軍の亀裂
ヴィザイストは周囲の反応に内心で「上手い」と発する。理路整然と説明すればさすがのべリックとてボロが出る。それほど現状で分かっていることは少ないのだ。
そして先ほどからべリックが述べていることは事実である確証がない。だからこそ正式な招集という形をとっていないのだが。
そんな継ぎ接ぎだらけの情報を繋ぎ合せ、さも事実としての印象を与える。
ヴィザイストはこの流れに何故モルウェールドが総督に選ばれず、べリックが選ばれたのかの一端を垣間見た。
すでに議場内の空気はべリックに傾いている。1位の判断は適切であったと疑う者はおらず、何故総督でも知り得ない結論に至っていたのかもまた有耶無耶になりつつあった。
出来て当たり前、この場の誰よりも知識を持つとなれば今議論しても仕方ないという雰囲気が充満していた。
少将に対してあからさまな態度を取る者はでずとも、誰もが感じ取れるほどに重苦しい空気が蟠り始めた。まるでコップに並々と注がれ、溢れる寸前の水であるかのように後何滴零れずに耐えられるかという緊迫感がある。
堰を切れば不利になるのはモルウェールド少将本人であるのはわかっているはずだ。
だが――。
「なるほど、一理ありますな総督閣下」
一滴を投下するモルウェールドに驚いたのはヴィザイストだけではなかった。
ここに来て自分を追い詰めるためのチキンレースをするメリットが見当たらないからだ。
「しかしですぞぉ、彼の1位は既に退役を申し出ているときている。総督は繋ぎとめる鎖として軍の庇護下である学院へと入学させた、と」
指の腹を見せるように一本突き出すモルウェールドの表情は嘲笑うようにべリックへと視線を向ける。
「どうやら彼の1位は魔法師という選ばれし力を軽視し過ぎているのではないかと、私は思ってしまうのですよ」
懐から葉巻を取り出して指で弄び始めたモルウェールドは「嘆かわしい」と呟いた。
その一言を見過ごせない者はこの場に大勢いる。それを煽る形で少将の口端が醜く上がった。
「少将、いくらなんでも我が国の魔法師に対してそれでは礼を失する」
「失礼ながら、少将も1位である由縁、彼の功績を知らないわけではありますまい。私の部下も命を救われたことも一度や二度ではありません」
そんな罵倒にも似た発言の数々を涼しげに聞き流す少将は、その実全神経を研ぎ澄ましていずれ出てくるだろう言葉を待った。
バンッと机を両手で叩いて勢い良く立ち上った。男は胸にいくつもの勲章をつけている。大佐の地位でも彼はべリック派として支持している穏健な人物だった。
「少将、貴公の部隊もまたアルス殿のおかげで救われたはず、そのことをお忘れか!! 今のアルファがこれだけの功績を上げられたのも1位という最強の魔法師を筆頭にできているからでしょう。違うとは申すまい……」
「えぇ、申しませんとも申しませんとも」
一人の標的を見つけたモルウェールドはニタリと嘲笑じみた同意を示す。そして何食わぬ顔で葉巻の香りを味わい火を点けた。
大きく吸引された煙が肺を満たし、濁った白煙が吐き出される。隣の高官が少将の部下であるかのようにそそくさと灰皿を脇に置いた。
「もちろんです。私は何も1位の実力を軽んじているわけではない。アルス・レーギンが紛れもなく我が国の1位ならばそれは頼もしい限りだ……」
その不穏な空気を割って入ったのはヴィザイストだった。この目一杯に零れそうなコップが底から水を抜かれているようにべリックに傾いた勢いが冷静を取り戻しつつあったからだ。
「どういうことだ」
至って冷静に、それでも腹の底に湧き上がるドス黒いもののせいで怒気が籠ってしまう。
「おぉ、ヴィザイスト。お主も思わないか? あれほどの力を持った魔法師が軍を退役? ならばその後はどうする、他国が放っておくか? 私は思っているんだよ、もっと責任感が強くアルファのため延いては人類のために貢献しようという気骨のあるものがシングルを名乗るべきだと。手綱を必要としなければならない魔法師に何が期待できる」
「貴様ッ!!」
各々の我慢が限界を越えた辺りでついに高官の一人が怒声を上げた。
「静粛にせい!!」
べリックの一喝で場内が静まり返るが、これは彼にとって思わしくない静寂だった。誰もが耳を傾ける場を自分で整えさせられたのだから。
それでも一瞬の停滞が不利だと覚ったべリックはモルウェールドがさっきから出し惜しみしているであろう切り札を急かす。
「何が言いたいのだモルウェールド少将。事と次第によって自分を不利に追い込むと承知の上で進言してもらう」
「フム、それでは不甲斐ない総督に変わって……今、アルス・レーギンがどこにいるか皆は御存じかな?」
「――!!」
ギリッ!! べリックの奥歯が強く擦り合わされた。盲点というよりも今、それを持ち出すという意外さにこの流れが完全に少将にひっくり返ると確信じみた予感故だ。
「どういうことだ」「それが何だというのだ」という訝しげな高官の声に鷹揚とモルウェールドは顔をフルフルと振って答えた。
「アルス・レーギンは今、ルサールカにいる。これが何を意味するか皆はわからないはずはなかろう」
「モルウェールド少将!! 憶測での話はやめてもらおう。私のほうでも休暇として許可している」
「だから不甲斐ないと言わざるを得ないのです。シングルが他国に渡るということについて軽視し過ぎている。手抜き、手落ちも良いところだ。聞けばシングル魔法師とそのパートナーのみというではないか」
これに対してついに憤慨を発露したのはべリックではなくモルウェールドの向かい側に座っているヴィザイストだった。右手を振り上げた。
「魔法師は駒でも人形でもない!! そこを履き違えるなよ」
過去三巨頭と謳われたヴィザイストの激怒は机に大きな穴を穿った。
モルウェールドは冷や汗を垂らしながらも僅かな硬直から立ち直ると一息つく為に葉巻を口に運ぶ。
「ヴィザイスト、お主らしくないなぁ。魔法師は確かに人形ではないが駒だ。その駒を運用するのが軍だぞ。しかし、シングル魔法師ともなると木偶人形としての扱いは仕方なかろう。それと気付かせないのが我らの仕事だ。忘れてはおるまいな、我らの悲願は領土をあの化け物共から奪い返すことだ。そのために使えるものを使わんでどうする。この際だからはっきり言わせて貰おう……」
ヴィザイストの両隣の高官は距離を開けている。硬く大きな拳が机をミシミシと軋ませているからだ。
(良くも抜け抜けと大義を振りかざせる!! 己の野心を満たす為だけの愚物がいらぬ知恵を回すと魔物よりも魔物らしくなりやがる)
それでも口を開かなかったのはべリックが目で制止しているからだった。
少将の口からどんな言葉が紡ぎだされるのか、その瞬間をこの場にいる全員が息を呑んで見守った。
「アルス・レーギンはルサールカに鞍替えするつもりなんじゃないのか」
「「「――――!!!」」」
「馬鹿な!?」
アルスに対する不信が一気に高まった。少将という立場で確証もなく断言する、べリックには虚言だとわかってもこの場で冷静に判断できる者はそう多くはない。これが持ち帰られれば軍内部は割れる。
べリックはモルウェールドに対しても比較的冷静に応対する。
「モルウェールド少将それは憶測ではなくてですかな? 私の知るアルスとは別人に思えるが」
「他国に渡るのだ、猫を被るくらいはしておるだろう。これまでの話でわかったように軍内部のことを知り過ぎていると見ていいだろう。総督しか閲覧できない情報も知っているとなれば離反の可能性は高まる。そんなことをする理由が思い付かん。それにクラマとの繋がりも可能性が見えてくるな」
未だ高官の中にも不快感を露わにしている者も少なくなかった。疾うに議論の体をなしていない。
不敬に過ぎる発言の数々の中からモルウェールドは一つだけ選んで反論する。
「モルウェールド、貴様アルス殿を侮辱するつもりか、それ以上は俺も黙って聞いておれんぞッ!!」
「少将を付けろ!! 佐官風情のこわっぱが……」
「き、貴様ッ!!」
「なら答えてもらおう。これまでの情報を元に考えれば離反の可能性が高いのは事実だ。それでも違うというのならば何故信頼できる。功績か? 退役を申し出ているのだぞ。今1位を欠けばアルファの弱体化は目に見えている。いやいや、まだ他国へと渡るならばマシだろう。だが、そこまで1位の力は隔絶しておりながら学院に潜入したクラマを逃がす理由がワシには見当たらん」
「ッ……それは被害を鑑みて」
「追跡し、場所を変えればよかろう。貴様らのいう1位の実力が本当にそれに見合っているのなら尚更だ。少々誇張が過ぎるのではないか? 1位として不適格であるのか、それとも本当にクラマと繋がっているか。だからこそ逃がしたのではないのか」
べリックはこうなっては仕方がないとため息を吐きだす。それは同時に決意でもあった。すでに聴衆は耳を傾け考え始めている段階だ。
アルスが確実にアルファに留まると言い切れるものは何もない。いや、最初からそんなものあろうはずもないのだ。魔法師はその誇り高き人類の矛と盾だ。それだけが唯一魔法師たらしめていると言える。
それを分かった上でモルウェールドは言っているのだろう。だから厳然とした事実だけを踏まえるならばアルスの行動は離反の意志ありと捉えられる。退役した軍人には相応の守秘義務が発生するのはどこの国でも変わらないだろう。
だからと言って少将の言っていることが暴挙であるのもまた事実だった。このままの流れならば軍は一時だけの混乱で収まるはずだ。ここまでモルウェールドが容赦ない批判を浴びせたとしても軍内部に不和を生じさせる程度、べリックはそう予想しても内心では引っ掛かりのような懸念を抱いていた。
この機会を利用してきたモルウェールドが切った口火は大火となるだろう。そんな予感だった。しかし、べリックは内心で湧き上がる闘争心を自覚してそれに乗る覚悟を決めた。
「よかろう、モルウェールド少将の言い分も理解した」
愕然とする高官らと嘲弄と勝利の笑みを張り付けた少将。
この言葉がもたらす意味とは前代未聞のシングル魔法師を軍法会議に掛ける可能性を示唆している。誰もがそう予想した中で実際に放たれた言葉はまったく別の道を示唆していた。
「この際だからはっきり言っておこう。私はアルスがこの国を離れようとも構わないと考えている。それが本人の意思であるならば尊重しよう。退役がなんだと? 少将、アルスは軍役を満了しているのだ、どこに不備がある。今までの功績を考えるならば褒めて然るべき所を嫌疑をかけるとはな」
「ッ…………言ったなべリック」
小声でそう呟かれたモルウェールド少将の声は二人の間だけを渡った。これは宣戦布告。完全に軍を割る覚悟の表れだった。
べリックにアルスを手放すことが本当にできるかというとアルファのことを考えれば単純な話ではない。私情で言えば今言ったことは本音に違いない。しかし、総督という立場で考えるならばやはり留めておくしかないのだ。
だが、この場であえて本音を出したのにはそれこそ別の目的があった。
議場は本来の軌道に修正され、燻ぶるような火種だけを残して解散となった。議場内には重たい足を扉に向け退室する者とは別に少数ながら残った者もいる。
ヴィザイストもその中の一人だ。一目置かれるという意味では間違いなくこの中で最も影響力の大きい男になる。
この場にはこれから嵐を潜り抜ける覚悟を宿した高官しかいない。それを吟味するように見渡したヴィザイストは一拍置いて開戦の幕をその手自らで開けた張本人に訊ねた。
そもそもこの場にモルウェールド少将がいることに疑問を持っていたのはヴィザイストだけではないはずだ。
「何を考えているべリック」
敬称を付けずかつての戦友のように尋ねた。
べリックは机の上で手を組み、決然たる瞳は遠くを見ている。まるでこの時が訪れるのを予期していたようだった。
「これから忙しくなるぞヴィザイスト。それに皆もな」
「そんなことはわかる。それよりもアルスがルサールカに出向しているのは事実なのだな?」
「あぁ、上手く利用された。もちろんアルスがルサールカに移籍するなんてことにはならん。まったくの虚言だと言い切れないのが口惜しいな」
「あんなのは流言だ」
「その通りだ。しかし、それを知るのは僅かな者だけだ。まさかここに来てアルスを矢面に出さずに画策してきたことが裏目に出るとはな。市井にも認知されているようなシングルならば今回のような根も葉もない言葉に惑わされることもなかっただろうがな」
ルサールカにその意図はなくいずれわかることだ。べリックはそれだけが気掛かりだった。アルスに嫌疑を掛けようともいずれは晴れる。こんな勝ち戦になんの意味があるのか。
「どちらにせよ、軍に巣食う腫瘍を取り除くにはまたとない機会だったからな」
べリックもまたとないこの機会を逃すつもりはなかった。軍を一纏めにするとしてもやはりモルウェールドは力を付け過ぎた。その力が外界に向くには大いに結構なことだが、彼は外界を知らず、魔法師に対しても先ほどのような価値観を持っている。
そんな人間を総督の席に座らせることはできなかった。
それでもモルウェールドという男は元とはいえ中将に位置するほどの人物だ。そういう意味では狡猾な人間だった。
「だがなべリック。少将が今になって噛みついてきたのは……」
「軍は割れるだろうが、直に鎮静化するはず、それは少将も理解しているはずだ。ならば今回は完全に時間稼ぎと見るべきだ。近いうちに何か仕掛けてくるぞ」
さすがのヴィザイストも屋敷を出るまでこんな展開になるとは予想もしていなかった。アルファ軍の趨勢を分かつ内部分裂が起きようとしている。
モルウェールドは降格以降、表だって大立ち回りをしていない。今思えばまるで刃でも研ぎ澄ましていた期間のようにさえ思えてくる。
ヴィザイストに限らず、この場に残った高官たちが全員して戦いに向けて覚悟を決めた。真っ当な武官ならば全員が全員知っているはずなのだ。モルウェールドは部下を犬死させるのに長けていると。
それを何とも思わない人格破綻者であると。
ここに来て少将が真っ向から挑む理由の一つとしてべリックは思い当たる節があった。その確認のために全員に問う。
「モルウェールドの私兵にクルーエルサイスという部隊があるのを知っているか?」
私兵であるが故にべリックでもその構成員を調べることはできなかったが、どうにも動きが活発化してきていた。外界任務時にも動向させていたりする。
それ故にモルウェールドの戦功はここ最近で急激に伸びて来ていた。いや、その兆候は1年前からあったのだ。
べリックは独白するように相手の狙いを予想する。
「最大の目標は私の失脚だろうな。だが、そこに行くまでには決定的な落ち度とモルウェールド自身も力を付けなければならないはずだ」
「あぁ、確かに次期候補としては上がるだろうが決定打に欠けている」
ヴィザイストの相槌をべリックは脳内で引き継ぎ、展開させていった。今のべリックは元首であるシセルニアの任命によって総督に就いている。それも当時、べリックの立てた功績が大きかったため、内部的な反目は小火程度で済んだのだ。
では今は……過去の功績は薄れ、現在では功績の種類すら変わっている。支持を集めているのはアルスやレティといったシングル魔法師の指令権を有するからだ。
それはシングル魔法師の直属の上司であるが故、シングルの功績は総督の手管として求心力を得ている。
「とすると……」
急に険しい思案顔になったべリックに周りの高官だけでなくヴィザイストも先を黙って待つ。
そして糸が切れたようにふっと納得がいったという表情に変わり。
「シングルを用立ててくるのか」
「べリック、いくら何でもそれは……それにどうやって証明する」
自分で言っておいてヴィザイストは気付く。シングル魔法師は功績もさることながら最大の要因はその実力故に呼ばれている。ならばそれより勝っているという証明は実に単純な話だ。競わせれば良い。
アルスを知っているからこそ、それが現実性を欠いているとわかるが、言われてみればそれが最も効率が良い。
最悪、近しい実力さえあればアルスを反逆者として退けられれば良い。反逆者としてアルスが捕らえられれば直属の上官であるべリックの失脚の材料としてはこれ以上ない大ダメージとなる。
それがシナリオ通りにいけばモルウェールドは満を持して、といった具合に総督の地位に就ける。
「だが、そんなことは不可能だ。アルスにその意思がなく証拠があるわけでもない。疑いを掛けられた程度では結果は目に見えている」
現実的には成功しえないが。
「だろうな。それでも可能性としては一番手っ取り早い」
モルウェールドの側に着いている高官は主に貴族が多く。魔法師について認識の違いの象徴が彼でありべリックなのだ。
「べリック、ならばどうする?」
「それについては一度アルスに出頭してもらうほかあるまい。これで要らない出費が増えそうだ」
そういって冗談めかすべリックではあった。見た目ほど悠長に構えていらないのも事実だった。
ふんっと一度鼻息を荒くしたヴィザイストはここまで大事になろうとは予想もしていなかっただけに今、果たし状でも突き付ける意気込みで顎を擦った。最近癖になりつつあったが、剃ったばかりのツルツルの顎は物足りなさと一抹の不安を残す。