秘密の夜会
その日の夜――いろいろと怒られた日の夜。
久しぶりに疲れを感じていたアルスは自室で夕食を取った。ただその場にはロキがおり、更に疲弊感を嫌というほど醸し出しているイリイスとで豪勢な食事に舌鼓を打った。
普段は食堂のようなものがこの家の一階にあり、丸太を加工しただけの椅子とテーブルで食事を取ることもできる。無論、この拠点内には相応数の人間が駐留しているため、更に広大な食事処が何店かあるのだが。
何故今日に限って室内で食事を取っているかというと、明日には三人とも生存圏内に戻るからである。
イリイスに関してはアルスが持ち込んだ資料を渡しているし、そのためのバックアップをベリックに頼んでもいる。
以前、アルスがベリックに論文の発表を無名で提出するようにと告げた一件が役に立つ。その発表者をイリイス名義で出すことによって彼女の名前を広く知らしめることができる。
これに関してはイリイスも相当渋ったが、馬鹿正直に手順を踏んでいれば三年は掛かるだろう遠大なものになってしまう。それでは意味がない、実績を積むためにもすぐさま実行しなければならない理由がアルスにはあった。
それは今回の一件で各国からの承認を得られやすくするためでもあり、アルファ間での交渉のおり、すり替えられることも考えられる。
とはいえ、アルスができることは資金的なバックアップと土台となる仕組みの構築だけだ。後はイリイスの手腕に頼るしかないのだが、その点に関してはアルスが彼女を推した理由が解消してくれるはずだ。
イリイスという名を広めるには論文の発表など切り口の一つでしかない。それでも既存の魔法評価基準を覆すため広まるのは早いだろう。
それが正式に採用されるかは不明だが、おそらくは……。
「しかし、お前は思い切りが良いというか……」
テーブルを囲う三人、その中でイリイスは彩り豊かな皿の中から赤い色の食材だけを端に退けて、肉をフォークに突き刺す。口は食べるためではなく喋るために開かれた。
配置としては四人掛けのテーブルにアルスとロキが並んで座り、アルスの対面にイリイスがサイズの合っていないローブを脱がずに袖をゴムで止めて食事をしている。
アルスとロキは対面に座る子供の皿の中を白けた瞳で覗き込む。まるで食べ物ではなく、飾りだと思ったような扱いを受けている具材たち。
「おい、いい歳こいて好き嫌いするな」
「……食べ物であれば、私も食そう。だが、これは色足し用の飾りだぞ」
「正気ですかイリイスさん。その色足しだけで食器の半分を占めているんですよ?」
「ぐっ……老い先短い私だ、好きなようにさせてくれ」
「こういう時だけ年寄り扱いか、汚い奴め」
「えぇ、ああはなりたくありませんね、アル。というか大きくなれませんよイリイスさん」
「そんな迷信を信じていた時もあったか……ええぃ、食えば良いのだろう、食えば……」
開き直るまでは良かったものの、皿の上に取り残された食材を見る目は親の敵であるかのようだ。
フォークを容赦なく角ばった赤い具材へと人思いに突き刺し、口に入れる前から強張った頬が無理やり口を抉じ開けた。
ゆっくりと咀嚼すること僅か二回。それ以降は全くと言って良いほど開閉が止まってしまった。
アウアウと口を開けたまま微かに首を振るイリイスが無理だと視線で訴えてくる。口の中で固形として留まっている具材は本来の味を舌の上に滴らせているのだろう。
「一応、名のあるシェフに来てもらっていると小耳に挟んだが、そういう問題じゃないらしい」
そう言いつつもアルスは同じものを口の中に放り込む。普通に美味い、軍にいた時でさえこれほど芳醇な素材の香りを残したままの料理を口にしたことはないほどだ。一応味付けとしてのスパイスはきいているようで、一層強調させた旨味が口腔内に広がる。
それ故に不得手としている者に取っては苦痛以外の何ものでもないのだろう。
「贅沢言わずに食え、飲み込め、堪能しろ」
「イリイスさん、一先ず口の中に入れたものは処理してください。残した物については作っていただいたシェフに謝罪すれば許してくれるでしょう」
そういうと顔を背けながら飲み込み慌てて水を流し込む。
朝の稽古以上の疲弊感を額に浮かばせて。
「何故私がそこまでせねばならなん。これは陰謀だぞ。やはり私の罪はそう容易くは返上できないということか。なんと悍ましい仕打ちか、何より姑息だ」
口では敗北の苦味を噛み締めているような渋面であるが、その袖に包まれた手はゆっくりと皿を遠ざけていた。
何かと忙しない食事も一段落付き、給仕に食器を片して貰った後のことだ。入れ替わるようにして粗暴なノック音が更け始めた夜のしじまを叩き起こした。
三人はなんとも不思議そうに扉の方を見やる。最近は見舞いと称して訪れる者もいないことはないが、以前よりは減ったはずだ。
ましてや、シングルの部屋に入るにしても殴り付けたようなノックをする愚か者は然う然ういまい。
なお、イリイスが自分の部屋に帰らないことについては今追い出すのは少々酷だろうか。彼女は苦手とする食材を可能な限り、口の中に頬張って涙目で流し込んだ。だから、今は重篤な患者のようにアルスのベッドに伏せっていた。
訝しみながら入室の声を上げようかという直前で、その者は盛大に扉を開けて入ってきた――お供もつけずに。
驚愕の表情で紅茶を注ごうとしていたロキが硬直したように目を剥く一方で、アルスとイリイスは鋭く一瞥した。
「ハオルグ元首……」
反射的にアルスの口から溢れた名前はまさに唐突であったが故の口走り。
しかし、よたよたと入ってきた大柄な男は頬をほんのりと赤くしていた。その手土産を見てアルスは頭痛を覚えた。
身構えたが、別の心配をしたほうがよさそうだ。
「集まっておるな。ワシも混ぜんか……ゲフッ……わざわざ家から秘蔵の酒を持ってきたのだ」
「おっ! 気が利くなイベリスの元首。ちょうど口直しがしたかったところだ」
「ハオルグと呼べ」
「酒の席に無粋だったな、ならば私のことも構わずイリイスと呼ぶがいい」
ベッドから飛び上がるように覚醒したイリイスは酔っていることを良いことに元首に対して不遜極まりない態度だ。
だが、すでに相手も出来上がっているようなので問題ないのだろう。その証拠に二人はニタリと不気味な笑みを突き合わせるとガハハハッと盛大に高笑いした。
「小娘、グラスを持てい」
「誰が小娘ですかッ!! 」
甚だ迷惑な奴らだが、元首を追い返すのも躊躇われる。それに彼とは目を覚ましてから一度も顔を合わせていなかった。
当然、馬鹿騒ぎしたいがために来たわけではないだろう。
視線で了承の合図を送り、ロキにグラスを持ってこさせる。とはいえ、アルスもロキも未成年なため二人だけの酒盛りということになるのだろう。
そう考えれば、やはり迷惑だ。
ここには四人用のテーブルと対の椅子があるのだが、やはりハオルグの巨体では椅子が可哀想なことになるため、来客用の簡易椅子を並べる。
「まさか、こいつを開ける日がこようとはな……中々手を付けれんかった蒸留酒だ。盛大にいくぞ」
「望むところだ。いっておくが私をそんじょそこらの大酒呑と一緒にしてくれるなよ」
「言うわい」
酩酊間近な元首がギラついた眼光を発する。
傍から見れば間違いなくイリイスはアウトである。その点、彼女の正体はとうに明かされているため問題はないのだろう。
始まったばかりの夜は眠らない地上を疎ましく思っているだろうか。しかし、今日ばかりは外も魔法的な灯りが柔らかく闇を押し退けていた。いつもより少しだけ騒がしいのかもしれない。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定