最強の魔法師
本題が全然進行しないことに苛立ちさえ感じ始めるアルス。
とはいえだ。彼女たちは留守の間しっかりと番をしており、無駄な記憶力を発揮して室内の整理から掃除までしてくれたことを考えれば…………多少の遠回りに付き合うは仕方がないのだろう。
そんな諦めの面持ちで会話に付き合う。最初こそ、笑顔とは言い難いが愛想は良かったはずだ。それも十分、三十分、挙げ句の果てには一時間近くなったことで不毛なやり取りにこめかみが痙攣し始めた。
これはきっとアルスだからではなく、男女の差だと言い聞かせる。もちろん、積もる話もあるのだろう。そうした会話だけで延々と駄弁ることができる能力を彼女たちは有しているのだと。
しかし、無駄話――アルスからすればだが――に花を咲かせるのはそろそろ頃合いだろう。
どこか蚊帳の外にいるアルスは本当にワザとらしく空咳を一度だけ…………二度だけ……そうして三回目でやっと反応を示したのはロキだった。
彼女からすればテスフィアとアリスは相容れないものだと思っていただけに、何か心変わりのきっかけでもあったのだろうか、と些細な疑問を抱く。
その原因が自分にあるとも知らず、少し離れて見守っていたアルスは戻れたことを再認識する。外れたレールが本来の軌道に戻ってきた。そんなことは有り得ないと頭では理解していても忘れらない日常を今実感しているのだろう。
また新しい風景が、光景が目の前に記憶として刻まれていく。
だが、やはり日常を取り戻すにはまだ足らない。
アルスはロキではなく、その後ろのテスフィアを見て、指で玄関のすぐ隣を差した。そこに積み上げられたガラクタの山を。
視線を逸らすテスフィアは本日二度目の謝罪をする。
「あれは事故なのよ。そう、不運な事故。善行が稀に生む悲劇だわ」
「いや、お前に清掃スキルは期待していない。今更咎めても元に戻るわけでもないからな。ただ、どうやったらあれだけの物を壊せる」
数十種類、その山を築く台座となっているのは検査機器だ。小物だけならばわからなくもない。少なからず食器の類もある。家庭用品に関しては補充されているのだが。
アルスの言わんとしていることが沈黙と代わり、テスフィアを逃れ得ない視線が射抜く。
「な、何……?」
「お前、まさか鬱憤を晴らすために破壊して回ったんじゃないだろうな」
「なっ――!! ちょっとそれは失礼過ぎない? ですかねアル」
愕然と苦労が報われない事態にテスフィアは口をワナワナとさせた。アルスのために頑張ったという事実が非難を浴びるとは思わなかったのだ――いや、薄々予想はしていたようだが。
「安心しろ。俺のために提供されたものだ。軍にでも頼めば回してくれるだろう。ついでだが、それは二千万デルド……あれは五百万…………ふむ、いっそ清々しくすらあるな」
「やめてえぇぇぇ!!!」
あまりの高額にテスフィアは戦々恐々と耳を塞いでしゃがみ込んだ。背を向け、何かぶつぶつと呪詛のように謝罪を繰り返しているようだ。
その背中を擦ったのはアリスではなく、ロキだった。
この行動はアルスの予想外。良い傾向なのだろうが。
「アル、ちょっと意地が悪いですよ。大丈夫ですフィアさん、食器類に関してはそれほどお高いものではありませんので…………!!」
そして山の中に埋もれる破片を寛容な心で見つめる。
だが――微笑みすら溢れる表情、その頬がある物を視界に収め、そこから連想される形状を脳内で構築していった。その結果、ロキの頬に一筋の冷や汗が伝う。
「フィ、フィアさん…………ま、ま、まさか……」
ガラクタの山から食器の破片を掘り起こす。ロキが手にしたのはアルスも当然見覚えがあった。それは良く彼女が紅茶を注いでくれたティーカップ。
これはティーセットとして一式揃っていたものだ。当然、発掘される残骸は一セット分ある。
「ハハッ……ハハハッ……アルとの思い出が……」
茫然自失と両手に持った破片を見つめるロキの様子は尋常ならざるものだった。さすがのアルスも上手い言葉が見つからない。
そう、これは不幸な事故なのだ。それで割り切れない状況に早くも離脱したい衝動が襲ってくる。
すぐさま援護に駆けつけたアリスとテスフィアの全力での謝罪。
それを心ここにあらずといった様子で揺すられる小さな身体、何かが抜け出た後のように抗うことすらロキはしなかった。
ただ、ただ不気味な逃避の笑いを浮かべているだけ。
こんな状況が好転しない今、アルスは意識してではなかったが、ロキが自我を取り戻すきっかけを与えた。
「壊れてしまったものはしょうがないだろ。また買いに行けばいいさ。その時は俺も付き合う」
「ほ、本当ですかッ!!」
「あぁ、当然、そっちの紅いのもな」
「わかってるわよ」
「あ、いえそれは結構です」
きっぱりと拒否するロキはどこか嬉しそうに綻んだ。
これは茶番だ。いつも通りの……。
そしてそればかりに浸ってはいられない。
「話しの続きだが」と切り出すアルスに三人は一瞬呆けた。続く先が即座に出てこないのだ。さしものロキも一時間近く話し込んだためすっかり忘れていたのだろう。
二番煎じなやり取りに強烈な頭痛を気力だけでねじ伏せたアルスは表面上やんわりと引き継ぐ。
「任務だよ、君たち……」
その得も言えぬ表情に三人は張り詰めた緊張を表情に湛えた。
何故か、場の空気を一変させるためにテスフィアが口を開く。再度、故意に破壊したとされる器物破損の容疑を言及されないためであったかはわからない。
「任務ね、任務……え~っと、こ、これこれ、これを渡すのが任務だったのよ」
そういってポケットから取り出した見慣れないカードを差し出す。
確か二人は盛大に「任務達成」とか言っていたはずだ。肝心の物を渡し忘れて“任務達成”だと豪語するあたりまだまだ教えることは多いのかもしれない。
無論、アルスが教える範囲を大きく越えているが、この時はそう感じざるを得なかった。また、そうすることで出掛かった説教タイムを堪えたのだ。
自分を褒めてやりたい気持ちは、その不可解なカードを見てることで逸らされた。
否予感は前々からあったのだ。
アルスが出会った連中は一癖も二癖もあるような強者。腕っ節ならいざしらず、こと知略、策略、画策といった権謀術数を巡らすことに関しては一枚上手だ。
そして手渡されるカード、その上をいつかの理事長のようにテスフィアの指が触れる。
鮮明に映し出された仮想液晶は見覚えのある数字が。
「おいおい、やりやがったなあのババア」
全員がそこに表示される数字を見てどこか嬉々とした雰囲気を発していた。ロキもまたアルスがその偉大な功績の証明たる位階に舞い戻ったことを驚きとともに喜んだ。
すぐに声が出てこないのは彼が認められたという共有による嬉しさからだった。
それ故に形容し難い感情がこみ上げてくるのだ。鼻の奥が痺れ、唇が震える。声を発してしまえばそれは容易く堰を切るのだろう。
我慢する必要などないのに、何故か押さえつける自分がいる。
「はい、こっちはロキちゃんの」
そういって必死に堪えているロキへ無神経にも手渡すアリス。
受け取るカードの上に溢れ出した雫が跳ねる。
「ロキちゃん?」
カードを見て、そこに記される物をしっかりとロキは揺れる視界に収めていた。これは軍からのものではなく、協会発行のものだ。
アルスの意図とは大きくかけ離れた結果であったが、理由もなくロキの涙は流れ続けた。すすり泣くのではなく、ただ、ただ透き通る雫が溢れ出す。
そんな彼女を横で見ていたアルスは悪態を飲み込む。軍からは離れたが、順位という人類が縋る力の象徴は今も彼を拘束する。いや、これはきっと拘束ではないのだろう。
ただの数字でしかないのだから。
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・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
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