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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第6章 「導きの果て」
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不死身の崩壊



 土の波に飲み込まれようかという刹那。

 イリイスの周囲からどこからともなく、真水が湧き出す。地表、空間、何もない場所から恵みの水が圧倒的な水量を吐き出した。

 海の底に穴を開けたような急激に溢れる水。


 洪水、氾濫もただ暴力的なまでの圧倒的水量によるものだ。それが現実に起こっていた。


 長い道を作った土のアーチ。

 しかし、それ以上飲み込むことを拒んでしまうのは内包される水が容量を遥かに越えたからだ。端から津波の如く押し寄せる水を待つこと無く、土の壁は罅を走らせ、一時も堪えることができずに決河した。


 噴水のように吹き出した水の天辺にはイリイスが足元を支えられるように浮いている。


 空中に浮いたままイリイスは両腕に魔法の光を宿し、両の手を腰から胸の位置まで持ち上がる。それはセンセーショナルな姿であった。何よりそれを見たものは持ち上がった腕の先で、ゆらゆらと輝く澄んだ水明りが片目に浮かぶのを見ただろう。

 そして奥で流れるように幾何学的な式が流れていく。


「【海底の楽園(アムタレス)】」


 膨大な水がその姿を無数の魚に姿を変える。形状は様々、尾があり、ヒレがあり、尖った歯がある。しかし、一様に眼が存在しない。

 陽の光がその身体を透かすように、水で造られている。そして、空を水中のように身体を捻り、ヒレで推進力を得ている。


 魚という形状をしているだけで、決して実在するとは思えなかった。何故ならばイリイスを中心に天に昇るように周回しており、突き出た口先や、異様に長い髭。現実性を欠いた気味の悪い生物で幻想的ですらある。

 【セーラムの隻眼】、生命を生み出すとされるその最たる現象だ。


「その魔法は見たことねぇな」


 今まで仕事の関係上、クラマの幹部だろうと互いの魔法を見る機会はあった。

 その意味でいえばイリイスとハザンは都合上既知としている魔法が多い。


 高々と押し上げられたイリイスは出来上がった水泡の上に乗り、俯瞰するようにハザンを見下ろす。

 ハザンは高揚を表情に張り付け、頬が持ち上がったままだ。

 だが、そうした油断はイリイスの評価が高いのと同時に、大凡つけた戦闘力に裏打ちされている。


 狂える戦闘狂がその頬を下げた次の瞬間である。


 空洞となり、消失していく土の壁。

 その暗闇から姿を現したのは二匹の水魚。身体を揺らし、魔力の匂いを嗅ぎつけたのか、蛇のような魚が蛇行しながら抜け出た。


「――!!」


 両腕をそれぞれ噛まれ、一瞬にして血が水魚の体内に取り込まれていく。紙に血を垂らすようにじわりと体色が薄い紅色に染まっていった。

 そのままハザンは巨体を持ち上げられ、空中に押し上げられた。みるみるイリイスが小さくなっていく。両腕に噛み付いた魚は腕ごと引きちぎろうと首を振っている。


 眼下ではイリイスの周囲を旋回していた水魚が意志を捨て、ただ宙空に漂うように微動だにしなくなった、直後、イリイスが押し上げられたハザンを見る。

 視線を追うようにすべての水魚が一斉に動き出す。優雅に泳ぐ姿は微塵もなく脇目も触れずにひたすら餌を求める。


「食い散らかせ」


 頭上に集まっていく水魚がハザンの巨体を隠すほど迫った時。


「ッチ!!」


 集まった群れが縦に裂かれたのだ。その長大な刀身はイリイスの片腕を切り飛ばしている。

 無論、その程度でダメージに繋がらないことはハザンも知っていた。


 落下していくイリイスの腕は地面に触れた瞬間、水として弾けた。イリイスの顔に歪みはない。傷口は水面のように揺れているだけで、即座に溢れるようにして腕の形が付け加わり、肌の色を取り戻す。

 濡れそぼった腕を一振りし、水滴を飛ばした。


 次の瞬間――肌を押すような衝撃波が広がる。身体の内部を抜け、隙間なく発せられた。狂騒は彼が得意とする禁忌。


 すべての魚が水へと還り、空中で水もまた魔力へと還る。当然、イリイスの足場もなくなり、彼女はなんなく地面に降り立つ。

 そのすぐ後には地響きすら轟かせる、仰々しい音が鳴った。


 見ればハザンの両腕からは歯型が見て取れ、穴から血が溢れている。

 しかし、その程度の傷を歯牙にもかけず、ハザンは戦闘において純粋な笑みを濃くした。



「つええぇ、つええぇ。これだから、やめられねぇんだよな~」


 イリイスはハザンを視界に収めつつ、ロキに施した治癒が解かれていないことを確かめた。魔法の構成を破壊する禁忌魔法だが、イリイスが使用した治癒とは魔法ではない。

 言い換えれば、魔力であり、身体の一部なのだから。


「命を無駄にするのは賢い選択とは言えないぞ」

「言ってろ、無駄かどうかは俺が決めることだ。人生の中で一番楽しい日だ」


 天を仰ぎ、感謝するように醜悪な笑みを口元に浮かべるハザンに、イリイスは早く殺しておけばよかったと、後悔を心の内に吐露した。


 しかし、それも今日で最後となるだろう。

 犯罪者として積み重ねた罪を贖う術はイリイスにはない。できれば全員を抹殺した後、自分も……。

 そう考えたが、この身体では死ぬことを選択できないのだ。彼女は100年という時を経てその意味を理解し、後戻りも終わらすこともできないのだと、恥ずかしながら十数年しか生きていない少年に悟らされた。


 だから彼女は悪いと思いながらも全力で守るべき命と刈り取るべき命を選択する。


「お前の快楽に付き合うのもこれで最後だ。後は地獄で楽しめ、いずれは私も向かうことになるのだろうが」

「そりゃ退屈せずに済みそうな話しだ。だが、俺はまだ楽しみ足りてねえぇ。イリイス、てめぇを殺した後にでも考えさせてもらうぜ」

「…………そうかぃ」


 すでに耳を貸さず、貸す耳を持たない。ハザンという壊れた男を終わらせるとしたら今しかないのだろう。

 嫌悪すら抱いた彼に今は同情すら覚える。

 手向けとしての言葉はイリイスの心のうちから自然と慈悲を込めて漏れ出る。


「同じ穴のむじなのよしみだ。最後にお前の快楽に付き合ってやろう」

「ニヒッ!!」


 ハザンはあまりの愉悦に自分の喉を掻き毟る。血が滲むがそんなことは構いない。まさに発狂してしまいそうな光景である。

 それと同時に溢れる魔力は彼がシングルと同格であることを理解させる凄まじいものだ。エネルギー体である魔力が現実に影響をもたらす。

 地表に転がる小石や塵が慄くように小刻みに震えていた。


「死を選ぶか」


 イリイスは冷静にそう溢した。彼では自分に勝てない。それは好戦的なハザンが今まで実行に移さなかったことからも、ハザン自身認識しているとばかり思っていた。

 死よりも快楽を選ぶ――まさに彼らしいと感じた。



 ――故にこれ以上、のさばらせることもできない……だろうが!!


 きつく眼を凝らす、己の使命とも役目とも感じたイリイスは最も純粋な闘争心を糧にする。誰かを守る戦いを――昔に戻ったような感覚が蘇る。いや、以前とは違う。手遅れな後悔を背負い、その分、重みは増しているのだから。それでも足を引っ張る枷とは遥かに異なる。


 イリイスを取り巻く、張り付くような赤黒かった魔力は以前とは見違える。一切濁り気のない真水のような魔力であり、美しくすらあった。

 魔力とは所有者の情報を多く含むため、心境の変化、特にイリイスのような多くのモノを覆したあの日を考えれば魔力とは己を映す鏡なのだと理解させられる。

 何より、変化をイリイスに気づかせてくれるものだ。



 そしてそれを見たハザンは納得したように鼻を鳴らした。自分を凌駕する魔力量はその牙が落ちていないことを示し、決して落胆するものではない。寧ろ、喜んですらいた、こうして戦う機会を得たことに。


 だからこそ、まずは戦いにおいて均等でなければならない。そう均等に、対等に、平等でなくてはならない。

 最大のリスク――それは死だ。それでこそ血湧く殺し合いだ。殺されたくないから殺す。そもそも同じ土俵に立っていないことを考えれば殺し合いなど成立するはずがない。


 腰の裏に手を回し、例の物がまだ壊れていないことにハザンは内心でほくそ笑み、そっと手の中に握り込む。さすがに頑丈とメクフィスがいうだけのことはあったようだ。

 イリイス相手に手傷を追わせるのは至難の業。そもそも、手傷という意味でいうのならば不可能とさえいえる。


 だが、イリイスの使用する魔法を全てを知らないように、イリイスにとってもハザンの全てを知っているわけではない。寧ろ、そうした警戒があるからこそ、犯罪者同士が徒党を組むことができたのだろう。全てを知り尽くしたのならば寝首をかかれることは想像に難くない。


 相手を見た目通りの子供とは爪の先ほども思っていない。ハザンは純粋な魔法戦でいえば確実に勝てないことを理解していた。不死身ということを抜きにしても魔法に関しての造詣は卓越している。おそらくハザンが知らない魔法などいくつも使用することができるのだろう。


 その点、ハザンは相手が知らないだろうと思われる魔法の数は一つ二つ。しかし、それでよかった。

 一つでも相手が考え、予想すらできないものがあるだけで十分だ。

 魔法戦では相手が上、ハザンはそう評価し、それは正しい。しかし、殺し合いという観点でいえば自分に分があるとさえ感じていた。

 そう殺し合いならば……。



 イリイスが今立つ場所は意図してなのか、やはり油断ならないとハザンに思わせた。それでも警戒心を抱く程度ならば何も問題はない。


 本当の殺し合いを始めるためにハザンは自ら先手を打つ。

 二人に明確な差があるとすれば魔法戦と接近戦だ。速度重視のイリイスでは接近戦も遅れを取るかもしれない。それでもハザンに僅かでも分があるとすれば……いいや、こと彼に限っては戦闘に頭脳を持ち込む時点でズレているのだろう。


 結局どちらでも良いのかもしれない。ハザンはこうした相手を殺すために働かせる思考、この瞬間はまさに充足した気持ちにさせてくれるのだから。

 全速力で駆けるハザンはその巨体も然ることながらロキの【フォース】使用時にも匹敵する速さを見せた。



 無論、それでもイリイスは攻撃の流れを的確に読む。迎え撃つのではなく、まずは受け入れる。

 この手の戦いは何も初めてではない。


 真横に振るわれた、姿すら捉えられない刀身。遥か遠方の木々すらもその被害に晒される。

 それを身を屈めて回避したイリイスは相手の思考を読む。


 そもそもハザンが自分を相手に全力で戦うというリスクを考えられないほど木偶ではないことを彼女は知っていた。だからこそ、その狙いがなんであるのか――脳裏を不吉がよぎる。


 駆ける合間に刀身を翻し今度は袈裟斬りを繰り出す。その度に長大な風の斬撃が空気を割って走る。

 それも同様に最小限の回避行動で冷静に対処する。次なるハザンの出方を間近でつぶさに観察していた。

 微かにハザンの足が無意識にジリジリと寄ってきていることに不吉な予感はほぼ確信に近いものへとなり、イリイスは一先ず接近戦は避けるべきと後退する。


 ――【乱流封鎖ハイドロジェイル】。


 足止めの魔法は瞬時にハザンを水の牢獄に閉じ込める。アルスたちと遠距離戦を繰り広げた際、【空置型誘爆爆轟デトネーション】を防いだ魔法だ。

 これは本来、内外から出入りできる類の魔法ではない。巨大な水球体はその流れの速さと魔法による強化により、手を差し込もうものならば内部に引きずり込まれ、二度と空気を肺に入れることが叶わない。上下左右、抗うすべなく波に揉まれる。


 激流の川を球体として完結させた魔法。全てが球体として無限に循環・回転する。


 しかし、それもほんの僅かな間の時間稼ぎしかできず、それを承知の上でイリイスも発動させたのだ。今は距離を取る。それだけを目的に。


 イリイスは視線を己の作り出した水流の牢獄から視線を逸らさず、一足飛びに後ろに退く。だが、足が地面から離れた直後、イリイスにとって奇妙な違和感は現実となって己を襲う。

 突如、何かが身体を抜けていった。


「えっ……!」


 押されたような感覚だけが腰の辺りに走る。感覚がない代わりに修復しているという自覚だけがあった。そう今、自分の身体は復元されようとしていた。

 致命傷とはなりえなくとも相応する衝撃は小さな身体には大き過ぎた。自分の腹部に視線を下げたイリイスは何が起こったのか理解できない。


 パックリと横に裂かれた腹からは水面が覗き、血のように水が滴る。

 意識ははっきりとしているが、自分に何が起こったのか理解が追いつかない。視線は一瞬足りとも外していないのだ。


 十分な距離すら取れていないこの状況で【乱流封鎖ハイドロジェイル】から巨腕が抜け出たことで、イリイスは肝を冷やした。

 今の攻撃で、【乱流封鎖ハイドロジェイル】の構成が絶たれていたことに気づくのが遅れたのだ。


 そして足が地面から離れ着地するまでのなんと長い時間か。

 腕が伸び、ハザンの全身がのめり込むように抜け出たと同時に、【乱流封鎖ハイドロジェイル】は完全に霧散する。


「――!!」


 自分を殴ろうとするその拳に何か握られているのを見て、イリイスは対応を考えるよりも早く、腹部に向かって試験官の容器を乱暴に振るい、中身が撒かれる。


 その内の数滴が傷口に入り混合された。体内に何か、異質な液体が混じる感覚。塞がる腹部は何事もなかったかのように取り込んでいく。

 そして、即座に離脱するハザンは跳躍時に狡猾な笑みを口元に浮かべた。


「【術式再試行リトライ】」


 その魔法が現象として現れた時、イリイスは魔法を分析するまでもなく理解した。一瞬にして目の前に現れた長大な斬撃。肩口から斜めに入り腰の上を鋭い何かが抜けていった。

 そう、一撃目は真横、そして二撃目は……。

 ハザンはAWRを振り被ってすらいない。それどころか腰に戻していた。そのためイリイスを微かとはいえ警戒心が緩んだのだろう。いや、この一瞬では気の緩み程度で対応できたかは怪しい。


 つまり【術式再試行リトライ】はハザンが放った斬撃を構成するプログラムを全て複写し、即座に記憶。魔力の痕跡すら残さず、まったく同じ魔法の構成要素を遡及する。

 どちらもハザンが少し前に放った物……斬撃の座標や指向、威力、全てが酷似している。


 これは魔法というよりもAWRの性能に近い。だからこそ、魔力の痕跡を辿れず一撃目で気づけなかったのだ。プログラムによる複写は主に術者の技術以上にAWRが有する最適化という機能に則している。そういう意味でいえばまさに盲点であった。


 ハザンは小手先の技術など意に介さない強引が持ち味のような性格なのだから。


 だったら――。

 そう、対処は可能だ。


 しかし…………イリイスは胸に走った深い切り傷を修復することができず、焼印でも押されているような熱さと痛みが胸を中心に駆け巡り。


「カハッ!!!」


 目の前に吹き出るように溢れた液体は自分のものとは思えない鮮紅色であった。真水のように澄んだ液体ではなく、人が誰しも体内に巡らせているモノ――血だった。





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