虚弱な打開
◇ ◇ ◇
落ち着き払った表情の下でシセルニアはかつてないほど、脳をフル回転させていた。考えなければならないことが一つだけならば誰にでもできる。
しかし、少なくともシセルニアの脳内にはアルスを巡る問題に関して言えば複数あった。
各国元首はどういった方向に議論を持って行きたいのか。はたまたそれは全会一致の上なのか。ベリックの同席を鑑みても大凡の見当は付けてきている。
ルサールカが誰に探りを入れているのか。それは優先度で言えばどれほどのものなのか。
アルファの立場を悪くしないためにどういった弁明、対処が後々遺恨を残さないか。言葉選び一つ取っても議論への参加、発言力など駆け引きを絶えず同時並行して考えなくてはならない。更に付け加えるなら好転しようとも悪化しようとも全てに影響を与えるため、シセルニアは一つ一つの問題に対して逐次対応策を考えなければならなかった。
本音を言えばルサールカに丸乗っかりすることも可能性としてはありだ。シセルニアのプライドを差し引いてもこちら側に付けて進行させていく手段も十分取れる。
だが、そのためにはルサールカが何を隠しているかを探らなくてはならない。この場でそれをすることで他国にも勘付かれる可能性は高いだろう。そうなった場合、アルファの立場は果たして改善するものなのか、いや、もっと言えば更に悪くなるのではないか。
こんな思考の濁流の中でシセルニアは的確に整理していく。
すでに「いくつか」という言葉を投げ放ったことによってシセルニアに発言の機会が与えられることになる。
ペースを握るという意味でも口先八寸の台詞は大きな役割を果たしていた。
「先ほどリチアさんの報告にもありました【空置型誘爆爆轟】について正確性に欠くと思いますので、この場には使用者がいることですし……レティ、この魔法を扱えるのはあなたとアルス以外には?」
「おそらくいないっすね。元々のこの魔法は【爆轟】の改良版としてうちとアル君の二人で手を加えた魔法っすからね。かなり癖が強いんで魔法大全にも載せていないっす」
「なるほどね……」
ふ~ん、と唸ってみても考える必要のない結論。シセルニアは思いつく限りアルスを庇護する反論を浮かべるが証拠となるものは一つとしてない。動機がない、などと言えばアルスの性格からしてやりかねないことを隣の初老は冗談混じりに溢してしまいそうな気さえする。
どのみち、退役を申し出ているということはすでに知れ渡っている。ならば国を守るという誠意や倫理の欠落を疑われるだろう。
ここでアルスから得た情報を公言しようとも何の証拠もない。ましてや出頭し、身の潔白を訴えるのでもないのだから、疑わしきはアルファへとなりかねない。
シセルニアの胸部が静かに上下する。ため息は意図せず思考を止めた。
「なら残念だけど、うちから犯罪者を出すことになるなんてね……ごめんなさいねリチアさん」
「…………」
こんな上っ面だけの謝罪は反感を買うだろう。寧ろ馬鹿にしていると罵られても仕方のない言いようだ。
シセルニアとリチアの関係を知っているものであろうと不謹慎から不快感を隠そうともしない。それでも声を荒げるような者はいなかった。無論、リチアでさえも。
「でしたら誠意を見せて欲しいものですわね」
「もちろんよ。アルファは全面的に協力させていただくわ」
――甘いわね。リチアさん。だから私はあなたをあまり好きになれないのよね。
そっと心の内で礼だけ述べたシセルニアは賭けに勝ったことを確信した。アルファとして正式に認めてしまったが、対価として収穫は確かにあった。寧ろ、同じ領域で思考を回転させられるアルスを信じたと言えば正しいだろうか。
どのみち、シセルニアはこの状況では為す術がないのだ。数多ある言い分は現段階で導ける結論が一つしかない。ならば自ら認め、無駄な抵抗を見せずにルサールカ側を探ってみた。
――予想があたったのは良いけど、状況は最悪ね。いえ、ここに来て最悪以上の展開なんてあるはずがなかった。リチアさん、悪いけど乗らせてもらうわよ。
ルサールカがこの場で何を探ろうとしているのか、それに同調するのではなく、アルファは独自に探りを入れる必要があった。
逆境に立たされてもなお、シセルニアはどこかで難解なロジックを解くことに楽しみを覚え始めていた。これ以上ないやりごたえ。
ウズウズしてくるのが抑えられなくなってきていた。
「アルファから正式にご協力の旨をいただけた所で早速ですが対応について話し合いましょうか」
フウロンの言葉はすでにアルスを犯人足り得る確証から来る台詞。イベリス、ハイドランジ、ハルカプディア、クレビディートは当然のように異を唱えず、バルメスの元首代行はこの状況に理解すら示さない。
それもそのはずだ、バルメスの前元首ホルタルは一族共々元首候補の資格を失っている。今この場にいるのは12・3歳の子供であった。
次期元首として有力となっているもののまだ幼い子供だ。ならばこそこの場には代役として新総督であるニルヒネを呼ぶべきだったはずだが、元首の招集には特例を除いて総督が参加することは難しい。
もしかするとこれすらも仕組まれたことなのかもしれない。ニルヒネ・クォードルはアルファに多大な恩を感じている。ならば肩入れすることは十分考えられる。
ここまでは十中八九、完全予定調和。
自身も軍人として武勇を残すハオルグが率先して口を開いた。
「問題なのはヒスピダ殿が敗北したことについて、シングル同士の戦闘ともなれば本来規格外となるのは必然だ。それをさせてもらえなかったというのは何かしらの裏があろう。何よりも我らはアルス・レーギンについての情報をほとんど持ち合わせておらん」
「やはりハオルグ殿はそもそも1位という位階に疑問を?」
クレビディート元首、クローフ・ヴィデ・ディート。細面の長身痩躯は病人の印象を与える。黒い手袋も助長するように不吉に見えてくるというものだ。痩けた頬に艶のない白髪交じりの髪。妙にダークグレーのスーツが様になっている。
壮年であろう男は仕事よりもベッドの上のほうがイメージに合う。重たそうな瞼によって作られた優しげな目は損をしそうなほど人の良さそうな雰囲気であり、見た目通りの人品骨柄。
泰然自若とは少し違い、クローフはおっとりしているせいか普段から慌てるということがない。
そんな彼が珍しく柔和な目を向け問いかけた。
「位階など端から問題にしておらん。仮に1位足り得る実力を有していてもシングル数人に勝るものではなかろう」
「でしょう。ですが、勝るものではないとしても彼には少々特異な力があるのではないかと……ですねファノンさん?」
少し他人行儀な物言い。自国のシングル魔法師に対して一定の距離感を感じる台詞だったが、クローフは誰かれ構わず等しく敬称を付ける癖のようなものがある。
他愛無い問いにファノンは髪をいじりながら「どうだったかな?」と意地悪く言う。
「これは参りましたね」
本当に困った表情は何とも不甲斐ない一面であったが。
「というか私に聞かなくても薄々感づいてるんじゃないの? そっちのおじさんなんて特に」
彼女がなんのことを言っているか。この場の魔法師ならば即座に思い出すことができる出来事。7カ国魔法親善大会の承認のために各国元首による会合。その際にアルスとガルギニスによるいざこざのことを当事者である彼ならば思い当たらないはずがなかった。
ファノンの蔑視を含んだ小悪魔的な笑みにガルギニスはフンッと居心地悪く一蹴する。この程度の挑発には乗らない――さすがに目の前で緊迫したやり取りがあったばかりだ。比較的冷静に揶揄を無視して口を開く。
「経緯はあれだが、確かに……」
「あの時は私の魔力キャンセラーもすっぱり消えちゃったしね~」
「こ、のッ!?」
振っておいて結局自分が喋ってしまうというマイペースぶりにガルギニスは眉間に青筋を立てこめかみが引き攣るのを必死で堪えなければならなかった。
だが、そんな怒りも次には気にならなくなっている。
ファノンは核心を付く。
「で、その種明かしが聞けるんでしょ。アルファの総督さん」
自国のシングル魔法師が見当もつかないという力。その説明を聞かずに立てられる対策など何もない。クローフは順序立てて追い詰めていく。
いや、最初から予定調和。定められた道筋に従っているに過ぎなかった。そのためだけにベリックは呼ばれたのだから。
ここまでの流れには逆らいようがない。シセルニアはベリックと顔を見合わせて軽く頷く。アルスが犯人でないことを知っているアルファからすればできるだけ隠しておきたいものだ。
しかし、この期に及んで隠匿すれば他国はすぐさまシセルニアに適当な疑惑を押し付けて一時的な捕縛に乗り出すだろう。そのためにシングル魔法師にAWRを持たせているのだとシセルニアは考えていた。
全てを明かしてしまうことのリスクにすぐに行き着く。
外界のことや、魔法師の戦闘力に対していくら無知なシセルニアであろうと再三に渡ってベリックから聞かされていれば、たとえこの場のシングル魔法師相手でもアルスならば、と期待以上の確信めいた予想をしてしまう。
だが、彼の異能をここで明かすということはアルスにとって不利な状況になりかねない。
それでもベリックに説明義務を遂行させるにあたって打算もあった。もちろん、叛意を問われないためでもあるが、何よりアルスに対抗できるのはシングル魔法師のみだ。
であるならば、各国は自国からシングル魔法師を討伐隊に組み込むのを渋るのではないだろうか。それは【悪食】の時にも何とはなしに察せられる。
ならばここでアルスの実力を青天井並に釣り上げることによって、最低でもこの場の全員が組み込まれなければ勝算はない、といった意識を情報とともに植え付けてやれば必然的にシセルニアにとって優位な状況へとシフトしてくれるだろう。
少なくとも一考の余地さえ生まれるのならば御の字だった。
暗黙の理解をベリックも示し、彼は徐ろに語り出す。