仇討ち
生まれて初めて腸が煮えくり返るというのがどういうことなのかジャンは内心に見つけた。きっと善か悪かでいえば悪なのかもしれない。
隠しようもない憎悪は拳に全て拳に……。
表面上涼しげにジャンは口を開く。
「メクフィス、貴様がヒスピダさんを……」
「えぇ、実に哀れな最後でした。しかし、シグサムの手によって葬られたのですから、彼女はある意味妄執から解き放たれたのです」
「それをお前が言うな!!!」
「――!?」
全身の毛が逆立つような苛立ちの中でジャンは一瞬でヒスピダを模したメクフィス眼前まで移動――その侮蔑を孕んだ頬をあらん限りの力で殴り付けた。そこには純粋な怒りのみが乗せられた、ただの拳。
手から溢れた魔法書型AWRはメクフィスの周囲から離れようとせず、吹き飛ばされた後を追うように空中で浮遊する。
「懺悔を済ませておけ、ヒスピダさんの墓標に貴様の骸を以って報告しなければならないのだから」
見開かれた瞳はただ一つの怒りを湛えている。
「モード【八津原の剣】」
ジャンの手の中で【レイジボール】がその姿を一振りの剣へと姿を変えた。柄すらもシロガネ一色の大剣である。まるで芸術品のような造形美。
AWR【レイジボール】とは一形態に過ぎないのだ。この特殊な金属を発見した時はそれこそ初めから剣の姿をしていた。
【八津原の剣】こそが本来の姿である。
クククッと笑みを漏らし、立ち上がるメクフィスは口端に血を垂らしながら愉快な調子で告げた。
「これは驚きましたね。名ばかりの神殺しの宝剣ですか」
そんなものは実在せず、空想上の神話に登場する剣である。独特な刃文のデザインが酷似しているが、文献には数百年という途方もない過去、実際に使われたという一文もあるが、史実に基づいたとされる根拠は乏しい。というのも存在そのものの起源が神話を元にしているためだ。
曰く、人類を見放した悪神は人間に不可能ともいえる課題を与えたとされている。粛清という名の制裁である。それを打倒するために英雄と謳われた者によって悪神を八ツにバラしたと、捻じ曲がった神話である。
神の分身たる災厄が各地で八つ存在するとまで言われていた。現在ではその災厄の解釈は様々であるが、現在ではどれも人を戒めるための言葉として置き換えられている。
また、この神話で、人間の創造主である神を討つ行いを巡り議論は平行線ののち有耶無耶にされたままだ。これを機に性善説と性悪説の思想を二分する考えが浸透したと言われており、これが現在にあたる宗教的思想の根幹にあたるのだろう。
「そもそもメテオメタルが現在の技術で解明できないんだ。その身で確かめてみるといい」
両手で握った刀身の向きを変えたジャンは静かな憤怒を湛えて走り出す。
「これ以上私を苦しめないで欲しいものですね……【星八光】」
魔法書が一人でに捲れ、開かれたページの上に五指を触れさせて魔法名を告げた。周囲に八つの光球が浮かび上がり、不規則に浮遊する。まるで何かの記号でも描こうとしていような機械的な動作であった。
移動しピタリと止まった直後、一斉に光線が放たれる。
が、愚直にも直進してくるジャンは目にも留まらぬ速さで剣を連続させて振い――弾いた。
「――!!」
「ヒスピダさんならその選択はしない」
連続する光線の全てを弾く【八津原の剣】はその名に恥じないものであった。それどころか。
――これでは、そのものの性能!!
内心で驚愕の声を吐いたメクフィスは即座に障壁を張る。幸いにもヒスピダという魔法師の魔法書は攻性魔法以上に防衛時の魔法のほうが多いのだ。その中でも高位のものを選ぶ、が。
「それも――!」
構築と同時に切り裂かれる障壁に。
「ヒスピダさんなら選択はしない!!」
「私を斬るのジャン?」
一瞬の隙に見せるヒスピダの懇願はジャンの怒りを逆撫でするものであった。微塵の躊躇いもなく振り上げた刀身が今度は翻ってメクフィスの胸を斬り裂いた。
「グッ!!! 容赦な、い――!!!」
胸に深く刻まれた傷から溢れ出す鮮血。その瞬間メクフィスは素体が漏れる感覚と同時に何かが近づいている感覚を同時に抱く。失くしたものが見つかりそうな……。
しかし、そんな一秒分の一にも満たない間は現実の危機感だけをその瞳に映していた。
振り抜いたジャンは片手を柄から放し、メクフィスの眼前に手を翳していた。そこに集中する魔力と【八津原の剣】の刀身に浮かび上がる魔法式。
形状を記憶する特殊合金であるAWRは魔法式そのものを記憶し即座に反映させる。
「【獄炎】」
掌から爆発的に燃え盛る炎が吹き出る。竜の炎とさえ言われるその火勢は電撃を纏い、一方向に容赦なく炎の波を噴出させた。放射状に走る圧倒的火勢は一帯を燃やし尽くす。
二系統を複合させた魔法の中で黒いシルエットのみがもがき苦しむ。
「ハギャアアアアアアァァァァ……」
醜い奇声がヒスピダの声で轟く。肢体に纏わりつく炎が余すこと無く肉を焼いていく。業火に晒されたメクフィスは逃げ場を求めることなく全身を炭のような赤黒いものへと変えた。
僅か数秒後に振り下ろされたジャンの腕は魔法が終わったことを意味するものだ。
「ハ、ッガッガ……」
辛うじて立ったままのメクフィスにジャンは何一つ感じるものがなかった。強いて挙げるとすればまだ死んでいなくてよかったという類の安堵。
焼かれて剥き出しになった眼球は顔ごと空を仰ぎ見ている。まるで身体の内から昇る煙を吐き出すように、口から伸びる黒煙。
ギョロギョロと眼球が動くようにその目は引っ張られるように下へと向き、ジャンを捉える。
すでにヒスピダとしての原型は止めていないが、それはそれで無残な姿を見せる――何より酷くジャンを駆り立てるものであった。
「これ以上、ヒスピダさんを穢すな――」
剣を構えたのと同時にメクフィスの身体が水膨れのように膨れ上がり、すぐに全身に吸収されていくと、今度はアルスの姿へと変化していた。
これまでの傷は綺麗サッパリなくなっている。
そして未だ変わらぬ微笑で。
「ご安心ください。あれだけ酷い有様にされたのです。彼女という存在を形作れるだけの情報を失ったも等しい。余興としては十分面白いものでした」
「今度はアルスか、貴様は二番煎じが好きなようだ」
あれだけの攻撃を受けてもメクフィスという本体は無傷のまま。
ジャンは彼を倒す術を模索し続けていた。感情論でいえば一つ達成したといえるのかもしれない。だからこそ、分析し、仮説を立てる。
まるっきり不死身というわけではないのだろう。メクフィスは情報を失ったと言っていた。
「では、第2ラウンドといきましょう」
最強魔法師の力をその手にクイッと曲げる。膨大な魔法会得数。メクフィスの記憶量内でも最大級の魔法会得数だ。
ヒスピダとは違い、アルスの身体は身体能力まで突出している。
やはり極上の素体だ。
メクフィスの顔が高揚に歪むのをジャンは冷ややかに見つめていた。