真命
本来アルスが提示した作戦は相手に騎士がアルスであると思い込ませ、その上でオルネウスとシルシラを引き受けるというものだった。
そのための命令をテスフィアは常に出し続けなければならない。それはマップに示された光点のみを頼りに戦況を把握しながらできるだけを不自然に思われない範囲での命令だ。
対策としてテスフィアは比較的近い距離に拠点を置いている。
常に命令回数は追加を待つような状態になってしまうが仕方なかった。最初は余裕を持たせて2回分を一気に消化することで指示の範囲を迷彩する。
さすがのアルスもオルネウスの実力やテンブラムの落とし穴とでも言うべき、制限を甘く見ていた。結果として二人を同時に釣ることができなかったのだから。
幸いにもそれはこちら陣営にも言えることで、現在シルシラを食い止めている弓兵もアルスの予想を越えている。
差引きゼロとまではいかないが、十分修正できる範囲だった。
歩兵に紛れ込ませた本当の騎士の存在にさえ相手が気付かなければ作戦の支障は小さい。
後はテスフィアがどこまで工夫を凝らせるかに託されたのだ。
だが、想定外は起きた。
左翼で勃発した歩兵同士の交戦だ。これは想定よりもだいぶ早い。展開する前に叩かれたことにアルスはテスフィアの命令を受けて初めて気がついた。
元々アルスは戦闘しながら相手の歩兵を全てマッピングするつもりだったのだ。それはオルネウスも連れてアイルにもこちらのマッピングをさせるというもの。
歩兵の戦力差は生まれるだろうと予想していたため、本格的な王取りの前に減らすのは避けなければならなかった。だが、実際には3(・)人も戦闘不能に陥るという決定的なミス。
相手の読みが勝ったのか、それともテスフィアが判断を早まったのか。どちらにしろこれは手痛い。
きっかりと5分の交戦を終える。
後はどう穴を埋めるか、それこそテスフィアの肩に掛っていた。
だが、次の行動時にアルスは最悪の展開の兆候を見る。後を追ってくるはずのオルネウスが直角に引き返したのだ。
思い当たる理由はたった一つしかなかった。騎士の存在がばれたのだ。当初の予定ではアルスはどんな形にせよ、最終的にオルネウスとシルシラの二人を留めておく必要があった。これは弓兵と連携し、何がなんでも引きつけておかなければならない。
最悪で絶望的な、敗北に直結する予感。勘違いであろうと、アルスの予想が的中している可能性を考えれば、なんとしても食い止めなければならない。しかし、テスフィアからの命令はすぐには下されなかった。
作戦が成功していれば透明のベールを被った騎士の存在がわかるはずがなかったのだから。迫りくる恐怖をアイルは知らず知らずのうちに懐まで潜り込ませてくれる。
どんな強者でも勝負事に絶対などない。それはアルスでなくてもわかることだ。だからこそ、どんな状況においても冷静に対処する能力が問われる。
態勢を整えることが大事なのだ。指揮をする者はいつだって勝敗を秤にかける。それが僅かな道、綱渡りのような勝率だったとしても勝つための策を巡らせなければならない。
だが、どんな作戦においても肝というものは存在する。それさえあれば、いれば、まだ立て直しは利くというものだが、今回はそれが騎士にあたる。
アルスは数十秒というロスの後、弾かれたように疾駆しオルネウスをやっとのことで捕捉した。だが、時すでに遅し、自陣の騎士と目される兵は顔面を蒼白にさせて真っ二つに割られた腕輪をただ茫然と眺めている。
その表情だけで大凡を察してしまえる。アルスは万事休すか、と一旦は諦めかけた。正確には次策を練るまでのリセットだったのだろう。
「なんで……」
そう溢した男は戦闘不能になったことへの後悔と何故? という疑問が綯い交ぜになったように分けがわからない様子で顔をくしゃくしゃにする。後悔、悔やまれない気持ちが男に膝を折らせた。
アルスの視界内ではオルネウスが腕輪を使って王への報告を済ませたところだ。
今、アルスが次策を考えたところでそれをテスフィアに伝える術はない。一方通行の命令はこちら側からコンタクトを取ることができないのだ。
(ならば、結局俺ができることは変わらないか。さて、どうするんだフィア)
視界に収めたオルネウスは自分が倒した相手が騎士であると気付いたようだ。そしてこれが勝ちへの大きな足掛かりだとわかったはずだが、オルネウスの表情は戦いたいと主張し、ウズウズしたように歪む。
またしても引き付ける必要が出てきた。
オルネウスが駆けた直後、アルスに新たな命令が下された。それはミルトリアとシルシラの戦闘に加勢するものではない。単にこちら側に引きつけるという安直な命令だった。
立て直すにしても一度合流し、時間がかかろうとも確実にオルネウスとシルシラを仕留める必要があるのに、この命令はそれを否定した。
だが、アルスはその命令を喜々として聞き入れる。何かしてくれるそんな予感からだった。
♢ ♢ ♢
アイルがテスフィアの命令に疑問と不吉を感じた時、シルシラは更なる嫌な予感を抱いていた。
それはこれまで定期的に命令を受けていたのが、ここにきて途絶えたからだ。
致命傷にはならないものの一分の隙を見せない相手にシルシラは苦戦以上にもどかしさを募らせていた。
一刻も早くこの遠距離魔法による包囲網を突破し、本来の役目を果たしたい。と同時に時間がかかるにつれて相手の思惑に乗っかってしまっているような危機感をも抱かずにはいられなかった。
動き続けてどこかに穴を見つけられないかと突破口を探す作業はもう10分以上も続いている。不毛な時間と体力の浪費は掠り傷が増えるだけだった。
今までのテンブラムでもこれほど魔法を制限されるだけで自分の行動が制限されるとは思いもしなかったのだ。それだけ相手は戦い慣れている。いや、テンブラムを知り尽くしている、とさえ感じた。
どこかで自分を見ていなければこれほど正確無比な遠距離魔法を成功させることはできない。だが、動き回って気がついたことは傍にはいないということだけだった。
つまり、テンブラムにおける抜け道、王以外に正確な相手の場所を捕捉する術を持っていることになる。
だからこそ、シルシラは嫌な予感を拭い切ることができなかったのだ。
良いように足止めを食らい。戦況の推移が相手の思惑通りに動いているように思えて仕方がない。
シルシラはなおも打開策を探すように動き回るしかなかった。足を止めれば瞬きする間もなく何本もの風の矢が突き刺さる。
それ単体は大した魔法ではなく、直撃しても数本ならば耐えられるものだ。速度も捉えられないほどではない。十分気付いてから反応できるレベル。だというのに成す術がないのはあまりにも膨大過ぎるからだ。
まるで雨が全方向から降っているようだった。一帯の木々は粉砕され、ここだけ地形ががらりと変わっている。
足場が悪くなっても降り止まない豪雨。掘り起こすように地面を抉り、木々を粉砕する。
弓兵以外の魔法は基本的に発現座標を周囲1m以内に収めなければならない。さらに言えば制限された魔力を魔法に構成する上でできるだけ身近なほうが正確だ。
だからこそ、彼女が繰り出す氷系統の魔法も効果を最大限発揮する前に矢の嵐に晒される。
そんな焦燥感の中で彼女はアイルからの命令に乞驚した。
「なんて面倒なの…………!! アイル様ッ!!」
片手を通信機器に押しつけて聞き逃さないように意識を傾ける。即帰還。たったそれだけだったが、主の声はひどく取り乱していた。
「アイル様、どうなされたのですか!!」
当然のように一方通行の通信機器はシルシラの声を遮断する。募った焦燥感は彼女を一刻も早く主の元へと馳せ参じる原動力を生む。
動かす足は風の矢を置き去りにして、強引に動き回る。
「どこかにきっと穴はあるはず、これだけの範囲をカバーするのは不可能」
言い聞かせて限界まで足を動かし、矢を置いていく。それでも動きを先読みされていたのがこれまでの戦いでわかっていた。
だが、今のシルシラには微かな隙間が光明のように映る。
視界の端で捉えた僅かな抜け道。それはアイルの元へと続く唯一の道だと確信した。巧みに矢をかわし、焦る気持ちをギリギリまで押さえつける。肩を掠めていく矢を気にも留めず、コンマ数秒の途切れるその時を待った。
そしてそれは意外にも早く訪れる。
(今――!!)
一直線に最高速度で駆け、閉じ込められていた檻を抜け出た。だが、その瞬間シルシラは自身の内で嘲笑う声を聞いてしまった。
檻を抜けたと思った直後、シルシラは聞き慣れない破砕音を間近で聞く。それは意識的に時間が緩慢となった時に起きた。誰よりも速く駆け付けるつもりの彼女が体感とは言えゆっくりと動く周囲に気付いた時、自分が何故いとも容易く抜けられたのかに悪寒を感じたのだ。
走る足は宙で縫い止められたようにその瞬間を克明に彼女に見せた。
そう、頭上から落ちた風の矢はシルシラの顔のすぐ横を通り過ぎ、腕輪を的確に破壊する。
♢ ♢ ♢
包囲から抜け出ようとするシルシラの行動をミルトリアは見ていた。いや、感じていた老婆はしわくちゃな顔で頬をにんまりと持ち上げる。随時生みだされていた矢はそれを期に生産されなくなっている。
「若いだわさ。もう少し歳を重ねれば見えてくるものもあろうて、感情を優先させる相手ほど楽なものもないということだわさ」
ゆっくりと腰を上げた老婆は杖を持ち、地面に向かって突き刺すように先端を落とした。知覚する風の矢は遥か上空で鏃を反転させる。
「さて、これならシスティの面目も保たれるだわさ。もう老体を痛めつけるのはやめてほしいものだわさ。たまに顔を見せたと思ったら厄介事を持ち込んでからに、少し言ってやらないと」
どこか浮かれた調子でミルトリアはよろよろと自陣の方へと向かって歩き出した。後は若い者にでも譲ろうというのか、それとも王の元で防衛に徹するつもりだったのか、はたまたこれ以上は手を貸すつもりがなかったのか、それは急遽参加することとなったミルトリアしか知り得ない。
杖をつき、もう片手は背後で腰に添えられている。たまには歩くのも悪くないとでも言うように歳の割には軽快な足取りだった。
それでも老婆から出る魔力は最初から最後まで腕輪によって制御され続けているのであった。