不名誉な異名Ⅱ
◇ ◇ ◇
総数30名からなる部隊の中でもロエンは三桁と他の魔法師に引けを取らなかった。危険度も高いがこの部隊にいれば、二桁までは時間の問題だろう。
任務を終えるごとに手応えを感じていた男は入隊して配属早々ファノンの補佐という大役を仰せつかっていた。実質的には副官に近いが、実際彼が指揮を任されたことは一度もない。
単にファノンが雑事を頼む際に近くにいることが多いという理由だけで副官になったのだから。
クレビディートを出立して早二日が過ぎようとしていた。
この部隊の特徴として特に女性魔法師が占める割合が高いのもトップにうら若き乙女がいるからに他ならない。
そして外界といえど女性としての必需品など毎回大荷物になることは仕方のない事だった。男性陣が背中に背負っている大きな背囊は人によっては30kgある。これは常識ではなくファノンがシングル故で、この部隊の特色ともいえる。
基本的に外界では身軽になるのが鉄則だ。精鋭部隊といえど逃走はいつも頭の片隅に入れておくもの、足場の悪い外界では飛ぶように駆ける最低限の速度が要求される。
魔法師には見落としがちな身体能力が外界では嫌というほど要求されるのだ。それでも魔物を倒すことに関しては魔法の方が重視されるため、身体能力は軽視されがちになってしまう。
かくいうロエンも外界で鍛えられたようなものだが、それでもこの部隊にいると欠点が浮き彫りになるようだった。
ふと背中に意識を傾けたロエンは何が入ればこんな重さになるのだろうかと思う。そう自分の持ち物ではないのだ。
ファノンの毎日の着替えはしっかりとロエンの背囊に入っていた――当然、部隊員の荷物も少なくなり腰に巻いた小鞄ぐらいしかない。
それでも今回は荷物が少ない方だった。
ロエンはあの高いヒールでどうやってこんな速度が出せるのか疑問で仕方がなかった。荷物を背負っているとはいえ、着いて行くのでやっとだ。
偽の乳は揺れすらしない。
「ファノン様、そろそろ日が暮れて来ました。今日はこの辺りで野営しませんか?」
本来ならばファノンが指揮を取り提案しなければならないのだが、この少女は蒸し蒸しとした森林を一刻も出たいはずだ。もっと言えばすぐにでも引き返したいはずだった。ならば夜通し行軍ということも考えられる。
「う~ん、確かに今日はもう服がベトベトになってきたことだし、まっ、いっか」
一瞬速度を上げ、先に出て軽やかに止まると、全隊員に可愛らしい手が上がり停止の合図を出る。一息付く間もなく隊員を周囲の偵察に行かせた。探知魔法師がいたとて、魔物以外の不審物、違和感など直接目視で確認するためだ。
あえて距離をおくという低能なりに知恵を働かせる魔物も最近は増えてきた。そういった小細工をする魔物に関してはマーキングなど目印を残しておくことがある。これは相手の油断を誘い、夜が深くなった頃、一斉に魔物をけしかけるためだとか言われている。
そのため、マーキングポイントにはフェロモンに釣られた魔物が集まることもつい最近あったばかりだ。
「はーい。今日はここまで、後はいつもどおりね~」
「「「ハッ!!」」」
ロエンを含めた数名の男性と女性陣が残った。
男たちはすぐに小さめの幕舎を建てに掛かる。当然、ファノンを含めた女性用だ。男たちは雑魚寝だが、この部隊に入った時点でこれは決まり事となっている。
テキパキと組み立てていく。随分と慣れたものだ。探知魔法によって周囲に魔物がいないことは確認されているため、偵察が帰還する前に作業に移っている。
出来上がった傍から女性陣がファノンと一緒に入り、すぐさまシャワーの音が聞こえ出す。水系統の魔法師がいるのはこの時のためだけではないと言っておく。
ロエンは魔法で火を熾して集めた薪に移し、食事の支度に取り掛かる。自慢ではないが、独身生活が長いため、料理の腕はちょっとしたものがあった。
他の連中も似たり寄ったりで、魔物に悟られないために道中の匂い消しとして粉のようなものを振りまいていく。
ここで女性たちに誰も興味を示さないのは中央に佇む幕舎が堅牢な障壁で包まれているからだ。何よりもシングル魔法師相手に不敬を働いてはもうこの国では生きていけないだろう、という何があっても揺るがない自制を植え付けられている。
基本的に彼女は気分屋だ。だが、その実力は誰もが認めている。もっと直接的にいえば皆、子や妹を思うような目で見ていた。
それも彼女が部隊の中で一番の若さと見た目の幼さが原因である。怒られてもどこか微笑ましく感じてしまうのは仕方のないことだった。
要は気が抜けないのだ。
ファノンが以前、魔物と接近戦を繰り広げた時は男衆がこぞって魔物を袋叩きにしたほどだ。自分らが戦うよりよっぽど確実性が高いというのにどこか危なかっしさを抱いてしまう。見ているほうがソワソワしてしまうのだ。
そんなこともあり、急な笛の音に緊張が走った。
――この音は!
即座に火を消し、ロエンは声を荒げた。
「敵襲!! 戦闘準備に取り掛かれ!!」
アイコンタクトで最も幕舎に近い隊員に頷く。一刻も早くファノンに知らせなければならないが、それと同時にすぐには出てこれないだろうとも考えた。
まだシャワーの音が聞こえてからそれほど経っていない。いつもならもう10分は掛かる。
こういう時の対応は殲滅できる場合は偵察時点で即時殲滅が必須だ。それをわざわざ知らせて来たということは増援を待つ暇すらなく、こちらに引き寄せ合流する。
だから、ロエンたちは準備を整え、相手の意表をつけるようにAWRを構えた。
隣で食事の支度をともにしていた年上の男、剃り残しのある顎を一撫でした男が隣に立ち。
「ファノン様のご支度が済むのはもう少しかかるそうだ」
「そうですか」
つまり、ロエンたちでは全く歯がたたないようなレートではないということ。そんな魔物が早々出てきては困るのだが。
「見えたっ!!」
「ロエン!!」
「わかってます。いつの間にこんな数が……おそらくは前回の戦闘に巻き込まれんと逃げた低レート共ですね」
「ざっと見た感じだとファノン様のお手を煩わせるほどでもなさそうだがな」
「Aレート超えはいませんが数が数です。油断せずいきましょう」
ロエンよりも3歳ほど年上の男を見て気を引き締める。
ファノンならばこの程度一瞬で蹴散らしてしまうのだろうが、隣の男然り、極力手を煩わせないようにするのがここの部隊の男連中だ。
もちろん、それはロエンにも言えた。
他の隊員もこぞって頷き返す。
だが、見ただけでも50体はいる魔物がこのタイミングで現れたというのは運が悪かったとしか言いようがなかった。以前魔物を掃討したのが更に先にあるとはいえ、ここも一応は対象範囲内だ。
魔物の血や死んですぐの場合、大気中に魔力の残滓や魔物のみが嗅ぎ取れる血臭、それに釣られて集まってきてしまう。前回からそれほど日が経っていないし、その時は魔力の残滓を散らすように徹底したはずだ。だから、まだ大丈夫だろうと思っていたが、そう優しくはないようだ。
最高レートでもおそらくはB。
ならば幕舎に張られたファノンの障壁を突破できるはずはない。問題は現存する魔法師が無傷で乗りきれるかということだった。
いくら手練が多いシングル魔法師の部隊といえどこの数だ。油断すれば人間など容易く絶命する。
荒れ狂う多種多様な魔物が餌を前に仲間を押しのけ我先にとまっしぐらに突き進む。巨大な魔物もいれば人間ほどの体躯の魔物までいた。
偵察に向かった隊員が魔物を引き連れ、ロエンたちが待ち受けていた防衛線を越えていく。
「――今だッ!!!」
部隊がわざわざこの場で待ち受けるのは背後でファノンがいる以上に万が一の時は彼女がなんとかしてくれるという期待もあった。割りと気分屋な面もあるが、同じ部隊の仲間、これまで幾度となく助けられたものだ。
普段ファノンの戦闘を見ているからか、こういう場面に出くわそうともロエンは冷静に判断できた。
偵察部隊が上手い具合に一直線に引きつけてくれたため、ロエンの合図によって左右からの魔法による挟撃で一気に数を減らすことができたのだ。
更に風系統の魔法によって小型の魔物は高く舞い上げられていく。雑魚は多い状態では立ち回れなくなることを恐れて退場してもらうのが吉だろう。落下の衝撃程度では死にはしないもののすぐに起き上がってこれないはずだ。
漏れ出た魔物をロエンは率先して迎撃に向かう。
彼が手に持つのは湾曲したカットラスに似た剣だった。赤い発光を見せた直後、刀身に向かって炎が巻き付く。【炎刃】と呼ばれる付与魔法。
正確に魔核を捉えられずとも乗り移った炎は全身を焼き尽くす。
やはり高レートがいないためか、圧倒的に優勢だ。手際もよく後ろに取りこぼさない。日頃から鍛え抜かれた精鋭だけのことあった。Aレートが混ざっていようとおそらく対処は可能だろう。
「ロエン!!」
突如、交戦していた仲間から声を掛けられてロエンは後退しながら振り返った。返事をせず踵を返して走りだす。
背後に取りこぼした魔物はいないが、一撃目で舞い上げた低レートの魔物が運悪くファノンのいる幕舎に向かって落下しているのが見えたのだ。
さすがに障壁の上に落っこちようとも、さしたる問題はない。しかし、ここに集う父や兄弟は良しとしない。ロエンの行動は誰に咎められるものでもなく、当然の判断といえた。
優勢とは言え、まだまだ魔物は押し寄せてくる。ロエンが抜けた穴は小さくなかったがそれを補填してくれる仲間がいる。
脇目もふらず飛び、落下に合わせて頭が二つあるコウモリのような魔物を一刀両断する――刹那。
「あーうるさい! もっと静かにでき――!!!」
幕舎から勢いよく出てきたファノンはまだ髪の毛が乾いておらず、水滴を滴らせている。二つに結った髪も今は綺麗に解かれていた。だが、そのすぐ真上では魔物が肩口から胸までを【炎刃】によって真っ二つに両断されており、濃緑色の体液が滝のように降り注ぐ。
「ヒッ!!!!!」
シャワーを浴び終えたファノンは当然、全身を覆う魔力をほぼゼロにしていた。これは外界時における意識の散漫さが招いたことではなく、本来魔力を全身に一定以上流すことにあまり意味はないのだ。やはり汚れの付着を妨げる程度しか役に立たない。僅かに魔法の発動速度を上げるという意味では有用ではあるのだが。
どのみち量が量だけにそれなりの魔力量が必要になる。
そんなわけで体液のシャワーを全身に浴びたファノンは首を竦めてフルフルと震えていた。翳りの落ちた顔は俯いていて何も窺い知ることができない。顎先からねっとりと粘性を思わせるようにゆっくりと垂れ落ちていく。
その異様で、恐怖を掻き立てる光景にロエンを始め全隊員が頭痛を覚えた。全ての元凶であるロエンが意を決っして声を掛ける。
「ファ、ファノン様!?」
「イヤッ……」
「へ?」
野生の動物を逃がさないようにそっと捕まえる動きでにじり寄ったロエンの腹目掛けて鋭い拳が突き刺さった。
「ゴフッ!!」
「ありえない、ありえない、ありえない、ありえないいぃぃ……何これ気持ち悪っ!!」
「ファノン様、すぐに洗い流しましょう」
「うん……グスッ……」
幕舎から顔を覗かせた女性隊員の進言にファノンは涙目になって逃げるように駆け込んだ。
「ファノン様~」
ロエンの悲痛な叫びに対してファノンは振り向かずに答えた。
「死ね!」
直後、何重にも幕舎だけを覆う障壁、誰が見ても上位級並の障壁が何重にも重ね掛けされていた。
そしてロエンの肩に小鳥が乗っかるような優しさで手が乗る。
「やってくれたなロエン」
「これで俺らだけでこいつらを始末しなきゃならなくなっちまった」
「ロエンさんにはたっぷりと働いてもらおう」
「うちの姫にようやってくれたな若造!」
口々に罵声を浴びせられたロエンは言い返すこともできずに苦笑いを浮かべた。
「極刑だな」
「確定だ。後で姫に殺されるか、ここで華々しく散るか選べ」
ふとロエンは目を閉じ、カッと見開いた。そして次には誰よりも先に走りだす。
「ウオオォォォ!!!!」