対策と対策
テスフィアとアリスを帰すことにどうにか成功したアルスはドッと気疲れに襲われていた。
それによってロキが内心で勝ち誇ったように拳を握り締めたのかはロキのみぞ知るところだ。
暗くなった空には光源である月が丸々と頂で単調な明かりを一点から降り注がせている。
それを歩きながら見上げたアルスは空ろな目で眺める。それは月であって月ではない偽物だからだろう。
外界とを隔てる防護壁は何も通さないものだ。
だからこれは後から付け加えられた断面的なもので決して立体的な物ではない。
区別が付くのかと言われれば細かい指摘はできない。
それでもやはりアルスは違うのだと……偽物だと思ってしまう。こういう時、ふと戦場である外界の本物が恋しくなる。
あの高みへは1位となった今でも届くことはないのだという幻想が外にはあった。
カツカツと舗装された地面を打つ足音が一定のリズムを刻み、少し遅れてさらに小さな音が続く。
仄かな花の甘い香りが鼻へと抜けるように漂う。何度も通ったはずの道なのに意識に投影されたのはこれが初めてだった。アルスは「こんな香りしてたか?」と思いながらも余韻に浸る。
アルスとロキは一言も話さず静かに本校舎へと歩いた。決して話題がないということではない。
アルスが焦がれるように見上げたことで、ロキはその姿を後ろから微笑ましく見惚れた結果だった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
理事長室ではいつもの如く、万全な状態でシスティは待ち構えていた。長大な机には詳細な地図が広げられ、傍らには校内でも順位の高い魔法師の名簿が積み上げられていた。まさに待っていましたといった具合に整えられている。
さすがに他人任せというのではないのだろうが、ここまで周到ではおんぶに抱っこというほどではないにしろ、七割方寄りかかっているのは薄らわかってしまう。アルスでなくとも頬を引き攣らせるだろう。
しかし、結果として早めに取り掛かれるのは有り難いと思ってしまうアルスが不平を洩らすことはなかった。
「実戦訓練ではロキにも働いてもらいます」
理事長は納得顔で首肯した。
アルスがロキを連れて来たのはそのためだ。彼女を加えれば校内の実力者のワン、ツーがサポートに回ることになる。
自室でアルスは大凡の計画を練っていた。授業と銘打った内容を変更してもらうにも上の許可が降りなければ実施することは難しい。
細かい配置は後々詰めるとしても対策の大部分は急を要したからだ。
「まずはここに本部を置きましょう。常時ロキにはそこで探知をしてもらいます。監督として付き沿う上級生とは別に非常事態に備えた魔法師を配置し、ロキの指示で本部から増援を向かわせます」
探知に優れたロキの存在は渡りに船だった。
机を囲むように……今回はロキもアルスの横で指示を聞いている。
続いて理事長があなたは? という視線を地図からアルスへと移す。
「俺は魔物の全体数を減らします。俺はロキと違って魔物の正確なレート判別が効かない能力なんで、ロキの探知に引っ掛かったB・Cレート級の魔物を潰していきます。さすがにDレート以下ならば生徒でなんとかできると思うので」
出来ますよね? との確認に対しての理事長の返しは断言するには弱々しいものだったが、そこまでは面倒を見切れないので覚悟を決めてもらうしかない。
本来この実戦訓練が新入生である一年生に課せられること自体不条理なものなのだ。
そんな杜撰な計画の尻拭いをさせられる身としては文句の一つでも言ってやりたいが、それを理事長に言ったところで同じ被害者である同士には酷な話だ。
「理事長は何もしないんですか」
仕返しのようなもの。理事長が表立って動いてくれればさらに楽になるのだが。
「私は非常事態に備えて本校舎に詰めてなきゃいけないのよ。全体の状況確認は随時しているつもりだけど」
予想していたことだ。
最終決定権のある理事長が外界でうろうろしていれば不測の事態に収拾がつかなくなってしまう。
ましてや理事長でも上の指示を仰がなければならない事態にならないとも限らない。
アルスは実力のある生徒がピックアップされた名簿を手に取った。
当然個人情報も記載されており、これはいいのか? と思ったが「他言しないでしょ」という根拠のない信頼によって一蹴された。
ギブアンドテイクということなのだろうか。
アルスの要求した秘匿と同等に扱われるのは対等じゃないんだけどなと思ったが、そのまま名簿に視線を落とす。
当然筆頭にはフェリネラ・ソカレント二年生が名を挙げていた。
第2魔法学院でも唯一の三桁魔法師である彼女は実戦経験があるようだ。
彼女の父、ヴィザイスト卿は将官の地位に就いているのが影響しているのか、実戦経験があっても不思議ではない。三桁も頷けるというものだ。
「最高討伐レートはBか」
「フェリネラさんはどうするの?」
逆に扱いに困るということはない。
「彼女は普通に監督に回しましょう。増援には一定の戦力で数を集めます。ロキの負担を減らすためにも増援の振り分けは数で差を付けましょう」
今のところ異は唱えられていない。
ロキも自分の役割を正確に理解していた。
「ロキには負担が掛かるがやってもらうぞ」
当然ロキが首を横に振ることはない。
その代わりに。
「私は討伐に出なくてもいいのですか」
「その必要はない。指示に専念してくれればそれで構わない。どっかの誰かが実戦を経験させたいらしいんでな」
さすがに二人も出れば確実に魔物が減り過ぎてしまう、と予想されたためだ。アルスでも調整を強いられるのだからなおさらだろう。
その一言にロキが表情を変えることはない。首肯を以て了承の意が返ってくる。
理事長が対面で「お願い」と申し訳なさそうに言った。
「あとは理事長のほうで監督者の選定をお願いしますよ」
「試験の結果は出てるから一年生の順位が低い順に学内の上位者を振り充てるわ」
アルスのそれぐらいはやれという投げやりな皮肉は杞憂に終わってしまう。
肩透かしをくらったが、これで急ぎの部分はまとめられただろう。
「これでいきますが、いいですか」
「構わないわ」
「畏まりました」
「それと理事長、ロキはいいとしても表向きにでも俺が課外授業に参加していないのでは不審がられます」
「そうね、その辺りはこちらで手を打っておくわ」
それぐらいは簡単なことだ、とでもいいたげに理事長はあっさりと了承した。
この後も理事長には働いてもらわねばならない。特に新たに加えられた計画表の改定案を上に通してもらうために掛け合う作業が。
「では、俺達はこれで失礼します」
まだまだ細部で決めなければならないことは山ほど残しているが今日のところはこれでもだいぶ進んだろう。
「お疲れ様」
ロキが深々とお辞儀したのに対してアルスはぞんざいに手を上げただけだ。
ここまでしたのだから、この態度でもまかり通るのは、呆れた顔で溜息を吐く理事長からもわかる。
アルスのために恭しく扉を開けるロキ。
それが当然だとアルスは思わないが無下にも出来ずぎこちなく踏み出す。
後ろでクスッと溢れる笑みが聞こえたが、無視せざるを得なかった。
扉を抜ける直前、アルスは「そうだ」と振り返った。
「ばれないように簡単な戦闘服はそっちで用意してくださいね」
少しばかりのお返しも。
「はいはい」
即答されたことによって捨て台詞のようになってしまった。
帰り道、後ろを歩くロキは真黒な髪を見つめていた。夜の闇に溶けるような黒はロキの人生を大きく左右したきっかけになった晩のものと変わりない。
それがなんだか嬉しくて、この沈黙すら愛おしく思ってしまう。
しかし、行きとは違い、帰り道この沈黙が長く続くことはなかった。
「ロキ、お前は今日どこに泊るつもりでいるんだ」
「えっ……!」
この意外感はいきなり声をかけられたからではなく、アルスもロキと思いを同じくしていると思い込んでいたがための食い違いによるものだ。
「アルス様の部屋に置いていただくわけにはいかないのですか」
前を歩くアルスの顔はわからず、アルスにも後ろを歩くロキの顔色はわからない。声だけが二人を繋いでいる。
それでもロキの悲壮感を漂わせる弱々しい願望を察することができないほどアルスは疎くない。
「あと、その様もなんとかならないか」
呼び方を気にする性格ではないのだが、対等な生徒として編入してくるのであれば、その呼び方は衆目を集めることになる。
邪推する輩が出てくるとも限らない。そうなればいらない不興を買うはめになるのだ。
「それは譲れません」
打って変わって確定事項のように断言した。
背中に有無を言わせぬ圧力を感じる。
アルスは説得するのに時間が掛かりそうだと、肩を落としながら歩いた。
ロキがそういうのもシングル魔法師に対する正当な評価だからだ。事実、アルスを知る者は様付けが当たり前だ。ただし、親しくなり過ぎるとやはり敬称は取り除かれる。というよりもアルスの周囲はそういった遠慮のないのが多いともいうのだが。
つまるところ、ロキの主張は正しい。場所が場所とはいえ、シングル魔法師の功績を知っていれば是が非でも敬称を付けなければならない。こんな常識が常識として通用するのはアルス以外のシングルのみだろう。
♢ ♢ ♢
試験の翌日、何故か早朝にテスフィアとアリスが訪ねて来た。
鬱陶しく感じながら、無視していると扉の前で…………来訪者を映し出している液晶ディスプレイの向こうでは明らかな不機嫌な顔を張り付けたテスフィアとオロオロしたアリスが映っている。
「朝から迷惑な奴らだな」
壁面に備え付けられているコンソールで開けてやると、制服に身を包んだ二人はずかずかと物色するように顔を振りながら入る。
「――――!! やっぱり」
テスフィアが声を荒げたのはロキがさも当然のように朝食の支度をしていたからだろう。
真新しい制服に袖を通し、その上からエプロンを着用している。キッチンの前に立つと少し背伸びしている格好になるが、それでも随分と手慣れたものだった。
「ロキちゃん私も手伝うよ」
「もう終わりますので」
アリスはテスフィアとは違った反応を示して、手伝いを申し出たが、ロキはそれを手で制した。
見た通り随分前から仕込んでいたらしく、アルスが起床した頃にはほとんど完成していたのだ。
小さな(とはいっても四人分の席はある)テーブルに着席するとロキがまず、アルスの分を用意して続いて自分の分をテーブルに運ぶ。
「お二人は?」
決まり文句のような礼接であるのは言うまでもなく、ロキの表情は何も訴えてはいない。
一応は聞くけど、という体を取っているに過ぎないのだろう。
「私達は食べて来たから」
「うん。お構いなく」
予想済みの回答だったのか返事を待つことなく席に着いていた。本当に二人の分があったのかはロキにしか分からないが、用意してないのであれば性質が悪いのは言うまでもない。
「それより」
当たり前のように席に着くテスフィアとアリス。
着くなりテーブルを叩いたのはテスフィアだ。
それでアルスの食事の手が止まることはないが、向かいに座っているロキがテスフィアを睨んだのは当然だろう。
食事時のマナーを窘める睨みであって欲しかったが、それ以外の感情が含まれている気もする。
「ロキは昨日どこに泊ったの」
この中で唯一の男性に向けられた非難めいた問いだ。
それに応えたのは隣に座る銀髪の少女だった。
「当然、アルス様の部屋ですが」
何か? といった視線は威圧的で、やはり昨日のようにあなたには関係無いと言っているようだった。
誤解しないように説明するならば、昨晩帰宅後ロキの作った夕食を済ませた二人は(アルスの説得だが)呼び方や泊る場所について話し合いの場が持たれた。
説得も虚しく、平行線を行ったわけだが、結果として深夜に突入した時間帯ではどうすることもできず、一先ず初日は部屋に泊ることになったというわけだ。
とは言え何かが起こるわけではない。単に一本足らない川の字に寝ただけで、テスフィアやアリスが懸念する事態には当然のように起こり得ないのだが、一般的にはよろしくないということなのだろう。
二人は軍にいた時の癖か、手早く食事を済ませ、身支度を終えるとすぐ登校の途に就く。
というのも編入する初日は何かと準備が必要なのだ。教材も学校で受け取る手はずになっている。HRでの簡単な紹介も含めて早めに登校するのは当然だろう。
話を打ち切られたテスフィアは渋々といった感じに後に続いた。
当然、登校中の話題は巻き戻されたような二番煎じだ。
「信じられない。何もしていないでしょうね」
テスフィアが隣を歩くアルスを変質者でも見るような蔑みの眼差しで睨みつける。
彼女は1位であることを知ってもなおこの態度を貫いている。尊敬されるべき最高峰の魔法師を変態扱いする始末なのだ。これはこれである意味凄い図太さではある。
一々構ってるのが馬鹿らしくなってきたが、男として否定しなければ、その後の展開は火を見るより明らかだ。
だが、一歩早く。
「私としましては願ってもないことなのですが……」
ロキのぼそりと呟かれた声に一同はピタリと動きを止めて、呆気に取られた顔であんぐりと口を開く。
アルスは追い打ちをかけるようなセリフに肩を竦め、聞かなかったことにし。
「するか!」
アホくさ、という投げやりなものだが否定はしておく。
「当然よ。というか不潔よ……」
この少女はいつまでも腹に据えかねるのだなと一瞥する。揚げ足を取りに来ているのは明白だが、一般論として彼女の言い分も男女間では正当性を持ってしまう。
「ロキちゃん、もしよかったら私達と同じ部屋に来ない」
代替案としてアリスが提案するも彼女の表情は私情が幾分含まれていた。
寮は二人一組の共同部屋になっている。二人でも手狭なはずだが、ロキを加えるだけの余裕があるということは、貴族の見えざる手が働いたのかもしれない。
アリスの丁寧な物言いに加えその提案は妥当なものだった。本人が何に期待を膨らませているのか知らないが嬉々とした顔になっているのは指摘しないのが良策だろう。
それでも。
「お構いなく」
そっけなく突き放される。アルスとしてはもう少し粘って欲しいところだが、落胆の落ちた表情は気力を失せさせたようだ。
「あんたも何か言いなさいよ」
味方のような言い草には賛同できない。
「俺はもうどっちでもいい」
「「――――!!」」
これが世間的に受け入れられるかは別にして、ロキがいたからと言って研究の妨げにはならないことがわかった。寧ろ何かと気が利くのだ。
実際に研究に没頭した実例があるわけではないが、資料を探すのにロキはすぐに場所を言い当てたし、僅かな間でも飲み物を用意してくれる気配りだ。
いなきゃいないで困りはしないのだが、邪険にするほどのことはなかった。
「……!! アルス様が良いと言っているのでこれ以上文句を言われる筋合いはないです」
僅かな間はロキ自身も驚いたのだろう。
すぐに勝ったとばかりに畳み掛けた。
それでも受け入れることが出来なかったのか、その後も口論は本校舎に着くまで続いた。
それが結局説得出来なくとも――傍から見れば蛇足に他ならないが。
アリスも加わったものの微力ではロキを納得させるまでには至らなかった。
どちらでも良いアルスは昨晩ロキとの間で勝ち取った戦果についておさらいする。
学内、特に他の学生の前で様付けはせず、フランクにアルという略称で呼ぶこと。
たかだかこれを獲得するのに数時間の労力を要したのは失態だった。
ロキの妥協によって得たものの対価として、同棲についての主張に優位性が損なわれたことだ。
これについてはアルスでも正論で畳み掛けることは出来なかった(というより一般論が通用しなかった)。
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