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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第10章 「夢の終わり」
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遥かな道の始まり



 ◇ ◇ ◇


 晩秋を迎えた季節。居心地よく設定された気温は半世紀続いてもなお変わらぬものだ。


 しかし、今日この時を以って人を守る籠が取り払われた。7カ国に住む全ての人々が意識を奪われ、生命の息吹が遥か遠方から強風となって7カ国中を駆け抜けていった。


 世界に張られたフィルターが虫食いのように解れていく。だが、その下から現れた蒼穹に全員が目を奪われ、地平線よりも遥か上に顔を向けた。

 駆け抜ける無味無臭の空気を深く取り込んでは咽る者までいる。


 だが、一様に爽やかな風を全身で感じ取るために足を止めて空を仰いだ。

 そこには見たこともない光を放つ太陽が燦々と陽を注がせていた。目が眩んでもなお、必死にその姿を目視しようと試みる者までいる。


 何せ、彼らにとって太陽とは光を発する丸い塊でしかないのだ。だから、知識では知っていても身体の芯からほんのりと優しい温かみが溢れてくることを大層不思議に感じていた。

 それでも忌避するものではなく、そのありがたみを本能的に実感してしまうのは、人のあるべき……いるべき場所に戻ったということなのだろう。



 防護壁が解かれたことで騒ぎになったのはそれから数十分も経ってからだったという。

 この事態を見越していたのか、各国にそれほど表立った騒動はなく、ほどなく沈静化した。外界で研究に精を出していたアルスには知り得ないことだが、各国では事前にバベルの稼動停止について国民に繰り返し説明していたのだ。


 ほどなく寿命を迎える、と。



 無論、防護壁が解かれた後のことも考えていたアルスは、各国に擬似防護壁を配置したのだから、各国は事前に予想を立てることもできたというわけだ。

 最初から元首らは防護壁解除に一人として拒絶するつもりなどなかった。バベルの寿命が近く、その効力さえも目に見えて衰えている昨今では焦りは募る。

 と、なればその代替を考案しなければならなかった。しかし、バベルの構造自体、解き明かせない彼らではせいぜい魔法師の配置や育成に力を注ぐしかなかったのだ。


 だから頼らざるを得なかった、期待せざるを得なかった、というのが元首たちの身勝手な言い分なのだろう。


 無論、体面上では全てアルスが望んだからこその行動であり、その理由や理屈には僅かも元首たちを重んじる感情は入っていない。



 変な話だが、防護壁が解かれたことによって環境の変化から体調を崩す者や、見知らぬ世界を不安視する声が多数挙がった。

 それでも――いや、それほどまでに人々は本物の世界を忘れてしまったのだ。


 だからこそ、偽りの世界での暮らしを捨てなければならない。きっと何かが目に見えて変わるわけではないのだろう。

 だが、一つだけ確実なことが言える。それは思い出すことだ、忘れないことだ。


 自分たちがどこから来て、どこにいるのか。

 それさえわかっていれば、きっと……世界は広がるのだから。


 

 ◇ ◇ ◇



「アルス……彼女は」


 一縷の望みを託して問うシセルニアにアルスは断言することができず見たままの結果だけを伝えた。


「なんとか生きているようですね。ただ、彼女はすでに半世紀以上をこの薬液に浸かって生きてきた。到底理解し難いものです。詳しいことはわかりませんが、おそらく長くは保たないでしょうね。それでも打てる手は打ちますが」


 一先ずは身体のほうから治療していくしかない。

 待機させておいた治癒魔法師たちのところまで連れて行かなければならないのだろう。予定ではバベル付近までは来ているはずだ。何せ元首しか立ち入ることができないこの場所に余人を交えることは難しい。


 バベルの秘密は未来永劫語り継がれてはならないものだ。崇高な壁として語り継がれていかなければならない。


 ならばこそ、その崇高を維持し続ける必要があり、秘密を知り得た魔法師の存在はきっと必要のないものなのだろう。


 バベルの外に引き返し、様変わりした空を見上げてアルスは一度だけ深く瞼を閉じた。離れた位置で治癒魔法師が待機しており、その中にはリンネの姿もあった。


 アルスはラティファをハオルグに預ける。

 バベル内から一歩踏み出せば一変した世界を堪能できるのだが、シセルニアはおずおずと踏み出すことを躊躇った。

 そんな彼女の手を強引に取って引くと、意図も容易く足は新たな世界を踏み締める。


「いかがですか?」

「本当に肌寒いわね…………でも、なんだか暖かいわ」


 その矛盾をこの場にいる全員が体感していた。


 大きく深呼吸を繰り返し、感じたこともない新鮮な空気が肺を満たす。その清々しさにシセルニアの表情が解れていった。


「悪くはないでしょ」

「えぇ、なんとなくわかってしまうわね。あなたが言ったこと」


 本物や偽物という区別は本来すべきではない。無駄な隔たりを作ることは現状の不満を抱かせる。それは欲深い人間には好ましくないことだ。

 それでも人類が何のために戦い、何を目指しているのか、という根本的思想でいえばまさに今体感しているものなのだろう。


 世界の一部であり、人間のみが排除されているような今の構造はやはり未来が閉ざされているのかもしれない。改めてアルスはそう感じた。


 そしてこれほど共感してくれるシセルニアや各国元首を見て、間違っていなかったと確信を得た。それと同時に少しだけアルスの中で何かが満たされた気がした。

 それを嬉しさと形容してもいいし、充足感と言い換えても良い、そんなあやふやな感情に当て嵌める語句はないのだろう――ただ悪い気はしないというだけなのだから



 呆然と感じ入るシセルニアに悪いと思いながらアルスはシセルニアの手を解き、雄々しく姿勢を正した。軍人が目上の者に対してするように足を揃える音が空気を裂く。

 これは彼女の務めだ。


 アルスを一度見て、シセルニアはどこか苦笑を堪えるように告げる。


「本当にいいのね。誰も望んでいないと知っても」


 シセルニアは不安げに確認し、アルスは即答した。しかし、真正面に向き直った彼女が欲したアルスの手は後ろに組まれており、もう一度握ることはできない。


「他の誰でもない、俺自身がそれを望んでおりますので」

「そう……最初からあなたはそうだったわね。本当にありがとう、アルス」


 彼女は歴戦の手を離してしまったことを後悔するように無理やり服の端を握り、顔は元首のそれへと代える。

 引き締まる空気が下草を撫で、透き通る声音が大気を伝っていった。


「アルス・レーギン……まさか二度目でこんなことを告げるなんてね」


 震える唇を静めるためか、下唇を巻き込むように噤むと、一度大きく息を漏らす。

 立会人として各国元首も轡を並べて耳を澄ました。


「やっとあなたに勝てました」


 ボソリと吐いたアルスの言葉は拾われることなく、シセルニアは一語一語覚悟を乗せて発した――発する口が彼を引き止めるための余計な言葉を紡がないように。


「第32代シセルニア・イル・アールゼイトの名の下、アルス・レーギンを特別名誉除隊とします……」

「…………!!」


 ――引き分けだな。


 内心でそう溢すのがやっとだった。ここに来て【特別名誉除隊】とは予想だにしなかったことだ。

 各国元首も異論を挟まないのであればアルスはそれを受けるしか選択肢がない。除名、除籍、そういった所謂【処分】が妥当だと思っていたのだから、これにはさすがのアルスも諸手を挙げて降伏せざるを得ない。


「謹んで……」


 それでも彼女の表情には申し訳無さがあった。アルスから申し込んだこととはいえ、やはりシセルニアの罪を――全人類の罪を背負わせてはくれないようだ。

 ゆっくりと頭を下げるアルスはシセルニアにライセンスを返還した。


 最強の魔法師を証明するライセンスは元首の元に返っていく。彼女はそれを両手で受け取ると「いつでも帰ってきなさい」といって倒れ込むようにアルスの頬に唇を触れさせた。



「これ以上の勲章はないでしょ?」


 艶然と蠱惑的な表情を浮かべてライセンスで口元を隠すシセルニア。その微笑んだ目の端に空色を映した涙が浮かんでは、風が攫っていく。


「身に余る光栄に存じます」


 アルスもまた、そう微笑んで切り返す。

 悪くはないのだろう。胸に付ける重たい勲章より、こちらのほうがだいぶ軽い。込められた意味もまた伝わる震えで察せられよう。

 だから、アルスは思ってしまうのだ。自分が必要とされる存在であることがわかってしまう。戦力として縛られるのではなく、個人として受け入れてくれるこの国こそがアルスの故郷であるのだと――帰っても良い場所であるのだと。




・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ

・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」

・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定

・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。

(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)

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