終章
本部に着く前にアルスはマスクとローブを外して短い距離をテスフィアを連れて歩いて戻った。
さすがにマスクのままならばいらない混乱を招くからだ。それにアルスの仕事はほぼ終わったようなもの、必要がなかったとも言う。
テスフィアは本部に隣接された救護員に連れて行かれた――とは言え学院で言う保険医だが。
本人は大したことがないと拒否していたが、出迎えたアリスによって一蹴され、渋々テント内に入っていく。
テスフィアの姿が見えなくなるとアリスは向き直って頭を下げた。
「ありがとうアル」
満面の笑みはアルスの心を跳ねさせるに足る。
もちろん色恋の類ではない。
今にして思えば魔物を相手にあれほど饒舌になったことはない。自分で自分の行動、言動が誰か別の人物のように思えて仕方がなかった。
怒りの類はこれまで感じたことがなかったのだ。あれを怒っていたと決めつけるのは早計に思えた。結果として一帯の魔物を殲滅したのだから傍から見ても仇討のように映るだろうと客観的に分析してみる。
それで納得できた感情ではなかったが、説明が着かないのであればこれ以上考えても仕方のないことだと切り捨てざるを得ない。
「たまたまだ」
という実に平坦な声。
事前にテスフィアのグループとは知らなかったのだから偶然なのだが、アリスはそんなこととは露ほども思っていないだろう。一片の曇りのない眼を向けてくる。
彼女はその後すぐにテスフィアの下へ小走りで向かうと、ほどなくして戻り。
ニコニコと笑みが何か言いたそうに仏頂面のアルスに向けられた。
蠱惑的というほどには裏表のない笑みだが、間違いなく何かを含んでのものだ。
「アル、私のグループはこの後の実習はやらないらしくて私一人余ってるんだけど……」
何を言いたいのかはわかる。その遠因は間違いなくテスフィアによるものだろう。
逆にそれを口に出さない辺り意地が悪いとアルスは感じた。
「わかったよ」
面倒だと感じるが、それを口に出すことはしない。それでは二人に対して差を付けることだからだ。二人とも厄介な性質だが、その様子では適性は問題がないようだった。
つまり、これからは気兼ねなく教授を受ける資格を有したことになる。アルスの言い出したことでもあるので今更引っ込めることができなかったのだ。
「Bレートでも良いよ?」
全部聞いたなとアルスは彼女の含み笑いを白眼視する。
「調子に乗るな」
冗談だとわかっているので軽くおでこを小突いただけで済ませる。
へへっとそれでも嬉しそうに喜色を湛えたアリスの歩調は優雅に弾んでいた。
その後、戻ってきたロキを労って申し訳なく思いながらも引き続き実習組の面倒を頼んでおく。
二人だけのマンツーマン指導が行われる。
アリスのペースで本部を離れてすぐに彼女は気付いた。
というよりその様子から察するに我慢していたようだ。
「それがアルのAWR?」
腰から見え隠れするナイフを躊躇いもなく指差す。
こういうところは二人に共通する。それが最強魔法師の持つものならばなおさらなのだろうが、気になったら聞かずにはいられないのだろう。
「見たいか?」
アリスの顔は聞かずともわかるほどあからさまなものだが、確認のための言葉。
その返答はわかりきっていた、アルスは聞くと同時に腰からナイフを鞘ごと外していたのだから。
案の定、一切の遠慮も見せずに首を縦に振る。
「少し重いぞ」
貴重品でも受け取るように両手で下から掬い上げるアリスは王に仕える臣下を思わせた。
「ホントだ!」
受け取った腕が一瞬下がった。そして柄に手が伸びる。
「綺麗だね」
「…………」
そんなことを言われたことのないアルスは返答に少し間が空く。
感性豊かだなと感想とともに我に戻るのだ。
当然のようにロキにした説明が繰り返される。
「試しちゃダメ?」
これは魔物の討伐に使っちゃダメかというのではない。魔力の付与をしてよいかということだ。
「構わんが」と言うのもアルスのAWRには魔法式が刻まれているが魔力付与だけでは実際に何かが起こるわけではない。
いつもと変わらないみっともない、されども成果の著しい付与の筈だった。
「…………!!」
気付いたのはアルスだけだ。彼女はいつものように魔力操作に集中している。
アルスのAWRは魔力付与と言ってもその範囲はナイフに止まらない。
つまり、すべてとなると鎖も含まれるのだ。だからアリスの付与は鞘の内部に至る鎖にも流れ込んだ。
「――――!! これどこまで続いてるの……」
「100mはあるぞ」
「嘘!!」
途端に魔力が途切れて霧散する。
しかし、アルスは確かに見た、というより感じた。彼女の魔力が一つの魔法式を反応させたことを……。
これに対してアルスはすぐに答えを出さなかった。出して良いものなのか考えることしかできなかった。結論はすぐに喉でつっかえる。
(アリスはエレメントの光系統に特質を有する……だからかもしれないな……いや、それでもおかしい)
アリスの魔力に反応を示したのは無系統だ。僅かな反応では定かではないが、おそらく局所的なもの。
彼女の魔力が光系統であるのは疑う余地はない。同時に一部分はアルスと同じ特異な部分があるということだ。
それをもう一つの特質と呼ぶには材料が足らない。アルスは先送りにして口に出すことをしなかった。
魔物との戦闘では指示を飛ばしながら、時にはアルスの手も借りながら十体以上の魔物を時間を掛けて討伐することに成功していた。
本部近くでは魔物の数が極端に少なくなっていたので多少遠出をしているのだ。
その中には当然Cレートも含まれたがアリスでは手に余った。
恐れは無いように見える。アルスがいるからなのかもしれないが、一歩も引かない毅然とした、魔法師にあるべき姿だ。
彼女の槍術はやはり中々だった。多少武芸よりの所はあるがそれも実戦を積めばおのずと魔物を倒すために最適化されていくことだろう。
魔力付与は今の段階ではCレート相手にダメージを与えられていない。おそらくテスフィアにも同様のことが言えるはずだ。
二人の決定的な違い。アリスがテスフィアに劣っている部分は確かにあった。
「それしか魔法を使えないのか?」
今も手に余る魔物をアリスに変わって一瞬で屠る。
「うん。だからあまり魔物に有効なダメージを入れられないんだよね」
頬を汚れた指で掻きながら、空笑いを浮かべた。
対人戦では大いに役に立つ。いや、アリスのリフレクション、リディクションは魔法師相手ならば絶大な威力を発揮する。
だが、魔物相手では決定打にはなり得ないのだ。
「今のままじゃ、倒せてもDレートだぞ」
「……光系統の魔法は少ないし、攻勢の魔法も凄く難易度の高いやつばかりなんだもん」
本人もこのままではいけないのがわかっているのだろう。言い訳じみた口上、アリスはどうしようもないと諦めにも似た苦笑を浮かべた。
先天性の光系統は扱える魔法師が極端に少ない。特に光は闇と呼ばれる系統と比べても数が少ないのだ。
だから詳細な情報が得られず何故先天性発現なのかの解明にも至っていない。
魔法学研究においては少ない光系統より一般的な系統の魔法開発に力を入れており、エレメントの魔法は絶対的に進んでいないのが現状である。
アルスとて高水準で系統関わらず魔法を使うことができるが唯一エレメントと呼ばれる系統に関しては使うことができない。
蛇足だが、無系統は系統外なためエレメントには分類されない。
「そうか……まあ、お前がモルモットになるなら考えてやらんでもないぞ」
「んっ――!?」
笑顔は絶やさないのにどこか空々しい表情。
明らかに何を言ってるの? みたいな顔は言外に告げていた。
『モルモット』という言葉がいけなかったのかと言い直す。
「ある程度調べることが出来れば光系統でも魔法を編み出すきっかけにはなるかもしれない」
「んんっ――!?」
今度は腕で自分を抱いてしまった。
言葉足らずなのは理解していたが、強要するつもりはない。元々エレメントには関心はあったがデータが少なく、被検体を必要としていたのだ。
とは言えこのやり取りだけで面倒になった。
「なら知らん」
プイッと顔を背けるような可愛らしさをアルスは持ち合わせていない。
だからなのか少し深刻な空気になってしまった。
「うそうそ――冗談だって」
だから、断られるよりからかわれたアルスのほうがよっぽど腹が立つ。
「でも、調べるって…………」
まじめに考えたアリスが頬を紅潮させて視線を自分の体――一部分を見下ろした。
「何を考えてるのか知らんが、たぶん違うぞ」
「え!?」
「身体の情報を解析する機器にかけるだけだ。魔力も実際に調べる必要がある。一応検査着には着替えてもらわにゃ困るが」
「なんだ……それなら……良いよ。お願いします」
丁寧で申し分ない筈のなのにどこか軽く見ているように楚々としていた。
さすがに同年代の少年が研究などと言ってもちゃちな遊びだとでも思われているようなニュアンスを感じる。
「言っとくが、これは俺が作ったものだぞ」
「――――!!」
先ほど見せたナイフを後ろ手に指差した。
軽視されたと感じたアルスは勘ぐり過ぎかと思いつつ、アリスを安心させる意味も込めて功績を示す。
「…………う、疑ってなんかないよ?」
明らかにギクッと擬音が聞こえた気がした。
ようは反応が示している、自分で墓穴を掘ったということだ。穿ち過ぎではなく、予想通りの反応だった。
アリスはそんなつもりはないはずだったのだが、テスフィアとの会話が一瞬過ったのだ。
大した研究をしていないなどと彼女が言ったばかりに再起された反応である。
……一応の了承は得た。
その後、二人は時間ぎりぎりまで魔物の討伐に精を出すのだった。アルスが付き合わされただけなのは知っての通りだ。
♢ ♢ ♢
次の登校日。
正確には翌日は休講になったため、課外授業から二日目だ。
今日は特段賑っていた。精神的な疾患によって登校できない生徒もいたがそれは全体の数パーセント程度だろう。
生徒達の話題は主に二つ。
一つはマスクの魔法師についてのものだ。直に見たものは少ないはずだが、多少の誇張を抜きにしても助けられた生徒の弁は達者だった。
「上級生を一撃で、こぉ~素手で」
「膝で…………」
あれはきっと名のある魔法師だと、学院が助っ人に呼んだのだとかあながち的外れでない所が見受けられる。
もう一つは、ロキの勇猛果敢な指揮に対してのものだった。教師を従え、上級生を手玉にとこちらは誇張に過ぎたが、その手管に世話になった生徒は多い。
この二人の活躍によって一年生の被害はほぼ無いに等しかった。
理事長が懸念していた負傷者は幸いにも最善の形で終えたことになる。その一方でしっかりとツケは回ってきているのだが。
一年生を危機に晒した監督者、増援部隊の指示に従わず単独行動をした上級生等には学院としての処罰が下った。
処罰対象十数名のほとんどが一カ月の停学で済んだ。それは軍での配属がすでに決まっている生徒ならば、配属替えの憂き目に合い。これから志願する二・三年生は不利な材料として採点されるだろう。
一カ月程度とは言え、上級生には手痛い沙汰であるのは確かだ。
そして唯一と言っていい退学者はカブソル三年生だった。
原因は偏に被害にある。現在精神疾患を患い病院のベッドに伏せっているのはテスフィアのグループの三名だった。最後まで意識を保っていた――女生徒はなんとか登校できている。
完全に復活とまではいかないが日常生活に支障なさそうだ。
三人の男子生徒が魔法師として今後どうなるのかは彼等次第だろう。
一方のカブソルは自宅療養中だが、魔法の行使そのものがトリガーとなってトラウマを引き起こしていた。魔法師そのものの生命が断たれたのだ。
理事長は貴族という肩書に中々厳重な処罰に踏み出せずにいたが、今後の再発防止を兼ねた裁定だった。
これに対してデンベル家からの異議申し立てがなかったのは、魔法という資質を失ったからに他ならない。
話は戻り、クラス内の話題に上がった二人はと言えば、今日は欠席となっている。
その原因は課外授業にあった。
昨日は二年生が、そして今日は三年生が外界に出て魔物を一掃しているというわけだ。助っ人業務が引き続き二人を拘束している。
とは言え、一年生の時ほどの苦労はなかった。Bレートさえ始末してしまえば、アルス同様にロキの出番も必然少ない。早々に下された罰がストッパーとなり、二人の手を煩わせる事態は未然に防がれた。
こうして臨時的に発生した課外授業は幕を下ろす。これが恒久的に行われるのだとしても、今回の授業でわかった欠陥は次回から大いに役立つだろう。
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