意地
アルファ国内、中層に位置しこの国の主要都市として最も人の多い人口密集地であるベリーツァ。第2魔法学院もこの都市に含まれる。
そんな広大な面積を有するベリーツァには似つかわしくない豪邸があった。貴族や豪商など富裕とされる人々は己の命を守るため、屋敷を建てる際はほとんどが富裕層と呼ばれるバベルの塔に近い場所を選ぶ。それもまたステータスとなるのだ。
しかし、ベリーツァ内にてこれほどの豪邸を建てる物好きは然う然ういない。別邸を建てるにしてもここまで大きな物は見当たらないだろう。つまり貴族として固執しない性質が表れているようだ。示威でもない豪邸はひっそりと辺境に佇む。
見た目だけは綺麗に整えられた庭。外から見える屋敷はあまり人気を感じさせない閑静な印象だ。それ故に何とも貴族らしからぬ和やかな趣を感じさせるのは庭の一部を使った家庭菜園のせいだろうか。
収穫時期ではないのか菜園の中は所々が空いており、僅かな野菜を栽培していた。
中層最大都市ベリーツァで暮らす者にとってこの豪邸の所有者を知らない者はいないだろう。
そんな豪邸に今、一人の将官が帰宅して早々、他国で蓄えた髭の処理に精を出していた。泡を落として一息吐いた男はその鏡に映る顔を満足そうに見つめた。
精強にして精悍な男がそこに映っていた。
昼前にアルファへと帰還したヴィザイストはすぐに出発しなければならない。そのため支度も手早く済ませて時計を確認する。
「少し引き継ぎに時間を取られたか」
と昔の部下の大役を心から喜んだ。それ故についつい手を掛けてしまうのも仕方のないことだった。
帯を締めながらヴィザイストはつい頬を綻ばせた。引き継いだリンデルフがバルメスの補佐に就いている。僅かな期間でも心配はしていない。だからこそヴィザイストは自分の部隊も残して来たのだ。
自室のクローゼットを閉じて準備を整えたヴィザイストは脳内で雲行きを窺った。今回の招集はべリックからだ。この時期に召集を掛けなければならないというのは些か不謹慎だ。それ故に事態の深刻さも窺える。
今更どんな案件が舞いこんでこようとも驚かないほどには経験を積んできたが、この宣告されるまでの時間というのはどれだけ歳を重ねても晴れ晴れしないものである。
「おっと、いかんな。俺が時間を守れないんじゃ示しがつかん」
自分に叱咤しつつ進みの早い時計に愚痴を溢す。
そんな急かされる時に限って、は経験上少なくないことだ。しかし、今回は少しばかり暗雲を晴らしてくれる。
「お父様、少しお時間よろしいでしょうか」
この屋敷で聞き間違えるはずもない声にヴィザイストは迫る時間を止めたい衝動に駆られていた。
「入れ」と威厳を込めて発するが、娘との時間が中々持てないヴィザイストは心苦しそうに帯を首元まできつく縛る。
可憐な証左で入室する自慢の娘は誰が教えたのか出来過ぎていた。もちろん自分が礼儀作法を教えられるわけもないので、この屋敷に仕えるメイドたちと妻のおかげであるのは疑いようもない。
「悪いなすぐに出ることになりそうでな」
「申し訳ありません」
「ん?」
そう「申し訳ない」というのは既に時間を割くことを前提としていた。フェリネラにしては珍しい我儘だった。本来ならば父として喜ばしいことなのだが、並々ならない神妙さを感じ取ったヴィザイストは時計を見るのをやめた。
「それはこの時間に学院に行っていないことと関係があるんだな」
「はい」
「話してみなさい」
直感的に内容に検討を付けてみるが聞けばすぐにわかるだろうとフェリネラを椅子に勧めるが。
「お父様はこれから本部へ?」
「あぁ、総督に呼ばれてな」
「でしたら……」
「うっ!!」
ずいっと近寄ったフェリネラが帯を結び直す。その際に首元をきつく締められた。
「不器用にもほどがあります。お母様に見つかったらまたどやされますよ」
「す、すまん」
和やかな親子の一時を惜しそうに仕切り直すヴィザイストは椅子に再度勧めるが。
「いえ、お止して言うのもなんですが、向かいながらにしましょう。すぐに終わりますので」
「わかった」
フェリネラにバッグを持ってもらったヴィザイストはイニシアチブを手放す。娘相手に主導権もないのだが。
もちろん、メイドに聞かれようともヴィザイスト家の屋敷内に口外する者は皆無だ。他所の貴族より従者が少ない代わりに信用は高い。
カツカツと音を立てて歩くのはヴィザイストだ。フェリネラは本当に歩いているのかと不思議に思うほど無音の足運び。
話を聞きながらヴィザイストは徐々に顔を険しくしていった。同時に聞いておいてよかったと自分の直感を褒めてやりたい。
「まさか学園祭にクラマが乗り込んでいたとはな」
「はい、そのことについてアルスさんは何もせず帰しました。その少女をイリイス、本名をミナリス・フォルセ・クォーツが最後にクラマが動き出すと言ったのです。アルスさんを次のターゲットに据えるとも」
「とすると俺が呼び出されたのはそのことについてだろうな」
確信に近いあたりを付けると思案顔で娘を安心させる言葉を選ぶ。
「まぁ、アルスのことだ。アルファに不利益になるようなことはすまい。だが、ここに来てクラマとはな、奴らは全国に根を張り過ぎた。今更の対処は各国にも責任がある。とは言えフェリ、お前は何も心配せんでいい。奴らが何をしようともアルスは全人類にとって最大の切り札だ。どうこうできる問題じゃない。それにあいつはクラマなんぞにやられるような玉じゃないしな」
「え、えぇ私もそうは思いますが……」
嫌な胸騒ぎを顔に見たヴィザイストは胸を張った。アルスにはアルファという強国がついているのだ。それを牽引してきたヴィザイストやべリックがいる。アルスを狙うというのはそういうことなのだ。
それに最高位は伊達ではない。過去を遡ろうとも、未来を予知しようともアルス以上の逸材は未来永劫現れないだろうとさえヴィザイストは思っている。
「そのことについては俺たちに任せろ。お前は早くアルスを手籠めにする方法でも考えておくんだな」
悪戯っぽい笑顔を作ったヴィザイストはふいにドンと脇腹に衝撃を受けて押さえた。
横から少々強めにド突かれたのだ。
「お父様、今はそんなことを言ってる場合ではないのですよ」
「そう怒るな。俺はそれくらい安心して構えていろと、だな……」
頬を掻くヴィザイストは同時に気を引き締めた。婿候補を易々と手放すことはできない。娘の幸せは親の幸せである。それを強く思う瞬間だった。
結果的に……万が一、億が一、フェリネラが泣くようなことがあってもそれは両者の間で決まるべきことだ。外からの要因で結論が変わることがあってはならない。
親としても軍人としても到底見過ごせるものではなかった。
「お父様……」
転移門までを魔道車でいくため、乗り込んだヴィザイストに見送る不安げなフェリネラの表情を見て、内心で「いくつになっても心配をかける息子だ」と毒づいた。
付き合いが長いこともあるが、それ以上に幼い頃から成長を見てきたヴィザイストとしてはすでにアルスは息子同然なのだ。これがいずれ本当の息子に変わることを見越しての言葉なのかはわからない。
無論、その心配事はアルス個人のせいでないこともわかっているのだが。
威厳を顔に取り戻したヴィザイストは真っ直ぐ見ていた。娘に掛ける気の利いた言葉は思い付かない。不器用ながらも従事する背中を見せることで不安を取り除く手段しかこの男は持ち合わせていなかった。
全てが解決すればきっと良い言葉が見つかるだろう。
全てが元通りになるはずだ。そのために身を粉にすることは厭わなかった。
アルファ軍本部に着いたヴィザイストは通路の脇にずれて一礼する軍人らに一瞥もせずに最上階に上がる。
総督であるべリックの執務室に入室し、今回の招集について問う声は予想に反した答えで機を逸していた。
「ヴィザイスト、すまなかったなわざわざ帰国してもらって」
「それほどの事態であるのならば仕方がないだろう」
会話を重ねるうちにヴィザイストは悟った。そして確認の言を持ちだす。
「まてべリック、お前、アルスの件で俺を呼び出したんだよな」
「そうだが、実際にわかっていることは少ない。だが、確実に悪い方向に行きそうな雲行きでな」
渋面を作ったべリックはつい先日届いたデータを見せてきた。
「これにはアルスが学園祭で試合した標的の映像が記録されている。これを見る限りでは私の悪い予想はあながち的外れでなくてな」
ソファーに腰を落ち着かせたヴィザイストは仮想液晶に映し出された試合映像に驚愕を禁じえなかった。
両者とも本気ではないようだが、それでも相手の少女は恐るべき戦闘能力。いや、魔法力とでもいうのだろう。
「ミナリス・フォルセ・クォーツ、これほどとはな」
「…………やはりか。で、お前はその情報をどこで?」
映像には欠けている音声をヴィザイストは娘から聞かされた情報で補足する。
予想以上に事態は危うい方向に突き進んでいるようだ。
ヴィザイストよりもべリックのほうがこういった推測や憶測、仮説を立てるのに長けている。
どこまで先を読んだのか。
「なるほどな、ついに動き出したか。となると本格的にまずいな」
「早く手を打たなければ」
「いや、それもそうなんだが、アルスがミナリスを見逃したのはやはりまずい」
「あいつにもそれなりの考えがあってだろ? 何か聞いてないのか、まがりなりにも総督だろ」
「まがいものであってたまるか。正真正銘総督だ。だが、と言うべきだろうな」
「そうか……」
左右に振られた困り果てた顔が収穫がないことを告げている。
「だが、やるべきことはできた。お前が持ってきた情報はありがたい。これで全貌が見えてきたぞ。アルスはこちらに協力を仰がなかったが、クラマが関係している以上、手を拱く余裕はない」
「だな、で、まずは何から始める」
「すでに通達は行っている」
その言葉にヴィザイストは呼ばれたのが自分だけでないことを理解した。先に呼ばれたのは確かだろうが。
♢ ♢ ♢
アルファ軍の名実ともにトップに就く。普段滅多に使われることのない議場では今までに見ないほどの高官が顔を揃えていた。その中には当然ヴィザイストも含まれている。
これは正式な沙汰としてではなくべリックが個人的に招集を掛けたため、全員が揃っているわけではなかった。大佐以上の階級、もしくは50位以内の魔法師が集う。
その数は有に30人を越えている。全員が二重の円卓を囲っていた。その中心にいるのは総督べリックだ。
薄暗い議場内には不穏な空気が充満していた。これまでに総督が招集をかける時は大概国の危機であることが多いからだろう。しかし、今回は少しだけ違和感のような雰囲気が混じっている。
この場では主に警告や注意喚起としての趣が強かった。その内容はクラマがシングル魔法師を標的としていることを少しぼかして伝えられた。もちろん、ヴィザイストはフェリネラから聞いているので特に口を挟むことはなかった。
それは彼が得意とする戦闘面ではなく口上での戦いだからでもある。
「学院にクラマが潜入していたことについては仕方ないかもしれませんが、あそこにはシスティ・ネクソフィアがいるのですぞ。そう易々と取り逃すとは考えづらい。引退したとはいえシングルが二人もいて見す見す逃がしたというのは些か不可思議ですな。内通者、もしくは反意と捉えられる」
淡々と指摘する少将も声に出さずともその意図は明確だった。アルスとシスティに対する不信だ。この話の流れに賛同する者が出れば拘束せずにいられない。
しかし、それでもヴィザイストは自分の役目ではないと口を閉ざす。こういう場面ではべリックのほうが弁が立つ。
ヴィザイストは到着してすぐにベリックと二人で話の擦り合わせを済ませていた。
「そのことについてはシスティ理事長に責はない。逃したことについては我らが1位の指示だ」
ざわっと場内が慌しくなる。この席の配置は主に――派閥というほどではないが――支持する上官の傍で固まる構図になっている。
話し合いをさせる間を与えず。
「だが、勘違いしないで欲しい。ミナリス・フォルセ・クォーツ、本名が明らかになったクラマの構成員であり単独で潜入してきたクラマだが、この名前に聞き覚えのある者は?」
問いの言葉を投げて見るもこの場の反応は様々だった。表情から窺える限りではほぼ全員が聞き覚えのない名前だろう。残りは判断しかねるといった具合だ。
「ミナリスとは大凡50年前のシングル魔法師、それもアルファのな」
「「「「――――!!!!」」」」
「それはおかしいですぞ。過去のシングル魔法師が今も存在するならば我々が名を記憶していないはずがない。信憑性にかけるのではありませんか? そもそもその者がミナリスという人物だという証拠はあるのですかな」
「いや、これは事実だ。ここでは明かせないが確証もある。私が映像で確認しているし、そもそも1位の魔法師と互角の戦闘ができる者はそういない」
「そんな馬鹿なことが!!」
「その場にいた者が聞いた所、それに気付いたアルスが言質を取っている」
難しい顔で唸りだす高官たちは本題についての疑問を再度投げた。それが反意として取られない理由を。
べリックはできるだけアルスが非協力的であることを少しも匂わせずに話を進める。
アルスの白々しい報告の後、べリックは独自に調査を行っていた。さすがのアルスも頭がいっぱいだったのか見落とすということだ。それがこの初老に一つの手掛かりを与えた。それは学院の模擬試合の記録映像だ。音声までは録音できないが粗方の事情を察するには映像だけで十分だった。
「アルスが体面上追跡を指示したのは私としては評価している。あの場ではどうすることもできんだろう」
「というと」
「1位と互角、それを捕縛しようとすれば相応の戦闘が予想される。未来ある若者たちが集う学院でそんな大惨事は起こせまい。それにミナリスという者、過去の順位は2位、さすがの私も目を疑った。死に掛けの老婆であるならば納得もできるが、見形はまさに幼い少女なのだ」
「やはり人違いという線が濃いのでは?」
「いや、そうじゃない。彼女には何かしらの特異な能力があると思っている。総督権限であらゆる過去を遡っても彼女が実在したという情報が全て破棄されておった。何を意味するかわかるな。軍内部にはどんな人物であろうと、どんな事件であろうとその全てが保管されている。無論私しか閲覧できないものもあるが、その全てに彼女に関する情報の一切が見当たらない」
喉が鳴る。
その意味する所を薄々と感付いているのだろう。
べリックは憶測をでないまでも仮説を立てた。当時の軍の犯した非道はのちのちになっても首を絞める縄として全員に掛けられている。
「人違いでは済まされない。万が一彼女がミナリス本人であるのならばアルファ軍の名声は失意の底に落ちる。この場にいる全員の首も危ぶまれるだろうな。民衆の支持なくては軍は立ちゆかんのだ。それを踏まえればアルスが彼女を捕えるのを躊躇ったのも理解できよう」
「それは彼の1位がそこまで情報を得ていたということになりますな。総督の権限を持ってしてもそこまでしか辿り付けなかったのに……」
濁声が空気を響かせて割り込んでくる。
ヴィザイストは所々で痛いところを突いてくる将官を睨みつけた――気付いていないようだが。
貴族の出として長い間アルファに尽くしているモルウェールド少将だ。過去の大進行の遠因にあたる彼は元々中将だったが、それを機に降格している。
禿げた頭にきつそうな制服の首元、襟に余分についた肉が乗っかっていた。ふてぶてしい顔は贅沢を尽くしたような肉付きの良さを感じさせる。中太りのモルウェールドは椅子に浅く座っており、胸につけるのは示威の象徴であるような勲章の数々。
ヴィザイストがアルスと共に隊を率いていた時は何かと衝突することも多かった人物だ。彼はべリックが総督に就いてから何かと失脚の材料を探している。べリックも総督に着任してからまだ求心力的にも弱かった頃だったためそのやり方も露骨だった。が、それ以降の降格を機に鳴りを潜めていたはずだ。
だが、ここにきて強気な発言にヴィザイストは内心で「まだ諦めていないか」と逆に呆れていた。野心と言えば聞こえはいいが、モルウェールド少将は外界に出たことのない軍人だ。代々席を引き継いできた外を知らない高官だった。
そんな歳で言えば50を過ぎているが、彼はべリックと総督の座を争った人物だ。もちろんそれを決めるのは元首であるのだが、地位的に考えればべリックが退任すれば候補として挙がってくるのは間違いない。
つまり、軍内部でもずっと囁かれているのがこれだ。モルウェールドが次期総督の座を狙っているというものだった。それも噂を裏付けるような強引なやり方が目だっていたのだから仕方がない。
べリックは努めて冷静に述べた。総督が知らないことをアルスが知っていようと不思議なことはないと。
「大したことはなかろう。それぐらいはやってのけるさ。最高位の魔法師は同時に稀代の研究者でもあるのだからな。それぐらいの洞察力がなくてここまで魔法の発展はなかろう。違うか?」
強引ではあるがべリックはモルウェールド少将に対して論述を放棄した。1位としてのアルスは畏怖と同じくらいに憧憬の的だ。自国のシングル魔法師を過小評価するのは恥、それどころか過大評価するものだ。何せ全魔法師の頂点に君臨する魔法師をアルファが抱えているのだから。
それぐらいはできて当然。魔法だけでない全てが卓越した領域にあるからこそ1位なのだ。そういった納得の空気が伝播する。
この場内をべリックの一言が呑み込んだ。