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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第3章 「噛み合う動向」
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闇夜の傀儡

 【貴族の裁定テンブラム】前日、またはアルスと見られる人物のルサールカ襲撃事件から二日後のことだ。

 時刻は日を跨ぐ少し前のことだった。アルファ国内において富裕層でも比較的バベルの塔に近いこの場所に居を置く者は限られている。

 周囲は鬱蒼とした木立があり、この季節抜けてくる風は薄手では肌寒い。それでもバベルの防護壁に守られている生存圏では温かいほうだ。外界では恐らく動物の姿を見ることはないはずだ。


 しかし、薄気味悪い木々も葉を全て落とすということはない。落ちてもすぐに実を付ける。そんな自然界から逸脱した季節外れの植物が多かった。

 木々を分け入るように敷かれた舗装道路。その先には頑丈な門扉、そんな所に建つ豪邸がある。

 広大な庭は二十四時間体勢の警備。一癖ありそうな連中は明らかに魔法師として研鑽された練度を窺わせていた。招待もなく入ればたちまち囲まれ、取り押さえられるかもしれない。


 中央正面二階に厳格な趣のある書斎で男は一人の少女からの報告に体の良い落ち度を探して、いつものように少女を地下に向かわせた。

 男は下卑た趣味を持っている。例えるならば一日のお供、一般的には一日の鬱積を吐きだすように、または褒美に呑む酒と同等、そういった嗜好は習慣にもなっている。

 書斎からでる男の足取りはどこか浮かれていた。


 ここには彼と少女以外の立ち入りを禁止している。石段をカツカツと降りて、防音完備された石造りの薄暗い部屋はこの数年で随分と男の色に染まっていた。

 見える限り様々な器具。そのどれもが使用済みの証として赤黒い染みをこびり付かせている。


 彼女は自分でやったのか、両手には手錠、その間に通された鎖が持ち上がり身体を浮かせていく。爪先が僅かに床に触れるかという高さで止まると少女は準備が整ったと男に向かって無感情な台詞を言う。


「閣下、準備ができました」

「うむ、今日はいろいろあったからな」

「はい、閣下のお好きなように……」


 閣下と呼ばれた男――モルウェールドはフルフルと恍惚な顔を浮かべてまずは歩み寄る。

 少女を半転させる、背中を向けさせると襟から一気に服を破いた。


 露わになった乳白色の肌は瑞々しい若さがある。だが、そんな羞恥を少女は感じず、モルウェールドも特に気に掛けた様子はない。

 しかし、その背中に頬を擦り合わせた直後モルウェールドは嗜虐的な笑みを浮かべた。彼が見たものはそこに刻まれた生々しい傷痕だ。一つ一つが月日の長さを物語る。

 彼は美しいものを壊すことに快楽を感じていた。


 その一つを指でなぞる。


「これは何の傷だったかな? 結構深いぞ」

「閣下、それは鋼鉄鞭ですの」

「おお~そうかそうか、なら今日は鋼鉄鞭にしよう」

「お心のままに」


 上機嫌でモルウェールドは彼女の見えない背後にいくつもある鞭の中から一つを掴んだ。鋼鉄鞭とは鉄で外装を補強したものだが、鞭というには些か欠陥品だった。端的に言えばしなりが悪いのだ。

 そこでモルウェールドは最近の出来事を思い浮かべながらニヤリと別の鞭を掴む。


「低能の分際で上から物を言いおってえぇぇ!!」

「――ッ」


 振り向きざまに振った鞭はしなりながら少女の背中を打った。瞬間、ビクンと身体が跳ねる。


「べリックめぇ……フフッ、まあいい。すぐに馬鹿なことをしたと理解するだろう」


 傷だらけの背中に新たな傷を刻んだモルウェールドは少女の背中を見てニヤリとサディスティックな笑みを浮かべる。


「すまんすまん、毎度同じじゃマンネリ化してしまうからな、サプライズだ、味はどうだ?」

「はっ、閣下の愛を強く感じます」

「そうかそうか。良い子だ。これはなぁ多関節鋼鉄鞭といったか。以前これに似たAWRを使っている魔法師を見たからワシも欲しくなってな、少しばかり注文を付け加えたんだぞ。これは隙間を大きくしてもらってるからこうして鞭を引くと皮膚に引っ掛かるんだ」

「素晴らしい発想です」

「そうだろうとも、だが、こう衣服があると邪魔だな」

「申し訳ありません」

「気にするな、これもまた一興だ」


 そういうと横に振った鞭が少女の細い腰に巻きつく。全てが巻き終わる前にモルウェールドは勢い良く引いた。

 完全に衣服が剥ぎ取られ、少女の身体には鱗のように一定間隔で血が流れ出ている。


「これならワシのストレスも十分解消されるだろう。全ては順調だな、それでお前のほうはどうだったのだ?」

「はっ、準備は整いました」

「それは良いことを聞いたな。褒美をやらねばな。これで、どうだっ!」


 鞭が背中を数回打つと、鮮血が飛び散り、滴る血が少女の腰回りに溜まっていく。


「ありがとうございます」


 淡々と告げられた謝意をモルウェールドは恍惚と聞き惚れた。近づき、傷口をモルウェールドは血が付くことも厭わず頬ずりする。


「お前は良い子だ。引き取って本当によかった」

「ありがとうございます。閣下のおかげで私は一人前の人形になることができました。この肉の一片までも全てが閣下の物でございます」

「うむ、最高の娘《木偶》だ。来た時にはもっと可愛く泣いたものだが、今は今で中々に楽しめる」

「閣下がお望みとあらば……」


 少女は虚ろな視線を真っ正面の冷たい石の壁に向け、相手の望む提案をする。

 しかし、言葉より先に背中に激痛が走った。少女は痛みという感覚を極限まで抑えることができる。それでもまったく無痛というわけではない。もちろんどんな苦痛だろうと表情を変えないほどには慣れてしまっていた。

 だからこの時も背中にはいつものような熱さと衝撃があるだけだ。生かされている身としては文句の一つも出てこない。

 寧ろ長い時間を掛けてこれが上手く付き合う最善の手段だと少女は信じていた。


「ふん、そんな演技でワシが喜ぶと思ったか」

「申し訳ありません――! 閣下?」

「なんだ、おぉ済まない。もっと欲しいのだな」

「いえ、本来ならば閣下ともっといたいのですが邪魔が入りました」

「む! 誰だ?」

「わかりません、ですが相当な使い手かと思います」

「もう嗅ぎつけてきおったか」


 魔法師としてモルウェールドの最高戦力である彼女がそう言うのであれば間違いないのだろう。それに心当たりはあった。


「見当は付く」

「殺しますか?」

「もちろんだ、さっさと終わらせて続きをしよう」


 モルウェールドは名残惜しそうに鎖を降ろした。

 誰よりも賢く、自分を特別だと思う男は他者を屈服させたくて仕方がないのだ。全てが自分の匙加減で決められる。それは人間の命すらモルウェールドとは同価値にはなりえない。

 そんな日頃の鬱積を解消するため、はたまた自尊心を満たすために何もできない相手を一方的に傷つけるのだ。


 自分にはその権利があり、権力があり、権威がある。


「どうせだ。治癒魔法はいらんな」

「ハッ」


 手錠を自ら外した少女は露わになった胸部を隠そうともせず、モルウェールドから差し出された薄布を身につけ、その上からローブを羽織った。



 ♢ ♢ ♢



「B班異常なし」

「C班異常なし、こちらの動向は掴まれておりません」

「よし、この距離を維持しろよ。あそこにいる連中ならこれ以上は感付かれる可能性がある」


 通信機器コンセンサー越しにヴィザイストは全隊員に指示を出した。闇夜に紛れるのは諜報部隊としては初歩中の初歩だ。

 事前に仕入れていた情報によれば屋敷の警備にあたっている魔法師の能力は戦闘時に発揮されはしても、様子を窺っていることまでは悟られないはずだ。


 ヴィザイストの部隊はまさに諜報のエキスパート集団だ。実際の戦闘能力よりも諜報活動のために洗練されている。

 それでも今回は勝手が違う。不確定要素であるモルウェールドの私兵【クルーエルサイス】の存在が気掛かりだった。


 隊員たちは間違いなくこの距離をヴィザイストにしては慎重だと感じたはずだ。本来ならばもう二十メートルほど近づくはずなのだ。

 それが今回は各員に発見されにくい待機場所の指定も含まれている。


 この百メートル+二十メートルがヴィザイストの憂慮が弾きだした距離だ。諜報員は見つかってはいけない、気付かれてもいけない。しかし、それは遠くから見ていれば良いという問題でもないのだ。

 それこそ限界まで接近を試みなければならない。諜報を必要とする場面では得られる情報はどんな些細なことでも集めておかなければならない。

 だからこそ、数センチだろうと近づこうとする。リスクを極力低くして経験から限界まで接近しなければならない。


 それが今回は各自の判断とは別に全てヴィザイストが指示を出している。それだけ慎重を期していた。


 上手く闇に溶け込み木の上から屋敷を俯瞰する。鬱蒼と茂った葉の僅かな隙間からヴィザイストは単眼鏡を取り出す。魔法による索敵は最終手段だ。魔法師によっては気付かれる可能性は十分に考えられる。


(べリックはシングル魔法師をモルウェールドが用立てる可能性を示唆したが、はたして【クルーエルサイス】がどれほどか。構成員だけでも把握しておきたいものだな)


 諜報時には必ず素顔を隠す必要がある。普段は後方で指揮を飛ばすだけだったが今回はヴィザイストも徹底していた。人差し指を口元に差し込み覆面で鼻までを覆う。


 それが起きたのは、丁度ヴィザイストの影を隠すように月光が一次的に作られた雲に遮られた時だった。

 幾度と外界で死の淵に立たされたことのあるヴィザイストはそれと似た感覚が背中を粟立たせる。筋肉が意図せず硬直する感覚、動物の危険察知のような染み込んだ感覚が襲った。


 そう思った時ヴィザイストは必ず直感を信じる。いや、経験がそうさせているのだろう。ほぼ意識と同時に動いていたのだから。

 バレることも鑑みず枝を蹴り後方に落ちるように一目散に枝から飛び降りたのだ。


 巨体は体重をそのままにドスンと重たく鈍い音を立てる。

 今し方いた場所――隠れ蓑にしていた場所が――ごっそりと景色を切り取ったかのように真横から寸断されていた。

 バラバラと落ちてくる葉を付けた小枝。


 ヴィザイストは直感に従って正解だったことを悟る。首元に指を這わせる流れ出た血が乗り移った。


(後ろに跳ばなきゃ、俺の首が飛んでたな)


 傷口は浅かったが、それよりも諜報を専門に扱うヴィザイストにとってここまで接近を許したことが信じ難かった。

 小枝とともに振ってきた敵を鋭く見てヴィザイストは考えを改める。


「クルーエルサイスだな」


 前が空いたままのローブ、顔を覆い隠すフード。

 しかし、ローブの中に着た薄手の服は女性の特徴が見える。何よりもその腹部周辺が真っ赤に染まっていた。

 ヴィザイストが見た限りでは屋敷の警備にあたっている魔法師に後れを取るとは思えなかった。と、すれば残るは屋敷内にいる未確定要素である【クルーエルサイス】が有力だ。


 月夜が晴れ、月光が二人の間に降り注いだ。

 フードの隙間から覗く灰色の髪、得られる情報を脳内に記憶する。細身の身体には不釣り合いな大鎌が首の上で半円を描いていた。


 その見えるかどうかという切っ先にはヴィザイストを斬った証として少しの血が付着している。


「それを知ってどうしますの? あなたもお仲間も全員生きては帰れませんのに」


 淫靡な抑揚を含んではいたが明らかに幼い声音だった。

 ヴィザイストの位置を把握し、かつ仲間の存在まで悟られているとなれば、既に諜報としては失敗である。残される手段は限られていた。


 そう、正体を悟られないことに全力を出す。


(さて、こいつだけは別格か。他に何人いるか)


 一瞬の脳裏に目の前の相手を殺すことも考慮する。それは任務の続行を意味していた。未だ、隊員からの報告が一切ないとなれば相手一人の独断とも考えられる。

 考えるまでもなくヴィザイストは数多の経験から答えを導きだす。


 相手から視線を逸らさずに片手を耳に当て、爪で三回叩いた。

 当然返答はない。非常事態につき、いくつかの連絡手段を設けている。それが爪で叩くだった。二回は撤退、三回は何に置いても離脱を図る。これは気付かれたことを意味する。四回は証拠を残さず自害する。確実に逃げられない場合に該当し、独自の判断に委ねるものだ。

 しかし、この連絡方法が使われたことはこれで二度目だった。


 それほどの非常事態。

 隊員たちは闇に紛れて逃げ出したはず。


「済みまして? 逃げられるといいのですけど」


 何の合図なのかを見抜いたのか、単なる限られた手段で鎌を掛けたのか。どちらでも良いのかもしれない。

 微塵も思っていない言葉が彼女の口元を歪める。フードの翳りから見える湿っぽい瞳。

 鎌を持ち上げ、その切っ先を口に近づけて付着した血液をねっとりと舐め取った。



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