前日~下~心の準備
「ですが理事長、私達も何か出来る筈です」
「すでに決まったことよ。今更変更はできないの」
扉の前でアルスは中から聞こえる言い争いにも似た口論のせいで入室を一瞬躊躇った。
一応の来訪を知らせるノック。
しかしアルスは返事を待たずに扉を開けた。すでにノックの必要すら感じていないぐらいにはこき使われているはずだ。
結果として返事と同時に入室した形になった。そして当然許可されるはずの返事は今回に限って待機する主旨のものだった。
一般的なマナーに則せば、この場合アルスのほうが控えるべき局面なのだろう。
だから、視界に飛び込んだ状況に後悔せずには入られなかった。
適当に中で待たせてもらうつもり、アルスがいることで早めに切り上げてくれるだろうと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
理事長室には理事長システィ以外に五人。
男子生徒が長大な机の向かいで理事長と相対していた。当然、不作法なアルスへと向けられる視線は話を途切れさせた不満を湛えている。
面倒なと思って開けた扉をそのまま巻き戻して締めようとしたとき――。
「君は……理事長に何の用だ」
一瞬の間の後、五人の中で理事長に面と向かっていた男が明らかに侮蔑の色を視線に乗せた。
たかだか一生徒に過ぎないこの男が理事長への用向きを問うのは不躾にもほどがある。
しかし、それを理事長は咎めない。
アルスは厄介なと思って「私用です」とだけ言った。
次に口を開けたのは理事長だった。
「少し待ってて貰えるかしら」
としっかりソファーを勧めてくる。ようは貴方がいけないのだから巻き込まれろと言外に言っているのだ。
仕方なく目礼して入室し、後にロキも続いた。
それに男子生徒達は見るからに驚いた顔をする。さすがに声を上げる者はいなかったが、校内ランキング2位のロキが一緒にいるとは思わなかったようだ。
緊迫の空気は先頭に立つ男によって口論は再開された。
もちろんアルスとロキは黙った。
先頭の男の背後に控えている残りの生徒がチラチラ窺い見る視線はロキに向いている。
「理事長、我々を増援部隊に回していただきたい。きっと理事長も懸念されている死傷者を我々なら出さずに授業を終えてみせましょう」
「何度も言うように今更それは出来ません」
援護するように後ろで控えている四人の内の一人が口を開く。
「理事長これは何も我々五人だけはありません。二・三年の中でも多数声が上がっています。まだ入ってきたばかりの一年生には酷だと」
「監督者ならば誰でも構わないはずです」
彼らの主張は比較優位に照らせば的を射ているのかもしれない。
つまり、自分が一グループに掛かりっきりになるよりも援護として動いた方が良い働きが出来ると言うことだ。
しかし、彼らの主張は課外授業の意義を損なう提案である。
「これは決定事項です」
怒気を孕んだ。それは口調が強くなった程度だが、この生徒達を一歩たじろかせるには十分な威力があった。子供の相手をするのが疲れたとでも言いたげに一刀に伏す。
……が、それでも懲りずに食らいつく。
その視線はソファーに腰を下ろす二人に向いた。
「ロキさん。あなたも一年生だ、一言いっていただきたい」
彼らがロキを知っていたことには驚いたが、それも順位が順位だけにこの学院では仕方のないことかもしれない。
その証拠に一年生に対するには丁寧な物言いだった。
隣の銀髪の少女がアルスへと目で問う。
それを適当にあしらって終わらせてくれと、うんざり気味に目配せした。
目を伏せてロキが立ち上がる。
「わかりました。確かに一年生には酷かもしれません。ですが、この件については理事長がすでに対応されているはずです。それでもあなた方の言い分は理解できます、ですのでまずはあなたたちの実績を教えてください」
「えっ――――!」
突拍子もない突然の問いだが、これは当然の確認だ。自分が良い働きが出来ると言うのだからその証拠を確認しなければ説得もできない。
あくまであしらうための言葉。
だから、順位ではなく実績をロキは訊いたのだ。無論、どんな実績があろうともロキに勝るものではないはず、結果は思い通りになるのだ。
「いや、我々は皆学内でも上位の……」
ロキは呆れたように途中で遮る。それだけで十分だった。
そもそも彼等に実績がないのは当然だ。それを知っているから最後まで聞く必要がなかった。
「それでは話になりません。実戦経験がなくてどうして良い働きが出来ると言い切れるのですか……可笑しなことをおっしゃいますね」
「くっ……!」
彼等は自分が正当化出来ないことをつらつらと並べ立てるだけでアルスの時間を奪っている。そんな者に回りくどい言い方は選ばなかった。
ロキの目には何も映してはいないはずだった。しかし、男達にはそれが嘲りのように見えたのだろう。
「お引き取りを」
目でも退出を促す。
「後悔することになるぞ」
男は再度理事長に向かったが。
「――――!」
理事長も手で退出を促していた。
「貴方達が何と言おうとも覆りません」
それを最後に憎々しげな顔を浮かべて男達は「失礼しました」と言って出て行く。
扉を閉める際に狂気にも似た笑みを浮かべたのをアルスは見逃さない。
「はぁ~」
このため息は理事長の溢したものだ。
机に伏せって疲れたことを全面に出している姿――脱力しているとも言う。
アルスの意図した結果にはならなかったが、結果として部屋から退出させることには成功したので、ロキの頭に手を置いて褒める。
「彼等は?」
「二・三年生」
そんなことを聞きたいわけではない。早くしろと視線で訴える。
「増援に回りたいと言うのはわかりましたが、何故です?」
「進路じゃない? 魔物を討伐すれば順位が少なからず上がるから軍務に就くにしても順位が影響するのよ」
「そういうものですか」
アルスとロキにはわかりかねることだ。
「別に増援部隊が打って出るわけではないのですが」
「どう解釈したのか彼等には違って映ったようね」
アルスの思考を面倒事が過った。
「さっきの生徒達はみんなそれなりの家の出なのよ」
「なるほど」
貴族・名家・旧家と呼ばれるものに当てはまる共通。
階位だ。
家名に恥じない順位を示すことを業であるかように宿命付けられているということなのかもしれない。
同時に先程の上から用向きを聞いてくる、不遜な態度も納得がいった。
アルスの不吉な予感は口に出すことはなかったが、居残り続ける不安要素に変わりない。
どの道今更なのだ。
理事長は企画の改訂案をすでに上へ通しているのだから、配置換え程度では御咎めはないにしろ。何かあれば不利な材料として扱われることになる。
そもそも彼等を増援に回す案は以前に思索済みだ。
やはりロキの負担が現実的に許容出来ない。
ロキは八十近いグループへの増援を力関係を考えて振り分けなければならなくなるのだ。
それならば、増援に向かわせる数で調整するようがよほど楽だ。
考えてもしょうがないとアルスは本題に切り替えた。
「明日の早朝には取りかかります」
「えぇ、お願い」
今日の内に数を減らすという指摘はここにいる面子には釈迦に説法だろう。
魔物の行動が活発化するのは夜だ。その行動原理は未だ解明されてはいない。
ただ、魔物は夜になると魔物特有と言うべき魔力の波長が著しく変化する。
それは魔物が魔物を呼ぶことで知られており、魔物を見つけたらその数倍はいると言われるのもこの特異な性質があるからだ。
その効力が本当の意味で発揮されるのは夜。
凶暴性が上がるということはない。すでにこれ以上ないほどに凶悪だ。
代わりに大量の魔物が押し寄せる、どこからともなくぞろぞろと。
魔物は同胞の血でも集まる。それも魔力が原因だと言われているが定かではない。
だからアルスが前日から魔物討伐に出れば、翌朝には魔物がひしめき合うことになるかもしれないのだ。
「機材の搬入はそちらで済ませるということでいいのですよね」
「それもすでに準備は整ってるわ。後は朝方に運び込むだけね」
「わかりました」
細かい確認が済み、最後に――。
「俺の戦闘着は?」
「もちろんあるわよ」
足元に置いてあったのだろう。ケースを机の上に勢いを付けて乗っける。
衣類を入れるには厳重過ぎやしないかと思うほどだ。
「ど~ぞっ」
開けろと言うように反転させる。
簡素な留め金を外して、恐る恐る手をかけた。この理事長のことだ、ドッキリが仕掛けられていても不思議ではないかと勘繰ってしまう。
結局は杞憂なのだが。
「…………」
見にしたアルスは反応に困った。
開けた瞬間の印象は不気味。頼んだのはアルス自身なので、文句を言うのはお門違いな気もするが、一言ぐらいは許されるだろう。
「悪趣味ですね」
「……!」
頬を引き攣らせるアルスとは対象的に背伸びして後ろから覗き見たロキは目を輝かせた。
「そうかしら」
えっ! という意外感が出ていることからも理事長は本心から最良だと思っているのだろう。
中には黒地の布が敷き詰められ、その上にはくすんだ白のマスクが不気味に乗っていた。
それを手に取り、コンコンとノックするようにマスクの強度を簡単に確認。
魔力的な材質ではない。単純な強度は防護用の盾にも用いられている材質で軍でも用いられているだけあり保証済みだ。
のっぺりとしたマスク。そこには当然感情の一切が窺えない。ロキのような無感情的な表情ではなく、固まった型は表情の概念が削ぎ落ちたようだ。
目・鼻・口と妨げにならない程度の穴が空いている。
「ありがとうございます」
アルスの要求はばれない為の偽装。
その意味では十分に達成されたと言える、その礼だった。
マスクをロキに手渡し、その下に敷かれる布を広げる。
作りは簡素で膝下までのローブだった。材質は……というのはわかりきったことだ。
これはアルスもロキも使ったことのある物、軍で支給されるもの。
それでも着用する魔法師は少ない。と言うのも強化素材に対魔力繊維で織り込まれている上等品なのだが、率直に言えば動きづらい。
ある程度の体捌きがあればなんてことはないのだが、普通の魔法師には縁遠く、敬遠される代物だ。
だから着用するのは物好きか腕の立つ魔法師のどちらかだ。
アルスもロキも割と好んで着用していた。
ロキの場合はアルスが着用していたのが原因だが。
「明日の確認も終わりましたし、受け取る物も受け取ったので俺達はこれで失礼します」
「はいは~い。明日は行けないけどよろしくね」
何も心配していないというように顔の前で手を振る理事長はすでに肩の荷が降りたように晴れ晴れとした顔を浮かべている。
アルスはわかっているのかと確認したくなるのを抑え込むので精一杯だった。
(俺とロキでも一切被害を出さないのは不可能だぞ)
それは生徒達に経験を積ませることを含めた上でだ。
過剰な期待をされても困るというのがアルスの本音だった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
自室に戻ってみれば、それほどの時間は経っていなかった。実際理事長室にいたのは一時間にも満たない。
今回教師達の数名が監視のために本部での役割が決まっている。もちろんロキが探位保持者であることは教師達の間でも告げられている。そのため異論を唱える者はいなかった。さらに三桁という順位も教師達の口を閉ざさせるのには十分な効力を持っていた。
教師達の役目は主にモニタリングだ。
ロキの探知範囲1kmから離れた圏外の探知。軍からアクセス権を一時的に許可されたため、常駐型探知魔法をこちらからでも把握することができる。
こちらは保険でしかないが、主に常駐型探知魔法は高レートを探知する役割を持つ――万が一のためだ。もちろん生徒たちの動向を把握するために探知用のチップが埋め込まれた信号弾を待たせてもいる。
低レートの魔物の感知は設定上の都合で無視せざるを得なかった。改善が見られないのもバベルの塔から発せられる防護壁には低レートの魔物は近づかないからでもある。
その夜、アルスとロキは明日に備え早めに床へ着いた。
ほんの少し早い就寝。
いつもとなんら変わらない平穏な生活。
それは明日の課外授業もまたいつもと変わらない平穏の一形態でしかないことを瞼を閉じた二人は知っている。研究が出来ないことを除けば、懸念材料は平穏を壊すに値しないだろう。アルスからすれば妨げとなる事象全ては僅かばかりのスパイスでしかない。
それがのちに後悔することになろうとも。
大抵の生徒は眠ることすら拒むように不安を抱いた夜だっただろう。
それは寮生にしては広い部屋に宛がわれている二人とて例外ではない。
部屋の静けさは意図したものではなかった。
「明日は頑張りましょう」
強がりであるのはベッドの上で聞いているアリスでなくともわかるほどだ。
二つのベッドが並ぶ上でテスフィアとアリスは翳りのある表情を交わし合っていた。
「テスフィアもね。一体一体確実に倒すんだよ。複数の場合は分散、一時撤退もね」
「わかってるわよ。アリスも気を付けてね」
翳りの中でも頬を緩めて苦笑いを浮かべる二人。
アリスが心配するのもテスフィアのグループ分けに不安があったからだ。
順位で分けられるため、テスフィアのメンバーは同学年でも下位の生徒が多い。
アリス自身にも同じことが言えるがテスフィア程ではなかった。というのも監督者の上級生は四桁魔法師でアリスとの順位に差はない。
テスフィアにも同等順位の上級生が監督者に付いているのだが、こちらは学内でも評判は良くなかった。
カブソル・デンベル三年生は貴族であることを自慢するように下級生を威圧的に見下す。
順位がテスフィアよりも僅かに高いことで彼女も自分の意見を通しづらく苦戦していた。
「アリスも倒したら、すぐにその場を離れるのよ」
血によって魔物が集まるという習性をおさらいするように言い含める。
「うん」
その優しさを素直に受け止めて、アリスの懸念はきっと杞憂に終わると確信して口を開いた。
「大丈夫だよ。何かあったらアルが力を貸してくれるってさ」
「……! あいつの力なんかいらないわよ。自分で切り抜けられるようにならないと」
強がりではある、それでもさっきのような不安を滲ませた声音ではない。
いつもの軽い冗談だが、アリスの不安は拭えなかった。
「そうだね。私達だってこの時のために訓練してきたんだもの」
「楽勝よ」
冗談とわかっていてもアリスは笑みを洩らす。
続いて釣られるようにテスフィアも破顔した。
侮りはない、授業の一環だからと高を括ったりもしない。
恐怖がないと言えば嘘だ。それでも最強の魔法師から鍛えてもらった事実は二人の心をベールで包み込み、未知の恐怖からの侵食を防いだ。
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