回り道の終着
この決着を遠くで観戦していたウームリュイナ家、現当主モロテオン・フォン・ウームリュイナは静かに立ち上がり、執事に向かって帰宅の合図を出す。
この後の収拾を付けるのは当主である彼の役目だ。息子の尻を拭うのは決して安い代償ではないが、彼はここにきて自分の教育が失敗したことを悟った。
それでもチャンスは十分に与えたのだろう。それを生かしきれなかったアイルに対して掛ける言葉はない。
裁定は下された。
三大貴族相手に吹っ掛けた息子の後始末は結果として高くつくのだろう。それを承知でモロテオンは何もしなかった。できないように徹底されていると言い換えても良い。この結果を覆すことはできない。
そのためにフェーヴェル家は派閥である貴族総出で周りを固めたのだから。厳正な判断で勝敗は決した。
不器用なモロテオンは扱い切れなかった息子の独走を許し続けたのも、大きな失敗を踏まなければ身の程がわからないからだ。
どうして自分からあれほど切れる息子が生まれたのかわからない一方で抜け目のなさは遺伝なのだろうとさえ思った。兄とは違い人一倍野心の強いアイルがどこまで行けるか、それを見極めるために身を切らせた。
もう時代が違うのだ。モロテオンはそれを見た。アイルは良くも悪くも彼の映し身に近い形で育ったのだから、それを託す意味でも今後のウームリュイナの趨勢は決まったと言える。
息子を咎めることはないだろう。アイルはモロテオンの若い頃とそっくりであり、自分とは比べ物にならないほど優秀だっただけなのだ。ただその分欠落した箇所が今日まで続く敗因なのかもしれない。
兄は弟ほど頭の回転は速くなく、情に深い。そして弟は回転が速すぎるがために人しての情が欠落している。
どちらを当主に据えても圧倒的に足らないのだ。だが、今回でモロテオンの中で一つわかったことがあった。
だからなのかモロテオンは帰りの魔動車に乗り込むまでの足取りは軽い。それどころかやることは多い、とずしりとした重みを感じさせる。
家督を譲るまでにまだまだ世話の掛る息子たちに残してやれることがあるだろうか。教えておくべきことがあるのだろうか、と。
♢ ♢ ♢
腕輪の返却を済ませ、アルスは自陣側へと戻る途中で、ぺたんと座るテスフィアを見かける。額に張り付いた前髪が彼女の緊張と不安を物語っていた。
それだけに勝てたことで一気に緊張の糸が切れ、実感できないように茫然としているのだろう。
「お前にしては上出来だ。さすがに途中ヒヤヒヤさせられたけどな」
片目を閉じて眇めて見るアルスは呆れたように嘆息する。
まんまとやられたのはアルスも同じだからだろう。騎士がやられた時点からの立て直しにしては決着が早過ぎた。
そんな声が聞こえるまでアルスの存在に気付いていなかったのか、テスフィアは空虚な表情で首を捻った。
そしてアルスの顔を見るなりわなわなと手を動かし、数秒後、破顔しビシッとブイサインで応えた。
わざわざジャスチャーによる物だとしても、しゃべれよとは突っ込まない。震えながらの精一杯、それだけで十分だ。
本音を言えばそこまで期待していなかっただけにアルスは本心から褒めてやりたいとさえ思った。素直に口に出すかは別だが、褒めて伸びるタイプだけに口は自然と動く。
「よく頑張った。今までで一番驚かされたぞ」
「敵を欺くにはまず味方からってね」
「今回はそれに効果があるとは思えないけどな」
今回の場面では欺くもなにも対応、機転の問題なのだが、アルス自身欺かれたという点では間違っていない。効果のほどは兵が命令のみで動く以上期待薄だ。
それも彼女なりの虚勢なのだろう。そこに追及することに意味などない。
尊大に振舞って見せてもテスフィアは一杯一杯だった。
その証拠にテスフィアはいつまで経っても立ち上がろうとはしない。
「どれ、掴まれ、運んでやる」
片膝をつき、背を向けたアルスにテスフィアは一瞬躊躇いを見せた。そして自分の襟と胸元を見下ろす。
そこには湿った服がぴったりと肌にくっついている。
アルスの背後でスンスンッと嗅ぐ。無臭、それどころか昨日の入浴剤の香りがするが、汗を掻いているという事実は彼女に女らしい羞恥と抵抗を抱かせた。
「おい、さっさとしろ。俺もあまり長居してられないんだ……それともなんだ、いつかの時みたいに抱えてやろうか?」
チラリと一瞥するアルスの目は意地悪そうな光を宿らせ、頬が僅かに持ち上がっている。
抱えるという光景をテスフィアは即座に想像し、すぐに頭を振った。今にして思えば嬉しいのだが、その時の顔色は恥ずかしいほどに真っ赤に染まるだろう。
何よりあの体勢は手のやり場と目のやり場に困る。
テスフィアは諦めたようにアルスの肩を掴んで勢いよく圧し掛かった。
お尻の下に腕を回され、軽々と立ち上がる。
「やけに熱いな」
「…………そんなこと口に出すなっ!! 意識しないのっ、まったくデリカシーもあったもんじゃない!」
背中から伝わる体温が冷めていく。テスフィアが腕で突っぱねたのだろう。だが、ふぅとすぐに身体を預けてくる。
本当に疲れたのだろう。彼女にしては肉体的な疲労よりも精神的な疲労のほうが大きい。
アルスは相槌を返さずに頬を上げて言葉を飲み込んだ。
「そのままで構わないから、何をしてくれたのかだけ、聞かせてくれるか?」
「うん、悪いけど背中は借りる、ね……」
合流するまでの間、アルスは速度を調整しながら耳元で小さい声に意識を向ける。
アルスが立てた作戦。そして規約、ルール違反の判断が付かない奇策とは何だったのか、それは言ってしまえば自陣の兵を殺すことだ。
文字通りに殺すというわけではなく、死を偽装することにあった。
大前提としてマッピングされた兵は一定時間その場に留まることでマップ上から外れる。マッピングが解除される。
そこにアルスは着目した。筋書き通りならばアルスはオルネウス、もしくはシルシラの両名を引き連れ戦場となる場所を回ることにある。それによってテスフィアとアイルに両者の全兵の位置を捕捉させるのだ。
そこを見計らって歩兵同士の衝突を展開させる。もちろん互いに戦闘不能となる兵がでるはずだ。この間に歩兵に扮した騎士は交戦に参加せず、戦っている兵を前に茂みに隠れる。アルスたちが分断し、見守る形で歩兵は距離を開けるだろう。
その隙に騎士はマッピングが解除される5分をじっとしていなければならない。だからこそアルスはオルネウスと5分という時間戦闘しなければならなかった。そして負傷した兵は歩兵と合流し、騎士と重なるようにピッタリとくっついた状態で腕輪を自ら破壊する。
そうすることで死を偽装することができるのだ。もちろんこれは至近距離だけで相手に捕捉されてしまえば元も子もないもろ刃の剣。
アイルからは交戦によって戦闘不能になったように見えるはずだ。だからこそ、騎士はマップから認識されずに一人で二人分消えることができる。
後はアルスがオルネウスを引きつけたまま、シルシラサイドの交戦に乱入すれば、中央にスペースができる。堂々と王を討つ通路ができるというわけだ。
ルール違反になるかは疑問だったが、審判はこれを作戦と見たようだ。実戦ならば死を偽装すること自体可能だし、例がないこともない。だが、これをゲームとするならば自ら離脱するというのは看過されない可能性が高かった。
全てはタイミングが成功の鍵だ。時間に関して言えばテスフィアのマップ上に秒数が表示されている。しかし、アルスの把握――状況から推測――する限り、途中までは完璧だったはず、騎士が見つかる可能性は低いはずだった。
ここまでがアルスが提示した作戦である。
「だからね、あいつがこっちの命令回数に気付かないわけないと思ったのよ……歩兵の位置が予想以上に近いこともあって見つかっちゃうんじゃないかって、人数的にも圧倒的に劣勢だったから脇を抜けた兵がいればすぐに気付かれるでしょ?」
「ん、あぁ、確かにな……そうか!?」
「うん、まぁ偶然もあるんだけど歩兵の一人に対して命令が行き届いてなかったの。だからそのまま待機してもらってマッピングから外したのは良いんだけど……」
「命令回数上、歩兵に対して複数回命令を下せばさすがに気付かれる。かつ、相手の歩兵を集中させる必要があるな、だから騎士を囮に使ったのか」
「本当に成功してよかったぁ」
はぁ~と溜め込んだものがアルスの耳元で吐息となって吐き出た。
だが、実際のところ言うほど容易いことではない。アイルが命令を受けた相手の兵の動きを把握している前提でテスフィアは相手に納得させられる理由の命令を与えなければならない。間違っても命令を下しておいて、表示された兵が動かないという不手際は絶対に許されなかった。
そして迷彩した歩兵が動くにしても命令の不自然さを消すために騎士が発見され、包囲されてからでなければ難しい。そういった機微な感覚を持ってタイミングを計らなければならないため、アルスが提案した作戦よりも難易度が高い。
それに加えてアイルの場所が開始時から予想がついたことも大きかっただろう。そうでなければ戦局は変わっていたはずだ。
現にアイルは手遅れとは言え、ギリギリで感付いていた。
アイルの拠点はウームリュイナが優位な状況で貴族の裁定を行えるような地形になっており、彼はいつも同じ側の陣地だった。だからこそどこを拠点にすれば最も見つかりづらいかの予測を立てることができたのだ。
一つでも間違えばこうして安堵していられる今があるという保証はない。
それを説教紛いに今、諭してやるのはきっと違う。それよりも咄嗟の機転、勝利へと導いたのは紛れもなくテスフィアの力だ。
今回はそれだけでいい。
そう思い、アルスの歩調は振動を伝えない穏やかなものへと変わっていた。
「私一人じゃ何もできなかったわ。みんながいて、アルがいてくれたから勝つことができた。だから、ね。ありがとう」
「…………あぁ」
きっと胸がすくような嬉しさの発露だったのだろう。彼女が心から感謝を抱いた言葉は一切の濁り気を含ませない純水。
少しの間はアルス個人にも耳の痛い話だったからだ。一人で切り抜けてきた経験と自負が揺らぐ。任務などは隊を組み、全員で連携する。それをアルスは己の力だけで補ってきたが、決してそれが良いことだとは思わない。
もっと言えば託すことに隊としての機能がある。孤独な戦いは補填が利かない。一度の失敗は死への最短距離を生むのだ。
それはきっとレティの部隊然り覆らない真理なのかもしれない。
今回のテンブラムもその一端を彼女が示した。アルスは背後に意識を向けて軽く目を伏せる。
「褒める?」
なんて茶化すような催促が気恥かしさ半分に聞こえる。それすらも今のアルスには丁度良い塩梅に聞こえてしまう。
「…………なんだ、肩車のほうが嬉しいのか?」
こんな軽口を叩こうとも、いつものような悪態は飛んでこなかった。
その代わりにテスフィアにしては珍しく、しおらしい声がボソリと呟かれる。
「……違うわよ」
木々が途切れ、隙間から草原を覗かせる。ここでアルスはテスフィアを降ろした。さすがに勝利者がおんぶではカッコ悪いだろう。
この頃にはテスフィアも自分の足でしっかりと立てるほどには回復していた。
「……なによ」
「なんでも」
アルスは降ろした後、振り返ってテスフィアの頭の上にポンッと手を乗せた。
それを彼女は嫌な顔一つせず受け入れる。
「さ、凱旋だ」
「う、うん」
そして木立の中を抜け出た先には観戦席があった。アルスはそこに目慣れた顔と見慣れない顔の両方を見た。自然と作られる表情は苦々しいものだ。
(ヴィザイスト卿まで来ていたのか)
もう一人は確実に初対面だ。遠目でもわかるほど腰の曲がった老婆。
席を譲ったのだろうヴィザイストは立っていた。ロキはアルスに向かって一つ頷く。だが、その表情は少し険しい。
ヴィザイストがいるならばアルスの要望はおそらく通るだろう。そういう意味では彼がここにいるのは僥倖と言えた。
そちらに向かって歩を進めた直後、背後からぞろぞろとテスフィア陣営の兵たちが全身を汚しながら出てくる。疲労を感じさせないのはその表情が勝利の二文字に歓喜しているからだろう。
続々とテスフィアを見つけては駆け寄ってくる。その中にはウームリュイナの旗をしっかりと握った男の姿もあった。
誰もがアルスを知っているのだろうか、皆目を伏せて挨拶を交わした。フローゼは最後の最後で事情を全て話し、参加するかの是非を取っていた。だが、そんなことすらも彼女の意見一つで変わってしまう。
フローゼがアルスを信じると言えば誰も身を引くものは現れない。
「やりましたね、お嬢様」
男は我先に駆け寄り、旗をテスフィアに渡そうと差し出した。
「キケロさん、お嬢様はやめてくださいって言ってるのに。ミナシャは私の姉のような人なんですから」
聞き覚えのある名前にアルスは思い出す。テンブラムの作戦、報告でフェーヴェル家に行った際、クラマの毒牙に掛ったメイドの名前がそんなだったはず。
「みなさんのおかげです。本当にありがとう」
深々と腰を曲げるテスフィアを見て、アルスはこのゲームそのものが彼女を成長させるに十分な経験を積ませたのだと感じ、黙ってその場から離れた。
歩き出すアルスの足はフローゼらとは別の方向だった。
(わかってるよロキ。少し時間を掛け過ぎたな)
ロキが何を言わんとしているか、アルスもここに到着してから気付いた。
並々ならない速度でアルスの隣に移動するロキは真っ直ぐ木立とは逆の方向を睨みつける。
緩やかな傾斜の先にある丘に次々と舞い降りる漆黒のローブを纏いフードを被った二十人程の一団。その誰もが俯いているという不気味な雰囲気を出している。そしておそらく見える以上に包囲されているだろう状況だった。
その先頭で陽の光を背に浴びるように一人が歩み出す。その手には大きく三日月の如き大鎌が握られていた。
歪に口元が円弧を描き、風に煽られてフードが捲れ。
「また会いましたの…………先輩……」