永劫の罪過の先へ
そして彼女は急ぐように両手に引かれる10本のラインを巧みに操り、指を動かし、腕を振るう。
舞っているようにも見える姿だが、画面は目まぐるしく切り替わっていた。
「ハァァ、ハァ、ベリック、今から過去の履歴を遡るから見逃さないでちょうだい」
「わかりました!」
バベルという物がそもそも何故造られたのか、それがわからないベリックだったが、今はこれが何かの手掛かりになるという予感を抱くとともに、この冷気の中で嫌な汗が背中を伝っていた。
シセルニアもこのアールゼイト王家が抱える罪過故に今までこの力を使ったことがない。できれば使いたくもないし、見たくもなかった。
だからきっとこれは彼女が元首となった時点で背負うことを覚悟しなければならなかったものだ。
アールゼイト家では何を置いてもまずこの力の習熟を義務付けられた。彼女自身、幼いながらにこの力について思うところがあり、何ができるのか探ったことがある。
この【旋律者】と呼ばれる力はバベルの塔を操作するためだけの力でしかなかった。なんのためにあるのか、それは考えないようにしていたが、もう誤魔化すこともできない。
体内の魔力の減少具合にシセルニアの額に次々と汗が浮き上がる。指先は凍傷したように感覚がなくなり彼女の腕が次第に震え始めた。
集中しなければならないのに、この力そのものを忌み嫌ってきたシセルニアは勝手に考えてしまう。
結局自分もこの因果に終止符を打つことが叶わないのだと。
「クッ!! もう……ダ、メ……」
ガクンッと膝を折ったシセルニアの手から光のラインが消え失せ、ホログラムが画面を切り替えながら消失する。
だが、最後の最後でベリックは目を見開いた。
彼女にはいくつか訊かなければならないことがあるが、それはきっと元首と総督という立場を越えた発言のはずだ。まず履歴といって見せたそれは画像付きのプロフィール。
かなり細かいものだ。しかも身体的な情報に関する様々なものが占め、軍の精密機械に掛けたほどのデータ量にも匹敵する。
確認できたデータはおそらく7割程度。日付は50年以上も遡っているものまであった。
荒く咳き込みながら魔力枯渇の兆候を顔に湛えてシセルニアは振り返った。
「ベリック……収穫は?」
最後のチャンスだろうと伺わせる藁にも縋るような視線、事実、彼女の身体はこの力に耐えられない。それはきっと元々備わっていたものではないからだろう。
しかし、この老将はその消え入りそうな問い掛けに胸を張って応えることが出来た。
「間違いなく……これで目星は付きましたが、どうにも解せない点があります。このデータが正しいのならば彼の実年齢は50を超えていなければおかしい。しかし……」
何を言われているのかわからなかったが、シセルニアはこの期に及んでベリックの問いに答えるつもりでいた。そもそもこれは二人だけの秘密。
ベリックには悪いと思いながらも明かしたのだ。リンネにはこれ以上知られたくはなかったのだろう。もしかすると自分を嫌いになってしまうかもしれなかったのだから。
「どういうこと?」
シセルニアがベリックに明かしたのは間違いなく彼の膨大な知識量が必要だからだ。何より、アルスの幼少期を知っているのは彼だけだ。
だから即座にシセルニアはベリックの言っていることが理解できなかった。
彼は一体何を見たというのか。
ベリックは深い皺を更に濃くして告げる。後々のことを考えれば事態は良い方向に向かうはずだ。それでもベリックはこれを見て邪推してしまう。それも邪推というレベルなどではなく、ほぼ確信に近い。
今はそれどころではないのかもしれないが、いずれは訊かなければならないこと。それはバベルの防護壁が弱まっている原因はおそらく各国元首が知り得ている情報と食い違いがあるということ。
範囲を拡大することで防護壁は弱まっている。これは肌で感じるからこそ疑いはないはずだ。だが、そもそもバベルが人の生み出した物であるのならばその原動力とは。
これ以上の思考は今は不要とばかりにベリックは頭を振った。決して片隅で留めておくには大き過ぎる問題、それを強引に押しやるのは難しいことだ。
一先ずはアルスのこと。
「やはりテレサを放しておいたのは正解でした」
さらに言えばレティがすぐ動ける状態というのも実に好都合だ。後は背後関係だが、これは動き出してからでも遅くはない。
「ちょっと、ここに来て置いてけぼりはないんじゃない? これでも頑張ったんですけど!?」
「――!! 申し訳ございませんシセルニア様」
さすがに執務室に上がる前に情報は共有しておかなければならないだろう。誰が聞いているともしれないのだから。
どのみち、すぐには彼女も動けなさそうだ。いや、できればすぐにでも上がってベッドに横になってもらいたほど顔色が悪い。
だが、そんな心配を察したのかシセルニアは「いいから」と先を急かす。
「わかりました」
ベリック自身見ただけで確証を得たわけではない。その辺も含めて確認しなければならい。せめて彼女が明かせない秘密をそのままにするのならば判断は委ねるべきだろう。
ベリックは上着を脱ぎ、彼女の剥き出しの肩に羽織らせてから、見たこと全てを語り出す。
「まず確認しなければならないこことがございます。私の知る限り、アルスと瓜二つの映像が流れましたが、これが見せたかったものでしょうか?」
「やっぱり…………」
懸念が的中していたのか、汗を伝わせながら小難しい顔で眉間に皺を寄せた。
そして意を決したように口を開く。震える喉は寒さのせいだけではないだろう。彼女自身、これを口にすることの忌避感を大いに感じていたからだ。
「アルスはバベルの被験体で間違いない」
「――――!?」
ますますバベルというモノがわからなくなってきたベリックだった。衝撃は同時に不明瞭だった紐を手繰り寄せてきている。そんな手応えともつかない不安を抱く。
シセルニアは爪を噛む仕草をしながら思考を飛躍させ「あなたも気づいたでしょうベリック。クラマの対策というのがあまりにも不自然だったこと」と記憶を引き戻す。
「もちろんです」
クラマがアルスに関する異能を既知としていなければ確実などという言葉は出てこない。あの場での見栄にしてはクラマがこれまで各国の手を擦り抜けてきた慎重さを微塵も感じなかったのだ。
その違和感はベリックだからこそなおさら。
当然、アルスの能力に関しては全てを明かしていない。魔法に関するものも含めて最悪の事態に陥ってもアルスならばという足掻き。
無論、各シングル魔法師も気づいたはずだ。それが全てでないと。しかしあの場でベリックは全てを明かしたと思わせることに注力していた。
彼のその細心の配慮に気づけたのはシセルニアだけだろう。
未知の能力がまだアルスにはある。そう印象付けられたはずだ。だからこそメクフィスなる男の断言には大いに疑問があった。
それもシセルニアが見せてくれた被験体の情報を見て確信してしまう。
アルス以外のもう一人……。
時間にしてみれば数分も掛かっていない。
「ベリック、訂正するわ。アルファ以外の元首はバベルへのアクセス権限があるとはいえ限定されたものよ。システムへの干渉は私しかできない」
確認の言葉にベリックは頷く。ここまで問題ない、聞いていた通りだ。
しかし、真っ青な顔でシセルニアは小言を言って強がってみせた。
「まったく魔法師はみんなバケモノだわ」
「ですかな?」
魔力を使うということがこれほどの疲弊をともなうものだということを彼女は初めて体験したのだろう。もしかするとそれは枯渇という極限状態のことを指していたのかもしれないが。
乾いた喉を潤すようにシセルニアの喉が上下する。
「当然、今見たようにメインシステムにアクセスできる私はバベルに入ることができるわ。あそこには外からでは視認できない入口が存在するのだけれど、通路には何重もの隔壁があるの。とは言っても私は入ったことがないのだけど、お父様は……どうかしらね」
「ではバベルの秘密が中には……」
「まあね、一応私も最上級のアクセス権限を持っているからある程度は把握できるわ。でもダメだったのよ」
「何がです?」
「入れるはずのバベルに入ることができないのよ」
「ど、どういうことですか! 要領を得ませんが」
「順序を追って説明するには些事よ」
無理に笑う彼女は本心からそう思いたいと感じさせるものだ。些事であって欲しかったという恥じる気持ちがあった。
「本来アールゼイト王家のみがバベルへと立ち入ることができた。でもね、私がこの権限に気づいた時にはアクセスは出来ても全ての隔壁を開放することができなかったのよ。侵入を拒むようにそこだけが承認コードが変更されていたの、私が入れるのは入り口から僅か数m程度だと思う……こんなことになるなら、もっと早く知っていれば……生まれて初めて父を恨んだわ。あんなものを残すだけ残して、何もできないなんて」
ギリッと弱々しく歯を擦り合わせるシセルニアは悔しそうに瞼を閉じて目尻に涙を浮かべた。最上級のアクセス権限とはいっても実質的に出来ることは少なく隔壁に限らない。遠隔で操作できないように元々できており、必要最低現の防護壁への調整程度であり、後はアクセスできても閲覧が限界なのだ。
それを見てもベリックは推測すら立てられない。
彼女があんなものというバベルは今日まで人類を守ってきた崇高な壁だ。だからおそらく自分の知らないことがあるのだろう、と思うが、彼にも知らないことばかりではなかった。
「シセルニア様、僭越ながら先代31代元首、クロウニー様はいつも魔物の脅威を懸念し、次代に平和な世の中をと常々口を吐いておられました」
「お父様が?」
「はい、おそらくシセルニア様が元首の座にお座りになられるまでになんとかしたかったはずです。誰よりもお優しいお方でしたらから」
想起するように溢すベリックは歳を感じさせない笑みを湛えた。まるで思い出すのに苦労をしないほど鮮明な記憶が蘇っているようだ。いや、実際彼は現に見ているように幻視していた。
往時のベリックは総督という役職には就いていなかったが、それなりには候補として名を上げるだけの地位にはいた。だからなのか、彼は事あるごとに相談に乗ることも少なくなった。
もしかするとその慧眼に止まったと当時は自惚れもしたものだ。
この宮殿、今は執務室に以前の名残となるものは多くあるものの、その配置は随分と様変わりしてしまったが、執務机の奥にあるベランダはあの時と何も変わりない。
翌日に支障をきたすほどあの質素なベランダで酒を飲まされもした。
娘自慢に付き合わされるベリックは辟易することも少なくはなかったが、今にしてみれば、彼が見る娘は自慢したくなるほどの才女であったのだから責められもしないのだろう。
その時のクロウニー元首が不意に見せる遠い目が今やっと理解できた。あの坩堝の中で形を保ち続ける未練と懴悔のような表情。
『誰も手を付けられなかった問題を私の代でも叶えられそうもない』と酒の席で言ったことがずっと引っ掛かっていたが、あの時、聞き逃さなかったことにベリックは安堵した。
当時は魔物の脅威に対するものとばかり思っていたが、今にして思えばきっとこのことなのだろうと。
「クロウニー様はおそらく託すしかなかったのでしょう。自分なんかよりもシセルニア様ならばと思ったのかもしれません。あの時、彼が言った意味が今やっとわかりました」
「お父様が……」
「その辺りはフーリバ殿が一番知っておられるでしょうな」
一拍してベリックは若い元首へと進言した。
「これがどういうものなのか、私にはわかりかねますし、わかる必要のないことなのでしょう。それでも託された者には答えを出す責任があります」
「勝手な話ね」
「そうですね。勝手ではありますが、今はそれが我々を助けてくれるのですから」
「そうだったわね……」
「行きましょうシセルニア様。目的がなんであれ、我らがすべきことは初めから変わりありませんよ」
そう差し伸べてくる厚い手をシセルニアは苦笑しながら取った。バベルについては後々考えていかなければならない最も手を煩わせるだろう案件だ。
だが、それよりも今は目先の問題を確実に解消していく他ない。
そう切り替えた段階でシセルニアの表情は力強く先を見据えていた。
「ありがとうベリック」
「どういたしまして」
目を伏せる初老は年甲斐もなく、少しは先代に報いることができたのだろうかと、思いを馳せる。
「ベリック、予想以上に大きな収穫ね。これでルサールカの探りも大凡見当が付いたわ。情報量ではこちらが明らかに上にいった。まずはあの馬鹿みたい香水臭い女を土俵に上げるわよ」
「了解しました」
「目星はいいわね」
「そちらはヴィザイストに」
「実行部隊は」
「無論、抜かりはありません。テレサを連れて来ていますし、レティもおります」
「最低限の連絡だけで、こちらの意図が漏れないように」
「徹底します」
よたよたと階段を上がっていくシセルニアの手を握り、先導するベリックだったが、彼女は足取りほど弱々しくなく、寧ろ、その声音はこれから行われるだろう激動の騒乱に胸を踊らせているようでもあった。
「後は時間ね。ふふっ……打って出るわベリック!!」