永劫の罪過
ベリックは馬車内で明かされた真実に唖然とした。おそらく全てを明かしてはいないのだろうが、それでも受けた衝撃は味わったことのない痛烈なものだった。
できれば聞きたくはなかったが、これがアルスを救う手掛かりとなるのは確かなことだった。そもそもバベルの防護壁とは人類が到達した最高峰の技術とまで言われている半面、その内部構造については一切明かされていない。
というのも出入りはもちろんのこと制作に携わった者まで伏せられたためだ。いや、これが伏せられたと言って良いのかも定かではなかった。誰も知らないのだから。
実に簡単な話である。天にまで届きそうな建造物を目印に人類が逃げ延びてきただけなのだから。
無論、その管理は今日まで元首らに一任されており、それ以外の者は近寄ることすら叶わなかった。
ブラックボックスである【バベルの塔】は人類の叡智というより窮地に追いやられた人類最後の砦として求心したのだ。御旗とでも言えばいいのだろうか。
一部でそうした信仰が未だ根付いよいのもこれが理由だ。事実、各国が製造している擬似防護壁はバベルほどの効力を発揮できていない。それどこか膨大なエネルギーに対して改善の目処が立っていないのが現状だった。
しかし、これについては元首らでも如何ともし難い理由がある。
元首らもまたバベルへと侵入することができないのだ。それこそ神の建造物であるかのように。
だからいつ終わるとも知れない崇高な防護壁に守られていることに気づいているのは一握りの選ばれた者のみだ。
無論、ベリックもその事実に付いては知り得ている。誰もバベルに入ることができないのだと。
だからこそ、シセルニアの明かした事実は驚愕以外の何物でもない。
「では【バベルの塔】は人類が生み出した、ということですか」
「もちろんよ。まさかとは思うけど信者みたいに心優しい神様が作ったと思ってたの?」
断固として否定したいベリックだったが、実際誰も入ることができないのであればそう思わざるを得ない。現に防護壁は領土を拡大すると同時に拡げることが可能とされている。
だからこそ効力が弱まっているのだと。
実際侵入は不可能でも操作することはできるはずだった。元首にのみ操作権限があることは総督ならば知らないはずはない。その指示は現に総督から元首へと最重要案件として伝えられているからだ。
そう言われればいくつかの進展は経緯として記録にも残っている。バベルが存在したのは遥か昔のことだが、その防護壁が実際に張られたのはおよそ50年前。クロノス襲来を機に魔物に対抗するべく著名な研究者を集い科学の粋を結集させたとされている。
「ま、実際各国の元首は入ることができないのだけれどね。そういう意味で言えばあれを人工物と思っていない元首もいるかもしれないわ」
「――!! で、ではどのように操作を?」
「それは各国が保有するアクセスコードがなければならないわ。でも7カ国を含めてもアルファだけは立ち入ることができる」
そう吐露するシセルニアの表情は暗い。
これは長年に渡って世界の不思議とされてきた疑問だ。操作できるからといってバベルの技術が秘匿される理由は思い当たらない。
その理由を彼女が握っているとなればただ事ではないだろう。
いよいよもってベリックは墓まで持っていく覚悟をしなければならない。今更確認するまでもないのだが。
シセルニアは「ううん、違うわね」と悔いるように否定する。
「アールゼイト家の報いることのできない罪ね。なんの因果か、こうして問題となるのなら……いえ、私は目を背けた人間だわ」
要領を得ないシセルニアにベリックはこれが今回の一件とどう関係があるのか。喉に出掛かった言葉を呑み込んで先をじっと待つ。
しかし、それ以降シセルニアは口を閉ざす。馬車が止まったのはそんな時だった。
「着きましたシセルニア様」
「では、行きましょうかベリック」
扉を開けるリンネに対してシセルニアは至って落ち着いた清流の如く抑揚のない声音。それでも涼やかさに凛とした意志が感じられた。
いつもの豪奢な宮殿がこの時は不穏な気配を漂わせているようにベリックには感じられた。外にはレティが周囲を警戒している。人数もだいぶ増えていた、レティの部隊が途中で合流したのだろう。
宮殿内は内政、外政を司る国家機関であるのは周知の事実だ。
だというのにこの異様なまでの静けさ、この非常事態に内部は慌ただしくなっていなければおかしい。
だが、実際にはシセルニアに案内される間、誰ともすれ違うことはなかった。
そんな心配を汲んだのかリンネが苦笑気味に答える。
「心配ありませんよ総督。皆さんには少しだけ移動してもらっているだけですので、要件さえ済めばすぐにでも騒々しくなります」
リンネはしたり顔で微笑んだ。
三人は二階に上がり、いつものようにシセルニアの執務室に入る。彼女の広大な室内には四角に巨大な支柱があるのだが、淀みない歩調でその内の一つに近寄る。
背後ではリンネが厳重に扉をロックしていた。
一方でシセルニアは机から抜いておいたペーパーナイフの先端を指に押し付ける。真っ赤な液体が指に伝うが彼女は表情を変えない。
そしてリンネが一つの箱を持ってくる。
「どうぞ」そういって開けた中身をベリックはじっと見つめる。それは元首のみが代々後世に残す唯一の物――【王印】である。
何の材質でできているのか不明だが、それはどことなく白亜の巨塔の外壁を思わせる白色。
それをシセルニアは自らの血に押し当てた。
「何を……」
「いいから見てなさい」
そして血印に等しいそれを支柱の一つ。これもよく見るとかなりおかしなデザインをしていた。まるでレンガが不揃いに配置され隙間を石膏のようなもので塗り固めたかのようだ。
ザラザラとした肌触りはお世辞にもあまり見栄えの良いものではない。もちろんこれは彼女のセンスではなくアールゼイト王家の座に就いた者が代々受け継ぐ決まりになっている。
そのため、多少年季が入っているのだ。
王印を窪みに押し当て……差し込む。手首を捻った直後、カチャリと音が鳴り、続いて幾つもの鍵が解錠されていくような機械仕掛けの重低音が支柱内に鳴り響いた。
そしてガコンッと支柱に正方形の隙間が生まれ、奥へと仕舞われていく。
「なっ!?」
大人が入るには中腰にならなければならないが、そこには階下へと続く階段が姿を現した。
そして二人のみで階下へと降りていく。石造りの壁面が妙に明るい。奥を透かしているように光がポツポツと生まれていく。おそらく壁面に使われた材質に何か、光を発するものが埋め込まれているのだろうが、ベリックはその存在を知らない。
二階分降りた辺りで急激に湿度が下がり、肌寒さを感じ始める。
だから、開けた空間に出た時、真っ先に思ったことは夜空に立ったという不可思議な印象だった。
まるで墳墓を連想させる空間。棺があってもおかしくはない。
しかし、あったのは 異様なまでの白亜の台座がたったひとつ。
「ここに人を入れるのはあなたが初めてね」
「リンネ殿も知っているようでしたけど」
「えぇ、リンネも存在自体は知っているわね。お父様が崩御されたのは本当に唐突だったもの、ここの存在については一切知らされていなかったわ。だから、正直リンネの魔眼は助かったのよ」
「なるほど、それで……」
するとシセルニアは振り返り、指を腹を見せて差す。
「勘違いしないで、彼女の魔眼には助けられたけど、それがあるからリンネを傍に置いたわけじゃないのよ。魔眼なんてなくても自力で見つけられたと思うしね」
「はあ~」
そこは譲れなかったのだろう。彼女を利用するために雇ったと思われたくなかったのだ。それだけリンネを大事に思っているということだ。
事実、シセルニアには血縁者がいない。孤独となるには早過ぎたのだろう。だからこそ、彼女の教育係であるフーリバやリンネは彼女にとって家族のような存在だった。
不意にベリックは馬車内で彼女が漏らした宝物庫について些細な疑問を抱く。
それはここまで宝物庫を経由しなかったのだから。何故あそこで……と思うが、結局口に出して問うことはなかった。
目が慣れるにつれて鮮明に見えてくる。奥行きのある一室だと思っていたがよく見れば左右に三つずつ通路があった、その奥から一際輝かしい光が漏れている。
チラリと一瞥するが通路の左右に鎮座する様々な宝石や金貨、延棒まである。宮殿にも装飾としてかなりの量が飾り立てられているが、それがほんの一部でしかないのだということがわかる。
通路はどこまで続いているのかわからないほど光に満ち溢れていた。いろんな意味で目が眩む。
「そんなものは大した価値はないわよ。それに気づくのに随分と時間が掛かってしまったけれどね」
自嘲気味にシセルニアは眺める。
ベリックは同意の相槌を打つ。そうこれは国を潤すことはできても平和にすることまではできない。
シセルニアは身震いしながら苦笑してベリックに無垢な笑みを向ける。
「寒いわね。早く済ませましょう。見ての通りここはバベルの防護壁を管理する部屋よ。当然各国にも同じものがあるはず」
「というと?」
「さすがにそこまではわからないわよ。各国に委ねられているし、当然、元首しか知り得ないことだわ。でも、ここだけは少し別の作りになっているの。先ほども言ったわね、私だけはバベルのメインシステムにアクセスできる。できればこんなことに利用したくはなかったのだけれど」
そういうシセルニアは再度王印をコンソールに差し込む。すると底から幾つものラインが青白い光を放ちながら室内中に駆け巡った。
巨大なホログラムが浮かび上がり、そこの中央には【Babel System】。
シセルニアは五指を平らな台座の上に置く。そして手を持ち上げると青白いラインが指先に糸を引くように延びる。
魔法的な要素をベリックは感じなかった。故に驚きは隠しようのないものになっている。彼自身魔法師としての経歴を持つがあのような魔法は見たこともない。
そもそもあれは魔力ですらあるのか。
「これが唯一アールゼイト王家に与えられた異能。この力だけがバベルを操作できるわ」
彼女は魔法師ではない。もちろん魔力がないということではないが、単純な総量でいえば一般人と大差なかった。だからこそ、この力は魔力を消費するものの一線を画する血縁による遺伝だろうと推測されている。
本来バベルにアクセスし、防護壁の操作だけならば各国がこの地に集った100年前に授けられた【王印】だけで事足りた。
アールゼイト王家が代々引き継がれるこの力は記述には【旋律者】、奏でる者、紡ぐ者といった意味を持っている。




