざ事態を大袈裟にする」
「もう手遅れでしょ、それ。あぁ~下、凄いことになってるわね」
テスフィアが他人事のように窓から階下を見下ろす。そこには出待ちしているファンのような様相が広がっていた。普段学生がこの研究棟を訪れることは少ないため、なんとも余所余所しい。
一目見ようとか考えているのだろう。
「仕方ないちょっと行ってくるか」
「では私も……」
そういって関係者であるロキが続く、基本的にテスフィアとアリスは何をするでもないはずだ。
しかし、玄関を出て……。
「何故付いてくる。少なくとも面白くはないと思うぞ」
「良いじゃない。私達が役に立つかもしれないわよ」
そんな誇らしげな顔を向けて来ては、チラチラと視線を逸らす。反応を窺っているのか。テスフィア自身ここまで長い付き合いだ。これからもアルスの傍にいるためにも何かしらできないかと考えての行動でもあった。
「人間バリアか」
「人間バリアですね」
「ふむ、禁忌に抵触するかもしれんが、致し方ない」
「いやいや、あんたら私をなんだと思っているわけ? こう見えて私とアリスは学院内では有名人なのよ」
「自分でそれを言うのか」
「言わせたのはあんたら! 同伴すれば少しは変な目で見られなくて済むんじゃない?」
殊勝なことではある。きっと無下にするようなことでもないのだろう。彼女なりの気遣いといったところか。
アルスは礼を述べそうになる口を一瞬詰まらせた。それはアリスの余計な一言のおかげもあるのだが。
「実際、任務の完了について理事長に報告しなきゃいけないんだよね」
「シィーーッ!!」
振り返りアリスに対して指を一本口の前に立てるテスフィア。
結局はついでなのだろう。実際に二人をここに残したところで何かする用意もないわけだ。
「やっぱりこいつは人間バリアが丁度良さそうだな」
そんなわけで四人揃って研究棟を出る。
圧巻の光景だろう。実際のところアルスが興味本位の視線を浴びたところで鬱陶しい以外の感想など湧いてこない。
道路が真っ二つに割れる中、勇猛果敢に飛び出してきた女生徒。
「アルス君!!」
さすがのアルスも彼女のことは記憶に留めている。数回会話した程度であり、少し訓練を付けた程度。
それでも近寄ってくる生徒の中でも彼女は好意的だったため、あまり悪い記憶はない。
「シエルか」と咄嗟に吐いた言葉。それを受けて小動物のような彼女は嬉しそうに駆け寄ってきた。最初こそもみくちゃにされていた彼女だが、アルスが声を掛けた途端に爽快なほど綺麗に人垣が割れる。
何故か申し訳なさそうに抜け出すシエルだったが、アルスの前までくるとあの頃と変わらない愛らしい笑みを向けてくる。
「あっ!! えーっと、アルス様って呼んだほうがいいのかな?」
アルスの錯覚ではあるのだろうが瞳が湿っている気がする。こういった仕草が小動物を思わせるのだろうと思い。
「まさか、今後俺と関わりを持つつもりがないならそれでも構わないがな」
「そういうところはアルス君っぽいね」
「っぽい」という単語に眉間が寄る。しかし、彼女の性格なのだろうか。そう発するシエルは和ませる雰囲気を纏っているためか、悪い気がしないやり取りだ。
彼女もまたアルスがこの場に帰ってきたという自覚を薄れさせる存在だった。
とはいえ、時間の経過を感じさせるのは彼女の外見にもしっかりと表れている。
残念ながらもって生まれた気質は変わりようがないのかもしれないが、それでも垢抜けている様子、自然と流れる魔力も彼女の性格なのか陽溜まりのような暖かすら感じる。
いや、それは魔力というより単純に彼女が発する雰囲気。
シエルはテスフィアとアリスにも「おめでとう」という労いの言葉を掛けた。
何故かこのキャピキャピした空気は馴染めないものがある。無論、ロキもアルス側だ。恥ずかしさすらある若さが眩しい。
そして予想していた通り、遠巻きに眺めるだけで実際に声を掛けてくる勇者は然う然ういなかった。当然、時間的なロスはない。
シエルも加わり、理事長室まで歩きながら向かうわけだ。もともと交友関係が少ないアルスだからこれ以上増えることはないのだろう。
しかし、僅かな道のりとはいえ、簡単に運ばないのはやはり外界と変わらない。そういう意味では新鮮味があるのは悪いことではないのだろう。
「お前ら少し離れてろ」
「え! どうしたの?」
テスフィアの疑問に対する返答はない。正しくは返答している時間がなかっただけなのだ。そのため、誰一人離れるという指示に従う者はいなかった。
ふいに立ち止まるアルスは真っ直ぐ見据えたままだったが、その意識は頭上から降ってくる人物を捕らえていた。
刹那、眼前に舞う風の渦。急降下によって風が地面に叩きつけられたのだ。
そしてその者は着地と同時に滑らかに身体を移動させ、背後から得物を回してピタリとアルスの喉元に突きつけた。
「お久しぶりですの。先輩」
甘ったるい声が耳元から入り脳髄に響く。
アルスの首元に添えられているのは大鎌だ。少し引けば首が飛ぶ、剥き出しの凶器。
「ノワールか、ここは学院だぞ」
「えぇ、ですから先輩と呼ぶんではありませんの?」
アルスは視線だけをずらす、袖のデザインやスカートの端だけで学院の制服だということがわかる。どうやらベリックは彼女を学院に入れたようだ。相当思い切ったことをしたものだが、実際問題アルスが学院に通っていたのだから不思議なことではない。
彼女は少々気性が荒いというか、どこか刺激的な物を求める性格だ。ここまで来ると生きられる場所は限られてしまう。だが、それに対してアルスは何も思うところがなかった。
彼女の目標、いや、その刺激を引き受けたのは自分自身だ。ヴィザイストに伝えたのだから、ノワールがいずれは殺しにくることはわかっていた。
そうしなければ彼女が持つ殺人衝動は抑えきれないと思ったのだ。
どよめきが広がる一方で。
「1mmでも動かした瞬間に頸動脈を切ります」
「ロキ、それじゃ~私のほうが速いじゃない」
火照った表情で視線を声の主へと向ける。ノワールの首元にはロキが咄嗟に抜いた【月華】が閃き、薄皮一枚裂いた状態で固定されていた。
身長差から見上げるロキの視線は殺すことに躊躇いは見られない。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)