リハビリの被害
とある一日、アルスの容態も順調に回復へと向かっていた。とは言っても目覚めるまでの間に完治しているため、正確には煩わしい面会も一段落付いてから数日後のことである。
随分と様変わりした元洞穴にアルスは目を丸くしながら拠点内を散策していた。フリンのおかげで筋肉的な衰えはほとんどない、だが、やはり身体を動かすと神経の伝達にコンマ数秒のロスを感じるのだ。
だから、この日はリハビリも兼ねて早朝から拠点内で稽古を始めていた。
取り囲む魔法師たちは日に日に増していく。白熱する声援に応えるのはアルスとロキ、次いでイリイスがたまに参戦する程度だが、戦闘の苛烈さはアルスが本調子に近づくにつれて目を疑うほどの激戦が繰り広げられていた。
リハビリ当日にレティが加わったのはさすがのアルスもムキになることもままあったが、近頃は汗を流すには良い運動になりつつある。
この拠点での防衛は最初こそ各国のシングル魔法師があたっていたが、アルスの一言でイリイスの拘束も解かれ、彼女は自由の身になっていた。
彼女も明日この拠点を発つため、ロキに次いで軽く身体を解す役目を買って出た。イリイスが大きめのローブをはためかせて意気揚々と加わる。彼女の拠点での扱いもアルスと訓練を行う度に大きく変化していた。
シングル魔法師にさえ匹敵する実力者は順位に関わらず、彼女に尊敬の眼差しを向ける者も少なからずいる。
基本的には広範囲を対象にする高位魔法は使わず、近接戦闘を主な制限としているが、それでもアルスとイリイスの戦闘は大いに観客を夢中にさせた。
程よく身体が温まり本調子に戻った感覚に満足し、アルスは額に浮かんだ気持ちの良い汗を袖で拭う。
「ふぅ、さすがに毎日やってれば戻るのも早いな……っ!!」
「まだまだ行くぞ小僧!!」
赤いローブに包まれ不敵な笑みを溢したイリイスは、これからだとでも言うように腕に刻まれた魔法式を力強く発光させた。
膨大な水が一帯を飲み込む勢いでイリイスの頭上から滝のように流れ、津波となって襲いかかる。
無論、見物しているだけの魔法師たちも見て見ぬフリはできず、連携するように慌てて障壁を各々構築していく。
しかし、障壁に津波がぶつかる直前で一瞬で氷の彫像化した。
アルスが放った【永久凍結界】であることに疑いはない。
呆れながら突き刺したAWRを引き抜くアルスは肩を竦めて、終わりの合図を告げた。
イリイスが加わること自体は何も問題はない、しかし、彼女は最後の最後で調子に乗る。
嬉しそうに大惨事を起こそうとしているのだから手に余る――それすら見越しているのだろうが。
露を含んだ空気に白煙のような息を吐き出し、おまけの一発を魔力残滓へと還らさせる。
温まった全身から蒸気が昇るように動きを止めるだけで、体温が下がっていく。外界の朝はそれこそ内側に住んでいるものにとっては極寒、未知の寒さだ。
底冷えするような冷気も今は心地よい。
だが、そう万事が上手い事、運ばない良い例としてここにはアルスやイリイスと同等レベルの魔法師もいた。
「ちょっと掛かったんですけどっ!!」
声の主を見てアルスは胸中で「言わんこっちゃない」とため息を吐く。たまたま通っただけなのだろうが、その幼さを残す声音と見た目と仮初の胸部。
外界であるということすら忘れさせる服装は、それこそお出かけでもするかのようだ。
そして広がったスカートの裾にはイリイスが発現した魔法の飛沫が掛かっていたわけで。
強くもない日差しの下、日傘を差しながらファノンは眉根を寄せている。
「あぁ、済まなかった」
第一声でアルスが謝罪するのもこれ以上関わりたくないからだ。何せ、ファノンはこの稽古の間、偶然にしてはおかしなほどここらを通る。
要は割り込む機会でも、難癖を付ける機会でも窺っていたのだろう。
「それで済んだらシングルなんて順位はいらないっつ~の」
肩の上で日傘を回し、高いヒールの靴でも難なくこちらへと向かって歩いてくる。
いつの間にかロキは背後に来ており、背筋を伸ばして様子を窺い、周囲で観戦していた魔法師たちはよからぬ空気に距離を取る。
アルスからしてみれば質の悪いチンピラに絡まれた程度なのだが、ただのチンピラのような雑魚でないのが厄介なところだ。
近づくにつれてヒールの高い靴がなければ、随分と可愛らしい高さになっているのだろうことはわかる。現状ではロキやイリイスより少し高いぐらいだろうか。
彼女は数歩距離を置いて立ち止まると、日傘を閉じ、その尖端をアルスへと勢い良く向けた。
「いい、調子に乗っていられるのは今の内だけだからね。私がここにいる間は何も功績を立てられないものと知りなさい!!」
「…………は?」
背後で袖を引っ張るロキが何か言いたそう口を近づけてくる。
「アル、適当にあしらって帰りませんか?」
「そのほうが懸命だな」
小声で話す二人にファノンは一層、不機嫌な皺が眉間に寄る。
「うん、功績は立てられないかぁ~残念だ」
大根掛かった芝居にロキも苦笑いを禁じ得ない。挑発しているようでもあるが、言葉の上ではこれで終わっていたはずだ。
「なんだ、構って欲しいのか。最初から寂しいと言えば仲間に入れてやらなくもなかったが」
「「――――!!」」
いけしゃあしゃあと爆弾を放り込むことに躊躇いを見せなかったのはイリイスである。
「とはいえ、さすがにこれ以上幼女はいらん!!」
「イリイスさん、誰が幼女ですか誰が?」
聞き捨てならない言葉に反射的なツッコミを見せたロキだが、そこだけは譲れなかったようだ。少なくともこの中でいえば大人びている自負はある。ロキの視線がファノンの一部をロックオンするが、あんなもので騙せるのであれば自分もこれほど苦悩はしてはいない。
イリイスに関しては幼女以外の要素が見当たらないのであえて突っ込まない。
ロキの視線に気付いたファノンは日傘でなんとはなしに胸の辺りを隠した。
「フ、フフッ……よ、幼女……棺桶から這い出てきたような婆婆が、言うに事欠いて私を幼女ですって……」
「違ったのか、てっきり最近乳飲みを終えたばかりのように見えたが」
「このクッソババア、鏡を見てから言えっての、え、えぇ……いいわ。もう一度棺の中に戻してあげるッ!!」
「ハンッ、よう言うわ! その不自然な胸を陽の目に晒してくれる」
「――――ッ!?」
鼻白むファノンに追い打ちをかけるイリイスに、容赦という言葉はなかった。
「クククッ、嘗めるなよ小娘。現実を教えてやろう。育たぬものは育たぬだ!! 種のないハゲ地にいくら水を撒こうと芽など出てこんのだ!」
話が変な方向に向かっていくのを感じ取れたのは、一歩離れた位置で聞いていたアルスとロキだけだ。
そしてイリイスの言葉が間違いなくコンプレックスの核心を貫いた音を聞いた。
なんの音か、アルスはロキにしか聞こえない声量で「堪忍袋の緒が切れる音ってのを初めて聞いた」と呟く。
それに対してロキは引き攣り気味の笑みを浮かべたものの、相槌すら打たなかった。彼女自身もあながちわからなくもないからであろう。
だからと言って関わりたいとは思えない。
それはアルスも同様で二人揃って回れ右をして、ロキの背中を押す形で忍び足で立ち去ろうと試みる。
が、一歩踏み出した直後、どこかで似たような制止を受ける。それは服の一部をがっしりと掴まれているような。
恐る恐る振り返れば不敵な笑みをファノンに向けるイリイスが一瞥もくれずにアルスの服を握りしめていた。
「どこへ行く。これからガキにお灸を据えるところだぞ」
「俺は関係ない、人を巻き込むな」
「連れんことをいうな。シングルのトップたるお前が下位の者のあのような醜態を放逐しておくからこういう勘違いを拗らせる。引導を渡すぐらいしろ」
「ふざけんな、なんで男の俺が胸について現実をわからさにゃならん!!」
そんな吐き捨てる言葉にロキは「うぐッ……」と何故か傷ついたような傷心な面持ちで立ち竦んでしまった。
こんな茶番が通用するのはファノンだけであろう、アルスはイリイスの顔に意地の悪いものを見ていた。だからこそ、さっさと立ち去りたかったのだ。
彼女が思っているほど冗談で済まされないという確信があったからだ。イリイスはファノンの通り名を知らないのだ【睾丸潰し】と呼ばれる経緯がどうであれ、穏やかには終わらないはずだ。
そしてそれを裏付けるが如く、三人の傍で異質とも取れる殺意と見紛うほどの魔力が迸る。
「言わんこっちゃない」
そんなアルスの言葉にイリイスは頬を袖の上から掻きながら軽く舌を出す。
やはり彼女の拘束を解くのは早すぎたか、と後悔を含ませる。
魔力が練られ、日傘に集中していく。
「今時のシングルはどうしてこうも短気なんだ! 普通に死人がでるんじゃ」
泣き言をいうイリイスにロキは非難の目を向け。
「そう思うなら責任を取ってなんとかしてください。私とアルは朝の検診とやることがあるので、行きましょ」
「そういうことだ。程々にしとかないといよいよもって追い出されるぞ」
手を引かれながらアルスは益体もない助言だけを残す。
「あぁいいさ。ああいいとも……やってやろう……じゃっ!?」
背後で爆発音を聞きながらアルスとロキは避難するのであった。
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・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定