パートナーの意義改訂
理事長には敢えて蒸し返さないよう話題にしなかったが、すでにアルスがロキに対して行った処置について他言無用の言質は取ってあるのだから心配はしていない。
そんなことを耽りながら、本校舎を出る。
茜色の夕日も半分以上を地平線に浸からせていた。長くなった影を曳きながらアルスは歩を進める。
ロキの禁忌とは別のもの……。
それはアルスがロキを助けるために使った方法だ。傍から見たとしても正確なところまでは探られてはいまい。だから、理事長が見たモノは現象としての結果しかわからない。
厳密にアルスがロキを助けるために取った方法はロキの体内にある全ての魔力をアルスの魔力に置き換えたことだ。
これは禁忌以上に忌避されるべきものであることはアルス自身十二分に理解しているつもりだ。
アルスの生まれ持った異能(とすら呼べるかは疑問だが)……それはアルスの魔力が魔力を喰うという性質を持っていることだ。喰らった魔力は魔物のように己の糧になる。
今でこそコントロールすることができるが、そもそも魔力を制御しなければならなくなったのはこの魔力の性質上必要だったからだ。
アルスの中には二種類の魔力が内在しているということ。
一つは誰しもが持っているエネルギー体としての魔力……そしてもう一つは。
ロキが、システィが戦闘時に見たアルスの蠢くような魔力――――アルス本来の魔力の姿だ――――それは紛れもなく独立した意思を持つ。
ただ一つの渇望する欲望……《捕食》を携えて、魔力を貪欲に喰らう。その一点において欲望のままに蠢くのだ。
それを制御下に置くのにどれほどの訓練を要したのかはアルスと総督のみが知ることである。
今回その力を使ったのは止むを得ない事態だったからだ。それがロキであったからこそでもある。
この異能でロキの魔力を喰らいつつ、同時に異能とは別のエネルギー体であるアルスの魔力をロキの体内に流しこむ。どう転ぶかは賭けであった。
仮にアルスの魔力に対して拒絶反応を示せばその場で絶命した可能性はあった。
しかし、結果は馴染んだ(と言えば適切でないかもしれないが)。ロキの体内に入ったアルスの魔力は枯渇という症状を鎮めたのだ。
つまり、禁忌の不足分を代替することが出来た。
予想ではロキの体内に残ったアルスの魔力は時間とともに情報が劣化し、残滓となった不純物がロキの体内で新たに生成された魔力によって押し出されるように体外へと洩れ出るはずだ。
この行動が吉と出るかは今後のロキに掛かっているわけだが、アルスは学院に入学してからというもの行動の理由に戸惑っていた。
軍にいた時ではあり得ないであろう行動が続いていたからだ。そもそもテスフィアとアリスの訓練に付き合うのですら、以前ならば断固として拒絶したはずだった。拒絶できたはずだ。
アルスは1位であることに固執しないが、1位であることの恩恵は十分享受しているのだから。
それは理事長であろうと阻めるものではない。人類を守りたいとは思ったことは無い。自分だけ生き残ってゆっくりすればいいという利己的な思想が薄れているように感じた。
その変化に順応している自分に違和感よりも傍観していたいという思いがあるのだから、自分が自分でないような錯覚すら覚える。
これを成長と呼ぶのかはわからない。ただ、今はこの理不尽な忙しさが充実している一面もあった。
アルスの目標は変わらない。自分さえ楽できればそれで構わない。他はどうでもいい。
でも、今はこのままでいいかと研究室へと向かうのだった。
♢ ♢ ♢
「おい、俺の研究室は溜まり場じゃないぞ」
呆れ混じりの軽蔑は、楽しい時間はこれからだと言わんばかりに腰を下ろす三人に対してのものだ。
つい最近行った、二人の魔力情報による解錠・施錠のための認証登録は早計だったのではないかと後悔しそうになる。
「申し訳ありませんアルス様」
飛び上がったロキは深々と頭を下げた。
そこまで大事ではないのだが、一度ロキとは呼び方も含めて話し合うべきだろうとアルスは苦悩する。
「良いじゃない。親交を深めてたんだから」
テスフィアがロキの隣で頭に手を置いて銀の髪を撫でた。
一瞬眉がピクッと反応したが、それに気付けたのは正面に立つアルスだけだろう。
「ロキちゃん可愛いんだも~ん」
背後に立ったアリスがテスフィアの手を押しのけて抱き寄せる。
それにもロキは僅かに眉を上げるだけで無表情を貫いた。まるで人形のように。
アルスは大いに結構なことなのだろうと思うが、それはアルスの研究室以外でならの話だ。
この場にいる以上、訓練をしないならば彼女達には早々にお引き取り願うべきだろう。
しかし、アルスは直球を投げなかった。
それはテスフィアとアリスに分からせてあげるべき優劣。
アルスはにやりと口の端を少しだけ上げた。
「言っとくがロキの最高順位は100位だぞ」
「「――――!!」」
自分たちが何をしでかしているのかがやっとわかったのだろう。
アリスは目を瞠って笑顔を崩さずに固まった。
「うそだ~」
とテスフィアの震える声。
アルスの存在を知らなければ一笑できただろうに。
「ロキは実戦を数多こなしてきたからな、実力は二桁にも引けを取らんぞ」
「ホントに?」
ぎこちなく隣に抱え込まれるロキにテスフィアが首を回す。
「アルス様に比べれば足元にも及ばない駄番です」
そこで初めてロキの表情が柔らかいものへと変わった。表面上は謙遜を装うが、努力を認められたことに感無量と目を伏せる。
この事実を使ってアルスは発破を掛けた。
「ロキは一つ年下だが同学年での編入が理事長から許可されてるから、お前らはロキの次に優秀ということになるな」
地歩が揺るぐのを想像したのかテスフィアが固まる。こういう時に貴族のプライドが邪魔をするのだろう。
アリスはというと編入する事実に嬉々とした顔を浮かべているものの、それを行動に移すかのせめぎ合いが均衡していた。
「お前達が優秀なのはわかったが、訓練以外で俺が付き合う義理はないんだからな、この調子ならロキに時間を割いた方がマシだ」
「「――――!!」」
少しも意地が悪いとは思わない。実際ロキのほうがアルスを助ける未来へと導いてくれるのは確かだ。パートナーの道を選んだ今となっては半ば閉ざされようなものだが。
それを事実として受け止め、どう行動するかは彼女達自身が決めることだが、この程度で心が折れてしまうのであれば最初から頼んでくることはなかっただろう。
それならば、がむしゃらにでも付いて来てもらおうではないかという意図があったが、どうやら効果はあったようだ。
「少し休憩してただけだし」
今の今まで訓練をしていたとばかりに袖を捲る。
「……そうだね。ロキちゃんと魔力付与について議論を繰り広げて知識を深めるのはまた今度にしようかな」
アリスは未だにロキから離れずに髪を丁寧に撫でていた。それは言ってることと行動が離れているようにも見える。頭ではわかっていても抗いがたい衝動はロキの階位に対するものを上回ったようだ。
「時間もないからさっさとやって帰れ」
そしていつもの光景へと戻っていく。アリスは可愛過ぎる人形を離すのに躊躇いがあったが、ロキのほうから離れたことで肩を落としながらも訓練へと移った。
アルスは今朝二人が口々に言っていた試験を思い出す。
「そういえば、お前ら午後の試験はどうだったんだ」
何の気なしの質問、それほど気になったわけではないが順位の違いが二人をどう懲らしめたかを確認したかった。端的に言えば嫌がらせの部類に含まれるだろう。
一瞬ビクッと反応して、二人の魔力が散漫する。
「…………」
「はははっ……」
その調子では勝てるには至らなかったようだ。
テスフィアの試験官を務めた上級生は試験直前に話題に上がったデルカ・ベイスだった。結果は惨敗。
息巻いていた割りには少しも惜しくはなかった。一通りの魔法を繰り出しては防がれ、得意の【アイシクル・ソード】は避けられてしまった。それが終わると後は防戦に回らざるを得なくなり、打つ手なしの敗北、完敗である。
アリスの相手はアルスを除けば校内一の実力者であるフェリネラだった。
胸を借りるつもりで挑んだが、何をしようとも軽くいなされ、終わってみればフェリネラは余裕のある笑みで「お疲れ様」と言って涼しい顔で退場を促した。
勝手な思い込みもあっただろうが、結果として二人とも苦汁をなめさせられたということなのだろう。
それがわかっただけでも二人には得難い経験だ。
アルスは確認だけ終えると、机に腰を落ち着けて地図を広げた。
真横には半歩引いたロキが控えている。彼女の中ではこの辺りを定位置にしたいようだ。
それによってアルスの集中が途切れることはないが、パートナーと言っても四六時中一緒というのは不自然に過ぎる。
「あれが魔力付与ですか……」
ロキがぼそりと小声で問い掛けた。
それを地図に視線を落したまま返す。
「どうやら俺のせいで平和ボケしたみたいだな」
自分の問いがアルスを責めるものへと変わったことでロキは全力で否定した。
「アルス様は人類を救ってきたのですから、危機意識が無いのは自己管理です。決してアルス様のせいではありません。ましてやアルファの人口が増え続けているのはアルス様のご活躍があればこそ、彼女達にはそれが分からない……」
憤りを通り越して悲壮感を漂わせたロキをアルスは目の端でチラリと見た。
「それも仕方がないだろうな……だが俺がいなくなったらアルファには成す術がないからな。Sレートなんかが来てみろ数日もたないんじゃないか?」
それこそお偉いさんが危惧していることだ。自己保身に走った思想は今でこそアルスが退役を申し出たことで改められるきっかけを作ることが出来たのだ。
それがアルスの時間を奪うことにも繋がっているわけだが、実戦訓練はこの国の未来を愁いたが故の施策と言える。
「どうなろうと知ったことではないが、静かに暮らすにはその懸念をなんとかせにゃならんからな」
ロキはアルスが軍を離れて研究に没頭しようとした理由を知った。
そこで不可解な疑問を解消するべくロキが問いを重ねる。
視線をアルスから彼女達に移す。ロキも軍にいた頃に似たような訓練をしたことがあるが、視界に収まる訓練は成果の乏しい無様なものだった。
「それで彼女達が役に立つというのですか」
「どうだろうな。学院では優秀な部類らしいぞ」
アルスは赤いマーカーで地図に線や印を付け足す。
「では何故彼女達に手解きをするのですか」
ロキの声音は淡々したもので疑問というより納得がいかないといった調子だった。
「理事長に押し付けられただけだ。それにこれも一つの手だ」
「何がです?」
「少なくとも二桁魔法師ぐらいならばいくらか楽ができるだろ?」
それが芽吹くのはずっと先のことかもしれない。それでも保険程度にはなるとアルスは考えている。
「彼女達がその才能を秘めているというのですか」
「さぁな」
才能や努力では越えられない壁は必ずある。それを越えることができるかはその者の生への執着だろうとアルスは思っている。
「結局生き残った奴が高みに行けるんだ」
実戦を経験してきたロキにはアルスの言っている意味がなんとなく理解できた。
どんなに強く才能に秀でていても死ぬのは一瞬だ。不意打ち、確認されたことのない変異体との遭遇など要因を挙げれば星の数ほどもある。
アルスもロキもそんな魔法師を見て来た。決して華々しい最期などあり得ず、勝つか負けるか、生き残るか死ぬかだけだということを嫌というほど見て、知った。
アルスは最後に地図の一点を数回指で叩いた。
「それもすぐにわかる」
「…………」
ロキにはそれが何か分からなかったが、それでもアルスの意図を自分が共有できるとは思っていない。
それは出過ぎた行いだ。自分はパートナーで、アルスの助けになれればそれだけでいい。それ以上は最初から望んでいない。
捨て駒だろうと喜んでなるつもりだった。
話題を変えるのではなく、自分の意思をはっきりと言葉にする。
「私はアルス様に付いていきます」
「そうか…………ロキの決意はわかった」
これだけのやり取りで十分満足することができた。
――――が。
「ならお前も俺に相応しい実力を身につけろ」
どっしりと深く腰を落ち着けるアルスはロキを見ずに続ける。
「あの程度ならパートナーになんぞ選ばないし、いないのと変わらん。それでもパートナーとしてロキの将来性に期待してのことだ」
「――――!!」
真価が問われる発言は、やっと手に入れた場所を危ぶむものだ。しかし、如何なる要求であろうとも、ロキはたじろぎすらせずにその都度決心を固めるだけである。
シングル魔法師のパートナーを望むとは、後には引かない、そういうことなのだから。
「必ず期待に応えます」
少しも表情が変わらない。
それでもロキが何を思ったのは言うまでもないことなのだろう。それこそ言葉通りの意味でそれ以上でもそれ以下でもない。如いて言うなればその透き通るような声音には期待に沿えないかもしれないという不安要素は微塵も含まれてはいなかった。
「ロキの探知範囲はおよそ1kmぐらいだろ」
確認のためのものではない。見透かされていたのだから。
頷いて肯定した。
「俺も状況によるがそんなものだ」
探知を専門に扱うサポーターとしては十分に実戦投入出来るレベルだ。アルスが軍にいた頃からパートナーを選ばない理由として本人が探知出来るというそんな噂が一時流れたが、今本人の口から裏付けされたことでロキは少なくない動揺を内に抱えた。
「ロキには少なくとも5kmまでは探知出来てもらわないと困る」
この水準は探位一桁でも片手で収まるほどの数しかいない。それがどれほど無謀なことなのか、アルス以上にロキは理解していた。
それでも――。
「わかりました」
無理とは言わなかった。ロキにとって出来る出来ないは生きる意味を失う重たいものだ。
アルスもこれがどれほどの難度なのか想像に難くはなかった。しかし、そうでもなければ戦闘でロキがアルスの役に立つのは難しいのもまた事実である。
「もちろん戦闘の腕も上げてもらうが、先に探知能力を向上させるほうを優先させる」
アルスは地図におよそ1kmの地点に半円を描いた。
それはロキがこの件に対して無関係でないことを意味している。
無論それ以上は告げない。それはまだ部屋内に彼女達がいるからだろう。
アルスは頃合いを見て切り上げた。
「今日はここまでだ。理事長との用もあるからな」
かなり手応えがあったのだろう。途中で邪魔をされたというようにテスフィアが不満気な顔を向けるがやりたきゃ自分の部屋で勝手にやってくれと言いたげにアルスは無視する。
アリスもまた感覚を忘れないように意識が上の空で、アルスの切り上げを受け入れたかはわからない。
二人を少々強引に帰宅させると。
「何をやってるの?」
扉を隔ててテスフィアが怪訝そうにロキへ投げ掛けた。
部屋の外にテスフィアとアリス、開いた扉の内側にアルスとロキの立ち位置だ。
テスフィアとアリスは女子寮に帰宅するわけだが、学院の学生となったロキもまた女子寮に入寮しなければならないため、この疑念は当然のものだった。
「ロキちゃん?」
ロキは今日付けの編入になるから、部屋の準備も何もできていないのだが、二人は気が付いていない。
というよりも、アルスの部屋、つまりは男の部屋に女の子を残してはいけないということなのだろう。
「私はアルス様のパートナーですので寝食を共にするのは当然です、お二人はお気になさらず」
ロキに照れの要素は見られない。平然とさも当たり前のように言う彼女にはアルスも悩んだ。
アルスとロキからすれば別に珍しいことではなく。同じ屋根の下で過ごしたとしても何も起こりはしない。
「ロキ、普通は別々らしい」
これは軍で育った認識の違いだ。一般教養の欠けたロキでは仕方のないことだ。アルスも学院で初めて男子寮と女子寮が分けられていることを知ったぐらいだ。
軍でも分けられているにはいるが、優秀な二人には個室が宛がわれていたため目にすることがなかったし、自分には関係ないと気にしたことがなかったのだ。
「…………」
ロキは口を閉ざした。表情に表れないので他者にはわからないが今のロキは脳内で採決を取っている最中だ。
「拒否します」
ロキは初めてアルスの意見に反対した。重要要件としてアルスの指示というのは大きくロキの中で重みを持ったが、一発逆転はあるものだ。
最重要として着目したのはロキの欲求だ。アルスの助けになるというその一点はさらに肥大したと言える。
『助ける』の意味合いが幅広く改訂されたのだ。
それまでは戦闘などアルスの目標に対しての助けになることが念頭に置かれていたが、改訂された今は日常生活から幅広いものに適用されていた。
結果、満場一致。異を唱える者はいない。全ての予想される懸念材料はこれによって解消されてしまったのだ。
「でも、何かと不都合じゃない?」
アリスはチラッとアルスに視線を移してオブラートに包む。
「軍ではよくあることです。アルス様であれば不都合なことは何一つありません」
その意味がわかったのは顔を紅潮させたテスフィアとアリスだけだろう。
「ダメ、絶対ダメ!」
関を切ったようにテスフィアが反対の意を立てるが、ロキも断固として譲る気はないようだ。
「あなた達には関係ないことです」
「…………!!」
テスフィアもアリスもこれに返す言葉を見つけられなかった。
「でしたらお二人もアルス様の部屋で寝食を共にすればよいのでは?」
それができないことがわかった上での皮肉だ。無表情だけに本気なのか冗談なのかわかりづらい。
二人はアルスに視線を上げた。
そして……一歩後ずさる。
アルスはどう見られようと気にしないが、率直に言えば遺憾でしかなかった。
とは言え、このままでは無為に時間を浪費するだけだ。
一先ず……。
「取り敢えずお前らは帰れ、ロキにはどの道、理事長室まで来てもらわなきゃならんからな」
これでも納得は出来なかったのだろうが、理事長という言葉が効力を持ち二人は渋々踵を返す。
「変態!」
テスフィアの侮蔑を含んだ小言がアルスに聞こえたかはわからない。
しかし、ロキには聞こえていなかったことは確かで不幸中の幸いだ。
間違いなく喰って掛かったに違いないからだ。でなくとも聞いていれば看過することはできなかったはずだ。
・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ
・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」
・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定