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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第8章 「泡沫の世界で」
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銀色の慟哭

 ◇ ◇ ◇



 腹部を押さえ、吐血を繰り返して銀髪の少女は普段の白い肌から血の気を失わせてひたすら足を動かした。

 こんなところを魔物にでも出くわせば何一つ抵抗することはできないだろう。魔力はほぼ空に近く、構成するだけの脳は正常に動いてはくれない。


 それでもただ大事な人の安否だけを心の内に抱く。

 それだけが動力源だった。


 辛うじて吐く息の白さが彼女がまだ動けることを示している。だから足を動かす。

 だから眼を閉ざすことをしない。


 彼は怒っているだろうか。逃げると彼に言っておきながら、指示に背いたことを。

 それでもロキにだって言い分はある。自分に与えられた役目に対して命を賭けて戦ったのだ。少しでも褒めてくれても良いのではないだろうか。

 と、そんな淡い期待を抱く。彼の捲し立てるような理路整然とした言葉を一言で封じるとすればロキは満面の笑みでこう答えるだろう。


 『ちゃんと生きているんですから、結果よければ全て良し、ですっ!!』と。


 これで全てが終わり、やっとアルスは自分の道を歩んでいける。


 それが凄く嬉しくて。

 その傍にいれることが凄く自慢で。

 そのスタート地点に一緒に立てることが誇らしい。


 彼が見る方向を見て……足並みを揃えて……いいや、自分は半歩分だけ後ろを歩くだろう……その大きな背中を見ながら彼を見失わないように振り向いてくれるのを待つのだ。


 もう誰も彼の歩みを止めるものはいない。彼は自分の足で方角を決め、距離を決め、自分の力で歩き出す。

 少し後ろに自分がいることを気にして歩幅を合わせてくれるだろうか。そうだったらきっと嬉しい。凄く嬉しくてつい背中を小突いて「甘く見ないでください」と頬を膨らませるのと染めるのを同時に行った顔で言ってしまうのだろう。



 傍に自分だけでないことが悔やまれるが、それも仕方がないのだろう。彼が望むのならばロキは誰がいようと構わない。

 テスフィアがいてアリスがいて、フェリネラが大人の余裕を見せて虎視眈々と狙っていようと、彼がそこを自分のいる世界として求めてくれるのならば、嫉妬など些細な感情でしかないのだろう。


 もう一番でなくてもいい、二番でも、三番でも、そこにちっぽけな席があるのならばロキはそれだけでいい。


 もう、それだけでいい。

 少しぐらいは剥れさせてくれるだろうか。


 単純で、感情に流されやすい自分を彼は魔法師失格だというだろうか。

 そう言われても良い……いや、少しだけ傷つくかも。


 でも、彼はその後にはきっといつものように頭に手を乗せてくれることを、卑しくも知っているロキは仕返しとばかりに表情を意地悪く俯かせてしまうだろう。

 ちょっとぐらい困らせても罰は当たらないと信じて、我儘に付き合ってもらおう。そんな期待と予感がもう目の前まで来ている。


 彼が自分の力で掴み取った自由を傍で一緒に祝いたい。違う、ただ一緒にいたいそれだけなのだ。同じ世界で生きたい。

 この感情に意味を求めることはできないのだろう。

 当て嵌めるための言葉はあるが、圧倒的に物足りない。口で紡ぐ形のない音は今のロキの心の内を吐き出すにはどんな語彙も足らない。何一つ満足に満たしてはくれないだろう。どれだけ時間を与えられようとも、どれだけ同じ時間を過ごそうとも結局、言葉足らずになってしまうはずだ。


 肝心なことも、些細なこともその全てを彼に聞いてほしいし、伝えたい。きっと、我儘で、欲張りで、強欲なのかもしれない。途方もなく長く言葉を連ねることを彼は許してくれるだろうか。

 この留めることができない心の捌け口になってくれるだろうか。


 きっと難しい顔をして、眉間に皺を作って、徐々に頬を引き攣らせて。

 それでも彼は最後まで聞いてくれると思う。だってロキの知る彼は誰よりも優しくて、誰よりも甘くて、誰よりも孤独を味わってきた人だから。



 だから、傍にいたい。

 できれば触れたい。

 寄り添いたい。


 それだけなのだ。




 微かに見える景色とも呼べない荒れた地の変化に直ぐ側まで来ると、苦しい痛みに堪えながら急かされる足は自制することなどできようはずもない。

 半ばからへし折れた巨木の幹に沿うように歩き、視界を遮る最後の木を周り込めばすぐそこにいるはずだ。


 まだこの辺りは戦闘の痕跡が新しい。


 相当疲れているだろう、おそらく座ったまま肩を貸してくれる誰かを待っているのかもしれない。

 さすがに今の自分では役に立てそうもないし、肩を貸すことを許してはくれないだろう。


 だから二人揃って呆れ顔で助けを待つのことになる。それでも彼が安らげる止まり木のように支えることくらいはしてあげるつもりだ。


 ロキは靄がかかったような視界に最後の喝を入れて、木肌を引っ掻くように力を込める。

 足を動かす度に地面の上を靴の裏が擦ってしまうほど、膝はもう持ち上がらない。


 苦笑してしまうほどボロボロだった。九死に一生を得たものの、イリイスの助力があったことは確かだ。まだまだ未熟な自分を自覚し、まだまだ魔法師としても、一人の人間としても成長しなければならない。

 その時間はこれからたくさんある。ゆっくりとでも確実に彼に近づいていこう。


 色々な痛みや悩みをロキは振り払い、今は晴れやかな表情で彼を見たいと流行る気持ちが全面に出てしまう。

 最後の力を振り絞って視界を遮っていた幹から身体を出した。


「アル…………!!」


 しかし、ロキは声を絞り出したものの、その視線はすぐ足元に向けられていた。早く彼の姿を見たい衝動を押し殺してしまうほど、無視できないものがそこにあった。



 袖が千切られ、真っ赤な血を出し尽くした腕が……まるで廃棄物のように捨て置かれていた。



「あっ……あ……」


 掠れるように喉の奥から漏れる悲痛の音。

 それは幾度と、彼女の頭に乗せられた腕と手。見間違うはずがないという思いと、嘘だという拒絶が彼女に腕を拾わせた。


 喉が震える、身体が震える。脳が予感を勝手に弾き出し、ロキに恐怖の二文字を見せた。

 空いた口は塞がらず、喉から漏れる振動だけを宙に向かって震わせる。


 声にしてしまうことが、恐ろしかった。声に出してしまえば、その結果をロキは理解してしまう。目は直視して止まないのに、耳が受け入れてしまう。


 真っ赤に染まった腕を抱きしめ、ロキはよたよたと覚束ない足取りで突き動かされるように腕に視線を固定して歩き始める。

 だが、それが許されないとでもいうように彼女の顔はほぼ反射的に持ち上がってしまった。


 そこにはここに来るまでに抱いたこれからの希望や予感といった期待をことごとく打ち砕く現実だけがあった。

 地面の上に真っ赤なラインを引いて彼女が焦がれた人物は匍匐してどこかに向かっていた。そして力尽きたのだ。どこに向かっていたかなど考えるまでもない。彼の向かった先にはついさっきまでロキが戦って死に掛けた場所があるのだから――そこしかないのだから。


 ピクリとも動かない残された左腕は地面の上を引っ掻くために伸ばされたまま。


「いや、いや……嫌あああぁぁぁぁ!!」


 腕を抱きしめ、がむしゃらに足を動かす。

 涙は予想していたかのようにすでに頬を伝い始めていた。


 あまりにも違う。予想と現実の乖離が途轍もなく開いていた。間違ってもこんな光景を見たくはなかった。だからこそ、悪食の時も彼が死ぬのならば先に自分が死にたいと、そう思ったのだ。


 これは絶対に譲れないことだった。彼の死をこの目に焼き付いてしまうのだけは堪えられない。自分が死ぬより遥かに苦しいことだ。

 心臓を直接握り潰されたように胸が痛い。


 痛くて、辛くて。


 ――助けて、アル。


 黒い後頭部を見下ろし、ロキは愕然と膝を折った。

 そして何かの間違いだと、片手で揺さぶるが。


「アル、アル、アル、アル……」


 体温という彼の温もりが感じられない。血は出尽くしたのか、断面を真っ赤に染めたままだ。


 ロキは拒み続けて、現実に抗い続けて、察してしまった。

 それでも仰向けにさせて、胸の上でマッサージを繰り返す。跳ねる彼の身体がまるで人のそれではないかのようだった。


 人形相手に訓練しているような。


 次第に腕は弱まり、ロキはアルスの胸の上に崩れた。泣きじゃくり、嗚咽を吐き出す。

 しかし、跳ね返ってくる音は、振動はない。


 こんな苦しみは味わたくなかった。まるで自分が誰からも愛されないかのような異分子に思えてくる。


 それでも彼に捧げたものは嘘偽りないものだったはずだ。最上の願いだったはずだ


 切り離された腕をそっとアルスの胸の上において、ロキはするはずだったように背中に腕を通し、彼の上体を起こした。

 その隙間に入り込み、彼の重さを実感する。彼の支えになることができた。


 反応がなくても、それでもロキはくしゃくしゃになった顔で無理やり微笑んだ。

 そして自分の肩に乗った彼の頭に頬を擦る。


 彼のいない世界に未練など何もない。でも、彼と同じ世界にいたという時間を味わうように最後に冷たい身体を強く抱きしめた。

 彼のモノは全て彼のもので、自分は彼のものだ。彼のためにだけロキの世界は回る。


 

「次は一緒に世界を見て回りましょう

 次も一緒に世界と戦いましょう。

 次はもっと楽しいことが待っていますよ。

 次は……次は……きっと、きっと最初から傍にいます。

 つ、ぎも、必ずあなたを…………」



 左手を腰に回してロキは、最後に残ったナイフを引き抜いた。その手には何も迷いはない――その手だけは震えとは無縁のように。

 きっと、次がある。

 これだけ想って、これだけ残酷な目に合わされたのだ。

 幾世、経とうともきっとどこかで繋がれることを信じて、そっとロキは赤く染まった、震える唇をアルスの頬に触れさせた。

 もっと早く伝えておけばよかった。そう後悔を含ませて、唇を離し。


「必ず、あなたを見つけて、愛します」



 

 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] おぞましいせかいかんだね。ほんのいちぶのぎせいけんしんにむくいないならそんなしんだこころのもちぬしたちだらけなら、ほんとうにせんべつされてしまってもいちぶはクロケルのあんをとりいれても…
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