行方の始まり
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中層から富裕層に掛けて広がる森林の中では早朝から多くの貴族が押し掛けてきていた。そのほとんどがフローゼの鶴の一声あってだ。
これから始まろうとする三大貴族間で勃発した貴族の裁定の行く末を見届けるために。
結果如何によっては三大貴族の勢力図は書き換えられる。
上位貴族以外は身の振り方を考えなければならないのだ。ここにいるのは主にフェーヴェル家の派閥に属する貴族が大半を占めている。
「あぁ~何やってるのよ。早く来てくれないと間に合わなくなっちゃう」
既にオーダー表を提出しているため試合開始時間に間に合わなければ欠場扱いとされてしまう。自陣で参加者が集まっているが一名だけ足りない状況に焦燥感から切迫した声が漏れ出た。
「参りましたな……」
セルバがそう溢したが、普通に考えれば指名手配されているアルスが来るとは考えづらい。それでも来ることが前提のテスフィアの言葉を聞いて老執事が水を差す言葉を口にできるはずもなかった。
もしかすると運良く来てくれたとしてもすぐに捕まる可能性すらある。
もちろんオーダー表で受理されている以上、今更異議申し立てはないのかもしれない。しかし、その後まではセルバでも想像したくなかった。
なお、フローゼはすでに観戦席に移動している。
「今日は絶好の貴族の裁定日和だね」
「……敵情視察のつもり?」
颯爽とお供を連れて現れたのは法衣のような衣装を纏ったアイルだった。傍には執事服を着たシルシラがいる。
その姿を見てテスフィアは震え始めた足に活を入れ、たじろぎそうになるのを堪えて逆に一歩踏み出した。
「ふ~ん、やっぱり何か心境の変化があったのかな?」
「どうだっていいでしょ!」
「うんうん、これから戦うんだ。やる前から気持ちで負けてちゃダメだよね。それにしてもそちらは人数が足らないようだけど」
それが誰のことを言っているのかテスフィアはすぐに察した。
気丈に振る舞いつつも、何か言い返してやりたかったが、時間が迫るにつれて不安で占める心をどうにかして保つために衝いた虚勢だったとしても。
「アルは必ず来る……」
言葉を一語連ねる度に震えそうになる声を遮ったのは、瞬時にアイルへと告げたシルシラだった。
「アイル様、どうやら間に合ったようです」
「えっ?」
茂みの中から少し離れた位置に勢い良く現れた二つの影を見た時、テスフィアは何かが込み上げてくるのを自覚した。
「さすがに離れ過ぎたな」
「アル、お言葉ですけどあの格好のままでは何かと失礼ですよ」
「まぁ、公衆浴場に浸かれたのは然う然うある機会じゃないからな」
猛スピードで来たためと、二日ほど着替えていないこともあり直前でロキがどこかで着替えたほうがよいと提案したのがことの始まりだ。
それに加え、アルスとロキが外界で拠点探しに野宿のような生活をしていたため、相当距離的にも離れていたのだ。
アルスは準備運動にはなったという言うように身体を解す。
「おっそーい!!!」
「間に合ったんだから良いだろ」
他の目を気にせずテスフィアが声を荒げた。しかし、近づくと怒りよりも不安が先に立ったのか耳打ちしてくる。
「全然練習もできなかったじゃない」
そう、アルスが提案した作戦を練習するためルサールカから帰還後、徹底してタイミングなどを合わせる作業を予定していたのだ。
「ぶっつけ本番になったが、なんとかなるだろ」
そう言いつつアルスはこの場にいる対戦相手に視線を移す。
「やっと御到着ですかアルス殿。勝利者の商品がいないのでは始まりませんからね」
「坊っちゃんがわざわざ足を運んで来たのはそのためか?」
「まさか、アルス殿も中々苦労されているようで少し条件を変えさせてもらいます」
突然の申し出に怒りを露わにしたのはテスフィアだった。
「今更それは反則よ」
「まぁまぁ、これはアルス殿の置かれている状況が変化したから仕方がないのです。それにルールを変えようというんじゃありませんから」
いつものいけすかない笑顔にアルスは至って冷静に問う。
「言ってみろ」
「私たちが勝った場合、アルス殿の身柄は軍に引き渡します」
「なんだそんなことか」
「えぇ、そんなことです」
犯罪者となったシングル魔法師を捕えたとなればその手柄は大きい。ウームリュイナの名は更に轟くことになるだろう。
大方そんなところだろう、と予想していただけにほとんど驚きはなかった。
「えっ! ちょっと待って……」
悲哀に満ちた声を漏らしたテスフィアは一先ず心を落ち着けるために言葉を挟んだ。だが、時間が差し迫っている以上、アルスは二つ返事で受諾する。
テスフィアの異議を無視して。
「それで構わない。これ以上ないならさっさと自陣に戻ったらどうだ?」
「くっ……」
その投げやりな態度にシルシラがいつかのように目くじらを立てた。もちろん、彼女が口を開く前にアイルが割って入る。
「そうさせてもらうよ。こちらの用は済んだから、後は全てが終わってからまた会おう」
ニッコリと微笑むアイルは華麗な動作で踵を返した。その際にシルシラがキィッと睨みつけてくる。
姿が見えなくなった時、アルスはすぐさま確認のためにセルバへと向き直った。
それが何を言わんとしてのことか、すぐさま察したセルバは問われる前に答えを自ら口にする。
「全てこちらの思惑通りに……」
「で、フィアのほうは?」
「ふぇ? 私?」
突然の振りに自らを指差したテスフィアは居丈高に言い放った。
「もちろん完璧よ」
「で、セルバさんどうです?」
「ちょ!! 私を信用しなさいよ!!」
という異議は一歩離れたロキにしか届いていなかった。
「お嬢様のほうも上々です。ですが、時間も限られておりましたので……」
「でしょうね。万が一の時はフィアの真価に掛けるほかないでしょう」
「も、もちろん任せてっ!!」
などと胸を叩く手は少し遠慮がちになっている。
実際の所、全てが予定通りに運べばなんとかなるが、そうならないのはこれが単純な戦略ゲームでないからだ。
「なら俺からは言うことはないな」
区切ったが、やはり問題はアルス自身にあった。それを聞かずにはいられなかったのだろう。
セルバはフローゼから確認するようにと伝言を受けていた。
「ところでアルス殿。少々面倒なことに巻き込まれているようですが、そちらのほうは……」
「えぇ、まんまと嵌められましたよ」
呆れ混じりの解答にセルバは一応の収穫を見た。そう、今回の事件に彼がどの程度関わっているかを確かめるように言われていたのだ。
フローゼもセルバもあの手紙が原因だと推察していただけに報道を信用してなかったが、彼の口から直接聞く必要もあった。
口頭だけのやり取りではあったが、それだけでセルバは納得する。長年の経験がほぼ確信に近い決定を導き出した。嘘をついているかの判断は実に造作もない。
「これが終わり次第、決着を付けますが、一旦は潜らなければならないでしょうね」
「何かお困りであればいつでもフェーヴェル家を頼るようにと奥様が」
「ありがとうございます、と伝えておいてください。こちらでもいくつか手を打っているので」
「差し出がましかったですかね」
「いえ、本当に困った時は頼らせていただきます」
こんな会話も当分はできないだろう。セルバは直感的にそう判断した。
まずはテンブラムを制しなければそれこそ縁が切れてしまう。セルバも間接的に関わったのだ。必ず勝てると珍しく根拠もなく太鼓判を押した。
そんな二人を他所に女性同士だからというわけではないだろうが、背後ではテスフィアに対してロキが口を酸っぱくさせていた。
「必ず勝って下さいね」
「言われなくとも」
「万が一負けたとなれば……」
続く言葉はわかりますよね? といった黒い何かが滲み出ている。それを一人の女性としてその機微を感じ取ったテスフィアは戦々恐々と頷いた。
「言っておきますけど、第二妻ならば考えなくもありません」
「えっ! なんて?」
ボソッと呟いたロキの声にテスフィアは「妻」という単語のみを耳ざとく拾い上げていた。
直後、ポンッと頭を軽くチョップされ、慌ててロキは振り返る。
「余計なプレッシャーを与えるな」
「す、すみません。でもですよアル」
「ん? ロキちゃん様付けしなくなった?」
些細な疑問を愚直に声に出してしまったテスフィア。
それに対してロキは優越感に浸ったような笑みを顔に張り付ける。
「ふふっ、残念でしたね。お二人だけが愛称で呼べるとは思わないことです」
「威張るな」
再度チョップを貰ったロキは調子に乗り過ぎたことを自覚してか、嬉しそうに舌を出す。
ロキは意識せずともテスフィアを競争相手として捉えていた。すでに紙面上とはいえ婚約まで結んでいるのだ。
「そんなことよりロキ、そっちのほうは頼むぞ」
「畏まりました」
「ではフィアさん、私は参加できないので観戦席で見ていますから」
「え、うん……」
アルスの背後に静かに寄ったセルバは微かに口元を動かす。
「アルス殿、できることは全てやりました。後はお任せします」
「それはフィアに言うべきでは?」
「ホッホッホ、これは痛いところを……成功することを祈っております」
「それは俺も同じです」
「二方とも私も観戦席から応援しておりますよ」とセルバもロキの後に続いた。
そろそろアルスも配置に着かなければならないが、やはり何か言うべきだろうか、とテスフィアを見る。
彼女も何かを期待しているのか黙ってアルスの胸辺りに視線を固定していた。
が、やはり今更何を言ったところで変わらないだろう、とアルスは。
(まっいっか)と自己完結して歩き出してしまった。
「何か言いなさいよ!!」
バシッと叩くようにアルスの肩を掴むテスフィアは怒り心頭な面持ちだ。
が、やはり人生をチップにする勝負では不安は拭えない。
「アルもなんか途轍もないことに巻き込まれているのはセルバから聞いて知ってるけど、さ……私やアリスだって何かしらの力になれるは、ず」
「なんだお前、自分のことより他人の心配してたのか」
ふいに出たテスフィアの言葉は本心故に考える余裕もなかったものだ。こうして図星を突かれて考えてみれば結構恥ずかしいことを言っている。
だが、それこそ今更だろう、とテスフィアは開き直ることにした。いつものようにここで噛みついては何も変わらない。
「当然でしょ。婚約者が犯罪者なんて思い付く限りの最悪じゃない」
腕を組んで顔を逸らし、目を瞑る。それがテスフィアの精一杯だった。こんなこと目を合わせて言うことなどできない。
「……だな。事が大きくなったようだけど心配はするな。って説得力ないか」
頬を掻きながら、いつになく弱々しい言葉にテスフィアは少しの罪悪感を覚えて片目を薄らと開けた。
「まったくよ。でも、本当に……その、私も力になるし……」
最後まで言い終える前に彼女の赤毛の隙間、おでこにデコピンが飛んでくる。
「ッツ~!! なっに、する……の、よ」と尻すぼみに勢いがなくなる。それはテスフィアが視線を上げた先にどこか遠い目をしているアルスを見たからだ。
額の痛みなど然したるほどではない。それでもこれが何を意味するのか即座に理解できてしまう自分を恥じた。
力になれるなど自惚れなのだろう。本心であっても心に技術がついてこないのだ。相手がアルスだからなのかもしれないが、自分の弱さを実感せざるを得なかった。
しかし……いや、それでもというべきなのだろう。
「いつかな……」
たったそれだけの、相槌のような返答をテスフィアは嬉々として受け入れた。
(いつか、か。うん、そう遠い話じゃない。いつか必ず……)
今は無理でも自分が頑張れば頑張った分だけアルスに近づける。それを彼の口から聞けたことに今は素直に頷けた。
「なら、こんなお遊びに訓練時間を割かれるのは勘弁願いたいわね」
「随分強気だな。まるで別人だ」
「それ、褒めてるのよね?」
「もちろん、少しは中身も成長したんじゃないか」
「フンッだ、そんなこと言ってると見目麗しい女になったことすら気付かないかもよ……」
流れのままについた言葉は撤回する間もなく最後まで紡がれる。
何を口走ったのか自覚するとともに頬が一気に紅潮した。
「それ以上綺麗になるつもりなのか?」
「…………」
一瞬の間が降りるが、その空白を埋めるように試合開始の秒読みが始まる。
話に夢中でメンバー確認も済んでいない状況だ。おそらくアナウンスも入ったのだろうが、一切二人の耳に届いていなかった。
「うっかりしてた」
一分前の表示、アルスは急いで用意された腕輪と通信機器を装着する。これにより指定の役職以外の魔法・魔力を制限される。通信機器は完全に王からの指示のみが伝わる一方通行仕様になっている。
アルスは振り向き様、テスフィアに告げた。
「指定場所にはすぐ着く。お前も準備しておけ」
そう言って返答を待たず消えるように走り去った。
開始四十五秒前になってテスフィアは胸中で木霊する言葉に耳まで真っ赤に染める。そしてしゃがみこんで息苦しいぐらいに高鳴る心臓に悶えた。
落ち着いたのは五秒前になってのことだった。