優しさの共通点
試合が始まってからロキとジャンはじっと観戦に浸っていた。
防護壁の外で観戦しているこっちまで生徒たちの勝気とでも言える熱気が伝わってくるほどだ。ロキは早く終わって欲しいと思いながらもあの中に混ざらないことを少しだけ後悔していた。
変に意地を張ってしまったために今更言いだしづらい。それでもロキ自身切り替えは早かった。今は参加よりもアルスの戦いぶりを眼に焼き付ける作業に情熱を注がせている。
あの華麗な戦いは実戦で研鑽された故に魅了する力があった。これはロキだけに当てはまるのかもしれないが。
彼女は思ってしまうのだ。本当はダメだとわかっていても虜になる。
(カッコイイ!!)
恍惚と頬を染めるロキはいつも見ているはずなのにこの時ばかりは視線を外せずにいた。単に観戦としてあの場にいないからだろうか。
圧倒的な力は彼の苦労が滲み出るかのようだった。その一挙手一投足に学ぶべき技術があるのだ。
それを知るロキだからこそ、本当に美しいものがわかった。
戦いが次々に組み立てられていく、ロキはそう思い誘導されるように次の展開を見守る。結果はきっと最初から決まっていたのだろうと錯覚してしまうほどだ。
そんな自分の世界に入っていたロキの意識を現実に戻したのは思考の大部分を埋め尽くしていたアルスに対する感嘆の声を隣に聞いたからだった。
「アルスの十八番、魔力刀か」
「十八番なんですか?」
ロキからしてみれば見慣れたものだ。以前に聞かされたようにアルスは系統と呼ばれる魔法に対して劣位にある。適性がない以上消耗で言えば馬鹿にならないのだという。その点で言えばアルスの適性は無系統・系統外という括りになり、それは空間干渉魔法に適性があると聞かされていていた。
言うなれば魔力刀はアルスにとって最も使い勝手が良いことになるのだが、AWRを使うのと大差ないのが難点だ。
ロキの質問にジャンは食いついたと内心で思いながら続ける。
「ロキさんにとっては釈迦に説法かもしれないけど、アルスの魔力刀は魔力操作からなる。ようは魔法ではなくて技術だね。ただあそこまでの水準に到達できる魔法師は俺の知る限りいない。シングル魔法師であろうと自在に魔力を操作しようとは考えないものだ」
「そうなのですか? 私はてっきり出来て当たり前の技術だと思っていましたが」
「もちろんできないことはない」
そう言ってジャンは指を一本立てて、その先に魔力の針を作って見せた。
「得意じゃないけど、これぐらいはできる。ただ実戦で役に立つかというと残念ながら強度が足らないんだ。どうしたって魔力はエネルギー体だからね、良くって一合交えただけで砕けてしまう」
それを可能にしているアルスにジャンは常々疑問を持っていた。魔法師としての単純な興味もあるが、やはり何かしらの秘密があると考えている。
何かしらのヒントが得られればとロキに対して話題を振って見たのだが。
「アルス様は訓練の中でも魔力操作を重点に何年も費やしてきたと聞いています。だからこそ最高位に就くことができたのでしょう。そこにはアルス様だからこそ気付けた秘訣のようなものがあるのかもしれませんね。どの道並大抵のことでは身に着けることもできないのでしょうけど」
「……仰る通り」
ジャンは意外に硬い錠前が掛かっていることを悟り、収穫のない無難な相槌を打つ。
「本当に容赦ないなアルスは……」
新たな展開にジャンは頬を引き攣らせながら訓練場の変換率が最大値であることを再度確かめた。アルスが召喚した【不死鳥】はジャンであろうとも文献でしか見たことがない。実際に魔法として大全に収録されていないのだから当然ではあるのだが。
羽ばたき程度で済んだことに胸を撫で下ろす。最低でも最上位級に属する魔法であるのが肌でわかる。あんなものが全力を出したならば変換率が最高値だろうと安心することはできなかったはずだ。
(さぁて、教え子のほうはまだ時間が掛かりそうだし、カリアはどうでるかな。遮二無二に挑まないとどうにもならないぞ)
ジャンから見てもカリアはルサールカの今後を支える若き支柱の一柱となると予想している。そんな彼女も競える相手に恵まれず、妙に意地っ張りなところがあるのでスランプ状態だった。このまま軍に入れるのはさすがに気が引けたのだ。彼女のような優秀な人材が才能を開花させる前に外界で死んでしまうのは忍びなかったのだ。
3年生であるカリアにとっては最後となる刺激。これで彼女が何か変わってくれることを祈るようにジャンは試合を見てすぐに安堵の微笑が頬に浮かんだ。
早々に戦線離脱してしまったが、何かが吹っ切れたようなカリアの表情はもう心配いらないと言っているようだ。
(さて、それでもここからが魔法師としての真価の見せどころ……っとその前にうちのホープか)
準備が整ったのだろうフィリリックに逸早く気付いて展開を見守る。
彼と対戦経験を持つロキもその戦いには注視しているようだ。
ジャンはその一部始終を頭を抱えたくなる思いで見つめていた。一歩、そう一歩踏み込みが甘いのだ。読みが届かない。
いや、アルス相手にこれ以上はない物ねだりになってしまうだろう。今、フィリリックに求められるのは戦闘面ではなくもっと単純なことなのだ。
相手との力量差を見抜き自分との差に気付くこと。彼が成長し続けるにはもっと広い視野がなくてはならない。ジャンは自分を師と仰いでくれるフィリリックが誇らしいと同時に心配でもあった。
アルスには悪いと思いながらフィリリックに気付かせるには絶好の相手となった。
世界は狭いようで広い。それは魔法師の世界でも同じだ。上には上がいる、それをフィリリックに知って欲しかった。実感して欲しかったのだ。
「アルスにAWRを抜かせられたら上出来と言ったところかな」
ふいにジャンが口を吐いた。最高位は異質だ。その力は全てにおいて卓越している。それを肌で感じたジャンだからこそ言える言葉だった。
アルスもそのつもりのようなので勝手に課題を加える。
できる範囲内で活路を見出す力というのは経験が物をいう、その点ではフィリリックは明らかな経験不足だ。絶対的に不利な状況というのを彼はほとんど経験したことがない。ジャン相手では割り切って工夫にリスクを含めない癖まで付いてしまった程だ。負けることに忌避感がなくなっているのだ。
だからこそ今回はフィリリックにとっても何かが変わるきっかけになると期待していた。彼は何かとアルスを目の敵にする傾向にある。いくらジャンが言っても上辺だけで本心は違うのだから。
それではいつまでたっても彼の視界にはジャンしか映らないだろう。
「ジャン様は本当にお優しいのですね。でもそれは残酷じゃないですか?」
唐突に幼き少女にそんなことを言われたジャンは一瞬鼻白み、すぐに返答を紡ぎだせなかった。彼女がこれから魔法師となる雛たちにアルスの力を借りてまで手を貸すことについて言っているのは察せられた。
それでもジャンが堂々巡りの中を繰り返した末の方針なのだ。
優しいことは魔法師にとって為にならないのは事実だ。情が湧けば判断が鈍るのも事実。
どこか悟ったようにジャンは口を開けた。
「耳が痛いな。以前にアルスにも同じようなことを言われたことがあるよ。持論だけどこんな世界だからこそなくてはならない気がするんだ。外に出れば自分の命を優先してしまうのは人間だから当然だし、それを責めようとは俺は思わない。思えないんだ。でも他人に優しい人間は最高のチームと仲間に命を預けられるのも人間ならではじゃないかな」
「性善説でしょうか」
「どうだろうね。だから俺はアルスのように徹しきれない。あいつは教師に向いているというが、俺自身は真逆だと考えている。本当に育てるという意味ではアルスこそが適任なんじゃないかな。それでも俺的にはアルスも優しい部類だと思うけどね」
一瞬ロキは脳内を洗い出す。きっと思い出したことはテスフィアやアリスに教えているアルスの姿だ。そして自分を教えるアルス。
「確かにアルス様もお優しいのかもしれませんね」
そう言ったロキの表情はどこか嬉しそうに嬉々として自然に微笑んでいた。
ジャンは試合を観戦しながら思い出すように言い詰まる。
「大会で見たアルスの教え子……え~と」
「テスフィア・フェーヴェルとアリス・ティレイクですか?」
「そう。彼女たちの試合を見て思った事だよ。最後まで見れたわけじゃないけど、ロキさんも変わってきているんだと思うよ」
「そうでしょうか」
ジャンと会ったのはこれで二回目なのだから変わるも何も以前を知らないはずだ。しかし、シングル魔法師の言葉はどこか達観しており、変わりつつあるのだと告げていた。
表面上だけは疑わしそうに、しかしロキの内心は春の陽だまりのような暖かさを灯していた。
「彼女たちがアルスを必要としているようにアルスには彼女たちが必要なんだと思う。もちろんロキさんもね」
その言葉をロキはなんとなくわかってしまった。彼女たちとアルスの間には何も壁を感じないのだ。だというのに最も近しいパートナーである自分が……役割が一枚、分厚い壁を隔てている。そう感じてしまうときがある。
そんな神妙な顔を横に見たジャンは経験から語り出した。
「君には君にしかできないことがある。そして君にもできないことはある。できることがあるだけで、それは特別なことなんじゃないかな。隊を組む時に背中を預けられるかの判断は時間に比例すると俺は思っていてね。傍にいるだけでいい時もあれば死線の数だけということもある。だけどそれは命を預け、戦っていくための関係作りだ。君はどうなりたいんだい?」
「…………」
核心を突いた言葉にロキはすぐに返答できなかった。どうなりたいか……それは建前を抜きにして自分の最上の願望を問う言葉。明確に意思表示してしまいたい衝動は結局口に出すことはなかった。それは意思に反したように喉の奥で異物がつっかえる感覚。
だが、そんな若者の苦悩をジャンは微笑ましげとも不安の翳りとも取れる表情で一瞥した。
「難しく考えるから難しくなるんじゃないかな。いつかロキさんも変わるための答えが見つかる。その時に…………いや、俺から言うことじゃないか。さて世話焼きはこの辺にしておくよ。これ以上は怒られそうだ」
ボソリと呟いたジャンは苦笑を浮かべて試合に視線を移した。それにロキが続いたのは単に理解していたからだ。心がそれを拒み、望む。相反する思いと想いが結論を出すことを躊躇っているのだ。
だから今は心を静める為にジャンのいうその時の覚悟だけはしておく。
少し重くなった空気を一新させるためなのか、ジャンはさらりと話題を変えた。
彼の言葉はやはり予想通りだったと言いたげに嘆息混じりのもの。
「さてと、我が教え子は電池切れかな、惜しかったけど結局AWRを抜かせるまでは至らないか……」
「でも、まだ終わっていないようですよ」
「ん?」
既に生徒の全てが魔力切れで壁面に背を預けて荒い呼吸を繰り返すか、退場して休んでいる。最後のフィリリックも大の字に仰向けで息を切らせていた。
だが、ロキが言ったようにそれで全てではなかった。
♢ ♢ ♢
確実な一打を打ち込めると信じて窺わなかったフィリリックは迷わずAWRを一閃させた。【夜叉の衣】によって身体機能までが強化されている。限られた時間しか維持できなくとも事足りる。
読み合いの深さがこの場では――如いては魔法師の戦闘では勝敗を分かつことが多い。その点フィリリックはこれ以上ないまでに機転を利かせたつもりだ。夜叉を召喚している状態から鬼を死角に使い、身に纏う。
一秒でも時間を奪えたならそれは成功と言えた。当然結果にも出て然るべきなのだ。
だからこそ絶対の自信がくすんだ刀身に躊躇いをなくさせる。
「――!!」
「悪くはなかったんだけどな」
フィリリックの渾身の一撃は振り抜く前に止められていた。AWRを持つ両手の上をアルスの片手が抑え込む。
「馬鹿な――」
何故生身の腕力で【夜叉の衣】を纏ったフィリリックの剣を抑え込めるのか。それに気付いたのは言葉を発した直後だった。
自分のAWRはくすんでいた。本来ならば衣と同化し靄のような霧が掛かるはず……つまりこのAWRには魔力が通っていなかった。一瞥すれば両腕の【夜叉の衣】で構築されたガントレットも剥がされている。
フィリリックは腕から伝わる圧迫感から即座に理解した。【夜叉の衣】は魔法ではある一方で魔力を内包している。これは構成上必然だ。通常の魔法は魔力をエネルギーとして発現する現象だが、この衣は肉体も魔力の一部として夜叉の衣で覆っている。
だからこそ、同時に二つも魔法を使うことを可能にしている。そして最大のメリットは夜叉の能力を自身に付与することにある。
明らかな狼狽は隙へと繋がりそれを見逃すアルスでもない。
真っ直ぐに飛んでくる蹴りにフィリリックは慌てて霧化して距離をとった。
霧化もまた【夜叉の衣】の特性に他ならない。それ故の魔法であり魔力を内包させているのだ。
今回はまんまとそこを衝かれたといえる。フィリリックは理解したことを口に出した。
「魔法の上書きですか」
「それぐらいはわかるか。まぁ、出てくるのがわかってればなんてことはない。鬼に魔力を与え過ぎたな、攻撃の手応えがなかったのに突然、それもわざわざ防ごうとすれば不自然過ぎる」
「…………」
またしても一撃入れるどころか不備まで指摘される始末。
フィリリックは即座に霧化してアルスの背後に回り、今度は衣も完全修復した状態で再度臨む。
が、今度は霧化から再構築した刹那にアルスの魔力刀が肩を斬り付けた。
単純な思考は往々として単純な行動になり易い良い例だ。
アルスとフィリリックの苛烈な戦闘は終始弄ぶように一方的な展開で幕を閉じていた。力の差をまざまざと見せつけられるならまだしも、大した、なんてことない魔法と体術だけというのは些か心が折れそうだ。
【夜叉の衣】を纏った瞬間から激しい攻防が繰り広げられるものの、全て手玉に取られる。霧化し、背後に回り込んでも後ろに目が付いているのかと思うほど簡単に往なされる。
絶え間なく消耗し続ける魔力にフィリリックは衣を纏ったまま周囲に黒い小球を三つ出現させた。これが完全にジャンを意識してるのは明らかだ。
【ダークネス・グラナエコード】を同時に出現させたのだ。これはジャンが小球型のAWRを愛用しているからである。
しかし、形を真似ただけでは効果的な成果を上げることは難しい。【ダークネス・グラナエコード】は浸食系の魔法だ。
見たところ自在に操れるようだが、分割したことでその効果は半減している。
アルスが虫でも振り払うかのように魔法を行使すれば小球は簡単に座標を維持できなくなる。そして【夜叉の衣】との同時展開はやはり技量不足が祟っていた。
それが命取りになるとも知らずに使い、アルスがその隙を見逃すはずはない。外界では本当に死へと直結するからだ。
今のうちに失敗しておいて良かったというように爆炎が一瞬にして彼を襲った。
仰向けのフィリリックにアルスは無表情に助言した。彼からすれば聞きたくもないかもしれないが、これもジャンのためだ。
「ジャンを追いかけるのは構わないがそれでは裏目も良い所だな。もっと自分に合った戦力の組み立てや魔法を選ぶといい」
「僕は魔力量が少ない、だからもっとあれば強くなれるはずなんだ……」
「それは言い訳か? そんな暇があるんならもっと魔力操作を磨くんだな。明らかに無駄な魔力消費が目に付く。ジャンが手塩に掛けるのも頷けるが、今のままなら俺の教え子のほうがまだ上手く魔法を使うぞ」
吐き捨てるように投げっぱなした言葉を最後にアルスは中央に向かって踵を返す。
「準備はできたのかな。やめるならこれで終わりになるが」
そう発した先には疲労を感じさせないカリアが短槍を構えていた。
「御冗談、まだAWRを抜いてすらいないじゃないですか。せっかく持ってきたんですからご使用になられてはどうです?」
実際には魔法を使う際にAWRを通しているので未使用というわけではない。もちろん【不死鳥】の時しか使っていないのだが。
「なら君が使わせてくれないか、こっちも少しばかり物足らない」
「是非そうさせてもらいます」




