優位な交渉
アルスが目を覚ましたことは瞬く間にこの拠点内に広がり、すぐに7カ国にも伝えられた。
彼への嫌疑はすでに晴れ、それによって被った被害に対して国民は安堵してたに違いない。ただし、やはりルサールカ国内ではヒスピダ殺害による怒りの矛先をどこに向ければ良いのか、それだけが蓄積されていた。
今回の一件を経てリチアが大々的に布告したことで、姿形もない組織への怒りは静かに追悼へと書き換えられた。
その隣には金髪の青年の姿があったのはいうまでもない。復興前にルサールカではこの度の決着として尊く厳かな国葬が行われた。
多くの命が失われ、偉大な命が奪い去られ、晴れやかな空の下で多くの悲涙がリチアを先頭に天へと注がれた。
◇ ◇ ◇
そして外界にいるアルスは、というと目覚めを聞きつけた者たちによる連日の訪問で休む暇もない。一応、一時的な専属医として途中でフリンが止めに入るのだが、彼女はいつぞやの仕返しとばかりに来訪者を招き入れている。
と、感じるのは疲れているアルスだからなのだろうか。
そつなく定型句だけを述べてやり過ごす。ここにいる魔法師や高官らは全てがアルスを中心に回っているのだ。もちろん、誰でも面会に訪れるというわけではない、レティなんかは室内を散らかすだけ散らかして騒がしくしたものだ。
適度にやり過ごしつつ、アルスは気を失っていた期間について思いを馳せることが、最近ではしばしばあった。やらなければならないことの中で、ネクソリスから聞かされた【仮死】という現象について、アルスの中で未だ合理的な説明ができていない。
それが命を繋ぐことになったというのであれば一層疑念の種を解明しなければならない。しかし、今回ばかりアルス一人では何も変わらなかったことだけは確かだ……であるならば、この命が今一度心臓を動かしているという事実を彼らのおかげと理由付けるのはおかしなことだろうか。
何事にも理由は存在し、その絡繰りを解明してきたアルスにとって奇跡や運命といった曖昧な言葉を信用することはできない。しかし、今だけはそう言い聞かせるのも吝かではなかった。
考え込んでいると、こうしてたまに面会の間隔が空く、やっとかという思いでアルスは気を引き締めた。というのも今回の一件で最終的な責任は各国元首にあるからだ。
そのため、元首は非公式に訪れる。此処に真っ先に訪れたのはベリックであり、次いで定期的に7カ国と外界のこの拠点を数日置きに行き来していた元首らが顔を出す。
まだ来ていないのはイベリスぐらいだろうか。
ふと、シセルニアも顔を出していないことに気がつくが、今は目の前の先方に思考を割かねばならない。
「この度は済まなかったね。私はどうにも自分に自信がない。だからいつだって後悔しながら決断をしているんだ」
「そうですか、しっかりと保身をするあたり元首らしいといえばらしい」
元首を椅子に座って出迎える。
アルスの病室に訪れたのは長身痩躯で黒い手袋を嵌めた男だった。クレビディートの元首クローフ・ヴィデ・ディート。
この室内には確かに二人しかいない、しかし薄壁一枚を隔てた先にはしっかりとこちらを警戒するシングル魔法師の気配を感じる。
これまで訪れた元首らとは一線を画する強かさにアルスは随分と気が楽になっていた。
本心を言ってしまえば、彼らに落ち度などないと感じている。正しくは彼らでは何もできないだろうというものだ。
だから期待もしていない。
それでも国を代表する元首の選択を撤回するのであればそれ相応の責任は負ってしかるべき。それはアルスの指名手配を解除したことで証明されている。
クローフは見えているのかもわからない細い目でニヒルな笑みを固定していた。
彼はアルスに許可を得て、杖を突きながら椅子に座る。
「私は正直、今でも君が怖い。いや、こうして面と向かうと尚更そう思う。それでもアルスさん、君は間違っていなかった。しかし、これも私から言わせてもらえばどちらでもいい」
「随分と無謀な賭けに出ますね……さすがに病み上がりとはいえ、ここには二人しかいませんよ。そこの護衛が動くより前にあんたの首を落とすのは容易い」
挑発とも取れる言葉にアルスも冗談混じりに脅しを挟んだ。さすがに他者を混じえていればそうもいかないのかもしれないが。
しかし、予想外に。
「……それもいいでしょう。確かに君ならば造作もないはずだ。私の細首を落とすのはそれこそ瞬きをする間もなく……しかし、君はしないと思います」
「何故です?」
やはり笑みを少しも変えずにクローフは朗らかに口を開いた。
「君は信用しませんが、君の周囲は信用できます。個人を信用する時は時間の長さと質が比例すると考えています。私のような臆病者はそれこそ長い付き合いでもないと信用などできないのです……」
「その時間を個人を知る複数人から判断するということですか」
「何もおかしなことはありません。この方が信じるならば私は信頼できる、かもしれないというだけの話なのです」
「それで信用に足り得そうですか?」
「一先ずは……」
「では、俺からも……あんたは信用できない」
「…………!!」
ここに来て初めてクローフの目が微かに開いた。それは驚愕とも違い、アルスに感じる同じ匂い。
「それは嬉しい限りです。信用など曖昧な言葉は不確定で不確かなものですからね」
「一先ずでも、誰を見て俺の信用を得られたんですか?」
殺伐とした空気など最初からなかったというようにアルスは話題を切り替えた。クローフという人間、いや、そもそも元首という人種は最初から信用ならないものだと考えている。
だからこそ、如何に彼が言葉を繕うともアルスは何一つ真に受ける気がない。
そんな他意もない問いにクローフは再度細い目を向けて口の前で指を一本立てた。
「それは私が言うべきことではないでしょう。あなたが生きているという事実に私は身を委ねただけです」
事実、各国が集まったあの凄惨な現場ではクローフであろうと、何もできるはずがない。
腹の探り合いをアルスは無駄な時間の浪費だと判断し、本題に入る。そもそも彼らが訪れる理由など最初からわかりきっている。
「で、アルファ、ルサールカ以外の五カ国が負うべき賠償ですか?」
「ふむ、賠償ですか……それは7カ国を一つの国と捉えない場合の解釈となります」
人類の存亡のため国を纏め、経済を円滑にするという目的のため7つの区域に分けただけであり、それを国と位置づけるかは明確ではない。魔物の脅威という点ではそこに境界などないのだから。
「そんなものは詭弁でしょう。それを言い出せば過去にまで遡った時、誰も得をしない」
「ふふっ、そうですね。結局は詭弁ですね」
「おちょくっているんですか?」
「そうではありません」
「とすると賠償に関して国との交渉事にしたいと。国策の一つと考えろということですか?」
「もちろん、賠償という形にはしたくありません」
「違いますね。その判断を俺基準で進められることを恐れている」
「…………」
それまで笑みを絶やさなかったクローフの頬が下がり、猛禽類のような視線がアルスへと放たれた。
国と国との交渉という形さえ取ってしまえば国民への納得もいく。何よりまったく無駄にならない政策の一つとして打ち出せる。そこには二国間での協定も結べる可能性がある。
だが、実際にはクローフが懸念していることはそんなことではなかった。賠償などいくら嵩もうと今回の一件に終止符を付けるためには必要なものだろう。
だが、彼が最初に言ったようにクローフは本当にアルスを恐れていた。それはシングルでさえ凌ぐ戦闘能力以上に絶望的といえるほどの困難を打開するその頭脳が、自分の考えすらも越えてくることが恐ろしかった。
それは信用とか信頼といったものだとしても……不確かなものが少しでもあれば違ったのだろう。
彼に委ねることが恐ろしいのだ。彼はいったい何を要求してくるのか、それだけが怖かった。
何よりもその要求がクローフには予想できず、誰かのためになるのかすらわからない。
あの緊急招集の時にそう判断したのだ。人としての欲が彼からは感じられない。欲を叶えた者が行き着く先に求めるもののほとんどは、狂気的趣向に走る傾向にあり、クローフにとっては彼も例に漏れない。
満たされた者が次に望むものは……。
しかし、アルスは同じことを告げるだけだった。
「国と国での交渉には特に興味がありません。そんなことはそっちで勝手にやってくれて構わない」
「…………」
「ただ、これからすることについて一つだけ黙認していただく」
「中身を窺っても?」
「それはお楽しみですよ」
「我々が頷いたとしてこれは非公式、アルスさん個人との交渉に強制力は存在しないと思いますが」
「だから俺から言わせてもらえばどちらでもいい」
クローフの言葉を借りてアルスは不敵な笑みを向けた。
すでに彼らには為す術はないのだ。それでも抵抗を見せる意味をクローフは見出だせない。この場でやり合うのであれば、それこそ即座に自分の首が宙に飛ぶだろう。
だから「そうですか」と諦めたように立ち上がるクローフは「最後に」と言って指を立てる。
「アルスさん、大切なものを全て手に入れることは強欲だとは思いませんか」
「残念ながら…………本当に失うことができないから大切なものなんです」
切り替えされ、無言で立ち去ろうとするクローフの背中にアルスの言葉が続いて投げられた。
「ですが、俺も我儘でするわけではありませんよ。何をするかお教えできないのが残念です、何故ならあなた方にとっては必ずしも良いことではないでしょうから。だから俺からも言わせていただきますクローフ元首、あなたにとっての大切なものとは?」
「……いいでしょう。では来るべき日を楽しみしていますよ」
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