生ける死神
その姿を視界に収めたアルスは目を細めて溢す。
「ノワール……」
「アル? 彼女のことを知っているのですか?」
腰に腕を回していつでもAWRを抜ける体勢のままロキが声だけを飛ばした。そこには少なからず驚愕が居座っていると同時に消化不良のようなやりきれない気持ちが見える。
「いや、学園祭で案内を頼まれた程度だが……ロキは、知っているな」
その表情から察したアルスは遠回しな言葉は選ばずに率直に問う。こうなる懸念はあったが、その追手がノワールだと誰が予想できただろうか。
案内時で得た情報によれば彼女はアルスと年齢的に一つ下、ロキとは同い年にあたる。
「そんなことが、言っていただければ」
「すまん、さすがにこれは俺でもここまでは予想できない。というか出来たら未来予知だな」
「ですね。すみません。彼女は……」
「ロキイィィィィィ、久しぶりですのぉ。ンフッ、フフッ……でもぉ、今はあなたに興味がありませんの。ついででいいなら殺して差し上げますけどオオォォ」
人差し指を淫靡に口元へと添えて、嘲りの対象としてロキを見下ろす。
「どういうことだロキ」
「アルが知らないのも無理ありません。彼女、ノワールは魔法師育成プログラム四期生です」
「――!! なるほど、それで先輩ねぇ。だが、魔法師育成プログラムは凍結になったはずだぞ」
「はい、私も聞き及んでいます。現に外界に出たのは私の代で最後です。ですが、実際に凍結に至ったのは5期生までです。私が外界に出る頃には予備兵として4期生は施設内の訓練を開始していました。その中でもノワールとは幾度か模擬戦を……」
凍結されたことによって残された訓練生は軍の保護下に置かれるはずだ。以前にベリックから聞いた話では訓練生はアルスやロキと同様に親や親類縁者がいない子供に多い。そのため保護下に置かれると同時に里親探しも始まる。
もちろん、施設内――孤児院のようなもの――で自立するまで面倒を見てもらうこともできるのだが。例外としてアルスやロキはすでに外界に出れる魔法師として実力を備えており、そのまま任務をこなすことになったが、それも個人に選択権がある。そうせざるを得なかったとも言えるが。
だから途中で中止された訓練生にとってそれがよかったことなのかの判断は難しい。心に負った傷は魔物を倒すためという目標の上で歪に成り立っている。そこに存在価値を求めるのも理解できるというものだ。
ノワールがその一人だということにアルスもまた苦々しくやりきれない思いが怒りとともに込み上げてくる。
ここにいるということは少なからず、アルスを捕らえにきたのだろう。いや、そんな生易しい雰囲気ではない。黒衣を纏った集団からは殺気以上に長期に渡って染み付いた血臭のようなものが臭ってくる。
アルスだからこそわかる殺気という空気に紛れる微細な異臭、嗅ぎ慣れたからこそ嗅ぎ分けることができる類の残り香だ。そんな中で先頭に立つノワールからは殺すことへの躊躇いを感じさない振り切れた狂気が笑みとして表れている。殺してきた人間の数をなんとも思わない。冷徹でありながら悦びが覗く。
妖しく光る瞳でアルスの全身をねっとりとした視線が這う。
「先輩ぃ~たっぷりと殺し合いましょう。どちらが上手く肉を捌くことができるか決めましょう。腕を脚を脳髄を内臓を壊し合いましょう……だって絶対私のほうが誰よりも上手く殺せますの」
ノワールが魔法を極める理由はただ一つ。もっと言えば魔法は手段に過ぎない、極めるのはもっと即物的なものだったのだろう。悪い奴はいて、それを裁くことは正しくて喜ばしいことで、どんな行為も正義の前には覆りようがないのだから。
それはきっと自分にできること、存在する意味を誰かに認めて欲しかったからだ。そんな理由、何故そう思ったのかすら今は思い出せない。
ただ彼女は強く願った。誰よりも上手く、凄い魔法師になりたいと。何故こんな漠然とした理由なのか、顔すら思え出せなくなった親が一番になれると言っていたような気がするのだ。
当のノワールにはそんな記憶も動機も自覚したことはない。ただ無性に願ってしまう。カラカラになった喉が水を欲するように。
何か一つ、他の追随を許さないような抜きん出た何かが欲しかった。
彼女の系統がこの道に進ませたのか、はたまたこの道しか残されていなかったのか。こればかりは彼女にもわからなかった。気付いたらそうなっていた、というだけの話なのだから。
誰かが殺すのが上手い、適していると言ったような気がするが、誰だったか。
今はそんなことすらどうでもいいことだった。
ノワールの視線がフローゼとヴィザイストがいる一帯に向けられた。しかし、正確にはその一帯というだけであって彼女はただ指示を待っていた。
アルスはその視線の動きを身構えつつ追う。恰幅の良い男が指を一本立てた姿を視界に収めてアルスは確信する。
(モルウェールド中将、いや、少将だったか。ってことは……)
アルスを捕らえるために放たれた狩猟部隊が彼女らなのだろう。だが、軍内部でもベリックとは対極にあるはずのモルウェールドがこうして自らの部隊を率いていることを考えれば、軍部でも一悶着あったようだ。
少なからずアルスはこうならないように立ち回ったはずだったが、上手くいかないものだと感じた。そもそもモルウェールドは降格を機に従順な姿勢を見せ、とんと彼の功績は聞かなくなっていた。もちろんアルスが外界に出っぱなしだったことも知らない原因の一つではあるのだが。だからこそ軽視していたのかもしれない。
本来ならば体裁上、ここにいる部隊はベリックが差し向けなければならなかったはずだ。総督の思惑がどこにあるにせよ、本気で捕まえる気があるのならレティがいて然るべきだし、ないのなら逃走できるように低位魔法師が送り込まれるか。
もちろん、軍内部でもモルウェールドがタイミングよく動き出したことにも原因があるのだが、アルスには知る由もない。
この状況だけを見るにベリックの軍内部の発言力や執行力という権力が弱まっているのかもしれない。
逃げるにしても相手も相応の使い手。もっと言えば人を殺すことに何も思わない連中だろう。アルスに近い類の魔法師、いや、暗殺者とでもいうのだろうか。
アルスに向けられる視線の数々は何も感情が込められていない。勝つか負けるというところに彼らの戦意はないのだ。
ただならぬ事態に背後から駆け寄るテスフィアの声が聞こえた。
「アル!!」
「お前は来るなッ!!」
「えっ!」と気勢を制止させられたテスフィアは二、三歩たたらを踏んだ。
アルスは一瞥してフローゼとヴィザイストらを指差す。これは正式な軍による捕物だ。現在アルスが手配犯であることを考えれば貴族であるテスフィアが加勢するのは彼女たちを不利な状況にする。
理解したのか、テスフィアは一歩を踏み出せない。本心を言えば加勢に加わりたいがそのためにフェーヴェル家を賭けることはできない。
AWRすら持たない彼女はぐっと拳を握るのが精一杯だった。
それを裏付けるようにノワールがつまらなそうに口を開く。
「どの道指名手配を受けていますから規定通りに投降を勧告しますの。投降するのならば危害は加えませんの。抵抗するなら力づくで、ということに……でも、抵抗してくれますよね? 先輩」
「当たり前だ。フィア、お前は離れていろ」
「う、うん」
直後、区切りと見たのかモルウェールドの指が曲がった。
ローブをはためかせて黒衣の一団がぞろぞろと斜面を疾駆し、アルスとロキに向かう。
袖から生えるように短い棒が一本ずつ姿を見せる。それを一斉に振ると収納されていた刃が反動で浮かびカチッとはまる。
小さい鎌のような武器をそれぞれが二本持っている。
「ロキ、お前は後ろに回ったのを迎え撃て」
「了解しました」
両手を背後に回したロキは勢い良く引く抜く。両手の指の間に挟んだ8本のナイフが銀光を発する。
即座にアルスは真正面に向かって掌打を放つ。薄く空間に歪みが生じ、見えない10m四方の壁となって地面を削りながら押す。
見えない障壁にもろに衝突したのは最初の二人のみ、その後は仲間の頭を踏み台に高く跳び、乗り越えるか、周り込む。動揺も狼狽もなく一瞬で判断する行動は戦い慣れしている証拠だ。
一撃目でアルスは殺すかの躊躇いを抱いていた。これがベリックの差し金による部隊ならば論外だが、今回は違う。
それに極力見せたいとは思えなかった。人を殺すことを忌避しなくなったアルスは自分をいつも卑下する。必要なことだとわかってもそれを良しとはしない。この世界はそういう風にはできていないのだから。
自覚するということは同時に正当性を見つけて行いそのものを肯定し始める。だからこそアルスはあまり見せたい自分ではなかった。
ロキやテスフィアには……彼女らには知らない自分を知らないままでいて欲しいと思ってしまうのは彼が少なからず彼女たちを深く心に住み付かせたからなのだろう。
不思議なこともある。こんなこと以前は思わなかったことだ。
良い自分だけを見て欲しい。そう思う自分がいようとは。
以前、ヴィザイストがアルスに向かって人間臭くなった、と言ったことがあったが、こういうことなのだろうと感じる。
葛藤を成長と呼べるならばアルスはまさに今、成長をしているのだろう。
だが……。
反射的に鎌を振り下ろす敵に対してアルスはAWRを一閃させていた。深く深く、血飛沫が出るほどに。
何も感じず、躊躇いすらない。
同族嫌悪とはこのことだろう。自己嫌悪とはこのことだろう。それでもアルスは自身を鑑みるまでもないと結論を出した。
次々にうじゃうじゃと集まる鎌を捌く。柄にAWRを潜り込ませた。
「ほう、魔力刀まで形成できるのか」
こめかみに触れるかというところで動きを止めた鎌の刃を横目で見てそう溢した。そこには数cmほどではあるが魔力刀が形成されている。実体のある刃のみで間合いを測っていれば虚を突かれるだろう。
「気をつけろロキ」
返事は雷の轟雷でもって返される。纏めて三人が全身からプスプスと煙を発し地に伏せっていた。電撃を纏い小刻みに勘違いした神経が屍の指を動かす。
だが、アルスはそれを一瞥するだけで何も言わなかった。ロキの攻撃は魔物を倒すためのものであって人間を殺すために放たれたものでないのは明らかだったからだ。
それが良いことなのかはわからない。しかし、ロキの行動は頭で考えている分、理性が働いている。決断までの躊躇があった。
その思考の迷い、もとい意思決定までのタイムラグは彼女が少なからず人間を殺すことに忌避感を抱いているからなのだ。いずれロキは躊躇わなくなるだろう、是非を問うまでもなくアルスのためならば心すら殺せる才能がある。そしてそうなろうと彼女の意志がクルーエルサイスの構成員を殺す。
アルスもまた憂慮を抱き、意識を戦闘に集中する。
左右から怒涛の如く押し寄せる敵を認識しつつもアルスは頭上を仰いだ。疑似太陽が発する白色の日光ではなく赤々とした熱量が真上から地上を照らす。
人間一人ほどもある無数の火球が流星の如く降り注ぐ。
仲間が交戦しているにも関わらずそれを顧みない魔法。【煉獄の炎岩】、上位級に属する魔法は圧倒的な質量と熱量をともなった。
ここら一帯は確実に穴だらけになる。
即座にAWRに魔力を流したアルスは沈下させるために膨大な量の水の障壁を上空に展開した。火球と呼ばれる魔法は基本的に燃焼を事象改変の定義としているため、燃えるという事象がなくなれば魔法として霧散する。この数を沈下させるには二重に張る必要もあるだろう。
白煙を上げる【煉獄の炎岩】は即座に炎を弱まらせ、魔法として維持できなくなった。
だが、水壁を抜けてくる黒い影にアルスは目を細める。
そう、火球の中心には敵が潜んでいた。火だるまになって突破を図ったことになる。
捨て身の攻撃だったのだ。更に言えばアルスがどう対応するかわからない状況で賭けた。真っ当な戦い方ではない。




