裏の裏
閉ざされた病室内は緊迫感を漂わせており、アルスはいくつか質問をする。
まずは自分がどれだけ寝ていたか、というもの。これについては確認作業であり、実際にロキの口から正確な日付を聞かされたことで納得はした。
まず、アルスが取ったこの確認の作業は現状の把握だ。その中で予想以上にアルスを驚かせたのはここが未だ外界であることだった。
さすがに取り乱すことはないが、かなり大掛かりな待遇だ。つまり何を意味するかといえばアルスの疑いが完全に晴れたと見て良さそうだということ。
「なるほどな。それで?」
「はい、各国元首はすぐに全世界に向けてアルにかけられた容疑を撤回したようです。もちろん、背後で暗躍していたテロ組織を壊滅させたとして、手の平を返したように祭り上げています。【クラマ】やハイドランジのシングル魔法師、クロケル・イフェルタスの加担については公表されていないようです」
「そうせざるを得ないか」
「それと今回、ハイドランジ元首ラフセナルの殺害などなど、元首たちの手落ちは火を見るより明らかです」
そもそも彼らがアルスを見放さなければ今回のようなことになりはしなかったはずだ。少なくともロキは今回の責任の一端は元首らにあり、今更どんな挽回をされようとも許せる類の感情ではない。
しかし、当のアルスは険しくなるロキの眉間に指先を押し当てグリグリと揉み解すように回した。
「うっ……」
「まぁ、そう言うな。手落ちという点では間違いないが、奴らじゃ打てる手はさほどない……」
何より相手に姿を変えられるメクフィスという者が混じっていたことも避けられない理由の一つだ。遅かれ早かれアルスは孤立していたはずだ。
それでも仕方がなかったで済ませてはならない。
「もちろん、ただで済ますほど俺もお人好しじゃない」
人の悪い笑みをロキに向かって作る。渋々受け入れる彼女は溜飲を下げられたように眉間の皺が解れた。
いつも通りの表情に変わったのを見てアルスは引き止めた最大の理由を口にした。
「ミナリスでよかったか?」
何故かイリイスは先程のような雰囲気を一変させて澄ました顔で否定する。
「いや、その名前は捨てた。今はイリイスで通している」
「それはさすがに不味くないか」
「いいや、実際この名を知っている者は多くない」
「そうか……なら、イリイス……」
「さん付けくらいはしてもいいんだぞ? 一応手を貸した仲だしな」
引き攣った笑みで圧力を掛けてくるが、アルスは一蹴して。
「それでもいいが、俺にさん付けされたら勘ぐる奴がいるだろ」
「あ、いや、そうだが……私これでも年、上……」
「それが通用するのは事情を知ってる奴だけだぞ。それに鏡を見てから言え、なんで大人サイズのローブにしちゃったんだ、ぶかぶかじゃないか」
もちろん、彼女が腕に直接魔法式を刻んでいることを隠すためなのだが。見た目だけでも大人として見栄を張りたかったのだ。
病み上がりにしてはアルスの舌の滑りは良いようだ。だが、その確認作業が仇となったのは言うまでもない。
「フフフッ……やったろうじゃね~か!!」
そう言いつつ、イリイスはぶかぶかのローブを脱ぎ、地面に向かって叩きつけた。迸る魔力が腕の魔法式を輝かせるが。
「あぁ!! イリイスさん、この部屋ではダメっです!!」
「やめっ……」
慌ててフリンがイリイスの背後で両脇に手を差し、持ち上げる。まるで子供をあやすように足は床から離れて空中で揺れている。その光景にアルスもロキも白けた目を幼女に向ける。
「忘れたんですか、この部屋の【魔整図】はめちゃくちゃ高いんですから……これ全部で一等地に家が何軒建つと思ってるんですか!!」
「そんなこと知った事かっ!! というか降ろせぇぇ……」
「ダメです!! 過剰な魔力だと式そのものが焼き切れちゃんですから」
更にぐいっと高々と持ち上げられるイリイスの顔がみるみる紅潮していく。
そして限界を迎えた時――。
「見るなぁぁ……わ、わ、わかったから、降ろしてぇぇ……私一番年長~者~」
目の端に透き通る粒が溜まった頃、フリンは満足そうに「はい、良く言えました~」と言ってイリイスを降ろし、しっかりローブを着せて頭を撫でる。
だが、イリイスは真っ赤な顔を俯かせて腕を振り払うと椅子に飛び乗る。その向きはアルスたちに背を向けるように逆向きだ。
狭いスペースながらも椅子の上で器用に膝を抱えていた。
呆然と見つめるアルス。ロキはどこかフリンにでかしたと視線で合図を送っている。
当然、フリンの頭の上には疑問符が浮かんでいるので、単純に高価な物のためだったのだろう。
「すごいな……」
ボソリと溢すアルスだった。ロキに耳打ちされるが、妙に距離が近いせいでこそばゆい。要は聖女と呼ばれるネクソリスも魔法師に関して順位によって態度を変えない性格であり、患者に区別は付けないというのが信条らしい。師と仰いでいるフリンは聖女の性格なんかもそっくりとのことだ。
さすがに元シングル魔法師、元クラマの構成員、更には魔法師としても確実にアルスと同列視できる実力者がアルスやロキとほとんど変わらない歳で、何倍も生きているイリイスを泣かせるというのはいろいろな意味で治癒魔法師とは怖いもの知らずといえる。
とはいえ、アルスが引き止めたのはこんな演劇のような無益なやり取りをするためではない。
「イリイス……」
「もう知らん!!」
「今後の俺らに関わることだ」
「む……」
「俺らも疑いが晴れて万事解決とうまくは運ばない。まず聞かなければいけないことだけ、イリイスはクロノスと戦っているな」
アルスとしてはただの事実確認である。なんせ残されている報告書は改竄が判明していることから、クロケルがもたらした情報は信憑性に欠ける。
大災厄の名前が出たことでイリイスも神妙な顔で座り直す。
「それを聞いてどうする。私にもあまりいい思い出ではないのでな、多くの生命を失った戦いだ。無論、あの一方的蹂躙を戦いなどと呼べるのかすら疑問だな。とはいえ過去は過去だ。詳細な記録など残っておらんのだろ?」
アルスは一つ頷く。おそらく遠因はイリイスにある。彼女の存在があったからこそ軍はクロノスに関する記録の一部を改竄したのだろう。そして戦闘に関する詳細な記録に関してはイリイスを除く当時のシングル魔法師が散ったからだ。
更にいえばクロケルが告げた内容が本当だとするならば、かの研究も関係しているとするならばクロノスに関する記録の改竄・消去は徹底している。
そもそもSSレートとされるクロノスの系統や外見的特徴も見る者が見ればひどい違和感を覚えるという。
「今全てを聞く時間はないだろうから……まず一つ、クロノスは実在していたか。これは比喩、たとえとして魔物をそう呼び広めたかということ」
「いいや、クロノスは間違いなく単体の魔物だ」
予想通りの解答。しかし、やはり実際に目にしているイリイスの言質があるのとでは全く見方が異なってしまう。まずは史実を確定させなければならない。
「二つ、クロノスの片腕についてだが、その間に疑問点を上げておこう。まず、一般常識としてクロノスは討伐されたと内側で生活する人間は思っている。しかし、軍の延いては学院の教科書通りにいえば、クロノスは片腕を落とされ、天の彼方へ逃げたとされているはずだ。この奇妙な食い違いは確かに存在する」
「撃退とは聞こえは良いが、確かに各国はこれを討伐して人類が直面した脅威を乗り越えた、と広めたのだろうよ。無論、その裏では別の思惑があるが……私の口で一から言わせるか?」
人を喰ったような表情で、イリイスはその先を端折る。彼女が軍上層部に監禁されたのはクロノスとの戦闘が終わった直後のことだ。軍は表向き任務に駆り出されて一命を取り留めた者らに箝口令を敷いた。その目的は不死性について自らに施された非人道的な研究の隠れ蓑のためだと、彼女の目は告げている。
隠れ蓑としての役目はほとんど意味がなかったのだろう。今の魔法師はクロノスを撃退した、と認識しているのだから。しかし、その当時、その瞬間には散っていた者らの痛ましき風説として必要だったのだ。それが肝心なことから上手く意識を逸し、多くの民衆は悲壮一色に染まっていくのだ。
それは悲しみを時間が癒やすように、過去として決着が付いてしまうことでもある。
「お前の言う通り、クロノスは撃退……いや、逃げられた。それにクロノスの腕についても間違いない。なんせ腕を落としたのは私だからな。それしかできなかっただけの話だが」
「……!! え、ちょっ、それ私が聞いて……」
今更フリンは自分がこの話に加わる危険を察したのだろう。一歩後ずさり後ろ手に扉のノブに手をかけようとしたところで、瞬く間にロキがその手を逆に握る。握手を交わしているような構図だが、後ろ向きというのは素直に嫌な予感を抱かせる。
ロキの満面の笑みをフリンは初めて見た。そしてそれは凄く不味い気しかしない。祖母であるネクソリスの言いつけによれば政治や国の内情に首を突っ込んではいけない、と言われている。つまり、この状況こそ該当するのだろう。
「え、ロキさん?」
「手遅れですよ、フリンさん」
もちろん、彼女を巻き込むためにアルスはこの場で話し始めたのだ。恩を仇で返すというほど人聞きが悪いものではない。単に彼女に興味が湧き、自分の腕を魔力を阻害することなく繋げた技術の意味を理解していた。
その絡繰りを知りたいという欲求は無視できないものの、欲しい人材だ。
「悪いけど、知らせに行くのはもう少し待ってくれないかな?」
アルスの威圧的にならないように工夫した表情はフリンの顔を上下に振らせた。
「お主、性格まで変わったのではないか?」
「おい、それはいくらなんでも言いすぎだ。そろそろ俺も自分の足で歩いていかなきゃならんだけの話だ。単純だろ」
「よう言う。まだ何か企んでいるのか坊や」
まだ根に持っている単語を発したイリイス、だが、その表情は彼女自身巻き込まれに行く素振りが覗くものだった。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定