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不名誉な異名Ⅴ

 遥か彼方から天空の床を駆けて来る影に中継拠点に駐留していた部隊は大慌てとなった。事前の作戦時において万事抜かりはなかったが、そうなる状況を軽視していたのだ。

 なにせ【クレビディート】が誇るシングル魔法師率いる部隊が討伐に向かっていたのだから無理からない話。


 拠点周辺には急ぎ魔物を討伐しなければならないわけでもなく、スムーズに魔法師は向かってくる影を拠点前で整列して待ち構える。


 そこには物々しい銀光を放つ大筒が運び込まれていた。なお、エクセレスが持っている大筒はファノンの換装を入れるための収納具である。中には折り畳まれた傘が数本入っている――謂わば傘立て。


 隊の中央で一歩踏み出した隊長がはっきりと姿を目視で捉えたのと同時に、探知機器に感知反応があると部下が報告してきた。


「前方、推定Sレート反応あり!! 種類不明です」


 探知機器は国防の索敵時にも常用されている機材だ。どこの国も同じものが配備されている。そのため、魔力で感知するタイプで低レートは取りこぼしがちになってしまう。

 だが、Sレートというのならばその場で始末できなくもないのではないかと、一瞬脳裏を過ぎったが、隣で立てられた大筒を見て、溜息を溢した。


 ファノンは軍内部でも気分屋として知られており、上層部ですらご機嫌取りのために手を尽くしている。それは戦闘面でも如実に表れていた。部隊員は気分を害さないように言い含められているほどだ。


 今回は武装を徹底していなかったために、一度帰還してきたのだろう。


 部隊の人数が行きと大きく減らしていたが、隊長は無言でじっと待つ。中隊の隊長を任されたサンバット・ホッセンは中肉中背でありながら、その戦闘経験から正面に立つと貫禄のある偉躯いくだ。階級は少将と経歴を見ても文句の付け所がない。ファノンが訪れるということで剃り忘れていた無精髭にも別れを告げたばかりだ。部下の手先が器用な者に散髪も頼むほどの徹底ぶりだった。


 ファノンはある意味で元首よりも敬意を払われている。これは一部の魔法師の考えだが、国を潤すのは元首の役割であり、命を救うのが魔法師の役割だと。

 そのため、彼らは媚びへつらうのではなく最大限の敬意を持って相対していた。彼らの敬意に応えてくれることも知っている。


 だからこそ、この重要な拠点を任されているのだ。


 いつでも手放す判断をし、万が一の場合は情報を持ち帰ることもできる上に脇から【クレビディート】に攻められても挟撃できる。

 やはりそういった外界での戦闘経験をしてきた少将は当然、ファノンの戦い方をも熟知していた。まさに堅牢な国に相応しい確実性。


 おそらく今回も拠点で迎え撃つのだろう、だから隊をここに集めたのだ。魔物は人間を好んで捕食する。その趣向を魔力にある。だからこそ、この場に魔力を集中させることでおびき寄せる算段だ。

 ただこうして空中を渡ってくるというのは何か問題があったのかもしれない――主に機嫌を損ねたような。



 ◇ ◇ ◇



 中継拠点が近くなってきたことでファノンは準備を進める。


「エクセレス、あれちょうだい」

「はいっ!!」


 一直線に走る一行の順列は先頭にファノン、そのすぐ後ろをエクセレスだ。

 指示を受けたエクセレスは即座に筒の中に手を差し込み、その中から一つを抜き取る。傘の生地の部分で中棒とハンドルがついていない。

 ファノンの日傘型のAWRは換装できる仕様になっており、筒の中には数本の折り畳まれた生地部分と骨組みしかない。


 それを片手で器用に取り出したエクセレスは中腹を掴んで前方に投擲する。


 代わりにファノンは折りたたんだ日傘の先端を後ろに向けており、脱着式になった傘が外れ、中棒とハンドルだけを残して背後を走っていたエクセレスの筒の中に綺麗に収まった。


 そして速度で追いついたファノンは折り畳まれている傘の中に中棒を差し込み、カチリと捻って換装し終える。


「やっぱり、これも少し重いわよね。いらない筋肉が付いたらどうしよう」

「これぐらいならば逆にほど良く筋肉が付くかと思いますよ。ファノン様には必要ありませんが、油断していると肉はいらないところばかりに付いてしまいますし」


 は~あ、と諦めたように息を吐いたファノンの傘はすでに日傘の様相を呈しておらず、白銀の薄板がなんとか傘を形作っている。

 露先つゆさきはなく骨組みに沿って菱型が連結していた。


 中継拠点に到着し、クルッと空中で一回転して着地直前で傘を開く。不思議と風が地面に叩きつけられ、足元を逃げるように吹き抜けた。


「ファノン様、迎撃ですね」

「そっ、馬鹿たちが連れてくるから準備は……手際が良くて何より何より」


 サンバットの両脇を固めるように二対の大筒。

 これは筒の中に一本と限られた換装しか入っていない。しかも蓋があり、鍵が掛かっている状態だった。ファノンの魔力にしか反応しない施錠。


「サンバットたちは手を出さないでちょうだいよ」

「……は、はい! 間違っても」


 サンバットは予感が的中したと内心で呟いた。やはりあまり機嫌は良くないようだった。だから一切異論を挟むことが許されない。


「ね~エクセレス~、どっちがいいかしら?」

「あの~、ファノン様、魔物はすでにかなり近いのですが……」

「おまっ!?」


 探知を報告してきた部下の一人が余計なことを口走った。エクセレスでさえ、瞬時にその男を睨みつけている。


 サンバットが部下を殴るより早くファノンは口を開いた。それは楽しい選択の時間を妨害された不機嫌な顔で、あまり好ましくない状況だ。


「そう、じゃああなたが時間を稼いでくれるのね。それは素晴らしいわ。行ってらっしゃい……」

「いえ、ファノンさ、ま……」

「いって、らっしゃい」


 一応の戦闘準備ができているのが災いしたのか、男は己の発言を後悔しながら駆けて行く。


「で、エクセレスはどっちがいい?」


 一瞬で切り替えた無垢な表情にエクセレスは若干呆れ気味に答えた。ファノンの機嫌を損ねるという気遣いは彼女に関しては少し甘い。

 それに――。


「ファノン様、あれを使ったら中継拠点一帯が消し飛びますよ」

「ん~そうかしら?」

「えぇ、間違いなく」


 他愛もないやり取りは緊張感の欠片も感じさせない日常的なものだった。あまりの気の抜けた声に誰も口を挟むことも忘れている。

 すでに半強制的な勇猛さは見せた部下の背中は小さくなっていったが、ある一点で地響きにシルエットを揺らすと立ち竦んでしまった。


 魔力反応だけならばSレート級、それを知っている隊員たちは震えそうな足を意識して固定する。シングル魔法師はSレートと互角以上の実力と目されている。それは誇張などではなく事実であるが、基本的に隊を率いて討伐するのが通常、しかも、討伐できる確率は高くはない。

 何をしてくるかわからない魔物を相手に絶対などという言葉は存在しないのだ。


 当然、ファノンにも言えることだ。前回のSレート討伐からそれほど経っていないというのに連戦とは運が無い。疲労も十分に回復できたのか不安でもある。


 木々の天辺からのっそりとした黒い外殻が山のように見え隠れし始めた。


「ファノン様アアアァァァ!!!」


 先頭を走っているのはロエンだった。他の隊員は上手く回避しながら引き付けてきていた。副官の彼が一人任務を忘れて駆けて来るのはその背中を見ればすぐに察することができる。


 担がれた男にファノンは眉尻を不思議そうに上げた。隊の中でロエンは実力的に見ても割りと上位に位置するが、背負われている男は更に上の順位を示している。


 遠目に見ただけだが、外傷はない。


「治癒魔法師は待機、すぐに連れて行きなさい!」


 即座にエクセレスは指示を飛ばすと隊長を経由するまでもなく、駐留していた治癒魔法師が三名出てきて準備を整える。担架に即席で魔法式を刻んだシートを敷く。


 一時、AWRの選択を保留にしてファノンはロエンへと歩を進めた。しゃがんだロエンの背中におんぶされている部下へと声を掛ける。


「しくじったわね」

「申し訳ございません」

「そのための部隊だから別に構わないわ。死なないだけ運がよかったわね。で、収穫は?」


 流石にこれ以上しゃべらせるわけにはいかないとロエンが首を少し捻って引き継いだ。


「どうやらあの鱗のような外殻には結構な隙間ができているのですが、そこから噴出するように魔力が溢れているんですよ。だから確実に避けたにも関わらず骨を数本持って行かれたみたいです」

「天然の障壁ってところね。どのみち関係ないけど」


 ロエンは治癒魔法師に背中を傾けて預ける。そして膝に手を置いて勢い良く立ち上がった。まだ副官として最後まで引き付ける必要があるからだ。


「あなたも隊長っぽいことができたのね」

「ハハッ……」


 苦笑いを浮かべ、ファノンの目の前で立ち上がったロエンは何故か腰の辺りに重みを感じた。

 直後、喉の奥から漏れる悲鳴を聞く。


「ヒッ!!!!!」

「え?」


 振り返ったロエンはそのまま視線を下げてスウッと肝が冷える光景を見てしまう。

 どこで引っ掛かったのか、腰に巻いているベルトのフックがファノンのブラウスを引き上げていたのだ。彼女は爪先を立てていたが、ロエンとの身長差のせいかおヘソが丸見えとなっている。


「ファ、ファノン様!! これは……」


 言い訳を口にし始めた直後。ボトボトと重みを感じさせない音がした。ロエンが口を噤んでしまったのは視界の端でお椀型の何か(、、)を見てしまったからだ。


 計8枚のパッドが落ち、その内の1枚が転がってロエンの足元へとぶつかった。彼の不幸は最悪なことにブラまでをも引っ掛けていたことだ。


 時が止まった瞬間だった。最も恐れていた事態、触らぬ神に祟りなしとして禁忌とされてきた暗黙の掟が今、破られた。


 人間の本能だったのか、ファノンの背後で整列していた隊長含める駐留部隊は即座に顔を背け、目を瞑る。彼らは今、Sレートよりも遥かに恐ろしい事態に遭遇していた、そんな気分だったのだ。


 事態の深刻さを即座に理解したエクセレスの行動は早かった。もしかすると自身が持つ反射速度に匹敵する。肉体の限界を僅か数歩に込めた。

 足元に転がったパッドの全てが落下してから2秒以内にエクセレスの手の中に収まり、誰も見ていない隙にポケットへと詰め込む。

 彼女はチラリとロエンを睨みつけた。起こってしまったことはしょうがない。だから後始末は受けて然るべきだと。


「これは、そ、そのですね。事故、事故で、して……ごめな……さッ!!」


 慌ててホックを服から外すが、すでに遅い。ファノンの胸部は女性としての特徴を消失させてしまったのだから。

 なんの抵抗もなく服は平らな胸板に収まって空気を漏らす。


 なによりもファノンの震えている肩が怖かった――刹那。


「うぎゃあああぁぁ……」


 ロエンの身体が勢い良く浮き上がった。股下に突き刺さる激烈な痛み、蹴り上げられたと知った時にはすでに白目を剥いている。

 股間が一瞬で熱を帯びて何故か足裏から股間にかけて針を通されたような痛みが突き抜けた。決して音が鳴ることがないとわかっているのに、この時、ロエンは確かにメキメキという破砕音を聞いた。


 ファノンの足の甲に押し潰された黄金の玉がお役御免になった。

 全隊員――男だけ――が女のように股下を擦り合わせた瞬間だ。到底人事では済まされないと顔を青ざめさせ、そして自分でなくてよかったと思うのだった。


 何かが喪失したようにロエンはそのまま尻だけを突き上げた状態で倒れた。


 フルフルと肩を揺らし、決河の如くファノンは泣き叫んだ。


「もうおぉぉ、イヤあああぁぁ……ヒクッ、なんで私ばっかり……シングルなのに、こんな、こんな恥ずかしい思いしなきゃいけないの?」


 ホロホロと溢れる大粒の涙を手の甲で拭い、顔を赤く染め「うあああぁぁぁん」と大声を上げてペタンと地べたに直接腰を落とした。


 エクセレスは姉のようにそっと背後から腕を回して抱く。

 


 

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