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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第7章 「英雄譚」
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一人のための英雄Ⅲ

 § § §――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 深く深い地下、そこに集められた多くの子供は幾分マシな服装を与えられ、今まででは考えられないような食事に有りつけていた。

 日に三食。これだけでもこの研究施設と呼ばれる場所に連れてこられたのは幸運だった。


 しかし、少年にとって食事は二の次で何よりも傍に妹の姿があることが嬉しかったのだ。まだ世界に見捨てられていなかったのだと神すら信じてしまうほどに。

 妹の汚れていない顔を見るのは数カ月ぶりだ。


 髪も随分と艶を取り戻している。健康面でもだいぶ配慮されており、幸いにも感染症の疑いもない。ここに連れてこられた子供たちがいったいどれほどいるのかはわからない。

 ただ、何かしらの病に侵されている子供は体内エネルギー、所謂魔力の保有量によっては再度あの現実に捨てられてしまう。


 それを非情だとは誰も思わなかった。死ぬよりは随分と優しいのだから。


 もちろん、ここの研究所は人類のためと言ったが、それに賛同する子供などいるはずもなかった。だから、食事という生きていくのに必要な物を提供してくれるだけで彼らは誰にだって付いていく。


 それには兄妹も含まれた。あのままでは半年どころか明日すらも持たなかったかもしれないと、今では言えるのだから。

 

 何の被験体であろうと命に関わる類のものでなければいくらでも目を瞑れる。生きていくために精一杯だったのだから、それ以外のことはどうだって構わなかった。そして少年が決断した最大の理由は研究の途中で妹の目が見えるようになるかもしれないという可能性が僅かでもあったからだろう。


 そういう研究だと説明されたが、少年は一割も理解できなかった。肝心なのはそこではなく可能性があるという一言。簡単な投薬の実験など臨床的に確かめる試験だと真摯な顔でそう口が動くのを聞く余裕は少年にはない。


 二人は被験体の中でも群を抜いて魔力保有量が多かったのも幸運だったはずだ。的確な治療は明らかに他の子供たちより優遇されているようだった。


 そこでの暮らしはまさに理想郷ユートピアのようだった。確かに連れてこられる子供の数は減っては補充されるような環境ではあったが、基本的には個室に閉じ込められ、外に出られるのは日に二度。

 自由時間と名付けられた小休憩では広い空間で身体を動かすこともできた。それ以外は基本的には実験や採血、魔力の測定、機器の中に入れられることもしばしばあった。


 そして食事の時に一緒に出てくる薬の苦味さえ我慢すれば、ここは上手く生きいく上で最も利口な選択だったのだろうと思えてくる。

 妹の目はまだ時間がかかると言われていたが、それは最終目標であって少年にとって今、この時に見せるラティファの笑顔が増えるだけで満足していた。


 何も告げず苦い薬を食事に混ぜてやり、口の中で薬の感触を確認したラティファは目尻を寄せて頬を含ませる。我慢して飲み込んだ妹の頭を撫でてやれることが嬉しくて堪らなかった。


 しかし、物事はそう単純に運ばず、全てが上手く行けばいいと願いながらもどこかに歪みは必ず生じるものだ。それを覚悟でここに来たことを思えば少年にとっては万死を出て一生に遭う思いだったのだから許容内だ。


 少年はそれでもよかった。

 だが、近頃は室内で待機する時間が増え、同じく部屋を出たはずの妹の帰りを待つ日が増えてきた。


 職員の手を借り、自分の足で歩いて戻ってくる日もあれば、車椅子のようなものに押されて戻ってくる日もある。

 ラティファは真っ暗闇の中で瞼を透けてくる光に恐怖を感じるようになっていた。痛く辛い実験に気分も塞ぎ込んでいった。それでも特段命に関わることではなく、実験内容としては少年が受けているものと大差ない。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ◇ ◇ ◇



 得も言えぬ違和感を拭えず、しかし、アルスにはまだまだ聞かなければならないことがあった。


「バベルについて何か知っているようだな」

「そりゃあね。あそこに入れるのは僕だけだからね。それでも何ができるわけでもないんだ。一部は各国元首にアクセス権を持っていかれてしまったからね」

「それで俺がバベルの供給源になれと?」

「その資格を君は持っている。君は何故今まであれほどの魔力量を当時の者たちが確保できたと思う?」


 バベルがそう呼ばれるようになったのはおよそ五十年も前の話だ。当時の技術では到底不可能だと思われるが故にアルスもまた疑念を抱いてはいたのだ。何せ全てにおいてその設計は非公開とされており、元首のみが権限を有する。そのため、後に各国の技術者や研究者が簡易化できるように複製した疑似防護壁はエネルギーコストが馬鹿にならず、実用としては現実的ではないのだ。


 沈黙をどう取ったのか、クロケルは早々に種を明かした。


「クロノスだよ」

「……!! なるほど、そういうことか! 腕を使ったな」


 今も畏怖され語り継がれる大災厄の元凶たる【クロノス】だが、史実に基づけば、かの竜は片腕を落とされ遥か彼方に逃げ帰ったとされている。

 だが、そこで疑問とされるのは魔物の腕とはいえ身体の一部だ。魔物は全身を魔力の良導体として知られているが、切り離されればそれは魔力の劣化とともに朽ちるはず。

 もちろんアルスがテスフィアたちに渡した訓練棒のように朽ちるのを防ぐ手段はある。


「半分正解だね。確かにクロノスの腕は実在するし、残っているけどそれはただの残骸に過ぎない。魔力なんてほとんど残されていないよ」

「ならば…………」


 そう発した直後、クロケルの表情が歪な笑みを作った。それは嗜虐心を煽られたというような顔であると同時に自虐的な一面も覗かせる。


「クククッ、そうさ。クロノスの、魔物の体組織を混入させるんだよ」

「…………」

「バベルは元々研究施設だった。なんの研究かって? 人間を化物に変える研究だよ、傑作だろ?」

「そりゃ笑える話だ」


 全てを鵜呑みにすることはできないが、いろいろと整合する部分はある。クロノスの腕に関する記録は存在しない。しかも大災厄とされておりながらその多くは表面上の過程から結果までを綴っただけに過ぎないものだ。

 さらに言えばバベルについては元首のみが知り得ているというのも不自然なことこの上ない。それは誰もが一度は考えたことがある禁忌。しかし、それを口に出さないことは暗黙の了解だったはずだ。バベルとは人類を救う崇高な壁なのだから。それ以下であってはならないものだ。


 バベルがなければ平和は容易く瓦解するのだから、黙認せざるを得ない。



 クロケルは微かな頭痛をこめかみに感じたが、興奮がズキズキとした痛みをすぐに消す。


「バベルはクロノスを混入された者でないと意味がない。言ってしまえば低レートの魔物からすれば防護壁はクロノスのテリトリーを意味する。けれども、クロノスの体組織を混入された者は魔物としての侵食が始まる。つまりクロノスの体組織は生きている」

「ということはクロノスの分身体ができるんだろうな。人間を魔物に変えるか、そこまで来ると如何に崇高な壁だとて表沙汰にはできないだろうな」

「そうさ、あれは悪食だ。肉の一片になろうと人を喰らう化物だ。だが、満足にクロノスの分身体すらできなかったよ。ただ人間を魔物に変えるだけの所業だ。それがクロノスほどの魔物ならば人類はとうに滅亡しているよ。それでも僕や君のように稀有な例が存在する。僕はすぐにでも防護壁の代わりを見つけるために一人で研究を引き継いだ。何回繰り返したかもわからない。一体どれほど化物を量産したか、その都度廃棄しにいった。その中に君も含まれる」


 自分で語っておきながら妙に腑に落ちないような顔でクロケルはボソリと呟く。


「果たして彼らはどうやって今の化物を作ったのか、たまたま? でしかない、のだろう」


 ――なるほどこれで粗方理解はできた。しかし……。


 アルスは悲嘆に暮れるでもなく、可能性としてこの異能の力がそういうルーツなのだと理解した。ある意味で納得のいく答えだ。これからいくら自分を調べようとその結果しか導かないだろうと思えてしまうほどに。


 それでも今の説明では解せない点があった。


「俺を廃棄したと言ったな、ならば何故俺は人のままでいる」

「ハハッ、そんなわけないだろ。君はしっかりと化物へと変貌の兆しを見せていたさ。のたうち回った後、すぐに死んだと思っていた。知っているかい体組織を混入された半端な魔物は朽ちることがない。だから餌にするしかなかったんだ。でも、君は違った。僕と君には共通するものがある」

「…………魔眼か」

「そう、そうだ!! 魔物に変貌する死因はクロノスの体組織から侵食時に生じる膨大な魔力だ。それを人間の身に留めるのは物理的に不可能だ。もちろん拒絶反応はあるし、それによるショック死も少なくなかった。しかし、魔眼という奇跡的な偶然が重なることで回避することができる。逆をいえば開眼時の死因は魔眼の暴走なんだけど、その引き金は開眼時に消費される馬鹿みたいな魔力消費と魔眼独自の衝動的能力の発動だ。その点プロビレベンスは魔力とは少々異なるから、物による。僕の【ヘクアトラの碧眼】は魔法や魔力に付随する情報の書き換えにある。だからこそ自分の情報を書き換えたのさ。じゃあ【イーゼフォルエの漆眼】は……」


 そこまで聞けばアルスに答えられないはずもない。自分のことはやはり自分が一番理解しているのだから。


「魔力を喰らう、か」

「ご名答、正直その膨大な魔力を食い尽くすことができたとしても、体内に留めておけるとは到底思えない」


 が、それを可能にしたのがアルスということなのだろう。先天的な異常過ぎる魔力量の説明がこれで付いた。だから、体内で異常発生した魔力を喰ったからアルスの魔力情報が存在しないのだろう。

 いや、即座にアルスはその可能性を否定した。

 そして……。


「なるほどな、クロノスの影響だったか……」


 腑に落ちてしまった。あれほど探求心をくすぐる自己の解明があまりにつまらない結果に落胆が濃い。そう、やはり薄々そうなのではないかと予想していたが自分が化物だったとは。

 この無系統はクロノスによる影響なのだろう。また一つ簡単に自分を知ってしまった。どうしようもなく救えない自分がわかってしまった。


 もちろん軍での精密検査では人間であることを裏付ける結果が出ているが、それで折り合いを付けることなどできようはずもない。今のアルスはあまりにも変わり過ぎてしまっていた。

 それでも……。


 アルスの頬が誰かを思い出したように自然に持ち上がった。

 解消されてしまった胸の内を探れば実につまらない。けれどもなんとも言えない温かさがあった。確かにアルスはここ数ヶ月で見違えるほど変わったと言われるだろう。だが、彼が変わるきっかけともなった彼女たちに対してアルスは何も変わらない。たとえアルスを知る者たちが拒絶してもアルスは何も変わらないことだけがわかった。それだけでこれほど気が楽になるのだから今まで何を悩んでいたのか。



「悪いが断らせてもらう。少なくとも俺がいなくなれば泣くやつがいるんでな」


 クロケルは一切の感情をその表情から消し去り。


「それは何千万という人の平和と釣り合うものなのかい」

「俺にとってはな。寧ろ、それで平和だというお前の思考を俺が信じられると思うか」

「少なくとも魔物の脅威は退けられる」

「それでお前は英雄気取りか? つくづく愉快な奴……何より不愉快だ」


 ヒュンッとAWRを引き抜きアルスは手元で軽く振って構える。決裂以前の問題だ。人類のために貢献してきたアルスの苦労を全て無にするだけに留まらず、この期に及んで大事なものの在り処を見つけたアルスの未来を奪っていくというのだから。


「そうかい、君にはがっかりだよ…………もう時間がない、僕にも、あの子にも……」


 尻すぼみに発した言葉をクロケルは理解することなくAWRを構え、ギロリと手元から視線をアルスへと持ち上げる。

 鋭く交差する二人の視線に敵意が宿り、何一つ相容れない物が刃を閃かせる。



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