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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
6部 第1章 「高くも低い隔たり」
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なけなしの心

 テンブラムが終わってからすでに5日が経過していた。その間一人きりの部屋で接触を断つように黙々と訓練に勤しむ少女がいた。

 手に持った気味の悪い棒も今では何とも思わないほどだ。それどころか自分用として少しばかりアレンジしている有様だった。


 ただ、いくら訓練に時間を割こうともまるで身が入らない。


 まだ陽が沈むには早い時間帯だが、アリスは早々に一人きりの自室へと帰り、訓練の日々が続いていた。こんな気持ではまったく成果などあろうはずがない。

 それでも気を紛らわすために毎日授業が終わり次第部屋で棒を握る。そして限界が来たら泥のように眠る。


 でなければルームメイトのテスフィアやアルスやロキのことを考えて寝付けなかったのだ。


 あるべき日常もかれこれ、一週間も前の出来事として遣る瀬無さが濃くなる。何故アリスが一人学院に留まったのか。


 何故あの時、テスフィアを一人で送り出してしまったのか、胸の内をそのまま言葉にできなかったのか。

 その原因を彼女は誰よりも理解し、後悔しないように飲み込んだ。まるで望んで一人になったように、距離をおいていた。


 アリスはここ数日続く怠さに早々とベッドへと倒れこみ、腕で額を覆う。


「きついなぁ」


 ポツリと溢した言葉は何を意味してのものなのか、彼女自身意図してのものではなかった。それでもいつものような明るさは微塵も感じず、閉ざされた窓から差し込んでくる残照が室内に冷気を運んでくる。


 今回ばかりは自分がテスフィアの助けになるのは難しいと感じている、それにテスフィアもアリスに授業を何日も休むことになるからと言ってくれた。

 だが、それこそが一番のしこりとなっていた。


 頭ではわかっているのだ。友達ならばそんなことは些細なことだし、アリス自身本来ならば躊躇いなどない。

 だというのにテスフィアに反論させないほど食い下がっただろうか。


 違う。自ら一歩引いてしまったのだ。


 誰に対しての言い訳かなど自分が一番、一番わかっている。だから、こんなことで孤独を感じるなんてあってはならない。アリスは内心でそう言い聞かせて自分を欺いた。




 翌朝、アリスは目に大きな隈を浮かばせて登校した。あれほど早く寝たというのに身体の怠さは取れず、まだまだ寝足りない。

 何度も隈を消すために顔を洗ったが、それで綺麗さっぱりなくなることなどないと知っている。それでもこんな憂慮に堪えない顔を晒さなければならなかった。


 テスフィアのことは心配しているし信用もしている。アルスのことやロキに関しては心配はしてもきっと大丈夫だろうとわかっていた。


 だったら何が問題なのか。

 それは毎日のように続くアルスに関する話題に対してアリスが何も答えることができなかったからだ。秘密にしなければならないことが多いアルスだ、誰にもしゃべることなどできないのだが、それはアリス自身が知っているという前提の話である。


 そう、アリスは何も知らなかった。何も聞かされていない。誰も教えてくれない、テスフィアからは連絡があっていいはずなのにそれすらなく、一人蚊帳の外。

 何も知らず一切の関わりを断たれたように感じてしまうのだ。苦しくも充実した日々が泡沫の夢であるように。


 そうなるように距離をおいたのは自分自身なのだから、実に滑稽な話だと今日もアリスは空々しい笑みを学友に向けていた。


 廊下を一度歩けば、否が応でも耳に飛び込んでくる話題。


「各国が正式に捕縛対象としてアルス・レーギンを指名手配したらしい。さすがに民衆にはばれないようにしているが世界中でこれだけの波紋を広げれば情報規制なんて意味がない」

「それよりもだ、1位ということには驚いたがテロを引き起こしたとなれば……」

「あぁ、よりにもよってなんでアルファから……」


 まるで手のひらを返したような罵詈雑言が平然と飛び交い、数日前までは最も親交のあったアリスは質問攻めにあった。


 頭ではそれも無理からぬことだとはわかっていても、そんなことを友人たちから聞きたくなかった。アルスも学院ではずっと不気味がられていたのだから正しい反応なのだろう。

 よく知りもしない生徒が国を裏切り世界を敵に回した。


 絶対に違うと言い切れるのはアリスが少なくない時間を共にしてきたからだ。だが、実際にアリスが友人たちに向けた言葉は違う。


 「何も知らない」、たったこれしか発することができなかったのだ。何よりもそうとしか言えない自分が苦しかった。

 だからアリスは両手で耳を押さえて逃げるように教室を移動する。


 何も聞きたくなかった。


「アリス? アリス?」


 ぼう、としていたのか隣で気遣う声に耳を傾けたのは肩を揺すられてからだった。


「えっ!? あ、シエル……」

「大丈夫? 顔色悪いよ、保健室行ったほうがいいよ」

「うん、ありがとう。でも大丈夫だから」


 テスフィアからの連絡がなく授業も休んでいる。その間の写しはアリスがしなくてはならない。

 そう使命感に駆られたように仮想液晶に視線を移すが、すでに見覚えのないスライドに切り替わっていた。


「大丈夫、私が全部写してるから」


 気遣うようにシエルは微笑んで自分の液晶をアリスに見せる。

 彼女だけは無神経にアリスに聞いてこない。それが彼女にはこれ以上ないほど有り難かった。


「だから、ね。もう今日は早退して休んで。こんなアリス見たら帰ってきたフィアやアルス君が心配するよ」


 涙ぐみ始めたシエルに気圧されたわけではなかったが、引き合いに出された名前にアリスは拒めなかった。

 たった数日でアリスは自分でもわからないほど憔悴していたということなのだろう。

 寮に戻った所で何も変わらないことをアリスは知っていたが、今は何をしても上手くいかない。考えれば悪いほうへと向かう。

 悪循環を断つこともできない己の弱さ、明るいだけが取り柄の自分の意外な脆さに歯を食いしばってバッグを持った。


 強く生きていくと決めたのにこんなことでは両親を心配させてしまう。だから今日は身体も精神も休まらないとわかっていながら早退することに決めた――きっと明日は何かが変わるだろうと他人事のように祈って。



 寮に戻っても広く感じるはずの室内は居心地の悪さしかない。確か、一人きりだと死んでしまう動物がいた気がしたが、今のアリスはまさにそんな状態だった。

 ただ、寂しさではなく孤独とも少し違う。


 何かに怯えるようにアリスは制服のまま布団に包まった。

 きっと明日はいつもの自分に戻っているはずだ、だから、今は何も考えたくはない。親友とも呼べるテスフィアが帰ってきたら、まずは謝ろう。

 あの時に一言声を発せられていればきっとこうはならなかったはずなのだ。少なくとも一人で抱え込むこともなかったはず。


 『私にも何か手伝えることない?』と、役に立てなくとも傍で見届けるべきだった。その一言が出てこなかったことが悔しいし、それでいて親友だと思っている自分がずるい人間に思えてしまった。

 だから、怖いし恐い。



 そんな時だった。お昼時に早退したアリスの部屋に来訪を告げるチャイムが数度鳴る。生徒は皆、授業中のはずだ、こんな時間に誰かが訪ねにくるというのは少し不可解だ。

 何よりも今は誰とも会いたくないアリスは当然のように無視した。


 しかし、連打するチャイムはうるさく室内を反響させる。

 たまらずアリスがベッドから足を床に伸ばした直後、ガチャッと解錠の音が聞こえ見開かれた目がドアに注がれた。


「入るわよ」


 躊躇いもなくドアが開かれ、あたかも居留守を使っているのがバレているふうに侵入してくる人物を見て、アリスは疑問を浮かべて声を上げた。


「フェリ先輩!?」

「やっぱりいるじゃない……それにしても少しは換気したら? 結構籠もってるわよ」


 そう言いながらも自ら窓を開ける。冷気が室内の空気を一新するように流れ込む。


「な、なんでしょうか?」

「なんでしょうかじゃないわ。あなた何をしてるの?」

「今日は体調が優れなくて……」

「今日だけじゃないでしょ! 学内でもあなたを気にかける声を聞くわよ。食べてる?」

「いえ、食欲もなくて」

「見た目に以上に繊細なこと」


 どこか棘を感じる口調にアリスは不機嫌を露わに見上げた。


「なんの用ですか。先輩には関係ないと思うのですけど」


 子供っぽい八つ当たりにフェリネラは涼しい呆れ顔を浮かべる。


「進展があったから伝えにきたのだけど、関係ないのね」


 どこか寂しそうなニュアンスの声。


 進展という言葉は“何の”という意味をすっ飛ばしてアリスの目を大きく開かせた。そして逡巡すら見せずに口が開く。


「みんなは、みんなは大丈夫なんですか! アルは、フィアはロキちゃんは……」

「ホラ、関係なくないでしょ。強がるのはやめたら?」


 冷めていく気勢がアリスの内側を浮き彫りにし始める。見て見ぬふりをしてきたものが後ろめたさを伴って露わになった。


「アリスさんがアルスさんから指導を受けていなければ私もこんな役回りはしないわ。でもフィアもアリスさんもそれだけじゃないでしょ。何より私の可愛い後輩だもの、少しぐらいお節介させてちょうだい」


 アリスの隣に腰を降ろしたフェリネラはアリスの後頭部に手を添えて撫で始めた。


「何も知らないのは辛いわよね。私だってきっと何かできることがあるって思っているもの。のうのうと授業を受けているのがもどかしいわ」


 まるで見透かされたように警戒心を薄れさせていくのがわかった。言いたくないことも、秘めていたことも優しく開かれていくそんな感覚。

 アリスはフェリネラがアルスに好意を寄せているのを知っている。


 アリスやテスフィアはアルスにとって大事な教え子だ。ならばフェリネラも彼女たちを無下にすることはできない。

 打算の上での優しさ。上辺だけの気遣いだとアリスは感じる一方で、優しく抱擁するような手が頭を撫でて行く度に毒素のような涙が滲んでくる。


「私達ができることは何もないの……私も悔しい。でもね、何もできないことと、何もしないことは違うのよ」


 アリスの頭を自分の胸に引き寄せて、フェリネラはうっすらと悔恨の雫を浮かべる。

 フェリネラはどこまで知っているのか判断が付かないながらも諭すように抱き寄せた。


「私は……」

「うん」

「フィアの力にもなって、アルたちにも戻ってきてほしい」


 胸の中で嗚咽を噛み殺して紡ぎだすアリス。

 静かに頷くフェリネラは「私がすべきことがあるように、アリスさんにもしなくちゃいけないことがあるわ。もしかすると些細なことで直接的な力になることはできないかもしれない。でもね、またいつもの生活が送れるようにすることぐらいは悪いことじゃない。そう思わない?」


 胸の中でアリスは少し顎を引いて「はい」とだけ答え。


「みんなが好きだから……」

「そうね」

「アルスさんのこともよね」

「…………」


 フェリネラは指を優しくアリスの胸に押し当て、その奥にある物を指し示した。


「あなたの心配や不安はここから湧くものでしょ? アリスさんが気づかないフリを続けるなら、私は一向に構わないの。でもね、それでここが痛み発してしまったら、堪えるのは苦痛を伴うものよ。誰に対しても譲るべきじゃない、あなた自身の感情なのだから」


 だんまりを決め込んだアリスに、フェリネラはもう少しだけ力を貸してあげることにした。彼女は素直に自分自身と向き合うのが、苦手なのだろう。それは普段のアリスを見ていれば気づけるものだ。

 誰にでも良い顔をし、交友関係でも常に平和を望む立ち位置。悪く言えば意思を押し留め主張しないのだ。


 だから自分の中にある居座る感情が、友人と対立する構図をとってしまえば彼女は気づかないふりをする。


 ――良い人ほど損をする、というのはこういうことなのよね。


 フェリネラは内心で損な性格のアリスに、上手に生きる方法をとくとくと語りたい気分だった。喧嘩など遅るるに足らない些細なイベントなのだ。円滑な関係というのは時として上辺だけの関係と置き換えることもできる。


「フィアやロキさんに対する心配と、アルスさんに対する心配の気持ちはあなたの中ではきっと違うんじゃない? どちらが上とか下の問題じゃなく、あなた自身の問題としてね」


 声には出さなかったが、アリスがコクンッと頷いたのをフェリネラは予想していたように微笑んで受け止める。

 彼女がテスフィアと距離を置いたのも、そういうことなのだろう。

 だからこそ、フェリネラは告げた。


「なら誰にも遠慮する必要はない!」

「でも、先輩は……」

「えぇ、まあ、ね」


 照れた顔で頬を掻くが、その表情はすぐにキリッと凛とした。


「だからこそわかることもあるわ。頭で考えるだけ無駄だってね」


 そして引き離したフェリネラは微笑みながら、アリスの胸にそっと手を添えた。


「ここだけは別ものだもの……どうしようもないモノだから」


 敵に塩をおくるとわかっていながら、それでいて手を差し伸べてしまう。フェリネラは寮長という立場がこれほど自分にしっくりくるものだとは思いもしなかった。

 放ってはおけない。女同士だからこその理解者。


 指の腹で何度も涙を拭うアリス。

 落ち着きを取り戻すまで待ってフェリネラは本題を切り出した。


「大丈夫よ、みんな無事だから。ただアルスさんは今も各国が血眼になっているわ。学内でも噂になっている通り、これがいつまで情報規制できるか、少なくともそう長くは続かないでしょうね。そうなる前に……」

「……! そうなる前に?」

「各国が何らかの対策を講じるはず。大丈夫よ、アルスさんは1位だものなんとかしてくれるわ。それにお父様も言っていたのだけどすでにアルファ軍は裏で動き出しているみたい。残念だけど私達じゃ力不足、それはわかるわよね」


 誰よりもそれを痛感しているフェリネラは自制しながら問いかけた。そして同意の首肯に安堵する。

 彼女たちでは何の役にも立てない。


 学生という身分だけでなく、圧倒的に力が足らないのだ。それだけは何が何でも理解し、受け入れなければならない。

 歯を食いしばってでも己の未熟さを飲み込まなければならないのだ。


「差し当たってアリスさんには一つお願いしたいことがあるの」


 この頃にはアリスの表情は何かを決意したような迷いないものへと変わっていた。それは透き通るような真っ直ぐな言葉に如実に表れている。


「私にできることならなんでも!」



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