逃げ口上
「せっかくのお茶会なんですから」
今初めて聞いたリチアの発言にアルスは内心で「お茶会だったのか」というツッコミを虚しく胸の内に響かせた。元首とお茶会、それは下々の者からすれば、これ以上ないほどの至福なのだろうが、アルスは歪に作った愛想笑いが崩れそうになる。
「バルメスを救った戦功は計り知れないですわ。それだけに叙勲式や栄典があって当然ですのに……」
「それは非常に面倒な話ですね。それに今回はアルファも貰う物を貰ってますし」
シセルニアはバルメスの危機をアルファが請け負う構図を作り、優先的にミスリルが取れる鉱床の採掘権を引き出している。
「だからですのよ。シセルニアさんには呆れてしまいますわ。あの非常事態にがめついったらないですわ。自国の魔法師を労う、これは国家元首としての務めです!」
頭痛を訴えるように顔を顰めたリチアにさすがのアルスも何回も叙勲式を欠席していますとは言えなかった。
彼が求めるものは自身の欲求を満たす物、それさえ貰えればよかったのだ。それ以外は本当に無用の長物。寧ろその式典のために時間を取られることのほうが由々しき事態だ。
レティの部隊にも莫大な報酬が支払われているので何も問題はない。
そんな余計な言葉を呑み込むアルスとは別に敵勢力が現れた。金髪の青年は苦笑交じりに元首の言葉を優しく言い消す。既に彼の中では余人を交えていないことでただの談話として一言一句に気を配るのをやめたようだ。
「リチア様、アルスに限っては無用です。こいつは既に何回も欠席しているようですから、7カ国総出で式典を催しても主役を欠くだけですよ」
どこで得た情報かは知らないが、当たっているだけに反論は出てこない。その攻撃にアルスは諦めを以て乗っかることにした。
割りたくもない腹を割っている気分だ。
「はぁ~、さすがに7カ国ともなれば俺も身の程知らずじゃない。が、やはり行きたくはないな」
「まぁー、聞いていた通り無欲なのですわね」
「それは違います。俺が望むのは静かな暮らしだけです。その片手間に研究をしているのが丁度いい塩梅なんですよ」
「アルス様に限っては片手間のはずの研究も誰も止めなければ延々と続けていますが」
銀髪の伏兵にアルスは苦い味を禁じえない。日頃から口煩く言われているのがこれだ。研究に夢中になり過ぎて食事すら忘れるアルスの体調をロキは心配していた。
横目でチラリと見るが涼しげに流されてしまう。正論故にアルスもその心配を察せないほど鈍感ではなかった。
そのやり取りをどう受け取ったのかリチアが何気なく問う。
「それでずっと気になっていたのですけど、ロキさんはアルス殿のこれ?」
彼女にしては下世話な意味をオブラートに包んだつもりなのだろうが、小指を立てるという仕草は少しばかり理知的な印象を崩す。
やはり彼女も女性ということなのだろうか、同性がいるというだけで自然と話題が色恋に転ぶのは仕方がないのかもしれない。
ただ元首という威厳は消えている。
ロキが口を開くより早くジャンが諫めに入った。それは彼が学院でロキの機嫌取りのために苦労したからだろう。
「――!! リチア様、それはいくらなんでも唐突過ぎますし、いらぬ勘繰りです」
「そうかしら? でも、これはシングル魔法師にとっては重要なことでしょ? 国にとっても無視できないはずよ」
「そ、それはそうですけど」
国はシングル魔法師が子を持つことを推奨している。もちろん表立ってではないが。どこも促すような傾向にあった。だからこそ、元首であるリチアが問うのは至極当然。
「で、でっ、どうなのですか?」
「い、いえ、そ、その……パートナーとして、です」
ロキは頬を染めて俯く。彼女の口からはそれが精一杯だった。
しかし、その曖昧な否定にリチアは少しも落胆せず飄々と予想に反したと告げた。
「あら、残念ですわ。お似合いだと思ったのですけど」
「リチア様、俺たちはまだ学生ですよ」
「今の時代、いろいろ早いのですよアルス殿。遅過ぎることはあっても早過ぎるということはありませんわ」
何が早いのかアルスは困惑してすぐに言い返すことができなかった。
ニュアンスだけでなんとなく意味を理解すると、少しばかりの反論に打って出る。
「とは言えシングルにそんな余裕はないでしょう。ジャンも然り、シングル魔法師は結婚できない運命にあるんですよ」
「それは偏見だわ。うちのシングルを見ている限り引っ切り無しに外界に出ているようでもなさそうですわよ? だから、ジャンも早く身を固めて欲しいのだけれど」
飛び火したことでジャンは珍しく苦い顔を浮かべた。日頃から言われている、そんな雰囲気だ。
「リチア様、俺はリチア様が考えている以上には多忙でそれどころでは……」
「あら、それは聞き捨てなりませんね。あなたは手が早いと言われるほどには時間的な余裕があるとばかり思っていたのだけれど」
「それこそ偏見ですよ」
「あら良く女性を連れているように見えました私の目がおかしいのかしら? それにあなたは全員に良い顔を振り撒いていますわよね? 随分と女泣かせな人柄だこと」
ジャンの性格を逆手に取った皮肉に珍しくお手上げのポーズを取る金髪の美丈夫。
「はぁ~もうこの際だから気に入ったのを片っ端から娶ったらいいのよ。私の権限で10人までは許します」
「勘弁してください。シングル魔法師は種馬ですか」
「それはそれで役得じゃないの? 男なら皆大手を振って喜びそうなものでしょ?」
「そんなわけないでしょ」
夫婦漫才のような光景はすでにアルスとロキの話題をすり替えていた。
自分にも火の粉が降りかかる覚悟でアルスは救援を出す。この話の流れは直感的に不味い予感がしたからだ。こんな時のための常套句はアルスのとっておきだ。これまでも随分と助けられた台詞だった。
「リ、リチア様? 一応魔法の才能は遺伝しないと結論付けられていますけど」
「あら、アルス殿、その情報は少し古くってよ」
「えっ!」
頓狂な声を上げてしまったのはアルスだった。シングル魔法師にとって子を成すという言葉は耳にタコだ。その逃げ口上としてアルスは今まで遺伝しないという研究データを持ちだすことで回避してきたのだから。
「ルサールカが国家プロジェクトとして進行させている研究では魔力的遺伝は見られないまでも潜在的な伸びしろは左右されると出ていますわ。確かに系統的な遺伝は以前から見られていたけど、最近になってサンプルモデルとされる事例に信憑性がないことがわかったのですわ。つまり、生まれた子供は直接的な才能は遺伝しないけれども、一般的な子供と同じ訓練を受けた時のデータは比較にならないわ。もちろん科学的な証明がなされたわけではないのですけれども、それでも実験データとして十分確証できるレベルよ。もちろんどこまで伸びるかという上限はわからないのだけれど、その辺りはあえて公表しないかもしれませんわね」
何を余計なことをしてくれているんだ! という声なきツッコミはその有用性を理解できるアルスだからだろう。
公表しない理由として万が一血統によって魔法師としての将来性が左右されるのならば魔法師全体を揺るがすことになる。努力では購えないと知れ渡れば魔法師の優劣が生を受けた時点で決定しまうことになりかねない。意識的に劣等感を抱く魔法師は国力を衰退させる懸念を大いに孕んでいると言えた。
しかし、リチアはそうならないだろうと予感している。確証があるわけではないが事実として現在のシングル魔法師は親が優秀であるということとは関係ないように思われた。中には非魔法師を親に持つシングルもいるほどだ。
その証拠がリチアの隣にいた。ジャンは貴族の家系でありながら親は魔法師ではない。
「と、ということはリチア様」
この危惧と期待が籠ってそうな相反する感情を成立させた声はロキだ。
「えぇ、正式に認められればシングル魔法師とて無視できませんわね。もしかしたらどこかの国が子を設けることを義務とするかもしれませんわ。どうなるかわかりませんけれども、ない話ではありませんわね」
そんな含んだ台詞は名を明かさずとも全員が察することができる。
7カ国親善魔法大会ではシセルニアの奔走はアルスを引き抜かれないためだと気付かないものはいまい。バルメスの規制緩和の際も反対の意見を真っ先に発したのだから予想するまでもなかった。
この研究データを知っているからこそ、ジャンも逃げ場を失っていたのだ。
「二人ともおちおちしていると思わぬ相手と婚姻する羽目になりますわよ」
どこか呆れ混じりのため息を吐いたリチアは「最近の男は強引さが足らないのですわ」などと追撃を加えた。
その予想も今のアルスからすれば笑い飛ばすには手遅れ感を抱かせる。せめて話題の軌道を逸らす為に不自然がないように問う。このままならば隣の少女が思考の迷路に迷い込みそうだったからだ。よからぬ企てでも立てられた日には対処に困るのは目に見えている。
「とは言え、シングル魔法師も今は誰も結婚していないのではないのですか?」
アルスの知る限り、というかシングル魔法師にそんな余裕があるとは思えない。任務もさることながら、どちらかというと一癖も二癖もあるような連中だ。悪く言えばどこか頭のおかしな連中がシングル魔法師だ。とアルスは自分を基準に評価してみる。
それに家庭を築くということはそれだけで外界の任務を避ける傾向に落ちるかもしれない、それは人間として当然のことだろう。
誰が家族を残して先立ちたいなどと考えるかという常識的な判断からだ。少なくともそう言った懸念もまた踏み出せない要因ではあるはず。天命を全うできるかは誰しもが考える。
単純な話ではないのだ。国にとって魔法師を縛る楔、将来の期待以上に保身的になり過ぎても困りものだろう。
もしかするとその辺も考えてリチアは誰でもいいからと言ったのかもしれない。
愛情の介在しない結婚も虚しいのかもしれないが、子供ができるというのはそれだけで意味を与える宝となる。人並みの幸せを与える唯一の手段なのかもしれない。
単純ではない話は裏を返せば単純であるべきなのだ。
外界でいつ死ぬかもしれないという思考より、家族を守るという何よりも強い意志が戦意を生む。生き残ることに狡猾に、貪欲になれるのだ。そんな姿が魔法師を幸せにする。あるべき人並みの幸せなのだ。
それは奇しくもべリックがアルスに望むことでもあった。
が、それがアルスに伝わっているかという必ずしもそうではない。この辺りはまだまだ大人になりきれないのかもしれない。
知識や経験として理解できるものの、それを実感できないのがアルスだ。
話を戻すようにリチアは咄嗟に思い付いた人物の名前を口に出した。
「そうでもなくってよ。ヒスピダさんは…………」と言いかけて言葉に詰まる。流れに任せず理性がストップをかけたような光景だった。
「リチア様、あまり他人に話すようなことではありませんよ」
「それもそうですわね」
二人の間で完結してしまったことにロキが藪を突いた。
「ヒスピダ様は御結婚されていたのですね」
「え、いえ、少し違くてですわね……」
「ロキ、あまり愉快な話じゃなさそうだ」
「――!! し、失礼しました」
ロキがすぐさま謝意を込めて頭を下げたが、ジャンは一度顔を顰めてから言い難そうに口を開く。
「いや、愉快な話ではないんだが、ルサールカでは有名な話なのも事実だ。その辺りは察してくれ、俺たちからは言うことじゃないからな」
気まずい空気を作ったリチアは気まずいと感じさせる間すら相手に与えず、持ち前の流暢な弁で話題の切り替えを図った。
アルスとロキは出入り口の受付で預けておいたAWRを回収する。わざわざ見送りはいらないと言ったが、やはり元首であろうとシングル魔法師に対する配慮は徹底しているのだろう。
ケイエノス宮殿を後ろにアルスとロキは昼下がりになってお暇する。随分と長いこと居座っていたようにも思えるがまだ昼を少し回った程度だ。
「もう帰国か?」
「あぁ……っとその前に少し用事を済ませてからだな」
「そうか……」
背後にリチアとロキが話している隣で別れ際にジャンが小声で発する。
「で、例の件についてぞんざいな説明しか受けていないが、どうすればいい」
その問いにアルスは即答した。同じ声量で誰にも聞かれないように無表情で告げる。
「説明ならば実際に事が起きれば耳に届くはずだ。そして合図は俺からは出せない。ジャンの判断に任せるけど、始まれば必ずわかるはずだ、たぶんだが」
アルスに頼まれごとをされることが初めてならば、その説明すらも大雑把に過ぎた。しかし、ジャンは一も二も無く「わかった」と返す。
彼にはそれがどういうことなのか判断できたからだ。たった一度の共同作戦時にアルスの手腕は知っている。ならば彼が必要な情報を共有することを怠るとは思えない。つまり、情報がないのだ。
その証拠に事が起きれば、ということは起きない可能性をも示唆している。だが、その可能性自体が低いとジャンはアルスの顔に見た。
様子からしてジャンはキナ臭さを嗅ぎ取ったが、それでこのお人好しがアルスの頼みごとを断ることはない。以前の共同作戦時に部隊が世話になったこと以上にジャンはアルスとは垣根のない友だという認識を抱いていた。
さすがに人好きが良いとはいえ、誰彼構わずというわけではない。
だからだろう、貸し借りなどを度外視して不思議と手を貸さなければと思ってしまうのだ。それほどシングル魔法師とは孤独なものでもある。こういう繋がりをジャンは守ろうとする。
もしかするとそれはアルスに自分と同じモノを感じたからなのかもしれない。多少二人の方法は異なるが根っこの部分でアルスは誰かが死ぬのを許容できない。正確には救える命を救えないことに忌避を感じているのだ。手の届くものが眼の前で失われるのは大層気分が悪い。
その点だけは共通し、それが最も太い繋がりをジャンに意識させた。
ただアルスは不器用なだけなのだとジャンは思っている。
しっかりとリチアは次の来訪の約束をロキに取り付けて別れた。
送迎のための金ぴかな馬車をアルスは言葉を尽くして断り、何故かドッと疲れて帰路に着く。ただ向かう先はジャンに告げたように宿泊中のホテルでもなく……アルファでもない。