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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第6章 「変化の向こう」
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自分との決裂

今話は残酷な表現を入れておりますので、苦手な方は飛ばしていただければと思います。

また、苦情など、表現が過激なため警告をいただく場合は即時修正したいと思います。

 ◇ ◇ ◇



 泥濘に沈んでいるようなまどろみの中で、少女は瞼を通して明かりを見つけた。覚めた時、自然に持ち上がるはずの瞼がやけに重たく、くっついてしまったかのように開かない。

 微かな明かりが漏れ、やっとのことで目を開く。


 チカチカと目に入る強烈な光に徐々に脳が活性化されていった。焦点が合い、ただただ真っ白い壁が視線の先を妨げている。


「やっと目覚めたか」


 鼓膜を叩く、重く疲労を感じさせる言葉に少女は意識を向ける。自分は仰向けに寝ていた。だが、顔は固定されているのか動かすことができず、口の中にはマウスピースのような異物が入っており、呼吸以外を許さない。


「意識はしっかりとしているか? お前が何をしたのか覚えているな」


 意識の混濁も記憶の欠如もないことを壮年を感じさせる声に従って頷く。

 その間もベッドの上なのだろうことだけは理解しても少女は自分の状況を瞬時に確認した。身体をもぞもぞと動かしてみるが、指の先から足の先までびくともしない。

 少女は限界まで視線を下に向けて微かに映る厚手の拘束着を見た。


「ノワール・ヴァリス・ウード。ウード家の一人娘で間違いないな?」


 それは自分の名前。

 言われるまでピンと来ないほどだった。彼女にとって名前とは個々を区別するための識別信号に他ならない。だというのにウード家という言葉だけが妙に余韻を残す。


 それは当然のことで彼女にも親がいるということだ。たったそれだけのことなのに、何故がずきりと胸の奥が痛い。


 諦めたようにノワールは白色の天井だけを見つめて頷いた。


 ベッドの上で全身を覆い隠す拘束着に加え、ノワールの身体はベッドに固定されている。すぐ脇には点滴がどこに刺さっているのか、拘束着の中に伸びている。

 しかし、こうなっている現状にノワール自身疑問を挟まなかった。一番新しい記憶を遡れば、顔を顰めてしまいそうな激痛の中だ。


 甘美な時間だったアルスとの戦いもどこか遠く感じられた。


 立ち上がったのだろう男はカツカツとノワールに向かって歩く。覆いかぶさるような巨体がノワールの視界に入り影を落とす。

 それは彼女が取り逃がした人物だった。


「そのままじゃ話しづらいだろう」


 そう言うとゴツゴツとした手が降りてきて、頭を固定していた板のようなものが外される。そして器用に口元へと伸びた指が口の中へと侵入し、糸を引いたマウスピースを取る。


「ヴィザイスト・ソカレント……」


 それに反応せず、ヴィザイストは元の場所に戻って椅子に腰掛けた。


 首を曲げることまではできるようになったが、ノワールは天井を見つめたまま動かなかった。ただ単に力が入らなかったのかまでは判断のしようがなかったが。


「正直、あなたがあの傷で生きていたのには驚いていますの」


 僅かに傾いた顔は目だけがヴィザイストに向けられ、薄い笑いを受けべていた。


「頑丈なだけが取り柄なもんでな…………さて……」

「モルウェールド閣下は……」


 ヴィザイストの言を遮って、ポツリと無感情にノワールは問いかけた。


 どこか予想していたようにヴィザイストは一瞬声を詰まらせた。彼女はモルウェールドに依存している。それが不安だった。


「お前は二日寝ていた。悪いが命に別状がない段階で治療は止めてもらっている。無理に暴れようとすれば悪化するだけだ。安心しろ、その辺りは一通りこちらの問いに答えてくれればすぐにでも再開させると約束する」

「そんなことはどっちでもいいですの……それより閣下も私と同じように?」

「あぁ……」

「そうです、の。バレてしまわれたのですの」

「モルウェールドは隣の部屋で全てを吐いた」


 そう、モルウェールドが私兵を総動員してアルスの殺害に乗り出した時点でベリックによって家宅捜索が強制執行されていたのだ。

 結果、地下で違法薬物が製造されていた。それ以外にも法に触れる証拠が次々に見つかったのだ。


 当然、隠し部屋にあった拷問部屋も発見されている。夥しいまでの血痕は長きにわたる経年を思わせた。こびり付いた血痕は何回も重ね塗りされたように黒く変色していた。


 それだけでもモルウェールドを捕える理由になる。


 だが、極めつけは別にあった。


「目が覚めてすぐで悪いが、一つ真っ先に教えておくことがある」

「閣下が全てお話になったのでしたら、何でもお答えしますの」


 ぼんやりと虚ろな瞳で天井を見て、口だけが不気味に動いた。生気を感じさせない機械的な動作だったが、この役目を買って出たのはヴィザイストだ。

 もちろんアルスとの暗黙の約束もあった。


「8年前、ウード家夫妻の事故にモルウェールドが関与している可能性が高い。これに関しては8年も前ということもあり決定的な証拠は発見できていないが、モルウェールドが吐いた」

「…………」


 ヴィザイストは表情を変えずに天井を見つめるノワールに対して言葉を選ばず続けた。


 ウード家は小さいながらも爵位を得ている。そして当主は軍に所属しており、モルウェールドの補佐として仕えていた。

 どういった経緯かまでは軍でも把握しきれていないが、夫妻は貴族間の懇親会の帰り道、暴漢に襲われ、妻を庇う形で二人は殺害された。


 この事件に関して、一通り話し終えた時。ノワールは冷淡な声音で一言だけ呟いた。


「それで?」

「…………!」


 両親が殺されたかもしれない。それがモルウェールドによるものだとしても彼女には何も意識に投影されることはなかった。

 燃えるような憎悪で身を焼かれるはずだ。それが普通で正常なのだ。


 だが、目の前のノワールは表情を変えることすらせず、一切心を揺るがすことがなかった。


 ヴィザイストは彼女を見て、聞いて……そっと目を閉じる。誰に対してなのかわからない怒りが湧き上がってくると同時に、それを冷ますような憐憫が混ざり合う。

 心を落ち着けるためにも一度ヴィザイストは息を吐き出した。


「まだ病み上がりだ。今日はここまでにしておこう。お前ももう少し寝ておけ、明日からは事情聴取が朝から晩まで続くはずだ」

「…………」

「それと首についている装置は魔力を感知する。逃亡を図ろうとすれば神経麻酔が体内に注入される」


 首についた黒い首輪を確認すらせずにノワールは「わかってますの」とだけ答えた。


 認証コードを入力したヴィザイストは扉がスライドするのと同時に振り返る。


「そうだ、忘れる所だった。アルスからの伝言だ。『俺一人の首ならいつでも取りに来い』だと、さ」


 背中を向けたまま、返答を期待しない言葉を放り、ヴィザイストは扉を潜った。

 扉が締り、ガチャッと施錠音が鳴り響く。室内の明かりが全て消灯し、真っ暗な室内でノワールは未だ天井に視点を固定していた。


 目を閉じ、呼吸音すら音がしないようにし、全身で僅かに感じ取れる振動音と足音に神経を研ぎ澄ます。


 この場所が地下なのかすらわからない状況でノワールは静かな笑みを湛えた。そして室内に監視カメラなどがないことを確認すると関節を外す。


 ――甘い。この程度で拘束ですって。フフッ、なんで殺しておかないのか理解に苦しみますの。ご丁寧に治癒まで施して。


「ンッ!?」


 身体をよじったばかりに脇腹が軋むような痛みを発し、唇を噛んで堪える。やはり痛覚は戻っていた。

 震える喉で熱の籠もった息をゆっくりと吐き出す。

 ガリガリと骨が可動限界を超えて擦れるような感覚が体内に広がる。指の先から慎重に魔力で形成した魔力刀を作り拘束具に切り込みを入れた。


 目は首元に向かい、首輪が反応しないことを確認すると魔力刀を滑らせていく。この程度ならば誰もが体外に漏れ出ている魔力量だ。反応しないのは予想通り、おそらく魔法へと構築する際に必要とされる魔力量でもない限り反応することはないだろう。


 這い出るように拘束具から抜けると、壁沿いにそって覚束ない足取りで扉まで歩く。薄手の患者衣は左右を前合わせされていた。

 そして認証コードを入力するパネルにぶつかると、閉じていた目を開く。

 薄っすらと見える程度には慣れてきた。


 ヴィザイストの指の動きを見ていたノワールは脇腹を押さえながらもまったく同じように指を動かしていく。

 ロックが外れ、扉がスライドする。通路すらも真っ暗に染まっていたが、顔だけを覗かせ誰もいないか確認する。


 ――誰もいない。


 疑問を挟む余地もなく隣の部屋へと壁沿いに凭れ掛かりながら歩き出した。一歩一歩、痛みを噛み殺しながら足を動かしていく。その度に何かが脳をノックするかのように記憶の扉を叩いてくる。


 ――親なんていない。最初からいない。私はずっと一人だった。


 ズキリと頭が痛みを訴え始める。考えなくてもいいことが次々に蘇ってくる。ノワールは振り払うように頭を振った。もう脳みそがぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。

 余計なことを考えてはいけない。いつものように、これまで生きてきたように何者も思考に侵入させてはいけないのだ。


「早く、閣下を逃がさないと……」


 すぐ隣に着くと、やはり同じようなパネルが着いている。

 強引にでも破壊し、救出すべきか逡巡するも、一先ず同じ認証コードを試してみた。


 施錠されていることを告げるランプが解錠を示す青へと切り替わり、ノワールは胸を撫で下ろした。

 計画などない。ただ、刷り込まれたようにモルウェールドを助けることだけが先行している。


 真っ暗な室内の内部を覗き見る。暗闇が鎮座するように蟠っていた。慣れた目で室内の様相が自分がいた場所とほとんど変わりないことを確認すると、隅に置かれたベッドの上へと視線を移す。

 人がいるような盛り上がりが、ノワールのような拘束着はきていない。それどころか普通に熟睡しているかのように掛け布団が掛かっていた。


「閣下?」


 無理やり捻りだしたような問いかけに寝ている人物は返答をしない。

 よろよろとベッドに近づき、見慣れたシルエットの顔を覗き込んだ。そして確かめるようにそっと手を頬に沿わせた。


「アハッ……閣下ー」


 鼻先が触れてしまうほどの至近距離で覗きこんだノワールの顔が醜く歪んだ。自然と溢れる笑みは決して生きていたことへの安堵ではない。

 ノワールは考えることもしていなかった。この部屋にモルウェールドがいるという事実がどうしようもなく可笑しい。

 黒いシルエットに向かって、ベッドの上に跨がるように乗っかった。ギシッと沈む。


 ねっとりと見つめる視線は焦点が合ってないかのように黒い顔を凝視している。


 ここに来たのは救出するためだった……はずだ。だが、一瞬にして忘れてしまうほど、何かがノワールの中で音を立てて崩れた。


「私のパパとママを殺したんですって? 閣下あぁ、悪いことをしちゃったんですのね閣下ぁ」


 ギシギシとノワールが上下に体重を掛け、ベッドが叫ぶように軋む。


「別にいいんですの、パパとママの顔すら覚えていないから、そんなことはどうでもいいんですの。ただ……悪いことをしちゃった閣下には今まで通り制裁が必要ですよね。イヒッ、だって閣下が教えてくれたことですもの」


 上下にバウンドする勢いに任せてノワールは両手を組み合わせて高く振り翳す。そして顔面に振り下ろした。

 何度も何度も何度も……。


 何か液体のようなものが飛び散ったが、ノワールは無視して続けた。

 黙して殴られるだけのモルウェールドの生死など鑑みず、1時間もの間ノワールは腕を振り続けた。


「キャッハッハッハッハ!!!」


 ピタリと腕が止まり、徐ろに立ち上がった。魔力が流れ魔法が発現する。

 首にチクリとした痛みが走るも今のノワールには意識することができなかった。


 瞬時に大鎌を持った薄い霧が、切っ先を心臓に向ける。AWRを併用していないぶん、定着度合いは弱いが、大鎌だけは実体のような質量を感じさせた。


「バイバイ閣下」


 滂沱の如き涙が頬を濡らし、ポタポタと顎先から落ちていく。


 そして大鎌は一切の淀みなく心臓へと吸い込まれていった。しかし、切っ先が僅かに刺さった直後、大鎌は何もなかったかのように霧散して消える。

 同時に糸が切れたようにノワールは意識を薄れさせ倒れた。



 しばらくは涙で濡れそぼった睫毛が乾くことはないだろう。気を失ってもなお涙は止まらないのだから。


 

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