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不名誉な異名Ⅵ

 慈愛に満ちた声でエクセレスは妹を宥めるように囁く。


「大丈夫ですファノン様。誰も見ておりませんし、ロエンもこの状態です」


 蔑むような眼差しへと切り替わったエクセレスの目はまるで汚物でも見るように失神したロエンへと向けられていた。今にも唾を吐きかけそうな冷徹な眼差しだ。


 そして、釣られるように涙を拭いながらファノンが恐る恐る腕の隙間から目を覗かせて。


「も、もしかして死んじゃったの?」


 甘えるような声で問うファノンは上目遣いになってエクセレスを見上げた。


 この部隊の中核をなすのは実はエクセレスである。同じ女性だからこそファノンの苦悩もわかるし、宥めることもできるのだ。雑用はロエンの役目である。

 だから、今回は彼女の役目であるが、やはりここまで来ると少々不憫に思えてきた。それにSレート級の【サンドリア・デスワーム】は目と鼻の先だ。


 まず、優先すべきはファノンにAWRを使ってもらうしかない。


 彼女が【不可侵】と謳われる所以は傍にある三つのAWRにある。そして【クレビディート】の魔法師は基本的に彼女に対して【不可侵】という認識を抱いていなかった。

 ある意味で他国の評価とは少々異なる見方をしていることから、軍内部ではファノンのことを【最強矛盾さいきょうむじゅん】と敬意を込めて評し、ファノンが持つ三つのAWRを【三器矛盾】と呼称した。


 ファノンの障壁さえあれば【サンドリア・デスワーム】の侵入を防ぐことは可能なのだろう。そこから魔法師が攻撃に移れば良い。

 だが、相手はSレート級、何があるか判断がつかなかった。ましてやこんな精神状態で魔法に支障がないのか心配でならない。

 シングル魔法師である彼女には無用な心配だとわかってはいてもまだ彼女は10代なのだ。


 他国が知っているのは上っ面だけのファノンの実力。実際の彼女の力は隔絶していると言わざるをえないのをエクセレスが最も理解していた。


 優しく頭を撫でてあげる。そして目の前の脅威を取り除くためにこう嘯いた。


「ファノン様、ご安心ください。ロエンは気を失っているだけです、お忘れですか、男性にはスペアがあることを。一つぐらいどおってことありません…………ま、少しは痛いのでしょうけど」


 後半はほとんど聞こえないほど小声となって呟かれた。でなければ背後の男性陣から不服の申し立てがあっただろう。


「それにファノン様、あんな小細工をしたのでは逆に締め付けられて成長するものもしないのでは?」

「そうなの?」


 すすり泣きに変わったファノンは驚いたように聞き返した。


「成長期なのですから、ストレスは天敵ですしね。だからさっそくスカッと行きませんか?」

「うん……でも」


 ファノンが見た先にはロエンと背後から死に物狂いで魔物を引きつけてきた隊員らがいる。

 やはり、羞恥心は消えない。さすがに彼らもファノンの胸の起伏を気にしている余裕はないはずだし、それを口に出すことの忌避感を持っている。だが、ここはあえて彼らにも責任の一旦を背負わせるべきだとエクセレスは考えた。


 そうすればいつのも調子に戻り易いのではないだろうかと。


「ファノン様、女性として辱めを受けたのならばその責任は部隊員の責任です。えぇ連帯責任ですとも。特に男性限定で……だから、彼らには……」


 ぼそぼそと耳打ちしたエクセレスにファノンは迷いなく頷いた。

 きっと溜飲を下げることができるとエクセレスは確信する。


「うん、わかった」


 断崖絶壁となった胸を恥ずかしげに隠してファノンは落としたAWRを拾う。

 魔物を引き連れてきた部隊員の顔には一切の余裕がない。チラチラと後ろを振り返りながら走る姿は少しばかり滑稽に映った。


 ズズッと鼻を啜るとファノンは傘を前方に突き出して広げる。何かが連結したようにガシンと物々しい音が鳴り響き、続いて中棒に備え付けられているトリガーを親指で引く。

 直後、中棒の内部から注がれた膨大な魔力が骨組みを伝い、六枚の表面に刻まれた魔法式を輝かせた。一定の間隔を広げて徐々に広がっていく菱型の薄板。


 そしてファノンはこのAWRによって発動できる唯一無二の魔法名を告げた。


「【絶対障壁アイギス・システム】、起動」


 最硬さいこうの障壁は六枚のAWRから同形の障壁を無数に増殖させる。一瞬にして薄紅色の障壁が前方に立ち塞がった。障壁の一つ一つは傘の生地としてもそれほど大きくないが、ただそれらも数千にもなると圧巻である。


 互いの隙間はほとんどなく、それでいてどこか浮遊しているような動きを見せていた。


 この【絶対障壁アイギス・システム】を目の当たりにして圧倒させられる一方で身の安全を保証された気分になるのは当然だ。しかし、そうではない者たちも確かに存在していた。


 その隔たりは先頭のファノンと地べたに転がり失神しているロエンの中間に張られていたのだ。

 事実上見放されたことになる。


 背後で見ていたエクセレスは申し訳無さを抱きつつも非情になって告げた。

 両手を口に添えて声を張り上げるものの、どこか浮かれている風に感じる。


「皆さん、またロエンさんが馬鹿しましたので、連帯責任となります。なんとか逃げ切ってくださいね~」


 微笑みが零れそうな調子で言うものだから必死に引き連れてきた隊員は怒りの矛先をロエンに向けるしかないのだが、当然そんな余裕はない。


「それとロエンさんも連れてって上げてくださいね」

「クソッ……面倒な野郎だ」

「あの野郎、またファノン様に不敬を働きやがったのか!」


 息継ぎの合間に悪態を吐きながら二人の男が顎を上げて一気に先頭に踊りでた。


 木々を切り開いているため【サンドリア・デスワーム】がその全貌を現した時、あまりの大きさに全員が一歩後ずさった。

 

 瞬く間に地響きを轟かせて巨体が蛇行する。地面を削り、口腔内に放り込む。

 尾のついた疑似餌はすでに用済みとばかりに地面を擦っていた。


 追いつかれるかという驚異的なまでの速度、飢えた魔物が餌を前に何も考えずに芳醇な魔力を感知してその背を追う。


 他の隊員らは徐々に散開して距離を取り始めた。【サンドリア・デスワーム】はおそらくファノンたちがいる場所に集う魔力を追っているのだろう。


「クソ、起きやがれ!!」

「あ~ダメだ、抱えてくぞ」


 ロエンの両脇を抱え、一目散に跳躍する。背後の重圧然り、前方のAWR然りだ。まさに二人はファノンがこれから何をしようとしているかを覚り全力で跳躍した。


 そこにはファノンが【絶対障壁アイギス・システム】から手を放し、新たなAWRを換装していたからだ。【絶対障壁アイギス・システム】に関して言えば、一度発動させてしまえば後は自律プログラムが何者も通さないように演算する。

 一つ一つの障壁が独自に魔力を感知するのだ。その範囲は狭いものの、感知してからの対処はコンマ数秒にも満たない。

 系統、威力、内包魔力量、構成段階のプロセスの読み込みまでを瞬時にこなす。受けた攻撃に対して優位な防御態勢が敷かれる。単純な強度では無数の障壁が重なることで防げるようにインプットされていた。


 召喚魔法を遥かに凌ぐ高度な魔法システム。最大の強みはデータを蓄積し、参照することにある。そのため最も適した障壁の構成変更から組み合わせを弾き出すのだ。


 ロエンを担いだ二人が離脱した直後、ドラムを打ち鳴らすほどの衝撃が【絶対障壁アイギス・システム】から伝わるが、瞬時に何十にも重ね合わされた障壁の前では衝撃音だけで、座標の固定位置すら変わらなかった。


 障壁ぶつかりバネのように縮こまる【サンドリア・デスワーム】の向かいではファノンが着々と照準を合わせていた。




 ロエンを救出したのと同時にファノンは大筒の片方に中棒とハンドルだけを残した傘を筒の中に直接突っ込んだのだ。

 そしてガチャッと機械音が鳴るとエクセレスが大筒を傾けてくれる。


 両手で取り出したそれは、傘ではなく一回り小さくなった筒だった。しかし、その表層には一分の隙間もないほどの単一魔法式が刻み込まれており、数世代前に活躍した迫撃砲に酷似している。


 「よっこら、せっと」勢いを付けて取り出した迫撃砲の胴体部は煤けたような赤黒さがあり、妙な生々しさがあった。

 迫撃砲というには少しばかり用途が変わり、これはファノンが直接持って撃たなければならない。位置的に傘のハンドルは真横に付いており、トリガーの役割も兼ねている。丁度持ち手の辺りに巨大な石が嵌められていた。蒼穹の如く済んだ青は中心に向かって渦巻いている。


 この石のおかげで衝撃や熱も全て吸収してくれるため、メンテナンスの必要もない。


 肩掛けベルトを回し、細い腕が持ち上がる。


 銃身がふらふらするところでエクセレスが空になった大筒を立て、魔力を流す。すると側面から穴が空き、スライドするように数カ所から固定するのための足が地面に深く刺さる。


「ありがと」

「いえ、外さないでくださいよ?」

「もちろん……でも何枚にしようかしら」

「未知数の相手ですからね。変異と考えれば700は欲しいですよね。それと魔核の位置は……いらないですよね」

「うん、だいじょうぶ。じゃあ700~っと」


 片目を瞑りフロントサイトを覗き込むが、この至近距離だ、狙わずとも外しようがない。

 魔法式がファノンの手元から銃身を輝かせ始める。


 そしてこの瞬間はファノンの胸が晴れるのだった。

 口元が自然と楽しさから笑みを作り、声高らかに魔法名を告げた。


「【千壁の衝壁(サウザンド・ロア)】」


 砲口から不揃いの障壁が弾き出されると手前から順に衝突し始める。それは圧倒的な強度を持った障壁だ。ぶつかるたびに速度が増し、放った音と同時に聞き取れないほどの連続音が鳴った。

 衝突が銃口内部から続く連続に200を超えた段階で理論上は音速を超える。


 ダラダラと汚い涎なのか、体液なのかを吐き出している【サンドリア・デスワーム】はガラスを滑り落ちるように巨体が浮いている状態だった。

 だから、魔物の口腔奥から燃えるような光を見たとして心配はない。


 【千壁の衝壁(サウザンド・ロア)】は内側からの攻撃に反応しない【絶対障壁アイギス・システム】を通過し魔物を穿った。

 とはいえ、その瞬間を見れたものはいまい。

 トリガーを引いてからの行程は人間が認識できる領域を超えているのだから。


 故に、彼らは結果として魔物の姿をいつの間にか視界に映していたことになる――正方形に穿たれたその姿を。

 遠方の木々は跡形もなく消し飛び、綺麗に両脇を揃えた状態で閑散とした景色を覗かせていた。


 【サンドリア・デスワーム】は薄皮一枚残した状態でベチャベチャと地面に落下する。すでに尾から身体を灰に変えつつあった。


「お見事です、ファノン様!!」


 エクセレスはパチパチと手を叩いて称賛した。さすがの他国もファノンが防御一辺倒の魔法師だという認識を抱いているだけに少し優越感に浸っていた。

 と、同時に一抹の不安が過る。どうにもファノンはS気を持っているようだ。


 繊細なだけに開き直ると、逆に怖い。上手く成長の一助とならねばと決意を新たにする。

 この光景に現場を指揮しなければならない隊長が上手く機能していなかった。呆けたように空いた口が塞がらないのも仕方がない。

 ファノンの【三器矛盾】は名前こそ知れ渡っているが、実際に目の当たりにするのは【絶対障壁アイギス・システム】だけだろう。


 彼に代わってエクセレスは声を張らなければならなかった。


「すぐに魔力残滓を散らしてください。中継拠点に魔物を集めてもなんの得にもなりませんよ」


 我に返った隊員らが慌ただしく動き出した中でエクセレスはファノンから【千壁の衝壁(サウザンド・ロア)】を受け取り、今だ白煙を昇らせる銃身には触れず、筒の中へと収納した。


「お疲れ様でした。どうしたか?」

「ふ~スッキリしたわ」


 大きく吐き出された息は同時に【絶対障壁アイギス・システム】も霧散させる。六枚の薄板は互いの距離を縮め、隙間を埋めると綺麗に閉じた傘のようになる。

 それを隊員が回収し、エクセレスの筒に収めた。



 遠くに見えるロエンの姿は相変わらずであるが、すぐさま担架に乗せられた。



 後日談。


 その後すぐにファノンはエクセレスから男性が持つとされる黄金の玉についての補足、というか訂正がなされた。

 さすがにスペアがあると勘違いしたまま男性隊員の玉を事あるごとに潰したのでは洒落にならないと判断したからだ。何よりも初心うぶと無知を履き違えたのではファノンのためにならないと遅ればせながら気づいた。


 もちろん彼女が反省する必要性は感じなかったが。


 これを受けてファノンは名医と称される治癒魔法師を数名当たらせ、ロエンの睾丸修復に取り掛かるのだが、治療室から出てくる度にロエンの顔は真っ赤に染まっている。というのも担当医は女性が多く、局部を晒さなければならないことが原因だろう。


 当然、ファノンの指示であるのだが、彼のしたことを事故だと断ずる者は一人もいなかった。まるで擁護するに値しないというようにロエンはそれから二週間もの間、完治に関わらずズボンの下腹部から股下にかけて怨嗟の分だけグルグルに巻かれた包帯によってパンパンになった姿を晒し続けるのであった。



 なお、ファノンの見栄の象徴はこれ以降謙虚さをみせる。成長したわけでないのが恨めしいまでに残念であるのだが。

この事件――主にロエンの睾丸が潰れた――の噂は瞬く間に広がりまことしやかに【睾丸潰し】の異名が付くのであった。実際問題事実ではあるのだから弁解の余地もない。

ただ、エクセレスがファノンに教えた説明の中で【急所】という言葉が良からぬ方向に彼女を導いていた。


 それはほとんど労力を要さずに男を一撃で昏倒させることができるという強みだ。圧倒的なまでの弱点、この時点でファノンにとっての男女差は明確になったと言える。

 誰も見ていない所でほくそ笑むファノンの顔は嗜虐心を擽られていた。


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