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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第5章 「主人格の符合」
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狂気vs凶気

 ヒリつくような空気の変化は魔法師でなくとも感じ取れるものだ。

 粟立つ背中の汗がじっとりと冷たさを帯び始める。敵意や殺意とはまた違う、生きるか死ぬかという土俵にも立つことが許されない。それはまるで皿の上に盛りつけられた料理が自分自身であると連想させる。捕食されるのを待つような諦め、諦念、生きることの放棄、そういう次元の話だった。


 振り返ることができずロキは視線を敵に固定する。しかし、それはただ見ているというだけのことだ。視界の奥で彼女の背後にいるはずのアルスを見ている者がいる。

 テスフィアもその中の一人だ。彼女の表情を見ただけでロキはこの空気の変化が何によってもたらされたのかを察した。


「ロキ……離れてろ」

「――!! はいッ!」


 なんの抑揚もない声音、反射的に答えて全力で逃げるようにテスフィアの元まで駆ける。そんな自分をロキは恥じた。命令に従ったとは言え、彼女の身体は早くここから離れたいと訴えていたからだ。


 敵の隙間を抜けていく間、相手も微動だにできず過呼吸を繰り返していた。荒々しい呼吸音が胸の鼓動を速め、大きく肩が上下している。


 一度もアルスへ振り返ることもできず、ロキは自分が怖くなった。自分の知らない彼に初めて恐怖した……。


 そして滑るように制動、跡を残しながらも赤毛の少女の隣に立つと、慚愧に堪えず振り返る。


「――ッ!」


 そこには周囲から襲いかかって来ていた敵が一瞬にして切り伏せられていた。そして頭上から降り注ぐ、氷柱が胴体を貫き地面に縫い付ける。

 透き通るような氷は赤い液体を表面に飛び散らせていた。


 その中心にいる人物を見た時、ロキは心臓が締め付けられるように喉が詰まる。


 無味無感、黒い瞳には事切れた相手のことなど歯牙にもかけない冷徹なものが宿っていた。

 自己に投影されるべき感慨など微塵もない、彼にとっては路傍の石と同等。そう思わせる顔だ。



 事実、アルスは久しぶりの感覚に浴していた。殺す時に余計な感情は邪魔以外の何物でもない。相手の魔法を解き、如何にしてスムーズに殺すことができるか、それだけに脳を活用すべきなのだ。


 スウッと視線をノワールに向けたアルスは一言だけ発した。


「――何をした」

「――――!!」


 何の感情も読み取れない瞳を向けられたノワールは後ずさりしそうになるのを堪えた。それは自分よりも強者と自覚してもなお、殺せる自信があったからだ。

 こうでなければ倒すに値しない。

 そうでなければ優劣などつける意味が無い。


 自然と口が歪に曲がる。

 それは素直な称賛だった。仲間がやられようともノワールは特に感じるものがない。寧ろ、その容赦のない手口、確実に相手を殺すことに対してなんの躊躇いもない狂った人間。まるで虫けらのように造作もなく殺す。

 そこに彼女はうっとりと頬を染めた。


 甘い吐息が漏れ。


「んふっ……ハア、ハア、んッ……良いですの。最高ですのぉ」


 淫靡に大鎌の柄に頬ずりをして悶えた。火照った顔でヌラヌラと纏わりつくような目をアルスへと注ぐ。


「【思考誘導テンプテーション】とは異なりますの、謂わばもう一段高位、これを私は【失楽園シツラクエン】と呼んでおりますの」


 ノワールは自分で自分の側頭部をトントンッと突く。

 【思考誘導テンプテーション】とは精神干渉系の魔法でも相手を誘導する類の催眠術だ。


「ここに割り込ませていただきましたの」


 フフッと悪戯に笑みを作る。

 その背景にはこの魔法がどんなものであるか、わかったところで防ぎようがないものだからだ。学院では慎重を期して視覚、聴覚から少しずつ印象づけて行った。

 術の発動を満たした時点ですでにアルスは気づけない。自分が彼女をどう思っているかなど意識することも難しい。相手への警戒心が限りなく薄れてしまうのだから仕方ないことでもある。

 必要のない情報までも口が意識せず動き出す。それすらも疑問が入り込む余地がない。


 明らかな乖離――敵対している場合などは深層心理を引き出しづらい。現にアルスはノワールの問いに答えていなかった。この当たりは本来の性格というか本質の部分が大きく影響する。

 無意識な秘密主義と意識的な秘密主義では後者の方が情報を引き出されやすい。


 魔法の行使は相手が魔力などで周囲を覆ったりといった警戒がなければ気付きようもない。闇系統の中でも精神に干渉する魔法は相手に知覚されにくいために忌避される部分もある。

 人間は相手が知り得る情報から人物像を構築する、どんな人物で何を考えているのか、容姿や声、様々な情報を目や耳から取り入れ、それを元に記憶する。【失楽園】はそこに、その者の親や兄弟、愛する人物などに位置づけて虚像を構築する魔法だ。


 この【失楽園】は闇系統でも精神に直接干渉する魔法。相手が無防備でなければ魔法にかかりにくい。それも個人差はあるのだが、最もハマりやすいのは明確に、何においても大事な人が存在するかだろう。


 ヴィザイストならば妻やフェリネラといった自分の命よりも重い存在があったために掛かりやすいと言えた。つまり、この魔法は相手の思考の中で大事な人間にとって変わるのだ。

 深層心理に潜り込んだノワールは妻やフェリネラよりも上位に位置するものとしてヴィザイストに認識されたことになる。それは理解するしないに関わらず順位が最も高い人物。


 だから手にかけることを身体が無意識に拒む。

 これは自分の命と天秤に掛けずとも、その者にとって決して殺すことができなければいい。ノワールがそこに入り込めさえすればどんな人間だろうと彼女を殺すことは叶わない。


 だが、この魔法も完璧とまではいかない。相手が殺すということまでを想定しない事故は防ぎようがない。

 そもそも精神干渉中に不信感を抱かれれば割り込むことができない脆い魔法なのだ。

 また、魔法が効果を持続する時間にも制限がある。いかに大事な相手と言えど会わなければその記憶は薄れ、興味や関心といった感情が離れていく。もちろん一生消えない感情はあるが、偽ることで割り込ませているこの魔法は虚像の情報劣化が激しい。


 それでもまだアルスの中にノワールは居座っていた。一度深層心理に潜らせればそれは魔法としての事象であって魔力は溶け込んでしまう。

 だからこそ気づけたとしても今更なのだ。解消する術もない。



 こちらに意識を集中させておき、ノワールは静かにアルスの背後で幽体を構築する。


 黒い霧がローブを纏った死神を形作る。鎌が引かれ、小声で呟いた。


「【死神の怨念(クレセント・リーパー)】」


 音もなくアルスの背後で振り切られた。死角をついた【死神の怨念(クレセント・リーパー)】による鎌の一撃は黒い髪を数本落としただけだった。

 ほぼ一瞬早くアルスは地面を蹴り、ノワールへと肉薄する。その速度たるや躱されるだろうと予想していたノワールでさえ反応が遅れた。


 大鎌を旋回し、接近を許さない。だが、彼女自身近接戦闘に分がないことは理解している。それでもこうして愚直に接近戦を望むアルスに付き合う。


「あなたに私は殺せませんの」

「…………」


 剣戟の合間に挟んだ言葉は相槌すら返ってこない。無心とも取れるがアルスはノワールしか見ていなかった。大鎌には視線もくれずに腕の動きで全てを予測する。

 だというのに正確無比。見切りの境地とでもいうのだろう。次第にノワールもゾクゾクと身体が悦び始める。


 この儚くも濃密な時間とスリルがジットリと身体の内側を痺れさせた。

 ――それでも。


 結果は最初からわかりきっている。【失楽園シツラクエン】が正常に機能している限り、アルスは攻めることはできてもノワールに傷を追わせることまではできない。

 これで裏の仕事でアルスという絶対的な強者を超えることができる。


 ノワールは名残惜しくもそろそろ終わりにすべきだと思った。これ以上は彼が滑稽で仕方がない。

 最強という称号を得ていても結局自分には敵わない。


 これで初めてノワールは自他共に認められる存在になれる。ここから彼女の人生が始まるのだ。自己のアイデンティティを確立することができる。存在意義が生まれるのだ。


 これが一番になるということなのだろう。魔法師育成プログラムを受けた子供は皆、大き過ぎる先達のせいで日陰の中を彷徨っている。

 もしかするとそう感じているのはノワール一人なのかもしれない。それでも彼がいる限り自分に回される仕事はおこぼれという印象を払拭できなかった。

 どうして誰よりも見事に、鮮やかに、速やかに殺すことができる自分が予備扱いなのか。それだけしかできないノワールにとって自分の価値とは殺すことにしかなかった。


 正常な思考ならばそれはモルウェールドが指示を出しているからなのだが、その世界でしか生きることができないノワールにとって耐え難い屈辱だったのだ。同じ魔法師育成プログラムを受けて、どうして評価に違いがでるのか。


 いつからか妄執に取り憑かれるように彼女の中ではターゲットとなっていた。



 押され気味だったノワールの足が強引に止まった。

 こうまでしてもアルスは彼女の肌に刃を突き立てることができない。

 大きく振り被ったノワールはアルスの停滞を恋人に別れを告げるように待った。


 ナイフが突き出され、その時が訪れ――。


「えッ!!」


 気づいた時、ノワールは大鎌を持ったまま大きく跳躍していた。頬に入った冷たい刃物。

 わけがわからない。

 アルスはノワールの身体に傷一つ付けることができないのだ。


(なにが……こんなこと一度も……)


 呆然と頬から何かが伝う感覚がある。ヒリヒリするような感覚もある。

 そして――。


「痛いの…………痛い痛い痛い痛いいいいぃぃぃ!!!」


 麻痺していた痛覚が状況の混乱と明確な優劣によって戻る。

 数年ぶりに感じる痛みというモノ。

 モルウェールドによって与えられた傷は血が吹き出すほどだとしても痛みを自覚したことはなかった。なのにこの時は掠った程度の切り傷が尋常じゃない痛みをともなう。


「なんで動けますの!!!」


 吐き出すように叫んだノワールは痛みを堪えながらもすぐに思い当たり、頬を引き攣りながら嗤った。


 「ハハッ、そういうことなんですのね」と言って狂ったように続ける。


「こんな簡単な弱点があったなんて、いえ、あなただからこそ……つくづく期待以上ですの。先輩、あなたは大事な人も平気で殺すことができる。それだけのことですの。そうやって何も感じず、作業のように殺せる」

「……だから?」


 やはりその瞳には何の恐れも期待もない。本当に機械を思わせる無機物のそれだ。もしかしたら視線というものすら感じさせない。焦点があってないような見られた側が意識できないほど人間味がなかった。


 そんなアルスを前にノワールはもう余裕がなかった。常に圧倒的優位で戦い続けてきた彼女は一方的な惨殺に悦んではいても、自身の身に明確な危機を味わったことがない。


 それでもこの世界で自分一人しか存在しないだろう孤独感が消えていく。


 狂っているのが自分だけでない。もしかするとアルスの方がもっと狂っているのかもしれない。

 そう思い、頬を伝う血を袖で拭う。


 再度アルスが動き出したと同時にノワールは感じるがままに本音を漏らした。


「素敵……」



  

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