恣意な不穏
さっきから一年生の動きがどこか不自然だった。
もう少し戦闘を避けてもよさそうだとロキは思っていたのだ。いくらなんでも戦闘が頻発し過ぎている。
そんな予感を裏付けるように。
「11・46・50番グループエリア外に出た」
そして反対側でも。
「37番グループ離れたぞ」
「何故だ!!」
教師の一人が急いでコンセンサーを耳に付けた。
「応答を願う。そこはエリア外だ、すぐに戻りなさい!」
それをロキも含めた教師達が静かに見守る。
「聞いているのか」
『…………』
応答はなく、すぐに途絶えた事を知らせるノイズが走る。
ロキは少しの間を置く。現状の増援部隊の数では足らないのだ。現状の増援部隊では数的に追いつけない。その間ももう一グループが大きくルートを外れる。
「モニタリングを維持してください」
「しかし……」
当然の困惑をロキは制した。
「大丈夫です」
ロキはうんざりとした気持ちに暗雲が掛かるのがわかった。勝手気ままな行動であるのは明白だ。
自分の力を過信し過ぎているのか、理由はわからないが一環して魔物を探すような節があった。
ロキは自分の失態であるかのようにコンセンサーに向かって重たくなった口を開く。
「申し訳ありません。5グループがエリア外に向かいました。こちらでは……」
言い終わる前に返答は返ってきた。
『やっぱりか……』
「――――! 気付いておられたのですか!?」
『予感だけどな』
通信の向こうで何かが倒れる地響きが鳴る。
『気にするな、俺が向かう』
「お手を煩わせます」
『心当たりがあるから、エリアギリギリに増援を一隊ずつ向かわせておいてくれ』
「わかりました。座標は…………」
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
アルスは通信を終えると同時に鎖を引く。
周囲には崩れ去った黒い灰のようなものが大量に舞っていた。
アルスは向かう前に視野を広げて確認する。
空間干渉魔法を駆使して1km圏内に強そうな魔物がいないか探っていたのだ。
アルスの脳内では把握した空間を立体的に投影することが出来る。それはオブジェクトとして複写されるため、魔物の大きさや形状を正確に把握できる一方で、ロキのように魔力での判別が効かないため正確なレート判別ができないのだ。
大凡の勘、経験から推測するしかなかった。それでも大きく外したことはない。
周囲はレートに関係なく魔物自体の反応がほとんどないことを確認すると目を開く。
「一番近いのはこいつらか」
確認するとすぐに向かった。
神速と形容しても過大表現ですらないだろう。
妨げとなるはずの木々すらアルスを阻むことはできない。それすらも足場に飛ぶように疾駆する。
近いグループまでの距離は優に2kmを超えたが、アルスがそこに着いたのは三分と掛からなかった。
いきなり目の前にマスクを付けた人物が現れれば警戒するのが当然だ。
「誰だ貴様!」
声を上げたのは先頭を歩いていた男だ。こげ茶の短髪は整えられ、右手には見るからに高価そうな装飾の施された剣。
「本部より派遣された増援部隊だ」
「ちっ――! もう気付かれたか」
舌打ちをして、剣を肩に担ぐ。
「エリア外に出ましたのですぐに戻ってください」
「悪いな、俺らはこのまま進ませてもらう。エリア外に出てはいけないなんて決まりはなかったはずだが」
アルスは訝しげに問う。
「あなたは監督者ですよね」
「そうだが」
グループとしての機能はとうに失われていた。監督者が率先して魔物を狩り、それに付き合わせているのだ。本来ならば一年生を補佐するための監督者が率先して仕切り出していた。この実戦訓練の意義を根底から覆す所業だ。
理事長室に詰めかけた上級生一派に違いないだろうとアルスは物憂げに推察した。
後ろの一年生は怯えたように周囲に視線を彷徨わせている。
その内の男子生徒が弱々しく賛同を口にした。
「先輩、あの人の言う通りにしましょう」
「うるせぇ、指図すんじゃねぇ!! お前らだって順位を上げたいだろ? だったら従え!」
キリッと怒声を上げた。男子生徒はビクッと縮こまると口を閉ざしてしまう。
「そういうことですか」
「あん? ――――――かはっ!!」
振り向いた監督者の鳩尾にアルスは容赦なく膝を打ち込んだ。
一瞬で昏倒させる。
そのまま服の襟を掴んでぞんざいに引きずった。
「まともな奴がいないな……」
吐き捨てるように一瞥するとマスクに覆われた顔をグループに向ける。
「お前らは一旦エリア内に行け、西に真っ直ぐ行けば本部まで着くことができる」
唖然とした光景だったが、すぐに首肯が返ってきた。
「ありがとうございます」
「こいつは俺が連れていくぞ。俺の後に沿えば魔物とも遭遇はしないだろう」
「わ、わかりました」
アルスは一直線に西に向かって駆けた。
男を担ぎながら目に付く魔物を一瞬で屠って進む。ナイフ――ではない実体の刀身から魔力が刀のように魔力刀を形作っている。
エリア内までは数百メートルで着く距離だ。
一分もせずに到着すると二人の増援部隊が待機していた。
やはりマスク姿では警戒するのだろう。
二人ともAWRを構えるがアルスが声を発すると魔物でないことをわかってもらえたようだ。
「俺はすぐ次に向かうから、こいつはお前等が本部まで連れて行ってくれ。邪魔になったら捨てても構わんからな」
「えっ――!」
こいつの所業を彼等は知らないが、アルスは道中何度か捨てようかと思ったぐらいだ。
「46番グループ完遂。やはり監督者に問題があるようだ」
『そうでしたか……』
「ロキ、増援部隊から適当に監督者を当たらせろ」
『わかりました……ですが、増援部隊にも何名か連絡が途絶えた者がいます』
「ちっ! それでも監督者は必要だ多少の無理はするしかない」
『畏まりました』
そしてアルスは四組目のグループを引き返させた。その全てが困ったことに上級生が独断でグループを乗っ取ったのが原因だ。
二組目からは話すら聞かずに昏倒させた。その都度事故に見せかけようかと本気で思ったぐらいだ。
現在時刻は太陽の位置から昼を過ぎてだいぶ経つ。
予定では課外授業の終わりはそろそろの筈だ。
生徒達は開始地点に引き返すか、本部に集まる手はずになっている。
その後は授業の六限目である夕方まで希望者のみが続けることが出来る仕様になっているはずだ。
アルスは最後の一組に向かって走り出した。
大きくエリアから外れて離れるように直進するグループは奥へ奥へと進んでいる。
その辺りはアルスとロキが早朝に殲滅した箇所からも離れていた。つまり、Aレート以上はいないまでも探知に引っ掛かりづらいB・Cレートが紛れていてもおかしくはなかった。
『件の11番グループより救援要請です』
「向かっている」
アルスはさらに速度を上げた。ローブが靡き、閃光のごとき疾走は魔物すら置き去りにする。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「カブソル先輩、これ以上はエリア外に出ます」
「いいから付いてこい!!」
テスフィア達は初戦以降三体の魔物を討伐していた。
その都度カブソル三年生が悪態ともつかない指摘をグチグチと繰り返したため、頭にきたテスフィアが「なら、お手本を見せてください」と言ったのがことの始まりだった。
Fレートを弄るように倒すと豹変したように魔物を探し始めたのだ。
エリア外に出てからはしばらく魔物との遭遇はなかった。
「早く……早く出てこい。ぶっ殺してやる」
憑かれたように血眼になるカブソルにテスフィアのグループは危機感を感じていたが、この上級生をそのままにしては行けなかったのだ。その行為にテスフィアが何を思ったのかはわからないが、貴族としての、順位としての責のように感じたのかもしれない。
見捨てる行為が背信的に思わせたのだろう。
「これで俺も三桁だ。たかだか一年のフェーヴェル家に後れなんぞとらん」
独り言をぶつぶつと呪詛のように唱えるカブソルは妄執に取り憑かれたように剣型のAWRで遮る枝を切り落としていった。
貴族としてカブソルのデンベル家とは交流こそなかったが、親同士が近しい役職のためにデンベル家当主は何かと比較の矢面にテスフィアの名を口にしていたのだ。
それが重責となってカブソルを追い詰めていた。元々敵対心を持っていたカブソルはテスフィアが入学し、自分とほぼ同じ順位に憤りを感じていたのだ。
それをテスフィアが知ることは終ぞなかったが。
そして順位を大きく上げる場として課外授業と題した実戦はこれ以上ない好機だった。
実戦経験はなかったが、生意気なフェーヴェルの息女が目の前で魔物を屠り、見栄から自分で狩った。狩れたことで箍が外れた。
「なんか変じゃない?」
メンバーの女生徒がぽつりと怪訝そうに溢す。その顔は得も言えない恐怖に引き攣っていた。
それはカブソルが、ではなくエリア外だというのに魔物との遭遇がないことにだ。
不安がその一言で連鎖した。
「確かに……」
テスフィアも違和感のようなものを感じていた。気配みたいなものはなんとなく感じる。だからすぐに遭遇してカブソルも満足して本来のルートに戻れるはずだったのだ。
そして六人はカブソルの先導のもと、開けた湖に出た。
湖という程には広くなく深くもなさそうだった。ただ幻想的、神秘的な光景がそう認識させたのだ。
実際は深くてもテスフィアの身長程だろう。それも透き通る水は底を克明に映し出していた。
周りには背の高い巨木が乱立し、背の低いものは排除されたように何もない。上空から注ぐ木漏れ日がいくつも光の柱を作っている。
見惚れたのもほんの一瞬――――それは頭上で音をたてた。
全員が一斉に視線を上げるのは自然なことだった。
正面の荘厳な巨木、樹齢はわからなかったが、間違いなく無数にある樹木の中で一番古い。
その天辺……円周が20m近い幹から逆さに蜘蛛のような魔物が獰猛に俯瞰していた。
「――――!!」
「なに……あれ……」
女生徒が操り人形のように指差す。
「あ……あんなのどう……やって……」
「無理無理無理……こ、殺される」
「わあぁぁぁぁぁ!!!」
メンバーは腰の抜けた女生徒を見向きもせずに踵を返した。
振り向きもせず脱兎の如く駆ける。転びそうになっても遮二無二肢体を動かしていた。
「――――――!!!!」
「なんで! …………なんでいるんだよぉぉぉ」
悲壮の声音は疑問より悲観に呉れていた。
逃走を図ったはずのメンバーが叫び、テスフィアも振り返る。
「どうして……!」
その問いに対して答えを持つ者はいない。テスフィア自身考えての言葉ではなかった。
そこには草陰から数多の魔物がぞろぞろと姿を現していた。その身形は様々、統一性がなかったが、それによって退路は断たれ、囲まれてしまったのだ。
この現状から結果は出ていたが、考えずにはいられなかった。
テスフィア達のグループは誘い込まれたのだ。
絶望的な状況、レート判別の知識は代表とされる一般的な魔物に対してのみしかなかったが、正面の蜘蛛のような魔物はどう見てもBレートはあった。Aはいないということなのでその中での最高レート。
周りを囲む魔物は蜘蛛と比べれば低いのだろう。それでもテスフィア達が倒した魔物よりは高いはずだ。
地響きが鳴った。蜘蛛の魔物が巨木から飛び降りたのだ。全長は8mほどもあり、テスフィアの刀がちゃちに見えてしまうほどの質量と圧力を感じる。足は何本あるのかもわからなかった。それも一つ一つが違い、取って付けたようにも見える。頭も顔なのか判別が付かなかった。
いや、顔で間違いない。
無数にあった紅い複眼、その下にのっぺりとした黒い外皮だと思っていた所が糸を引くように開いたのだ。口であるのは一目でわかる。
そこから見えるどす黒い歯に尖りは見られない。磨り潰すために平らになった歯だった。
それが生きる気力を根こそぎ奪い去っていく。
「嘘だ嘘だ……俺はこんな所で死ぬわけにはいかないんだ」
カタカタと震える手で剣を構えるカブソル。
その手から魔力が流れ、今日三度目の魔法が放たれた。
「【火球弾】」
剣の先端を振り下ろすと同時に火球が数発、蜘蛛の魔物目掛けて放たれる。中位級に属する火球同時発動の魔法は燃焼しながら走る。
しかし、蜘蛛の魔物は避けるでもなくただ口を獰猛に開けただけだった。
爆発のような火球の衝突は魔物に対して無意味に終わった。僅かな煙は外皮に焦げ目を付けただけだ。そもそもあの巨体にカブソルの放った火球では圧倒的に火力不足だった。
「ひっ――!!」
効かないと見るやカブソルは腰砕けに尻餅を付く。その手からはAWRがこぼれ、代わりに頭を抱える。
テスフィアとて今のバー二ングショットと同等ぐらいの魔法しか使えなかった。魔法で言えばアイシクル・ソードが上回るが、威力的には大差ない。それどころか、この状況では使用できるだけの時間があるのかわからない。
何かしようものならば今にも襲い掛かってきてもおかしくないのだ。
だからこれが本当の絶望であるとグループのメンバーは理解していた。
「もうダメだ……」
恐怖の涙は戦う気力を失った証左。
膝を突き、魔物の歓喜の叫びに耳を傾けたのだ。
「まだ、まだ可能性はあるわ。あきらめないで」
鼓舞するための言葉のなんと弱々しいことか。自身でも絶望的な状況だとわかってしまったのだから。
「どうやって?」
そんな問いはテスフィアを責めるように紡がれた。当然打開案など思い浮かぶはずはない。自分らの力ではBレートなど倒すことはできないのだから。手持ちの魔法を見ても明らかだ。
わかっていても匙を投げることはできない。
「それは……でもこのまま諦めれば確実に死ぬのよ」
じりじりと魔物が距離を詰める。いつ襲ってきてもおかしくない状況はまともな思考を妨げる。一刻の猶予もないのに思い浮かぶのは諦めないことだけだった。
「そうだ!!」
テスフィアは思い出したようにカブソルの下へ駆け寄って強引にポケットを弄った。開始直前に理事長が監督者に救難信号を出せるようにしていると言っていたからだ。
「あった!!」
鉱石のような丸いそれに魔力を流し込む。
するとすぐに白く明滅する。
きっとこれで助けが来てくれる……はず。
「すぐに助けが来るわ、それまで……」
その言葉に耳を傾ける者はいなかった。
この状況で時間を稼げるはずがない。誰でもわかることだった、後数秒というならばまだしも現在地は本部からだいぶ離れているのは誰もが知っている。
絶望的な状況に変わりはない。
すでに恐怖に屈した後だ。テスフィア以外はAWRすら手放していた。
テスフィアはカブソルの前まで戻るとその胸倉を掴んだ。
「監督者なら手を貸しなさいよ!!」
その眼は涙で潤み、恐怖に見開かれた瞳孔はテスフィアを映してしない。
下を見るとカブソルのズボンは濡れそぼっていた。
「…………! どうしてよ、あんたがここまで……連れてきさえしなければ……」
歯を食いしばり、テスフィアの目に薄らと滴が浮かぶ。
テスフィアは震えて立つこともできないメンバーを引きずって一か所に集めた。その中には気を失っている者もいる。
「いいわ。私は最後まで足掻いてみせる」
涙は擦っても擦っても絶えなかった。
もう擦るのはやめた、顔を上げて刀に魔力を流し、構える。
漂白されたテスフィアの心は生きることだけを訴えていた。そこには勝算の有無は介在しない。
だからこそ魔力は、魔法はそれに応えた。
蜘蛛の魔物は動く様子はなく、ただ嘲笑うように不気味な声で鳴き、巨大な腹を上下に揺らす。
それならばとテスフィアは目に付く魔物に向かって駆けた。見えるだけでもC・Dレートの魔物が数十はいた。それでも何もせずに死を受け入れることだけは出来なかった。
「ハアァァァァァァァ!!」
地面を凍りつかせて魔物の足を止める。しかし、それもほんの僅かな間だけだった。Cレートでは足を引っ掛けたとでも言うようにあっさりと氷を砕けさせた。
テスフィアは一瞬の狼狽も見せなかった。わかっていたわけではない。そもそも今の彼女には戦術を組み立てるだけの余裕がなかったのだから。
この絶望的な状況の中で無我夢中に抗うことしかできなかっただけ。
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