不吉な新天地
教師陣の研究室がある校舎とは別に新設された実験棟があった。その中の一室、どうみても教師達の部屋の数倍はあろう広さだ。というよりワンフロアだ。そこに宛がわれたのが新入生の一人だというのだから教員の顔色は良くない。
学院に入学した生徒は全て例外なく寮へと入る規則なのだ。運営母体が国である以上、必ず起こりうるであろう不祥事を内々で収めるための施策だ。未成熟な新米魔法師にとって魔法とは利己的な考えの具象化になりがちだ。些細ないざこざでさえあわや大惨事なんてことも少なくない。それが一般人に及ぶようなことになれば国としても魔法師育成機関の方針を改めなければならなくなる。それは国力の低下にも繋がることだ。
「設備はどれも最先端か、学院に入れさせられたのは癪だがこれなら文句は言えんな」
学院の卒業先、つまりはエスカレーター式で軍役へと就くわけだが、そこに入れられたのだから結局軍からは逃れらないということだろう。
幼少の頃から魔法師として育てられた身としてはそれでも自由になった気分だった。
僅かばかりの荷物を寝室へと押しやって、すぐに書棚を漁った。そこには注文していた通り、全ての本が収められている。魔法基礎学などからかけ離れているものの、応用ではない。古書だ。先達の教えから学ぼうと言うのだ。それも見向きもされないような机上の空論ばかり、魔法の可能性は様々な形に枝分かれしている。どんな荒唐無稽なものでも可能性やそこから得られる情報は数多い。そういった奇異な発想こそが魔法の進展に繋がるのだと考えている。
研究に足らない分は学院にある図書室を利用すればいい。魔法学を学ぶならここより整った場所はないだろう。
パラパラと捲る全ての本は貴重なものばかりだ。これだけの物を個人のために用意するなど普通ではありえない。しかし、アルスはいくつかの論文、研究成果を提出し、魔法の先進に一役も二役もかっているのだ。総督の言った通り満足な生活が期待できそうだった。
そこに来訪を告げる。ノックが数回。
「どうぞ」
そう言うと正装した女性が外連味を感じさせない笑みを張り付けて入る。目を瞠るような美人。それに加えて流麗な身体の曲線が大人の色香を醸し出す。
「初めまして、理事長をしておりますシスティ・ネクソフィアと申します。よろしくアルス君」
魔女の異名を持つ有名人だ。すでに現役を退いているはずだが、周囲から漏れ出る魔力は未だ衰えを感じさせない殺気を孕んでいる。
「存じておりますよ魔女システィ殿。アルス・レーギンです。片付け次第、御挨拶に伺おうと思っていたのですが」
現役を退くほどだ。理事長は決して若くないはずなのにどう見ても20代半ばにしか見えないのは、未だシスティ理事長が魔女と呼ばれる所以でもある。艶のある茶色い髪は腰までを優雅に波打ちながら落ちている。服の上からでもわかる強調するような張りのある胸元に括れのある腰、実年齢と外見が噛み合っていないのだ。
理事長は動じないアルスに口の端を上げてみせると魔力を消す。
「さすがはシングル魔法師。これぐらいでは動じませんか。それと今の私は理事長ですので」
「失礼しました。それにしてもおかしなことを仰いますね。理事長も現役時代はシングルだったはずですが」
「昔の話ですよ。それも9位、シングルは一時の間だけでしたので」
微笑を浮かべる理事長は謙遜してこそばゆそうに頬を掻いたが、アルファ国内に彼女を知らないものはまずいないだろう。現役時代は彼女を筆頭にアルファを守護していたのだから、軍内部でも顔の広い彼女は退役後、当然のように第2魔法学院理事長に抜擢され、多くの優秀な後進を輩出してきたのだ。
「それよりよろしいのですか、今は入学式の真っ最中のはずですが」
「私の出番は終わりましたので」
理事長が入学式を途中退出するのはどうかと思うが、アルスは興味のない話題だと特に口を挟まなかった。
元シングル、それだけでも学生の憧れだ。さぞ視線の集中砲火を浴びたことだろう。
皺一つない顔でも疲れが見て取れた。というかワザとらしさすらあるのだが。何か労いの言葉でも待っているのかもしれないが、こういう手合いは付き合いでいらない気を回せば次回から遠慮しなくなるものだ。
比較的自然にアルスは見なかったことにするが、こちらはこちらですでに手遅れな感は否めない。
「それを言うなら、アルス君も入学式を欠席ですか」
何かをなかったことにする軽い口調。
「俺は自分の研究を進めたいだけなので他の生徒と同じように授業に出るつもりもありませんし、仲良しごっこに興じる時間もありませんよ」
「それはいけませんね。総督からは学業を怠るのであればすぐに復役させるようにとのお達しがあるのですが」
「――――!! なんて横暴なじじいだ」
理事長は艶かしく口に手を当てて笑う。
辞めるのはアルスの自由のはずなのだが、自分がどれだけ人類に貢献できるかをアルスは正確に把握している。退役は認められないという総督の考えは妥当なもので当然だ。
だから、妥協したというのに。
楽しくおかしくとまでは言わないが、これまで働き詰めだったため、残りの余生をゆっくりと過ごしたいという儚い願いは到着早々に罅が入った。
「安心してください。授業は最低限の出席とレポート課題だけをクリアすれば単位の修得はできますので、それとアルス君の順位は無駄な混乱を防ぐためにも秘匿するように」
魔法師の力の証明である順位……その中でもシングルと呼ばれる魔法師の個人情報は表向きは秘匿扱いとされている。なので黙ってろというお達しがあろうと今までと変わりない。
「自慢気に言い触らす趣味はありません。面倒事はないに越したことはないですし」
「ふふっ……そうですね。それでは有意義な学生生活を」
理事長は微笑みながら「何かあればいつでも理事長室に来てね」といって部屋を後にした。
室内には閑散と先行きが不安になる空気が蔓延している。思わず溜め息を吐いてしまうのは不可抗力だろう。
「俺の時間が……」
♢ ♢ ♢
新入生およそ四百名が各々履修した教科に合わせて講義を受ける形の授業だ。クラスも分けられているが、一堂に会するのは模擬訓練など実技の場合に限る。
今日で授業開始から三週目、アルスは初めて授業に出た。興味のある科目など一つもなく、ずっと研究室に籠りっきりだったのだ。
そろそろ出始めないと出席日数が足らなくなってしまうと思ったのが先週だったか。
制服に袖を通すのは欠席した入学式の時以来だ。常時着ていても問題はないほどの作りになっていることにはさすが国営と唸ってしまうほどだ。デザインがではない。着心地が良いというわけもなく、ただ単に素材が良かったのだ。任務に赴くときに着ていた仕事着よりも遥かに対魔法繊維が多く含まれている。そのくせ、内側からの魔力伝導率には一切の淀みがない。下手をしたら仕事の時に着ていたものより上等なのかもしれない。
それはそれでどうなのかとも思わなくもないが。
そんなことに耽りながら一年の教室へと向かうのだった。
この日は模擬訓練など実技が多い日だ。一限目は魔法基礎学だった。アルスにとって今更基礎を学ぶ必要などない。六歳から軍で様々な英才教育を受け、さらに独学で魔法学を飛躍的に進化させてきたのだ。主に殺傷性の方面で、だが。
教室へと踏み入ると、すでにクラス内は交友関係が出来上がっていた。一クラス四十名の十クラスだ。まだ授業前だというのに昨日の講義の内容など魔法に関する話題が飛び交っている。
アルスは適当に後ろの席へと座って、分厚い本を読み始めた。
初めて見るクラスメイトへと怪訝な視線が集まるがアルスは気にしない。最初から慣れ合うつもりはないからだ。
そこに栗色の髪をした女生徒がしとやかな動作でアルスの前まで近づいた。
「おはようございます。私はアリス・ティレイクです。あなたがアルスさんだったのですね」
「……ん、あぁ」
自分に声が掛かったとは気付かず一拍遅れての相槌、アルスの視線は本の文字を追ったままだ。
だったという言に面識があったかと記憶を掘り起こすものの、すぐに出てこなかったので意識を再度本へと戻す。
その反応をどう受け取ったのかアリスは落胆を振り払うように話題を変えた。
「体調でも崩されていたのですか、どちらにしても復帰できて何よりです」
「いや、ただのさぼりだ。まともな講義がなさそうだったんでな、それよりもどこかに行ってくれないか集中したいんだ」
「……!! ごめんなさい」
歯に衣着せない言葉はそれだけに本音であるかのような響きを伴っていた。瞬く間にしゅんと落ち込ませ頭を下げる。翳りをそのままに踵を返すと、さらに反対側の席から荒げた声が放たれた。
「あんた何様のつもり!!」
ガタッと椅子が倒れるほどの勢いで艶やかな赤毛の女生徒が立ち上がる。
一瞬でクラスが騒然となり、視線が二人に集中した。怒りを露にしたのは艶やかな紅の髪を揺らしたお嬢様然とした女生徒だった。見るからに気品があり、上から見下すような勝気な視線がアルスを突き刺した。少しばかり身長が足らない所為で凄みに欠けるが。
「何か……?」
「何かじゃないわよ。アリスがわざわざ心配して声を掛けて上げたのにその態度はないんじゃないの」
アルスは逡巡し、脳内で厄介なことになると判断を下した。慣れ合うつもりはないがごたごたになって自分の時間を持てなくなっては限りある時間を浪費してしまう。
椅子から立ち上がり、アルスとすごい剣幕で睨む女生徒を交互に見るアリスへと向き直った。
「済まなかった。ただ俺のことは気にしないでくれ」
「えっ! 私こそ突然ごめんなさい」
「アリスは謝らなくていいの!」
アルスはその返答を聞くとすぐに席に着いて本を読み始めた。
「私はテスフィア・フェーヴェルよ」
「…………」
アルスは厄介なと内心で毒づいた。今しがた彼女に『気にしないでくれ』といった矢先にこれだ。
返事がないと見て青筋を立てた女生徒はずかずかとアルスの前まで近寄ると本を強引に奪い去った。
最悪だった。集中力をぶちぶちと断絶された気分だ。
アルスが最も嫌いなタイプだった。自分を強引に押し通し、他人に強要したがる。
「テスフィア・フェーヴェルよ!」
「本を返してもらえないか」
「貴族である私がわざわざ名乗ったのよ。あなたも名乗るのが礼儀ではなくて」
「貴族とは礼儀を押し付けるのか、ずいぶんと横暴なんだな」
「――――!!」
奪い取った本が翻って間近でアルスへと飛んだ。
それを難なく片手で掴むと。
「ありがとう。俺はアルス・レーギン。君には興味がないからどこかに行ってくれないか」
「きょ、興味がない!? 横暴? 私に向かって暴言を吐いたわね。こんな恥辱を受けたのは初めてだわ」
お礼とばかりに名乗るアルスにさらに怒りが増したテスフィアだったが、始業のチャイムが鳴り出し、それが周囲の鎮静化を図ったように各々、鳴り止む前に席へと戻っていった。
テスフィアはアリスに宥められるように渋々だったが、席へと着くなりアルスに睨みを利かせてくる。
涼しい顔で本の虫となったアルスはテスフィアのことなどもう頭の片隅にもなかった。
一限目の教員が卓上で教科書を開いた。
アルスは教科書を持ってきていない。当然のように持ってきたのはこの一冊の本のみだ。すぐに開いて自分の勉強を始める。
アルスにとっては退屈なものだ。講義の内容は初歩的なもので、当然のように聞き流してはいても耳障りでしかない。
そんなことを言えば周りから不興を買い、さらに平穏な学院生活からは遠のいてしまう。集団を乱す行為は不穏分子として認知され、いらないやっかみに遭うだろう。
耳に栓をするように自分の世界との間に境界線を張ったがやはり漏れ聞こえるものは耐えるしかなさそうだ。
「君たちは入学と同時に魔法師ライセンスを与えられているはずだね。これは国家のために働く魔法師に共通して与えられるものだが、魔力を通すと……このように魔法師として最も重要な順位が表示される。これは魔力の強弱や個人の能力によって算出される個人の戦闘能力を順位化したものだ」
教員は手にしたライセンスに魔力を込める。すると魔力独特の光芒を引きながら立体的に映写され、そこには778/119550と表示されていた。
ただ教員は軍属ではないため、順位の表示色が生徒とは違う。それは順位の返却後に表示される「元」魔法師である証拠。
つまり魔法師だったという履歴だ。
なお学生においては国営、軍直轄の学院ということで魔法師見習いとして見分けられるようになっている。
「もちろん訓練や任務での成果に応じて常に変動するから諸君等も日々向上心をもって順位を上げるように」
魔法師の位階は全てこの順位による。それだけに将来の幅は順位に依存することがある。つまりは順位こそが成績表でありステータスなのだ。戦うことだけが魔法師ではない。この教師のように三桁魔法師ならば教員の道に進むこともできる。逆に順位が悪いほど給与も少なく、重要なポストに就くのは難しい。
教師の三桁はクラス中が驚愕するほどだ。ただ軍から退役しているという証拠でもあるのでこれが彼のパーソナルデータのようなもの。元軍人、元魔法師という括りになるのだろう。
誇らしげにいつまでも見せびらかすのも頷ける。
さらにクラス中の全員が自分のライセンスを片手に自分の順位を表示させる中、ひと際ざわめいた場所があった。
「8867位!!」
「4521位!!」
六桁、五桁が当たり前の新入生の中に四桁がいたことに周囲は声を上げた。
「アリスとテスフィアが四桁だ!!」
「アリス君は才能があるな。テスフィア君は確かフェーヴェル家の……4521位か、なるほどその順位も納得だな」
「ありがとうございます先生」
「しかし、君達の順位は入学試験でのものだから六桁だからと悲観しないでほしい。今後の努力次第では順位を上げることもできるのだからな」
見渡すように視線を動かした教員は一点で止めて怪訝そうにアルスを見やった。
「ん? そこの君、ライセンスはどうした」
一人別のことをしているアルスに指摘があるのも当然のことだ。
魔法学院に入る生徒は人類の存亡が肩に掛かった新米魔法師なのだ。誇り高い魔法師には誰にでもなれるわけではない。だから門を叩いた彼等は向上心の高い優等生ばかりだ。
そんな中に授業を聞かずに黙々と本を読んでいる生徒がいれば目立つのも必然だ。
クラス中の視線がアルスへと向けられた。
「すみません。失くしました」
もちろん本当のことだ。ライセンスは購入の際の財布代わりにもなるがなきゃないで構わなかった。必要なものがあれば申請すれば大抵の物が軍から届くからだ。
どの道理事長からは秘匿するようにと口止めされている。アルスからしてみれば余生のつもりで学院に来たのだから順位なんて気にする必要はない。
「どうせ、見られるのが恥ずかしいのでしょ。六桁だろうと恥ずかしいことではないのよ」
鼻で笑い、高らかに侮蔑を含んだ声音でテスフィアが発した。
触発されたようにクラスメイトも蔑むような視線でアルスを見下す。交友関係が出来上がったとはこういう意味でもある。知らない者と顔見知りでも知っている者では特別な感情がない限りはどちらに付くか明白だ。
ましてや優秀な生徒が多い中で不真面目全開の生徒が紛れていれば面白くもないだろう。
「下らん」
「負け惜しみ? 悔しかったら見せてみたらどお?」
順位が高ければそれだけ危険な任務に就くことになるだけだ。そこにこそ魔法師としての存在意義があるなどと信じ切っている彼等とは根本的に解り合えないのだろう。ここの新米魔法師達は外の世界で闊歩する魔物や魔獣を見たことがないのだ。戦闘能力が高かろうと、外に出て死ぬ奴は死ぬ。それだけだ。
「はぁ~」
「ちょっ――君!」
いよいよ以て、集中出来ない。教師を相手にするだけならばどうとでもなるし、一人のために授業を進めないなんてことにもならないから楽で良いのだが、このテスフィアという生徒は事あるごとに噛みついてくる性質だ。アルスはパタンと本を閉じて席を立ち教室を出た。
勝ち誇った顔でテスフィアは教員へと向き直った。
「先生、やる気のない落ちこぼれに構っていたのでは授業の妨げになります。進めてください」
研究室には戻らず、そのまま図書室へと向かった。教室と同じ建物にある図書室は二限目の授業にも間に合う距離だ。
予想通り、広大な本の山が見渡す限りを埋め尽くされている。これら全てが魔法に関する書物だ。余計なものは一切ない。アルスからしてみればまさに宝の山。
もちろんほとんどの書物は役に立ちそうにないのが残念だ。これほどの書物ですら、すでにアルスの中にある知識ばかりなのだろうが、その中から至高の逸品を探り出すことに楽しみがあるのだ。それでこそ内容が頭に入ると言うもの。
教室でのフラストレーションを解消するには絶好の場だった。
が、結局逸品を探すことができなかった。あっという間に時間は過ぎ一限目の終了を知らせるチャイムが無慈悲にも鳴り響いた。
「また来るか」
物足りなさを抱えつつとぼとぼと図書室を後にする。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定
・HJ文庫様の公式サイト「読める!HJ文庫」で外伝を掲載させてもらっております。
(http://yomeru-hj.net/novel/saikyomahoushi/)