崩壊連鎖
「アルス様、これ、は」
すぐ隣で驚愕の声が上がる。ロキは信じられない光景に無意識にアルスの服を握っていた。
だが、今は何よりも優先すべきことをアルスは理解し、その確認のために振り解く。
昨日会ったばかりのルサールカが抱える第6位ヒスピダ・オフェーム。真っ赤に染まった死体を隈なく見てから周囲の状況も確認する。
「魔法による戦闘の痕跡が僅かしかない。むざむざやられたというのはシングルに限り考えられないな。いくら多勢にしてもこの程度で殺せるほどシングル魔法師は易くない」
「どうしますか、アルス様」
見慣れた光景とはいえ、ロキの表情は得体のしれない恐怖が見て取れた。しかし、それはアルスも同じだ。
正確にはクラマという組織を過小評価し過ぎていたのは否めない。イリイスが最高戦力だろうと考えていたが、思い直す必要が出てきた。
何よりもこの死が意味する所は想像に難くなかった。
「恐らくもう奴らはいないだろうな」
「――!! アルス様、こちらに向かってくる者が……5名います」
「そうか……」
予想が当たったという返事は即座にアルスの行動方針を決めた。いや、もっと言えばいくつか考えていた可能性にシフトしたと言える。
相手の目的はわからなくともクラマにとってアルスは十中八九邪魔に思われているはずのだ。でなければ早々にコンタクトすら取らないだろう。
そう思ったのもイリイスが現れたからだ。彼女の当初の目的は間違いなくアルスを消すことだったはず。
イリイスからの情報提供は彼女の心境に変化があったからだと思っている。こうなることはアルスにとって一番忌避したい事態でもあった。
無論、アルスの予想は自身の身の振り方やそのままにしてきた中途半端なものの整理を前提にしている。しかし、まったく無防備ではない。できればこうならない選択が望ましかったのだが。
「ルサールカからの救援あたりか」
「おそらくは小隊だと思われます。陣形も一般的なものですが、かなりの速度と魔力量を有しています。目算ですが二桁魔法師による編成かと思われます」
(やはりか……あまりにも早過ぎるしな)
逃れ得ない状況にアルスは遣る瀬無さと憤りを感じた。もう少し上手くできたのではないだろうか。もしかすると回避できたことだったのではないかと。
今考えても圧倒的に時間は足らない。
すでに動き出した歯車が逆回転することはないのだから。
「向こう側にも探知魔法師がいるようですね。こちらの位置を補足するまで2km弱です。範囲内に入りましたらすぐにこちらから知らせましょう」
「いや、俺たちはここから離れる」
「――!! アルス様、ヒスピダ様は……」
「彼女には悪いが俺たちがここにいるわけにはいかない」
アルスの神妙な表情を読み取ったロキは愕然と肩を落として否定した。
この光景はどう考えても状況的に不利な要素しかない。クラマが関わっている証拠がないのだ。シングル魔法師を殺しうることは同じシングル魔法師のみにしかできない。
全ては整えられた舞台の上なのだ。
役者が全員舞台に上がってしまえば、そこから降りることは容易ではない。だからこそアルスは揃う前に降りなければならなかった。そう仕向けられたものだとしても。
掠れそうな声がロキの喉を鳴らした。
「ア、アルス様……私は必ず事情を説明すれば、絶対にわかってもらえるはずだと思います。これまでどれほどアルス様が人類を救ってきたか、言葉を尽くしても一晩では到底語り尽くすことはできないでしょう。それでも、それでも私が必ず彼らを説得してみせます」
どう取り繕ってもこの状況は傍から見れば一目瞭然だ。アルスの拘留は確実である。
ロキはそれでも湿った瞳を向けてきた。
犯罪という汚名を着せられることがアルス以上に彼女を苦しめていたのだ。
リチアやジャンはおそらく察してくれるだろう。しかし、ヒスピダを慕う民衆を抑えることは絶対にできない。
ましてやここはルサールカなのだ。アルファにも易々と身柄を渡すことも難しいだろう。全てが前代未聞なのだ。
アルスが裏の仕事をしていたことも明るみにでればますます状況は悪くなる。動けるのは今――この瞬間しかなかった。
今もこの場に誘われた魔法師がそれと知らずに向かってきている。ロキの判断通り、高位魔法師ならばおそらく数分で感知される距離まで近づくだろう。
「このままじゃ、このままじゃ、何のために……」
悲痛な叫びが、堰を切ったように溢れだそうとした直後、ギリギリで思い止まらせたのはやはりアルスだった。
彼の視線はロキでなくこの場にはいない敵に対するもの、遥か遠くを見通しているような眼差しだ。
「何も俺は全員にわかってもらうために今日まで来たわけじゃない。ロキ、お前が知っているならそれだけで十分なんだ」
どこか達観し、慈愛に満ちた声音が静かに紡がれた。
ロキがこんなことを言いださなければきっと気にはしなかっただろう。人は認められたいものなのだ。だが、アルスは自問自答するまでもなく気付けなかった。
それはきっと今日まで彼を理解してくれる僅かな理解者とロキがいたからなのだ。それだけで十分満たされてしまっていた。
今までのような窮屈さを感じなかった理由を初めて実感しながら吐露する。
「結果として多くの人間を救ったことがない、と言えば謙遜を通り越してふてぶてしいのかもな。だからといって俺はわかってもらおうなんて思ったことはない……でもそれはわかってもらいたくないことと同じ、じゃないんだよな。だから……」
優しく頭に乗せられた手にロキは自分の手を重ねて、そのまま胸の前で包む。
「だから……お前が皆にも理解させたいのなら、俺は止めない」
アルスはそう言っておきながら胸にチクリとした痛みを感じていた。ここでロキを突き放すという選択は理に適っている。彼女が汚名を晴らすことに成功するか失敗するかに関わらずクラマと戦いになる可能性が高い以上これも一つの手だ。
「アルス様、一つお聞きしてもいいですか?」
「時間がないから手短にな」
「はい。では、アルス様はこのまま汚名を背負って生きていかれるのですか」
真っ直ぐ見つめる瞳は今までのロキにはない類の決意だ。断腸の思いを抑えた真剣な眼差し。
だからこそアルスも胸の内を明かす。
「俺はそれでもいいと思っている。生きていくのに不都合がないならばだが……けれど、やられっぱなしは俺の性分じゃない。きっちりこの借りは返す必要がある……それに、まだやり残したことも多い」
不敵な瞳をロキはどう捉えたのか、大きく吐き出されたため息の後。
「わかりました。そういうことでしたら私はもう何も言いません。どうせ、説得すると言ってもアルス様は一緒ではないのでしょう?」
そう、その辺りは有耶無耶に話を進めていた。最初からアルスはこの場から離れることしか考えていない。ロキが説得しようとその場にアルスはいないことになる。
「もちろんだ」
「はぁ~いいですよ。わかってます。私ももう決めました」
「何を?」
「私だけがアルス様を知っているならばそれで良いのですよね?」
「あ、あぁ、そう言った、な」
咄嗟に感じたことを言葉にしただけなので、実はそれほど考えて発したわけではない。もしかするとそれ故に本心とも取れるのだが。
少しばかり自信が揺らいだのはロキがその言葉を持ちだしたからだった。
「だったら私が傍にいなければ知らないことになりますよね。確かにアルス様がご活躍された過去については傍で見ていたわけではありませんが、これからは一緒にアルス様の見る光景を私も見たいと思います。少し心残りはありますが、私は最初からアルス様の傍を離れるつもりはありません。だ、だから、で、です、ね……二人の時はアル、と呼んでもいいでしょうか?」
ん? と内心で小首を傾げるアルスは何故そうなったのかと解消できない疑問を抱いた。それは呼び名について彼女が頑なに拒んだはずだったものだ。
最初からアルスは様付けをしなくていいと言っていたのだ。
どういう心境の変化にせよ、確認を取るまでもなく頷く。
「それは構わないが……じゃあ、付いてくるということでいい、んだよな?」
「はい! 今回の件についてはお考えがあるようですしぃ、それに私が見ていないとどこまでも一人じゃないですか」
「いや、そんなことは……」
「いいえ、私がア、アルを一人にしません!」
学院では普通に使い分けていた愛称もここでは別の気恥かしがあったのかつっかえる場面があった。
それでもこの些細な変化はロキにとって大きく踏み出した第一歩だ。婚姻についてリチアから聞かなければここまでの勇気を出せなかっただろう。
だからこそロキは勇気と託つけて少しだけ出た欲に目を瞑る。一秒という僅かな一瞬でさえ供にいるためだ。
「そうか、なら行くか」
「どこまでも」
二人は接近する魔法師たちを突き放すように疾駆した。
今はまだ機を待つだけだ。準備を整える時期なのだ。
♢ ♢ ♢
アルスたちを7カ国から遠ざけることに成功した。もしくはそう仕向けたことによってルサールカでは未曽有の危機が訪れていた。
この行動は謂わば、アルスが外界から戻らないと確信したからできたことでもある。そのための万難は十分に排してきた。
外界に一度出てしまえば内側で起こっていることを知る術は限られるということだ。仮にルサールカに戻ってこようともすでに手遅れなのだから。
たった三発の魔法によってルサールカ首都フォネスワは半壊状態に陥った。昼間に瞬く第二の太陽、もしくは赤い華と見た者は瞬時に思ったことだろう。上空に浮遊する紅点が何なのかそんな疑問すら抱くことができなかった。
フォネスワ中心部の大広間で突如として連鎖的な爆発が起こったのだ。熱量、衝撃、そういったものが一瞬にして数多の命を奪い去った。
活気だった街は数秒後には地獄と化したのだ。爆破による衝撃波は家屋を崩壊させ、波のような炎が視界を覆って行く。
逃げる間も無ければ叫ぶ間すらない。全ての景色が崩れ去った時、初めて悲痛な声が木霊する。叫び声を上げられた者はまだ良いのかもしれない。
だが、そうでない声なき声は喉を焼かれ、濁声にすらならない。人間が宙を舞い、降ってくる。
まるで砲弾のように吹き飛び、叩き付けれた先で深紅の華を撒き散らす。
赤く、紅く、ただただ赤い液体。
それが湖のように地面を埋め尽くす。それは一瞬前まで見ることのない色だった。粘度を思わせる液体は舗装され捲れ上がった地面の隙間を伝っていく。
吹き飛び、倒壊する家屋の隙間から腕や脚が覗く。子供の泣き声だろうか、叫び声だろうか、いや、それすらも判別が付かないほど様々な声という声が雑然と入り乱れていた。
何を言っているのかすらわからない慟哭。
一気に暗くなった空は黒煙が陽を遮ったためだ。焼ける臭いに混じって異臭が立ち込める。想像したくもなく、嗅ぎたくもない臭い。
大広間に出来た地肌はそこにあったものの消失を意味する大穴。そこからドミノ倒しのように吹き飛ばされる物に例外はない。
商品も家屋も木材もペットも人間も一つの例外もなく軽々と余波に巻き込まれる。
治安維持のための警備隊もまた成す術がなかった。過去、大災厄を彷彿とさせる惨状に理解が追い付かないのも仕方がないだろう。
こんな惨状を前に分厚いマニュアルは役に立たない。想定を遥かに超えた規模の被害はどこから手を付けていいのかすらわからない。
咄嗟に魔法で身を守れた者など僅かしかなかった。というのもこの爆発は上空で起こったため、至近距離ではなく被害の規模を大きくすることが目的だったからだ。
あんなものを至近距離で受けていたらどんな魔法師と言えど防ぐ術はないのだろう。
上空に昇っていく黒煙は昼夜を逆転してしまったと思うほどだ。
被害の余波はフォネスワ郊外にまで及んでいた。
ケイエノス宮殿は比較的フォネスワに近いこともあり、ここもまた爆破の衝撃に晒されていた。
しかし、ケイエノス宮殿の前方には10人の高位魔法師がAWRを掲げている。というのもジャンの咄嗟の指示により、宮殿前方に巨大な障壁を構築しため実質的な被害は皆無だった。
こういった非常時に備えているのは当然であり、護衛としての魔法師は一級だ。
護衛の隊長である一人の女性が背後で鋭く見ていたジャンに問う。
「ジャン、これは一体……」
彼女とは付き合いも長いことから明け透けないやり取りを交わす仲だった。彼女の声は襲撃に備える防備の強化、そういった懸念が籠っている。
しかし、神妙な顔のジャンはまったく別のことを考えていた。
「これのことか……アルス」