抉る悪意
突拍子もなく発したハザンの言葉。【親が死んでいる】という今更な問いをロキは反射的に想起させて黙殺した。今更後悔もなければ思うところもない、だが、ズキリと胸が反応を示すのはやはり良いことばかりではなかったからだろう。
なんの意図があるのか――いや、あの表情から意図を探し出すことは難しいのかもしれない。ハザンの顔からは単なる興味本位と嗜虐的好奇心しか読み取れないのだから。
「あの小僧といい、お前らのようなガキがこれだけの戦闘能力を持っているのはつまるところそれしかない、という話なんだが」
「それがどうした!!」
気丈を装うロキは鋭い視線をぶつける。相手が無駄に時間を割くというのならばロキは彼の魔法を打開する術を探す猶予に当てればいい。
だが、それをどう読み取ったのか、ハザンの頬が僅かに持ち上がった。
「魔物に食われたか、俺のような悪党に殺されたか、ハハッどうでもいいことだが。お前やアルス・レーギンのような強者が現れるのはこの世界が正しくあろうとしているからだ。俺はお前らがどうしてこちら側にいないのかが気になっただけだ」
一呼吸吐くとハザンはロキに親近感を抱いたように話し始める。彼は少しだけ興味が出たのだ、親を失くす子供が幼き頃より戦闘訓練を受けてどうして真っ当でいられるのか。それほどの力に浴しないのか。
「俺は自分の力を自覚した時、ふとしたことで親を殺した。あの時の感触は永遠に忘れないだろうよ…………実に気持ちよかったからな」
「イカれてる……」
「つれねぇな、おい。人間には二種類しか存在しないんだぜ。殺す人間と殺される人間、強者と弱者しかいない。生殺与奪は強者の特権だろ。死ねば弱者、生きれば強者、実に単純で明快だ」
「人殺しが何をわかったつもりでいるッ! 今の平和は魔法師の命と今を生きる人々が作り上げたもの。何よりもアルス様が尽力なされたからに他ならない」
罵声をもって否定するロキに、フンッとこの世の真理でも悟ったような顔でハザンは続ける。
「歪な平和に価値などない。あのアルス・レーギンもこれに漏れないんだぜ。人間を殺したかどうかなんて一目瞭然だ。染み付いた死臭と罪は落ちないからな。その点で言えば俺もあいつも何も違わない」
「ふざけるなっ!! お前がアルス様と同じなどあるわけがない」
手で自分の視界を覆ったハザンは腹の底から笑い声を漏らした。閉ざされた翳りの中でハザンの口角が卑しく歪み「見つけた」と内心で静かにほくそ笑んだ。
これを見つけなければハザンの嗜虐心を擽ることは適わないだろう。本心や本質、根底にある存在そのものと密接に結びつく【縁】を。
「ククククッ、ハッハッハ。わかってねぇな……人を殺したらそれは人殺しだ。そこに違いなんてあると思うなよ。この世界はいつだって正しいが、そこで生きる者も必ず正しいとは限らない。それだけの話だ。では屑が決めたルールから逸脱した場合、それをなんて言うか知ってるか?」
「…………」
考える必要などロキにはない。いかにして戦略を組み立てるかに思考を割くべきなのだから。しかし、ハザンの言葉はアルスという彼女の中で最上位に位置する存在を標的にしている。すべきことの優先順位とは別に脳が余計な思考を開始するのは避けられなかった。
返答などまるで必要がないというようにハザンは解答を口にした。ねっとりと発せられる言葉に口が動く、笑いを堪えるような表情から紡がれた台詞は現実で、事実だけを告げている。
「【犯罪者】だ。そこに違いなんかない。お前らが命を賭けても内側の奴は何も変わらない。何も考えずにのうのうと生を謳歌しているわけだ。そして掌を返したように口を揃えてこう言うんだぜ【人殺し】ってな」
「だまれッ!!!!」
抑えなどきくはずがない。戯言だと聞き逃すことは到底できない罵倒。何よりも相手が自分を動揺させる狙いがあるのだということは揺れ動く心が嫌でもロキに理解させていた。それでも彼女の中で相手の理屈を否定できない自分がいた。
たった一言「違う」と言うことができない。
それは彼女が知っているからだ。今のアルスの現状はまさにその言葉を如実に物語っていた。彼が正しいことを彼女は知っているが、何も知らない大勢は彼を追い詰めていく。自己で判断せず、言われるがままに周囲の流れに乗る。それは大波となって善悪を歪めてしまう。そこに大義名分の価値はいかほどもないのだろう。
だからこそ、ロキは感情に任せてハザンの口を閉ざす行動に出た。
静電気のような一瞬の瞬き。なりふり構わず、感情のままにロキは全力でハザンの排除を強行した。
バチバチと彼女の憤りを現したように猛り狂う電撃が空気を焼き、身体能力を極限まで引き上げる。
背後まで移動する速度はハザンに一言も喋らせない。
が――。
「死角だろ?」
「――ッ!?」
たった一歩、出だしは遥かに遅れているが、反転するのに時間など掛かるはずもない。裏を取ったと思ったロキの目の前には、撒餌に釣られた獲物が掛かったと言わんばかりの害意しか映さない表情。
彼女の癖を見抜いていた。定石として相手の死角からの攻撃は有効な手段だ。神速を実現してもロキの戦闘スタイルは何も変わらない。
それをたかだか数回の手合せで見抜いたハザンは【フォース】使用時のロキの速度を容易く予測してきた。
【月華】を振り上げたロキはすでに魔法を発現する直前までプロセスを終えている。それでもこの攻撃がハザンの【暴波の装甲】を打開する手段であると断言できないままだ。
「【大轟雷】……」
――!! 自分の身体が何かに押されたような違和感をロキは感じる。脇腹に軽く添えられた掌。
固くなった皮膚が――殴りつけた回数すら想像できない手がロキの脇腹を押していた。殴るのではなく、薙ぎ払うのでもなくただ優しく沿えられている。
故に、ロキの身体は最大限の危険を全神経に走らせた。
彼女の中には己の軽率な失態と同時に悲しいまでの怒りが渦巻いていた。許せないのはハザンがアルスを貶めたからだけではない。彼の言葉の正しさをどこかで理解してしまったのが自分だからだ。
何よりアルスがそれを自覚している。それが苦しいのだ。何故ならば自分だけは彼の味方であると誓ったのだから。
――だから。
「【大轟雷】!!」
「ハンッ、掻き回せ【壊渦流】」
振り下ろされた【月華】の刃先が卑しく歪むハザンの頬に入り込む。続いて、天の雷が寒空の空気を焦がし振り下ろされた。
世界が白く覆われた――。
「ウッ――!!」
急激な寒気と痺れ、下腹部で何かが蠢いたような感覚の直後、逆流してくる――何か。
ドバッ――大量の真っ赤な液体がロキの口から吐き出された。
落雷の衝撃はハザンの【暴波の装甲】と衝突し、爆発的な風が容赦なくロキを吹き飛ばす。
頭から落ちなかったのはただの偶然に過ぎないのだろう。四肢の感覚は無く、全身を打ったような圧迫感が襲っているのだから。
バタバタと転がる身体は減速させるための抵抗すらさせてもらえず、容赦なく地面を何度も叩きつけてくる。
ロキは意識だけは手放さず、必死に食らいついた。痛みも思考も自覚させるだけの余裕はなく景色だけが回っていた。
身体がバラバラになるかというほど転がり止まったと同時に、今度は自身の身体に何が起きたのか……それを訴える痛みのみが駆け巡った。
「ああああああぁぁぁぁ!!!! う、っく……」
地面をのたうつロキは腹を抱えて蹲った。直後、お腹に回された手が口元を押さえつける。熱く、ドロッとしたものが込み上げてきたのだ。飲み下すことができない勢いに口を抑えた手の隙間から血が溢れ出す。
地面を濡らす音はひどく生々しい死を予兆させた。
呼吸ができない――息継ぎする暇すらなく血が抜けていく。ただただ自分を構成する血液が口の中を熱くする。
「味はどうだ? 内臓をかき回された気分は……すぐに死ねないのがミソなんだぜ」
焼けた匂いを纏わらせたハザンの頬にたらりと流れ落ちる血を気にも留めず進み出た。
得意げに観察する視線はまさに彼がこの瞬間を望んでいたがためであろう。
「俺とやるのはあと十年早かったな。だが、結果は覆らない。後何十年経とうとこの差は埋まらないからな。だからお前が今、死ぬのは仕方がないことだ。俺のほうが強くてお前のほうが弱い。それだけが正しいあり方だ」
裂かれた頬の傷が開きそうになるのをハザンは堪えた。血が出ようが構わないが、ここで気の向くままに行動してしまえば予想に反して楽しみが終わってしまう。