毒を食らう
アルスとロキは大隊の進行とは真逆に走り去っていく。
その後姿を見送り、ヴィザイストはドッと疲れを吐き出すようにため息を溢した。開いた傷口などはすでにどうでもよくなっていた。今回はアルスを利用する形になってしまったが、結果的に見れば最悪ではない。
まだ序盤も序盤、問題は山積みとなっているが少しずつ切り崩すことはできているようだ。
それを無駄にしないためにもノワールと呼ばれた少女とモルウェールド少将には死んでもらうわけにはいかなかった。
「さて、どうするか。婆さんなら治癒魔法を使えるんじゃないか?」
しわがれた顔が陰影を濃くして、ヴィザイストへと向けられる。
(殺気!!)
すぐそばでフローゼがぎこちなく視線だけを向けた。殺気と言うよりも濃密な不快感。
「あっ! いやっ……」
「お前さんは初対面の時から婆さん呼ばわりは変わらないだわさ」
呆れたように腰を浮かせたミルトリアは杖を付いて近寄ってくる。
鳴りを潜めた不穏な空気は消失し、ヴィザイストは自分がからかわれたことに気づいた。元々仲が良いというほどの間柄ではなく。
軍で研究主任としてミルトリアに会う機会があっただけだ。ただ年数で言えば2年ほどで、すぐにやめてしまった。一応定年退職ということだが、彼女はその後も研究を続けているというのをシスティから愚痴として聞いたことがあった。
「私だって治癒魔法師じゃないだわさ。その辺りは期待するだけ無駄。せいぜいが応急処置ぐらいだわさ」
「そ、それでお願いします」
パッとそれぞれに視線を向けたミルトリアはノワールの方へと歩み始める。
「この娘っ子から始めるだわさ。とはいえ、私は好かん奴にまで魔力を使ってやるほどお人好しじゃないだわさ。そっちの阿呆は死んだら、死んだで諦めな」
「それは困ります」
「知ったこっちゃないだわさ。嫌なら手は貸さない。どうする?」
「わかりました。それで構いません」
ヴィザイストから見てもモルウェールドは止血さえできれば問題はない。それに少将が死んだとしてもベリックのほうで成果があれば十分だろう。
問題はノワールのほうだ。こちらはかなり慎重にならざるをえない。そもそもモルウェールドとどういった関係なのかすら定かではないのだ。それに加えかなり若い。まだ子供と言えるだろう。
その点でもヴィザイストとベリックは後に苦心することになる。
「こりゃ、まずいわさ。腱の接合も急いだほうがいい、これだから闇系統は手がかかる」
「と、いいますと」
「闇系統というよりエレメントは魔力と血液、身体そのものに影響が大きいんだわさ。だから外部からの作用を受けづらい。治癒なんてのは外からの働きかけのようなもんだわさ」
脇腹に沿えられたミルトリアの手からゆっくりと魔力が流れるが、その流動は遅々として進みが悪かった。
次第に老婆の眉間に皺が寄る。
「応急処置にすらならないかもしれないよ。おそらく肺も傷ついているだわさ。あの坊主はここまでの致命傷を与えていなかっただろうね。様子からしてまだ息があった。そっちの豚のおかげでしっちゃかめっちゃかだわさ」
「もうすぐ大隊が到着しますのでそれまでもたせてください」
「あんたも図体に似合わず繊細な魔法を使うんだ、少しは手伝いな!」
「俺は治癒はさっぱりで……」
「魔力ぐらいは当てられるだろ。反対側で逸らすんだわさ。こっち側に集中し過ぎて上手く作用しないわさ」
ヴィザイストはすぐさま、反対側に移動し片手を沿えて魔力を流し込む。
当然異なる魔力を拒絶する反応が彼女の体内で起こるが、それは体内魔力の移動を示している。つまり治療箇所に集中している闇系統を含む魔力が治癒を阻害しているため、反対側からアプローチを掛けて魔力を分散させるという方法だ。
これは急患の治療現場でも多く見られる処置だ。もちろん自己治癒力を促進させるという意味でも最低限の魔力反応はなければならないため、その匙加減は困難を極める。
だが、ミルトリアはそれを調節していた。彼女が魔力の操作に長けていると言われ、その研究成果だ。
それでも専門の治癒魔法師でない彼女にも限界はある。臓器を正常に稼働させることなどできるはずもなく、骨を時間を巻き戻すように元の位置に移動することなどできるはずもなかった。それこそ専門家の元、治癒魔法を施しながら施術していくのだ。
「気道はなんとかなるわさ。悪いがそっちの豚までは手が回らないだわさ」
「なら仕方ありませんね」
そしてヴィザイストの予定よりも大隊の、それも治癒魔法師が先行して到着した。すでにフローゼの指示によってセルバが状況報告を済ませ誘導してきたのだ。
治癒魔法師が5名、その顔に見覚えがありフローゼ同様ヴィザイストも胸を撫で下ろす。
現在アルファ国内でも三本の指に入る治癒魔法師が三人と軍医として外界に赴ける実力を兼ね備えた治癒魔法師はレティの部隊にも所属しているほどの実力を兼ね備えている。
これらを見越して寄越したベリックには脱帽せざるを得なかった。大隊を率いるのもベリック派の智将――正確にはフローゼの後任ということになる。
テレサ・ネフィーザリ准将。現在外界時における大規模部隊の指揮を担当することが多い准将。内紛の際にも駆り出されることがあり、指揮官として確かな辣腕を持っている。
三十代に差し掛かったれっきとした女性だ。ただあまり女性らしからない様相で性格も男勝りな部分がある。ブロンドの髪は乱雑に片方に流されただけで、髪を押さえつけるように軍帽を被っている。切れ長の目が常に氷のような冷徹な印象を受ける。
軍支給の制服を着崩し、対魔法繊維で作られた白いコートは肩に掛けられただけで与えられた勲章は一つも付いていない。
ボタンをするのが面倒だと言いたげに軍服は前を開けたまま、中に着込んだ黒いインナーが張りのある胸を布一枚で包んでいる。
ヴィザイストとフローゼを足して二で割ったような人物だった。
治安部隊すらも引き連れたのだろう。ざっと見ただけでも千人以上の魔法師が周囲を囲むように展開しながら姿を現した。
先行する治癒魔法師たちと伴にテレサ准将が騎馬して並走する。
彼女の性格からしてアルスと鉢合わせになれば間違いなく戦闘に突入するだろう。だというのに何故彼女が指揮官に選ばれたのか、それは実に簡単なことだった。
テレサは内ポケットからキセルを取り出し、葉を詰めて指で押し込んだ。人差し指を蓋のように被せ、するとキセルそのものが赤いラインの輝きを見せ、煙を立ち昇らせる。
「おら、さっさと治癒に移んな。ヘマは許さないからな。出来ないとか抜かした奴は灰を穴に敷き詰めてやるから覚悟しろ」
声すらも女性にしては低く、威圧的な雰囲気があり、一服すると下馬して指示を飛ばす。
そして真っ先に向かったのはヴィザイストでもミルトリアでもなかった。
「ご無沙汰してます。姐さん」
そして彼女が頭を下げたのはフローゼだった。ただキセルは持ったままだ。
「相変わらずやめられないのね」
「これがなきゃ生きてらんないですよ」
剛気さで言えばヴィザイストを凌ぐほどだ。軍内部には関心を持たず戦場を求めるような戦闘狂。そういう意味ではヴィザイストの若い頃そっくりで、彼女を表す言葉を選ぶならば、利己主義、気分屋、エゴイスティック、唯我独尊だ。
彼女がベリック側についているのは単に戦場へと誘ってくれるからだろう。アルスが学院に入ったことで良くも悪くも彼女が戦場へと駆り出される機会は増えた。アルファの戦力でも彼女の存在は大きく、外界での領域拡大でレティと戦果を二分しつつあった。だからこそ不安要素を抱えながらベリックはテレサを起用したのだろう。
彼女がこちら側についたのは、もしかするとフローゼがベリックの下で働いていたことに起因しているのかもしれない。
どちらかと言うと気分次第で決めているテレサは長年フローゼの元で師事を仰いでおり「姐さん」と呼ぶほど敬愛していた。
フローゼの後釜に彼女が収まったのは当然と言えば当然だ。
だからこそ、フローゼの出方次第では貴族派にテレサが移ることも十分考えられたが、フローゼ自身ベリックと仲違いしているわけでもなく、どちらかというと彼女はベリックを支持しているため今回の指揮官にテレサを選んだのはアルファ軍の体裁と思惑の両方を達成できる可能性が高い人選だと言える。
「はぁ~、少し遅かったみたいですね」
死体の山を見ても眉一つ動かさず、キセルを口に加えたテレサは不敵な笑みを張り付ける。
アルスかモルウェールドのどちら側につくつもりだったのかわかりかねる発言にフローゼにして冷や汗が出た。
いや、彼女は軍人だ。ならばモルウェールドの援軍に来たとフローゼは考えるのが妥当か。
「テレサ、お前が来たということは」
ミルトリアとヴィザイストは専門家に二人を任せて歩み寄る。彼女がこの場に到着した――正確に言えばベリックの許可が降りたということだ。
いつでも出撃できるように待機していた大隊がこうして姿を現したということは。
「これはヴィザイストの親父まで来てたんですか」
「前置きはいい」
「万事抜かりはないらしい。とは言え、そっちは私の管轄外。こっちは言われたとおりに動いただけのことです。タイミングは悪いみたいでしたが」
「タイミングは合ってる。お前とアルスをかち合わせるほど不毛なことはないからな」
「いやいや、個対全、やってみたかった」
「それで死ぬのはお前の部下だぞ」
「ハッハッハ、いや残念残念。どうにも私の部下は死にたがりが多いらしく。死に場所を与えてやるのが難しいのですよ」
フゥーと紫煙をヴィザイストの鼻先を掠めるように吐き出す。それも相手を侮るような狡猾な笑みを浮かべて。
「軍を衰退させても意味などない」
目を細めて苛立たしさをぶつけるヴィザイスト。部下が死ぬのは仕方がない。だが、それは決して無駄にしてはいけないのだ。意味のある死を与えてやることが隊を預かる者の努めであり、責務だ。少なくともヴィザイストはそれを信条にしている。
テレサはそれとは真逆、無駄であろうと、国にとって不利益になろうが戦いに意味を求めない。飄々と受け流すテレサは糸を引きながらキセルを口元から離す。
「硬過ぎだな、凄んでもダメだ。どうです一服?」
「調子に乗るなよ小娘」
ぞんざいな言葉遣い。今日まで彼女は目上であろうと言葉を選ばないことが常だった。それ故に反感も買いやすいが、彼女の功績は口を挟める類のものではない。
そのキセルがAWRであることをヴィザイストは知っている。一触即発の状態でありながら己の武器を相手に渡す、それは神経を逆撫でするかのような行為だった。
直後、キセルを逆さにして指でトントンッと叩き、灰を落として指をパチンと鳴らした。
「フンッ、閣下も無理をされているようだ。おいッ! 一人、閣下を見て差し上げろ」
今もヴィザイストの横っ腹を赤く染め上げる傷は血を吐き出し、吸収しきれない包帯は絞れるほどだ。
そう言い残して颯爽と引き返し「撤収!! 我らのホームグラウンドに帰るぞ!!」と叫び騎乗する。
軍帽の唾を摘みフローゼに対して軽く顎を引いた。
「では、お二方とも……次は眩むような死臭が漂う場所でお会いしましょう」
規則正しい蹄の音を鳴らして歩き始める。芝を歩く艶のある馬は本来あるべき姿にも関わらず、閑雅な歩みは背中に剣呑を背負っていた。