試される策謀
まさか自分がこれほど動けるとは微塵も思っていなかっただろう。それでもこれ以上の争いはまったくの意味をなさない。そのため、一度始まった戦闘に終止符を打つのはやはり自分しかいないと判断したからだ。
首元で止まる眩い光の剣を見て、ベリックは冷や汗を流した。自ら身体を張ってでも止めに入ったが、よもやこの歳にしてこのような場面に出くわすことがあろうとは思いもしなかった。
「これ以上は不要と思うが? 我らは目標を達成した。後は好きにするといい」
「…………」
ヴァジェットは光剣を魔力残滓へと還らせると地面に突き刺さった光剣も次々に霧散していく。戦意を視線とともに切って彼は一度ベリックに目を向けた。仮にこの場で両者の勝敗を考えるとするならばアルファはリンネの離脱、そしてヴァジェットはその捕縛、もしくは拘束にあった。少なくとも自ら発した通り全員をこの場に留まらせることが彼の達成目標だ。
それが適わなくなった現在においてこれ以上の戦闘は不要であり、降参の宣言を受けてなお戦うことを彼の剣士としての矜持が許さない。
そして背後で斬られたはずの隊員たちのうめき声が聞こえる。
彼は最初から誰一人殺めるつもりはなかったのだ。
すでにリンネが離脱してから十分な時間が経っていた。これ以上は人類の損失が大き過ぎるだろう。
ヴァジェットもそのつもりだったはずだ。さすがに隊員たちも無傷とは言い難いがどれを見ても重傷者はいない。
もちろん、レティとの戦闘ではさすがのヴァジェットも確実に手を抜く自信はなかったはずだ。
そしてベリックが止めたのは何もリンネが離脱したからだけではなく。
「やはりおっ始めたか。お前の忠義はわからんでもないが、一戦交えるのは悪い癖だぞ」
懸念していたのだろうか、そんな苦笑混じりの声が耳朶に届く。彼の剣士としての血がそうさせるのか、一度手合わせをすることでその覚悟や心情を探ろうとする不器用な人間でもあった。それ故に彼が下した判断は決して覆さない。余談だが、ヴァジェットは姿を見せたハオルグとも一度手合わせをしたことがある。
だが、それは独断の判断であって何においても優先されるものではない。
背後から逞しい馬に跨ったハオルグはすぐさま部下に指示を出す。元首の護衛だろう一際只ならぬ雰囲気を纏った魔法師が同じように馬を並べる。どこか規則正しく聞こえる蹄の音が止み。轡を並べ、そこから抜け出たのは見るからに治癒魔法師と見分けが付く、法衣を纏った連中だった。
「奇しくも予想通りとなりおった。それでもアルファが動くとは本気で信じておらなかったな」
分厚いマントを翻してハオルグは角ばった頬を持ち上げてみせる。
ヴァジェットがハオルグにリンネの離脱を告げると険しく表情を変化させた。彼の中ではある意味で確信めいたようだ。
この時ヴァジェットは手合せの手応えを織り交ぜる。決して希望や確証の乏しい行動原理でないこと、そこにはある種の命の重みが覚悟として乗っていたのだ
それを受けてハオルグが唸るように顎を擦る。
そんな一縷の望みを伺わせる表情にベリックは淡い期待を抱いてしまうが、所詮淡いものは淡く儚いものであって、期待とは限りなく不可能な中の細い糸なのだから随分と情けない話だ。
だからこそ、ここは予想通りというほかないのだろう。
「これよりアルファの指揮権を一時凍結し、イベリスが代行する。なぁに、出動前までだ。好き勝手動かれたのでは人類の足並みが揃わん」
ハオルグとはそういう男だ。目先の善悪ではなく、後々の遺恨を見据えている。それは各国が手を取り合うという本来あるべき姿。
それを乱すアルファを諌めるのは分裂しないため、彼にとっては至極当然のことだった。
それでもハオルグは聞いていないとばかりにリンネを捕縛する追手を向かわせることをしなかった。それは彼なりの配慮……懸念をそのままにしておくことができなかったのだろう――クラマという存在を。
何よりも。
「我らが動き出すのは全てが終わってから。悪く思うな、すでに抹殺は始まっている」
「「――!!」」
そうアルファに伝えられた作戦実行時刻は偽りであり、イベリスがこの場にきていることからもすでにクラマは動き出していたのだ。
それでベリックやシセルニアにできることは見守ることのみとなった。最悪ではない。まだ反撃の狼煙は大火の前に燻っているのだから。
そのために薪を焚べる準備は終えている。後は火を覗かせるか、そのまま鎮火してしまうかのどちらかだった。
◇ ◇ ◇
誰よりも、誰よりも何かができるのではないかと、考えていた。
こうして全身を汚しても気にもならない。
遥か遠方まで来て、隠れ潜むフェリネラの視線は1km先にある工場跡地とされる区画に向いていた。それもすでに場所を移しながらまる一日になろうかというころ。
比較的麓に近いこの場所はハイドランジ国内における最大標高を有するアンデル山脈を背にしている。彼女は土気色のローブで全身を覆い視線を先に向けている。が、その意識は耳元に向けられていた。
通信する手段は魔法やコンデンサーなどの機器が通常用いられるが、今回は慎重に慎重を重ねて遣いによる伝達手段を用いている。というのもそもそもアルファ軍は現在通信による回線を他国と共有している。などと言えば聞こえはいいが、実際はアルファのみ開示を求められているのだ。
故に秘匿回線であろうと用いることは危険と判断したのだ。完全に現場の判断が優先される状況にあった。
ヴィザイストが率いる諜報部隊の末席にフェリネラも加えられているが、これは半ば強引に頼み込んだために勝ち取った戦果である。しかし、本来隊長であるヴィザイストの負傷によるその活動における行動に制限があるため、フェリネラが加わり穴を埋めている。と、正当な理由もあるのだ。
「ありがとうフィア」
葉擦れの音に重ねるようにそう小声で返したフェリネラは通話を切る。さすがにここでの連絡は厳禁なのだが、相手がテスフィアであれば数秒程度は許せるだろう。
そもそも現在諜報部隊は本部との連絡を途絶えさせているため、事前の情報しか得ていない。そのため事態の推移がまったく掴めていないのだ。
だからこそ、収穫ある情報にフェリネラは感謝を告げた。
隣にいるヴィザイストに頷いて見せるフェリネラ。彼女が同行するにあたりヴィザイストから離れないという条件が課されている。
が、それよりも二人はアジトと目される工場跡地に明らかに見慣れない人物を発見したことでその判断に手を拱いていた。
ヴィザイストはジェスチャーを全隊員に示し、影に溶け込むように後退する。
「予想以上にまずいな、というかアルファはあんなのを懐に抱え込んでいたのか」
「隊長、それはモルウェールドやウームリュイナ家に問題があったのでは」
渋い顔をするヴィザイストに冷静にフェリネラが疑問を提示する。それでも、
「その通りだが、こうなって軍が動くことになるのならばそうも言っておれん。俺もどこかでくたばったと思っていたが、まさか【狩人】が一員だったとはな」
最も気になることはアジトに何人いてその戦力がどれほどなのかということ。
そして……フェリネラは気にかかっていたことを告げた。それは全隊員も肌で感じていることだった。
「隊長、【狩人】は……」
「あぁ、気づいているな。こちらの出方を伺っているのか……いずれにしても俺らの任務は変わらない、が」
懸念があるとすればやはりベリックだ。すでに元首と総督の両名が緊急招集されてから日を跨いでいた。連絡があるとすればとうに何かしらのアクションが起こってもおかしくない頃合いだ。
何よりもヴィザイストはコンタクトは取っていないが、背後に聳えるアンデルのどこかで潜んでいるテレサの部隊の監視も含まれていた。いや、これに関しては直接的な命令を受けてはいない。
それでも個人的に見過ごすことなどできなかったのだ。
不吉な予感だけが、過るのはアルファ自体の置かれている状況が芳しくないからだろう。
何にせよ、やっと見つけた【クラマ】の本拠地。ここに張り付いてまだ数日しか経っていないが、確認できた幹部と思しき人物が出入りした者はいないのだ。
すでに出払った後なのか。
そしてヴィザイストは個人としてのタイムリミットが近いことに焦りを感じていた。ベリックの右腕として活動してきたヴィザイストの存在は周知とされている。彼の活動内容については表向き部隊長とされているが、諜報活動を専門に扱っていることは知られていない。
「相手が動かないならば…………よし、一旦登るぞ」
数人を残し、ヴィザイストは背後に聳える山に視線を移す。そこにいるのは潜伏を許されない存在であり、アルファに残された最後の戦力だった。