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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第2章 「静かなる胎動」
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一度の勝利がために

 ♢ ♢ ♢



 その頃、フェーヴェル家ではさっそくセルバによる特訓が開始されようとしていた。

 テスフィアの自室はメイドたちによってすぐさま片付けられ、勉学に励めるように一切の誘惑が排除される。

 その時のテスフィアはただ呆然と立ち竦むだけだった。ある意味で心が洗われるようで、現に室内は洗われている。誘惑は誘惑足る魅力があるのだが、今は名残惜しく棚やクローゼットに押しやられるのを見守るだけだ。


「はい、お嬢様」


 掃除のために駆り出された刺客メイドが5人。その内の最年長である侍従長がテスフィアの前で袋を広げた。間違いなく彼女たちは解き放たれた狩猟犬だ。それ故に鼻が利く。


 彼女の視線はテスフィアが両腕で抱える物を中に入れろ、と言いたげだ。いや、九割九分そう告げている。

 侍従長のクリネカは彼此かれこれ30年は仕えている古参メイドだ。メイドの教育も含め従事する者の長である。ある意味でメイドたちに取って彼女の言葉は絶対遵守だ。

 日頃の家事もこなすクリネカの筋肉はほどよく身体を引き締めている。そのせいもあって50代近いクリネカは体力だけは人一倍だった。黒縁の眼鏡からはきつめの鋭い目が覗き、センサーのような眼光が測定するようにテスフィアの身体を下から上に移動していった。


「ダ、ダメよ。これはわざわざ買って来たんだから」

「まさかお嬢様、日頃からそんな物を食べているんじゃありませんわよね」


 侍従長の一声にテキパキと働いていたメイドたちがピタリと時間を止めて月夜に輝く猛獣のような眼光を突き付けてくる。

 なお、テスフィアの腕には抱えきれんばかりのお菓子があった。


「これぐらいは見逃してよ。勉強には欠かせないアイテムよ」

「はぁ~それはいけません。ご自分で体型維持・体調管理ができないのでしたら一人侍従を付けませんとね。それと勉強にそんな物は目に毒です!!」


 憤然と鼻息を荒くしたクリネカは全てを見抜いていた。凄まじい速度で突き出された手は狙い違わずテスフィアの腹部、特に腰回りから服の中を滑り込む。


「チョッ!! キャッ!!!」


 そしてクリネカは何かを掴むように形作った……驚愕はすぐさま起きた。


「ぷに?」


 メイドたちの騒々しいまでの喫驚が伝播し戦慄く。


「お嬢様、なんですかこの駄肉は……」

「え、う、嘘よ。これでも結構運動はしているの、よ?」


 一般的な女性であればまだ許容範囲内だが、このフェーヴェル家、というよりこの侍従長が管理する上でみっともない身体は許すことができない域に到達している。


「だから私は学院に入れるのは反対だったのです。こんな贅肉ばかりこしらえて。あなたたたちもぼさっとしていない。すぐに胴回りを計ります準備しなさい」

「ちょっとクリネカ待って、お願いだからぁー」

「では……」


 涙目になったテスフィアへと当然のように袋の口を広げる侍従長。

 未だ渋りそうなテスフィアだったが、クリネカは一秒とて待たなかった。


「体重計を持ってきますか??」

「ごめんなさい……」


 即行でお菓子の山をバラバラと袋の中に投下するテスフィア。

 その一つをクリネカが拾い上げ、成分表を見てため息を吐きだした。


「こんな訳の分からない製法でお嬢様のお口を汚すばかりか駄肉を作り、あまつさえ勉学の弊害という不遜。年頃の女の子ですからそりゃ甘い物が欲しくなるのはわかりますが、言っていただければ私どもがカロリーを抑えた物を作って学院に届けますのに」

「それは勘弁して」

「ならわかりますよね」

「はい……」

「いいですか、お肌にも良くありません。ましてや意中の相手がいるのにそんなだらしない身体で惹かれる殿方でいると思ってるんですか?」

「うっ……」


 既に彼女どころかフェーヴェル家に仕える全ての者が今回の一件について思いを共有している。そして一時的とは言え、婚約者ができたことと同時にテスフィアが満更ではないという噂も立っていた。

 ずばり的を射た指摘にテスフィアがばつの悪い表情で言葉に詰まってる姿を見て。


「意中の殿方がいるのですね」

「へ? え、いいない……いないわ、よ」

「…………」


 必至の弁解もこの侍従長にはまったく役に立たない。数秒の沈黙の後テスフィアは恥ずかしそうに俯くのと頷くのを同時に行った。

 背後のメイドたちが我がことのように色めき立つ。



 その後に現れたセルバによって一端の追及を逃れたテスフィアは脳内をリセットするのに少し時間を要するのだった。


 室内の清掃、もとい不要なものが排除され、それをセルバが見送り、テスフィアはいつもの相棒たちがいなくなった喪失感とメイドたちがいなくなったことへの安堵でげんなりと「あり、がとう……」と曖昧な感謝を述べた。


 

 新たな来訪者は片目にモノクルを掛けたセルバだ。貴族の裁定(テンブラム)の入門書を二冊持っている。決戦までの身の回りの世話を買って出たのは操られていたミナシャだ。この二人がテスフィアの特訓のパートナーである。



 簡単な規定ルールの暗記はすぐに始まり室内では静寂と時間だけが過ぎて行く。


 ミナシャは自分の意志に反していたとはいえ、一部始終を執事から聞かされて顔を青褪めさせた。本来ならば一度操られた彼女をこのまま雇うのは心証的に得策ではない。それでも未だ彼女がこの御屋敷に仕えることができているのはこのフェーヴェル家が魔法師として魔法に精通しているからで、何よりミナシャはテスフィアとも仲が良い。


 セルバが擁護するまでもなくテスフィアは許可しないだろうことは明らかだった。そんな主の力になるためにミナシャはセルバと一緒に付きっきりでお世話を買って出たというわけだ。

 いつになくビシッと決まったエプロンドレスに癖の強い髪を一本に結っていた。彼女の耳にはいつでも連絡が取れるように厨房と繋がる通信機コンセンサーが付いている。

 時折連絡を入れている彼女にセルバは小声で注意を促す。


「ミナシャ、それではお嬢様が集中できません」

「えっ!! ですがセルバ様、お嬢様が勉強に専念する時間を一分一秒無駄にはできないじゃないですか」

「気が散っては元も子もないでしょう」

「……わかりました。では、僭越ながら黙って応援させていただきますよー」


 ミナシャは童顔の顔をキリッと油断ない歩調で壁際に直立した。セルバにしても褒めてやりたいほどの姿勢ではあったが。


 この老執事にしては珍しく「参りましたね」と愚痴を溢した。

 ミナシャは今現在、猛勉強中のテスフィアの背中を射抜くように見つめている。時折見せるテスフィアの身震いはいわずもがな。


 アルスと別れてから取りかかったテンブラムに向けた特訓は初期段階として規定ルールの暗記に入っている。褒められたものではないが、テスフィアは一夜漬けの類を得意としていた。その分忘れるのも早いのだが。


 室内では勉強が捗るようにシトラス系のアロマが焚かれている。いつでも質問に答えられるように背後から主のページを覗き見てセルバもページを捲る。

 ふと執事は懐かしさに頬を綻ばせた。こんな勉強熱心な姿を見たのは第2魔法学院への入学を決意した時以来だろうか。

 熱心であり、努力家でもあるのだが学問についての理解が遅い。それを補うかのように時間だけを費やすテスフィアに幾度となく教えたのが、まるで昨日のことにようにセルバには思えた。


「ねぇ、セルバ。ここなんだけど……」


 あの時と似た声音に執事は一拍も遅れることなく応じた。

 初日は部屋に缶詰状態で勉強に励んだ。それは深夜を大きく回るまで続く。ミナシャは正午を回りウトウトしだし、テスフィアが向かう机とは別のテーブルの上で腕を枕に寝息を立てていた。


 見かねたセルバだが、今日はミナシャにとってもいろいろあり過ぎた一日。

 執事は自室に戻って寝るようにと肩を叩こうとした直後。


「セルバ、ミナシャを私のベッドに移してあげて」


 テスフィアにそう言われ、セルバは眠気を一切感じさせないハツラツとした声音で快諾した。こういう微細な変化や気遣いが成長を匂わせて、それがセルバには嬉しくてたまらなかった。


 ますます若い頃のフローゼに似て来ていると思えるのだ。今でこそ女手一つで育てる厳格な母親だが、彼女もまたメイドにベッドを使わせるということが多々あった。妻となってからは軍で一気に駆け上がる彼女は苦労も心労も多かっただろう。それに付き合うメイドたちもまた望んで朝方まで付き合っていた。


 他の貴族ではまずありえないだろう、粗相を笑顔で許せる器量がある。いや、今も昔も本当はあまり変わっていないとセルバは思っているのだが。


 軽々と抱え上げたセルバはベッドにミナシャを寝かし、身を翻して今日の締めを笑顔で提案する。


「では、お嬢様。どこまで覚えたか確認のためにテストでもしましょうか」


 まだまだ眠気を感じさせないセルバとは対照的に目元に疲れを乗せたテスフィアが語気だけは強い虚勢を張る。


「望むところよ」

「では順番に規定名とその内容をお願いします」


 満面の笑顔で引き攣り気味の主に告げたセルバは白んできた外に目もくれずに始めた。




 翌日の昼時。

 テスフィアとセルバは以前帰省時に訓練した演習場に来ていた。長方形に広い訓練場には視界を遮る物はなにもない。


 ここに来たのは実際で敵の動き方を見て、解説するためだという。


 フェーヴェル家に仕えるメイドが20人。10人ずつに分かれている。

 それを俯瞰する形でテスフィアとセルバは全体を見渡せる屋敷の二階にいた。


「メイドの方々にご協力いただいております。既に彼女たちには指示を出してありますので……では皆さん初めて下さい」


 セルバの声が通信機器コンセンサーを伝って全員に指示を出す。


 ゆっくりと歩きながら互いに距離を詰め始める。両端にいる訓練用の人形が王である。


「お嬢様、兵法とは言いますが、昨今では魔法により少々細部が異なってございます。それでも基礎的な部分では隊の運用や戦略にあります。しかし、これはテンブラムです。いくら実際の指揮が試されるとしてもやはり実戦とは程遠い。本来ならば大義や法規で隊を纏めることも大事ですがこの場合はある程度の前提が成立した状態ですので考えなくてもよいでしょう。同じく、気候や季節、時間も気にする必要はありません。その代わり、テンブラム独特の役目に注視しなければなりません。弓兵アーチャー騎士ナイトを逸早く突き止める必要があります」


 テスフィアは疑問を浮かべながらわからないことをそのままにせず今は教師であるセルバに尋ねた。


「というのは?」

「お互いの行動命令は相手側にも命令が下った事実として確認されます。内容はもちろん把握できません。主審が判断して適性でなければ即キャンセルになりますが、相手がそんなミスをするとは思えません。この命令とは別に独断行動のできる役割を担った駒がやはり王を取るため脅威なのです。アルス殿の策略はそこの辺りを突いた奇策なのですが」



 セルバにしても聞かされた時は内心掻き乱された思いだったのだ。僅かな間で知識もない者が打開するための妙案を思い付くものだろうか。

 常識を知り、常套手段を知り尽くした上で奇策が出来上がる。相手の思考より先にいかなければならないのだ。それを未経験者であるアルスが思い付くことにセルバは驚いていた。驚愕よりも遥かに得体の知れない恐ろしさを感じたと言えた。


 彼はどこまで見えているのか。戦う前から盤上を幻視しているかのような気分にさせられたのだ。

 セルバでも現実を理解している。どんな優秀な指揮官でも現場の人間や努力、機転がなければ成功するものではないということを。

 この場合は真逆で、指揮官であるテスフィアに趨勢を左右する真価を発揮してもらわなければならない。それはアルスも重々承知していることだ。


「そんなにすごいことなの?」

「ふむ、凄いというより普通は考え付きません。テンブラムは完全に戦争を模したゲームという認識に捉われがちですから。ですが、やはりどこかで命の危険を伴わない爪の甘さというのは伴うものです。本当の意味で生き死にが掛かった想定が出来る者は少ないでしょう。今回の奇策というのはそこを突いた点です。だからこそ規定ルールを熟知しておかなければなりません。ゲームであり実戦を想定している以上、その境界線はあやふやにならざるを得ないのですお嬢様」

「主審によっては却下されるってことね」


 学習しているテスフィアにセルバは満足そうに頷いて続けた。


「あくまでゲームとして捉えるならば当然却下されるでしょうね。しかし、このテンブラムを戦争の一形態として捉えている主審ならば通すべきなのです。実際に起こりうる状況として取れる選択に制限はないのですから」


 アルスの作戦というのはルール違反になるかのきわにある。だからこそ相手も想定していないのだ。

 そして主審を抱え込まれないことにも留意しなければならない。主審が不利な指示を許可させるはずはないのだから。そしてどちらに転ぶともつかない作戦ならばなおことだ。


 たとえ違反であろうと戦場では何が起こるかの想定は不可能だということだ。テスフィアに経験はなくとも言われていることはなんとなく理解できた。


 セルバは演習場のメイドたちがいよいよ互いの距離を狭めた辺りで停止の号令をだした。

 それを見てテスフィアに問う。


「お嬢様、この状況ではどのような指示が適切だと思いますか?」

「う~ん」


 数は同じで攻め込まれつつある状況下、彼女が持つ情報はほぼ皆無だ。


「突出しているあそこに二人を当てて、左右を通さないように一端後退?」


 僅かとは言え少し知識を得たテスフィアの答えとしては無難ではあったが、セルバは一つ頷いて「悪くはありません」と満足げに言った。


「三十六計逃げるに如かずと言われもしますし、戦略というのは万変していかなければなりませんから。情報がないのならば無理に策を弄する必要はありません。ですが逃げる為の殿は今回に限り必要ありません。強いて言えばそんな余裕はないでしょう。数の少ない戦いにおいて兵の無駄なリタイアは極力避けなければなりません。情報がないのならば、と申しましたがテンブラムにおいて情報がない時点で劣勢なのです」

「え、じゃあどうすれば正解なのよ」


 セルバは私ならばと前置きする。

 当然策略は様々存在する。状況によって変化させていかなければならない。


「私ならば一個撃破に打って出てもいいかと思います。当然情報収集と相手の役割を最優先事項としてです。お嬢様はお忘れかもしれませんが、先ほど私は無駄な兵を浪費すると言いましたが今回はアルス殿が参加してくださります。それならば一個撃破だけでなく全兵を誘導して総力戦に打って出てもいいでしょう。もちろん一か八かほど兵法に反する言葉もありませんが、時と場合は世の常ですぞ」


 髭を振るわせるほど軽快に笑って見せるセルバ。

 次には遠くを見るように年老いたその分の重みが声に乗って発せられた。


「いいですか、昔から無能な指揮官は仲間に討たれることも少なくありません。だから指揮官が兵を信じ、それに兵たちが応えてくれる。これが計略を巡らせる上で最も重要なことだと私は思っています」

「うん。胸に留めておく」

「ありがとうございます」


 老執事の言葉を胸に刻み、決意を新たにテスフィアは演習場の盤面を凝視する。頭をフル回転させてどうすれば勝てるか、最善を打てるかを模索していく。


 その後も様々な状況に合わせて定石を学んでいった。



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