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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第8章 「泡沫の世界で」
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聖女の後継者



 ◇ ◇ ◇



 外界においてこれほどの設備を即席とはいえ、用意することは然う然うできないであろう。

 アルスとロキが身を隠すために一時的に設けた洞穴周辺では小さな天幕が無数に配置され、多くの魔法師がフルに警戒している。


 そんな中で一際大きな幕舎の中。

 外見ほど内部は広くはない、それでも三十人が入れるほどの余裕はある。ただこの幕舎に用いられているものは骨組みから周囲を覆う布の全てが魔法的な式を描かれたものだ。

 それを何重にも重ねているため、内部は外見ほど広くはない。


 照明に照らされ、中央に横たわる少年の周囲には治癒魔法師だろう者が十数人がかりで魔法を行使していた。

 だが、それも一時的なものでしかない。担ぎ込まれた少年と少女。その二人を見て老婆は自分の人生の中で最難関を極めるだろうことを一目で察した。

 即座に無菌室を作り、老骨に鞭を打つ。ここまで来るのでさえ一苦労だったが、そんな甘いことを言っていらないことは一目瞭然だ。


 馬鹿共の尻拭いをするには聖女と謳われた全盛期はとうに過ぎてしまっている。

 ネクソリスは白衣を纏い、詰め込めるだけ治癒魔法師を天幕の中に呼び寄せた。これから始まるのはそれこそ一分の隙も許されない。針に糸を通す作業ならばいくらか経験してきたネクソリスでも匙を投げたい気分だ。


 だが、それが許されないことを彼女は雁首揃えた元首の顔から容易に察した。ましてやネクソリスは聖女という名誉ある冠を未だ譲るに至らない。ならばこそ治癒魔法師の最前である彼女ができませんでは示しがつかないだろう。


「これから集中治癒に入るよ。この中で魔力を1mm以下に制御できない者は出ていきな。峠を越えるまでは外で天幕に魔力を注ぐ作業に移ってもらう」


 頷く治癒魔法師たちは己の力量を過信しない。この場には誰一人として私情を挟むものはいない。医療の現場において先達の技術を間近で見たいという欲求はあるのだろうが、それが許されないことを誰もが理解していた。

 助けなければならない。それだけが即座に判断させた。必要なのは救うための力を役割分担することだ。


 この天幕は内部に自己治癒能力を促進させるものだが、魔法師ならば誰でもいいという粗削りのものではない。複雑怪奇な魔法式の構成を完全に辿り、繊細な魔法を他者と乱すことなく協調させる。

 不要な者はこの場にあらず。


 しかし、ネクソリスが告げた条件は名医と呼ばれた彼らでも5人がせいぜいであった。


「これから丸一日は集中してもらうさね。婆婆より先にへこたれるんじゃないよ若いの」


 それでもここに残った魔法師は4,50代がほとんどだ。

 真正面から頷く彼らには強い意志が宿る。だが、この中にはあまりにも年代的な意味で合わない少女がいた。


 口元はマスクで覆われ、白衣を着用していることからも彼女もまた治癒魔法師なのだろう。

 若草のような髪は頭の後ろできつく束ねられている。


「いいかい、フリン。お前だけが頼りだよ。焦らなくていい、確実に一本一本繋ぐんだ。それが終わったら神経を繋ぐ、いいさね。私はこの小僧と娘を同時に処置するさね」

「はい、お婆ちゃん」


 ネクソリスが告げた方法。そもそも腕をくっつけようというのは現代医学でも可能だ。もちろん、魔法師という患者を除いた場合だ。

 魔法師に限りは欠損箇所の接合を困難にする。それはいくら治癒魔法が発展しようとも変わりない。そもそも魔力は血中と一緒に全身を巡るが、くっつける際の縫合は多くの魔力を流す。それが血中内にある魔力球を分離させ、本来と違う経路を作ってしまう。

 すると魔力は独自のルートを作り、体内を循環し始めるのだ。つまり、仮に接合できたとしてもその箇所への魔力の供給は途絶えてしまう。


 だが、ネクソリスが唯一弟子として育てた彼女、フリンには聖女でさえ不可能であった技術を天性の才能で知覚することができるのだ。

 断面の血管や神経より遥かに多い魔力経路。それは本来視認することのできないものだ。

 それを感じる彼女を発掘できたのは人類にとっても大きな意味を持つ。ただし、この魔力の管は直接魔力量に繋がるため、多い者で数千はくだらないと言われている。


 何より目の前の魔法師は多いという次元ではないことをネクソリスはバルメスで見ていた。柔らかい表情でフリンを見て、皺の深い手で少女の手を擦る。震えは取れたようだ。


「私が見てるさね。ペースはいつもの半分に……」

「でもお婆ちゃん、それだと、たぶん間に合わない」

「……!! わかってるじゃないか。それでも周りを信用しな、治癒魔法師は一人よりも二人さね。あんたは自分の仕事をしな、私は小僧と娘の腹部を治す」

「うん、わ、わかった」


 フリンの繊細過ぎる技術は他者の魔力反応だけで乱されてしまうものだ。そのため、直接少年に治癒を施せるのは残念ながらフリンとネクソリスしかいない。

 台の上に置かれた針のような棒をフリンは二つ取る。この上にはまだ数百本という針が用意されていた。


「完全接合術式を始めます」


 そう告げた少女の表情が一瞬で変化する。瞬きすらさせない開かれた瞳が患部を直視する。いや、患部に映る無数の光の線。

 今までも試験的に練習してきたが、そのどれよりも美しい魔力であった。しかし、それだけに一本一本つなぎ合わせるのは並大抵のことではない。

 彼女が繋ぎ合わせるのは血管や神経とは異なるものだ。そこに質量などあるはずもない。

 目に見えるのは美しい光、そこに宿された魔力の情報だ。ぶつ切りにされた情報を繋ぐ。


 フリンはそれを色で見分ける、完全に一致する色など星の数ほどもある束から探すだけでも困難だ。到底数日でできるような話ではない。

 砂丘の中から一粒つまみ、これと同じ形状の物を探せといっているようなものだ。たぶんどこかにはあるだろうとか、そんな曖昧な理由で。

 同一の物があるかもわからない粒だが、この少年の切り離された腕には間違いなく存在することだけはわかる。


 一呼吸分間を置いた彼女は凄まじい速度で両断面を交互に見る。

 直後、指で挟まれた針が常軌を逸した速度で腕が小刻みに動く。治癒しかできない者であればその腕の動きは目で捉えることはできないほどの速さだ。


 ――お婆ちゃんは、あぁ言ってくれたけど。絶対に間に合わない……それにこの人……。


 これほどの魔力の経路が存在するなんて果たしてあるのだろうか、そうフリンは思った。彼女には断面が鮮血や、皮下組織の色ではなく、温かい陽溜まりのような光に見えた。

 それは新しく生まれいでた光であるかのように初々しいものだ。


 針の先端で的確に一つ一つ繋ぎ、伸ばしていく。

 空中に何本も引き伸ばされた魔力の糸。その全てをフリンは記憶し、腕の断面に酷似したものを引き伸ばし、断絶された魔力情報を紡いでいく。


 彼女の視界はそれしか映していない。それ以外のことに割く視界の幅は存在しない。


 そんな弟子の雄姿を見て、ネクソリスも腹部の処置に集中する。何百、何千回と繰り返した練習の中で今回はそのどれをも凌ぐ集中力だ。

 何より、目の前の少女の腹部は内臓の損傷が酷すぎる。この場に残した治癒魔法師はフリンの集中を乱さないためでもあるが、だからといってこの少女の処置を他の者に任せることなど聖女にはできなかった。

 数mmの誤差をも許さないのはこちらも同じだ。患部に治癒魔法を当てれるだけでいいのは三流のすること。


 的確に治癒を施し、限られた時間内で最速を要求される。患部を切開しては余計にリスクを負うだけだ。

 だが、彼女の知る限り損傷箇所を見抜き、寸分の狂いもなく治癒できるのはおそらく自分しかいないだろう。


 アルスとロキ、二人の患者に挟まれるようにネクソリスは両腕を広げた。少年のほうはフリンの治療を阻害しないために繊細な技量が必要になる。そして少女のほうは処置できるのがネクソリスしかいない。

 

 周囲を取り巻く無菌かつ、治癒魔法に適した魔力の散布。五人の治癒魔法師は交代でロキの患部周囲の治癒に専念している。手の空いた者はゆっくりと回り込み、袖を押さえて傍に寄ってフリンの汗を拭う。


 その処置を傍で見て彼は即座に身を引く。額に浮かんだ汗すら意に介さない顔、ひょっとすると瞬きすらしないのではないかという目は速過ぎる手捌きを先読みして視線を動かしていた。


 まだ子供といえるほどの歳で、聖女の弟子と紹介された彼女がどれほどの研鑽を積んだというのか。

 腕の接合は時間との勝負だ。その前に魔力情報の復元が最優先とされる。いや、そもそも欠損した部位は今までの常識を照らし合わせれば魔力の伝達は諦めるしかないのだ。


 だから、今、彼女が何をしているのか、それを彼が知ったのは、それこそ、この距離に近づいてやっと見えるかという極細の光だった。

 蜘蛛の糸のような光の糸を彼女は針の先端で巧みに操り縫合しているのだ。


 自分にできることをするべく男は持ち場に戻る。理論的にはあれならばという期待。生きているのかすらわからない患者の顔を一度だけ脳裏に焼き付ける。

 少年を失うにはあまりにも損失が大きい。そんな野暮ったいことを思ってしまうが、仮にあの場に自分が立っていたとして震えずに処置できるだろうか。


 いや、できたとしてもあの歳で冷静にできたとは到底思えなかった。



 目の前で編まれていく魔力光をネクソリスは見る。自分でも編むことは可能だが、それは時間制限がなければという条件付きだ。

 仮死という異常な状態がいつ解けるのか、それがわからない以上急ぐに越したことはない。仮死とはいえ、その症状はネクソリスでも経緯から今に至るまでの道筋がまるで見えなかった。



 だからこそ、ネクソリスは一抹の不安を覚えた。確かにフリンの言うように少年の容態は芳しいとはいえない。時間との勝負ではあるが、フリンが行う処置は一度の失敗を許さない技術だ。間違った情報の連結は体内魔力を大きく乱す。

 魔力の錯綜、混乱、そういった拒絶反応に近い症状を必ず引き起こす。本来ならば命をリスクにする処置ではない。しかし、今回は患者が患者だ。


 それさえ、終われば後は聖女として全力で治癒に専念できる。おそらくは仮死という症状を発しているこの眼に施された不可思議な術式を阻害しない技術は彼女にしかできないだろう。


 何よりも誰も受け入れないような拒絶の表情を目の当たりにしてネクソリスは一人の少女に約束してしまった。

 自分の身体を顧みず、必死に乞う少女を見てしまった。まるで死に掛けた猛獣が我が子を守るような、そんな光景に言葉など無用なのだろう。自分も同じ土俵に立ち、腕で語る他ないのだろうとネクソリスに思わせた。

 そして、その期待に治癒魔法師としての人生を賭けて臨んでいた。




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