円滑と活気立つ国
いつか幌馬車に乗り、草揺れる青の香りを一身に受けてどこまでも緩慢な時の流れに身を委ねたい。と少年は思ったことがあった。
チラチラと視界を邪魔する生来の黒い前髪でさえ心地よいリズムを刻むはずだ。日頃から溜めに溜め込んだ脳内図書館をこの時ばかりは閉鎖しても良いとさえ考えている。
こんな夢は叶うか叶わないかではなく、夢を見るか見られないかの差異でしかないのだろう。現実に行うのではなく、ただそうあればと夢現の如く幻視する。
少年は生き急ぎ、彼の時間は倍速で過ぎ去っていく。本当に夢なのだろう。だってあまりにも彼の性質とは懸け離れているのだから。
「ア、アルス様、そろそろ休憩を取ってはどうでしょう」
猛スピードで追随する銀髪の少女は額に汗を浮かべながら風を割いて疾駆していた。
「もうへばったのかロキ。ここらで休憩を取るんだったら着いてからのほうがゆっくりできるぞ」
一向に速度を落とさない主に対してロキは「そうじゃないのに」と風の騒音に掻き消される声量でぼやいた。
せっかく二人で旅行できると内心浮かれていた分、その反動は予想以上に大きい。もっとゆっくり向かえばいいのだ。これから向かうルサールカは逃げも隠れしないというのに。
こんな時ぐらい気を休める時間は必要なのだから。
(あっ! 時間の使い方が下手なのかも……)
今までに時間を奪われた分、取り戻そうとするから効率優先になるのではないか。こんなんでは休まるものも休まらないだろう。
ロキは数時間ハイペースで走り続けてもなお涼しい背中を眺めて、自分がしっかりと管理しなければと決意した。
アイル・フォン・ウームリュイナとの貴族の裁定で勝つため、フェーヴェル家に協力を求めた。役目を終えたアルスとロキは事前に予定を入れてしまっていたルサールカ訪問のため道中を疾駆しているのだ。
セルバの転移門まで送るという、善意をアルスはテンブラムの要であるテスフィアの教育に充てるよう丁重に断ったのだ。
それでも手荷物だけはフローゼの好意に甘えて宿泊先に送ってもらうことになっている。無論この速度でも先に着くのは荷物のほうだろう。貨物用転移門は人間など生命体でなければ大幅に距離を延長できる。
なおテスフィアは休日を返上し、かつ学院も欠席を余儀なくされていた。それは偏に彼女の無知さ故なのだが、こればかりは責められない。
テンブラムに求められる戦略の構築は旧時代の兵学に魔法を組み合わせたものなのだから、現代では廃れた知識だ。
人間の脅威は魔物であると全人類が共有しなければ生存競争に勝つことは不可能だろう。魔物は人間よりも強固であり、強力だ。
今では総数すら把握するのは困難に違いない。
全てにおいて人間は劣っている。魔法に関してもその起源は魔物にあるとさえ言われているのだ。最も効率的に魔法を扱えるのは魔物であることは事実。しかし、人間には人間の強みがある。どこまでも貪欲に知識を蓄え、それを昇華させる技術を考案する。
魔物だけが進化するのではなく、人間もまた適応し進化を遂げることができる。その結晶が今の魔法技術や魔法工学に当たるわけだ。
これから向かうルサールカとはある意味で一つの結集した形態が集約されている。
AWRで例えるとするならば、アルファは個人に適した質の向上を目指している。どの系統を使おうとも魔力とAWRの相性というものは存在する。それを出来る限りマッチングさせる技術は比肩する国はない。謂わば匠の技といったところだろうか。
一方ルサールカのAWR製造技術はライン生産を採用している。ひたすら高品質のAWRを大量に生産しており、一定の水準に達した魔法師に対して広く扱い易さを追求している。
これらは国柄とでもいうのだろう。アルファ軍は個人によってAWRの形状も違えば刻まれる魔法式についても緻密な調整の下製作されている。それ故にリサイクルは利かないのだが。
ルサールカ軍では同じAWRの支給などもあり、統一される傾向にある。そういった場合には現地でのAWRの損傷があっても臨時で他人のAWRを使用することもできる。個人の調整がないため多少の使い難さはあるだろうが。
系統式だけでも一致していればさほど不便はない。
正規のルートでアルスとロキはルサールカの入国を果たした。国境検問所でも事前に発行された入国許可証がライセンスに更新されているため、手続きはない。
事前にジャンと待ち合わせをしていた場所は意外にもフォネスワであった。
フォネスワはルサールカの主要都市だ。全ての経済がここに集約しているとさえ言われている。第1魔法学院もここに置かれている。
7カ国中で最大人口を誇るルサールカは中層における中心部をフォネスワとしてその周囲に散布するように居住区が設けられている。今では拡大し過ぎて下層まで街が次々に興されていた。
軍とも比較的近い距離にまで街が広がっている。
そういった面で軍の防衛ラインが割られた際の被害は予想することもできないほど甚大だ。
入国時に購入された地図を頼りにアルスとロキは転移門を経由して最大都市フォネスワへ飛ぶ。さすがに国賓が疾駆しているというのは思わしくないのだろう。
他国に来てまで好き勝手できるとは考えづらい。ましてや今回は元首リチアの招待を受けているのだから迷惑になるような行動は自重しなければならないだろう。
そしてフォネスワに着いた時、アルスとロキはピタリと足を地面に張り付けた。
踏み入って最初の感想は、まるで7カ国親善魔法大会のようだと感じたのは仕方のないことだった。昼を過ぎて時間が経ち、最も賑わうピークを過ぎているはずなのに人の往来は永劫続くかのように途切れず混雑していた。
ここらは市場だろうか、鼻腔を刺激する香ばしい匂い、なんの香りなのかわからないほどに混ざっているというのにこの活気に充てられた空気では食指の赴くままに身体が動き出しそうだ。
メインストリートを人垣を割りながら歩くアルスは野獣のように視線だけを左右に忙しなく振っていた。食糧に関してはこれといった興味はないもののその陳列の在り方や商売の方法に関心を寄せていた。
店頭で値引き交渉をしている姿も少なくない。
「これは凄いな」
「で、ですね……」
喜色を浮かべたアルスにはぐれないようにピッタリとくっ付いているロキも同様に相槌を打つ。しかし、彼女と彼の着眼点には差異があるため、ロキは続けて問う。
「まるでバラバラですね。同じ商品のはずなのに印象に違いが出てきます」
「だから凄いんだ。おそらく分類して売り場を設けているな、だから競争が起きる。おそらくAWRなどの魔法に関するものは別の通りにあるはずだ」
「競争ですか」
「あぁ、これだけの客を確保できるならば食いっぱぐれることはないだろうが、商売を生業としている人種は売上を重視する。これは当然だが、あえて競争相手を作ることで市場規模を拡大してるんだ。もちろん値下げ競争もあるだろう、これは一定値で収まるが何より単純な値引きだけじゃない、陳列一つとっても創意工夫が見られる。独自のサービスを売りにしているんだろうな」
これがルサールカの強みと言えるだろう。そしてこの構図を作りだせるのはおそらく元首だけだ。リチアの内政に関して抜きん出た才覚が見えた。
堂々と分け入るアルスとは対照的にロキは喜色を浮かべながらも見慣れない景色にオロオロと視線を彷徨わせている。
そんな小動物を思わせる仕草を見て。
「腹でも減ったか? この人の数じゃ歩き食いもできないだろうしな。悪いがもう少し我慢してくれ」
これが嫌味に聞こえたのかロキは頬を染めてへそを曲げたように演技じみた声で抗議した。
「アルス様、私がそんなに食い意地の張ってる女とお思いですか」
「ん、そうは思わないが……」
「いいですか、女性に対してはもっと遠回しに言っていただけることを望みます……私だけでも構いませんが」
そういうものか、と頬を掻きながら納得する。確かにデリカシーという点ではいらぬ騒ぎを起こしかねない。助言として頭に留めておくようにメモをした。
もちろん、ロキの意図した解釈とは違うのだが彼女がそれを知る由はない。
話を途中で切られる形でアルスは顔を顰めながら目印を見つけた。いや、否が応でも見に付いてしまう。
ルサールカ最大都市フォネスワは中心に城を見立てた噴水がある。その中央広場から無数に伸びる大通りがそれぞれで分類された店があるのだ。
ジャンとの待ち合わせはこの中央広場なのだが、おそらく日頃から賑わっているであろう噴水周辺は隔離閉鎖されたように衛士が囲んでいる。
先には豪奢な馬車が数台。
「アルス様……」
「なんて傍迷惑な奴らだ」
一端自分の順位を棚上げにしたアルスは市民の立場から意見を述べた。
明らかに自分を待っているだろう中央広場は軍によって占拠されている様相を呈している。あそこに今から向かうのかと思うと足が重くなるというものだ。
それはロキにも言えた。彼女はパートナーとして毅然とアルスの隣を歩いているがどこか余所余所しさがある。
当然中心にある装飾過多な馬車にはそれに見合う人物が乗っているのだろう。当然そこには興味本位で市民たちが人だかりの列を作っている。
中央広場を起点として全ての通りを円滑にするというのにこれでは人の流れが止まってしまう。物見高い目を向ける人々は足を動かす気さえないようだ。
それどころか前の人の頭が見えないということで背伸びしている者も少なくない。まるで見世物である。
二人はそんな見物人に扮したように人垣を割って入る。向けられる罵声もなんのその、申し訳なく思いながらも進む選択肢しかないのが心苦しいところだ。
しかし、これ以上前に進めないという時、色めいた歓声がドッと湧いた。
馬車の扉が開き中から金髪の青年が姿を現したのだ。すぐ傍で同年代の女性が駆け寄り直立不動の姿勢を取る。
「やっと来たか」
そんな独り言でさえ周囲からソプラノ調の声が合唱を奏でる。
衛士の一人がすかさず指示を仰いだ。
「ヒスピダさん、どのへんですか?」
後ろから続いて出てきた女性は血色が悪く灰色の髪も整えていないような女性だが、この場ではそれすらも追い打ちをかける。
彼女は商売をする者にとって先見の明と称賛を浴びている。彼女が考案する品をどこが製造・販売するかで競争するほどだ。
ふらふらと降りたヒスピダは、衛士に支えられながら膝までを覆う髪と同色のケープを寒そうに着込み。ゆったりと持ち上げられたケープから枯れ木を思わせる白い腕が一点を指差した。
何も言わずとも衛士長は振り返り様腕を振るって全衛士に指示を出す。
「今すぐ整理しろ!!」
「ど、どこまででしょうか」
「どこまでもだ!! 要人を見つけるまで道を開けさせろ」
「ハッ!!」
護身用の警棒を引き抜いて、ゆっくりと道を切り開いていく衛士たちはすぐに立ち止まった。
「悪いが道を開けてくれ、申し訳ない……すまないが君たちも道を開けてくれ」
後ろから整理する部下を見ていた衛士長が中々進まないことに一人の衛士に怒声じみた声を上げた。
「何をやっとる。急げ急げ!!」
「いや、しかし……」
衛士の向かいには一向に従うつもりのない青年と幻想的なまでの美貌を宿した少女がいた。しかし、そんなことは今は関係なく急かす衛士長。
当然従わざるを得ない衛士は気持ち腹立たしさを窺わせながら警告した。
「公務妨害で……」
「いや、そこで待ち合わせをしているんだが」
「今は中央広場を貸し切っている。悪いことは言わん、他で待ち合わせをしてくれ」
「いや、だから……」
「こちらも仕事だ。悪く思わないでくれ」
持っていた棒をゆっくりと差し込む。力押しで押しのけようというのだろう。
他の衛士に比べるとまだ新人と言った具合に手際も悪く、何より仕事といいながらも割り切れていない様子だ。それは軍人として失格だ、どんな状況だろうと上官の命令を完遂できない。
だが、こちらも退くに退けない事情がある。
どうすべきか、と考えた刹那、浮かれ調の悲鳴がどんどん近付いてきた。
ポンッと肩を叩かれた衛士はギョッと振り返る。
「ジャ、ジャン様!!」
「悪いね、君が短気じゃなくて助かったけど、やり過ぎると国際問題になるかもしれないから、それぐらいにしてもらえるかい……やぁアルス、久し振りじゃないか」
「久し振りだが、ジャンは変わらないな」
「これかい……この国の顔として矢面に出されている代償だ」
周囲の女性陣に気さくに手を振るジャンは皮肉めいたことを言うが、彼が望んでいることでもあるのをアルスは感じていた。カリスマ性というよりもアイドル性とでもいうのだろうか。
ある意味で天性の才能だ。外面はアルスと比べても天と地の差がある。肩や暗い根暗な印象を与え、見る者に不気味がられるもすれば、一挙手一投足で世の女性を虜にできる美丈夫が目の前にいる。
その者の一言は女性を魅了するだけの芳醇な音色を奏で、一仕草で視線を集める求心力。どこか紳士的な面もあれば子供のような無邪気な笑顔を見せる。
アルスの周りにいる女性陣もまた逸脱した美女ばかりだが、彼女らには決して完璧でない人間味がある。要は欠点があることで彼女らが本当の女神や神話に出てくる幻想でないことを否定しているのだ。
だが、ジャンとはまさに全ての女性が一度は夢見る全てが揃った理想の人物をそのまま体現していると言えた。
完璧過ぎるという点でアルスの知る中で最も神様に愛された人物なのだろう、という印象だ。しかし、アルスには彼がそう見えない理由を過去の合同作戦時に知っていた。
アルスの中のジャンとはまさにヒーローを絵に描いた人物だ。何も見捨てられないのだ。捨てることを限界まで諦めない。だから彼が得られるモノはいつだって目に見えない。
この歓声でさえ全てが女性でないことが何よりの証で、彼がルサールカで必死にかき集めたものだ。
一度、そんな甘い考えではいつか死ぬと忠告したことがあったが、今ではきっとそれでいいのだと思えてくる。
アルス自身、いつだって先のことはわからないのだから。それに忠告したものの自分に思い当たる節がないわけではなかった。
二人は少しだけ似ていた。だからなのかもしれない、ジャンとだけは未だにこうした付き合いができる。
もちろん、レティも似たところがあるものの、学生時代の確執は未だに消えていないため、毛嫌いしている。それは端にジャンの愛想の良さが裏目に出ているのだろう。
心底嫌っているわけではないと見ている。
「悪く思わないでくれ、アルスは矢面に立たされることがなかったから、こちらでも姿形を伝えられなかったんだ。だから、ヒスピダさんも引っ張ってきたんだけどね」
「それは構わないが。衛士っぽくないよな」
「そりゃそうさ。彼らの日頃の業務は街の治安でもある。軍の外面ってところだな。だから一般市民からも採用しているらしい。結局、軍人なんてのは市民の雇われ兵さ。けれど、それぐらいがちょうどいいんだろう」
ジャンの言わんとしていることをなんとなく理解したアルスは内心で同意した。
市民の中にガチガチの軍人が見回りなんてしていたら不安で仕方がない。それだったら、親密な関係作りを重点に理解を求めるのではなく、なじませるほうが効率的だ。
アルファでも治安軍とで分かれているが、魔法師が少ないのもそういった理由がある。
ふと、ジャンが自分を下から採点するかのように視線を向けていることに気が付いたが、訝しむより早くう~ん、と唸り。
「それにしてもアルス、国賓としてその格好はいかがなものかな」
「言ったろ、俺は小旅行のつもりだって」
「体裁というものはあるさ。君に何かあったらこちらではデカ過ぎる負債を負いかねないからね」
いつものより少しだけ気を利かせたつもりの服装も合格ラインには達しなかったようだ。詰襟のシャツに黒の上下で揃えたシンプルな格好だ。間違っても普段着ではないはずの服装にケチを付けられるとは予想に反していた。
カジュアルさで言えば悪くないとは言え、さすがに軍育ちのアルスにセンスを問うのは畑違いな気もする。
自身の格好を今一度見降ろし、疑問符を浮かべると。
「まず色が良くないね……ま、いいさ。さすがにリチア様との会合の時には着替えてもらうことになるだろうけど」
アルスは面倒くさいと思いつつも招待主が彼女である以上、一度も顔を合わせないというのは品位以上に常識を疑われる。
もちろん、アルスがこの格好なわけなので、ロキも似たり寄ったりだったが、ジャンは清々しいまでに褒め称えた。
「君も苦労が絶えないだろうけど、面倒を見てやってくれロキさん」
「はい、重々承知しておりますジャン様。ですがアルス様はどこに出ても格好に大差ありませんよ」
「はぁ~よくそれで今までこれたな」
中空に吐き出されるような呆れ声は返答を期待しないままに霧散する。アルスの功績を考えればドレスコードなんて無視できるのだろうが、それでいらぬ敵を増やすともしれないからだ。
この場はそれ以上の追及がないことに自然と装飾過多な馬車に向かうよう、先ほどの衛士がガチガチに緊張した足で先導する。
どうにも釈然としないものがあったアルスはチラリと半歩後ろを歩く美少女を見た。下からその格好を眺め最後に端整な顔に行き着く。
「なんでしょうか?」と素直な疑問を投げる視線を無視してアルスは前を向いた。
結局素材が良ければ何を着てもそれなりに見えてしまうのだと結論付けて。