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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第4章 「陽の下」
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貴族の裁定(テンブラム)

 突拍子もない条件に吃驚しているのはアルスではなく二人の従者だった。隣で聞いていたシルシラは咄嗟に声を荒げるという失態だけは堪える。


 オルネウスの驚きは瞬時に収まり主の指示に従う旨を確固たる面持ちでアルスから視線を外さないことで示す。

 シルシラは嫌な予感が的中したとでも言いたげにアイルを眇めて見た。この弟も同然の主に仕えてきたシルシラでも胸中までは察することはできなかった。


 シクオレンの家系は6歳で従者としての教育が課される。それは主を守るための肉体作りから始まり、知識や振る舞い、身の回りの世話にいたる全てが含まれた。

 傍付きとして正式に指名されて早5年が経とうしているのに彼女にはアイルという人物が底知れない思考の深淵で何を考えているのかがまったくと言って良い程理解できなかったのだ。


 シルシラは従者としての務めを果たすことだけに専念できればどれだけよかったことか。彼女が傍付きになってから日頃交わす何気ない会話は本当にアイルを年相応の無邪気な少年として映していた。


 その時の彼が本当のアイルなのだとシルシラは思った。本当は純粋で無垢なだけの子供なのだと。

 少々貴族としては悪育ちしてしまっただろうとは思うが、それでも彼女が主に見切りを付けることは決してなかった。


 だが、時折見せる狡猾さがシルシラに一抹の不安を抱かせ続けた。彼女はふいに思うことがある。

 彼がどこに向かって歩いているのかを考えると身震いを禁じえないのだ。真っ暗な先に一体何を求めているのだろうかと。


 孤独だけならば自分やオルネウスが傍に付き添うことも可能だ。だが、一人でどんどん先へと走って行かれてはシルシラはしるべもない主の背中を見つけらない。

 それだけが怖かった。


 きっとわかっていたことだったのだ。予感ではない、直感でもない、否定する自分がシルシラを寡黙にした。それは自分の中で見ないように蓋をする行為だと気付いていながら。

 自分に向けてくれるアイルが本当の姿なのだと信じて止まなかったのだ。


 しかし、それも今全てが崩れ去った。いや、幻想を抱いて現実を直視できなかったのだから、崩れ去ってくれてありがたいとさえシルシラは思った。これがアイルという人格の本質であろうと、ならばそれを包み込み受け止めるのが従者としてのシルシラがすべきことだ。もっと言えば従者としてではなく彼女個人として危なっかしい弟を放置できなかったのだ。目を離せばどこまでも突き進んでしまうのだから。


 驚愕は覚悟の意志を以てねじ伏せられた。


 そう、アルス・レーギンはアルファが保有する絶対の要だ。延いては人類を守る最強の矛と盾だ。

 それを個人の所有とするのは軍が許すはずもない。いくらウームリュイナと言えど不可能に思えたと同時に、この主ならばどうにかしてしまいそうだと感じる。

 だが、同時に保有権を所持したまま軍の任務に従事させるということも可能だ。それならば軍としてアルファの戦果の減少はない。ただ、シングルの称号が剥奪される可能性もある。その上でアイルは命令権

を総督から奪うという手段に大きな意味があると考えていた。



 アイルの行く道には孤独が待ち受けているのだろう。ウームリュイナ現当主でさえ息子であるアイルの思考の一端でも予測することは叶うまい。どれほどの大望をこの主は抱いているのだろうかシルシラは一歩前に踏み出した主の後頭部を見た。

 人好きの良い笑顔でもいつもように振り撒いているのだろう。すでに見ずともわかるほどには見慣れた表情の一つだ。

 

 ――ふう、世話の掛かる弟ですね。私だけはいつまでも傍にいなければならないのでしょうね。えぇ、そうさせていただきますともあなたがなんと言うともね。


 相手の出方を窺うアイルの視線にシルシラの力強い瞳が加わった。



 ♢ ♢ ♢



 突き付けられた条件を反射的にアルスは考察する。可能かどうかではない。詰まるところアルスの出自は未だ不明な点が多く、現在ではべリックが身元引受人になっている。先ほどの話を繋げるならばべリックを犯罪者として仕立て上げることができるのならば、アルスの身元の保障は誰かに肩代わりしてもらわなければならなくなる。


 これが学院を卒業後のことならば不要な手続きなのだろうが。


 それ以外にも方法としていくつか思い付く物がある。しかし、それでアルスの意向がぶれることはなかった。

 勝算の有無を検証することすらしない。力を有する者の務めというよりも彼は手に収まるモノを守れるだけの力を持っている。

 ならば誰よりもまず先んじて、こう言うことは決まり切っていた。


「いいだろう……」と、だが、それで一方的に条件を呑むだけに収まらないのがアルスだ。


「人の人生を賭けるんだ。そちらも相応の覚悟はあるんだろうな?」


 そう、アルスに対する条件とは対等な交渉ではない。それでもこんなことを咄嗟にアルスは思った。


(俺もどうかしてるな……いざとなったら……)



 警戒を解いたオルネウスが主の横にずれて何事もなかったかのように整然と並び立つと。


「もちろんだとも、こちらの条件は破格のはずだ。現役最強魔法師を手に入れることができるんだからね。そちらは一体何を僕に要求するのかな。死ねとかでない限りは二つ返事も辞さないよ」

「それは残念だ」

「……!! うん、残念だったね。それ以外にしてくれるかな」


 まるで人間を駒か何かと勘違いしているのだろう。アルスは相手の人格破綻ぶりが少しだけ垣間見えた気がした。

 この分ならば遠慮する必要はないようだ。



 半ばどんな要求が突き付けられるのか、不謹慎にもウキウキした表情でアイルはじっと待った。人間の欲とも言うべき願望はいかなる場所でも顔を覗かせるものだ。

 些細なやり取りでさえ相手の本質が見え隠れする。それを引き出すのもまたアイルは得意としていた。


 この提示される条件とは願いに等しい。

 貴族という身分においてウームリュイナ家は不可能を可能にすることさえできる王族である。可能であるならば人間はどんな願いを口にするのか、アイルはそれを聞けるとあって高まりつつある高揚は抑え難い。


 今までの貴族の裁定(テンブラム)では聞くに堪えない願いばかりだった。金に女に権力、どれも冷めた声音で流して聞いたアイルは有象無象の願いを一蹴して叶わぬ願いと思い知らした。


(死は望みじゃないよ。さて、彼は何を望むだろうかな、金かな、いや、確か古書や貴重な文献を彼は好んでいたからそれかな? もしかするとフィアのために何かを願うのかな。物欲は? 性欲は? どんな答えだろうと君が発する願いには本質が表れる。どんな願いでもきっと僕を幻滅させるには至らないだろうなぁ)


 アイルは最強の魔法師が凡庸な願いを望んだとしてもそれで彼の評価を下げることはない。それもまた一つの答えなのだから。


 しかし、放たれた言葉にアイルは耳を疑い、自然と持ち上がった頬が下がった。


「聞こえなかったか? ならもう一度言う。二度と俺の前に姿を見せるな、俺の名前を見聞きしたら手を引け、俺に関わる全てからお前の名前が挙がらないように気を付けろ。次にその意地の薄気味悪い顔を見せたら……わざわざ殺す、なんて優しく諭してやらんぞ」

「キ、キサマッ!!」


 即時の罵声はアイルではなくその斜め後方の女性から発せられた。

 ――が、その機先を制したのはアイルだった。腕を前で遮られたシルシラは主の横顔を見て疑問の言葉を詰まらせる。


 まるで予想の斜め上を行かれたその表情はシルシラをして初めて見る顔だった。


「これは軍も手を焼くはずだ。君という人間はとことんストイックなようだね。いや、分別ともいうべきかな、はっきりと明示されているように感じるよ。まるで抜身の刀身であるかのようだ」


 ぞくりと粟立つシルシラを他所につらつらと抑揚の利いたアイルの声は弾んでいる。

 そして――予想していた通りの言葉がアイルの口を吐いた。


「ますます君が欲しくなった」

「戯言に付き合うつもりはない。日時と場所を指定しろ」


 興醒めする素振りを見せず終始アイルの表情は張り付いたように変わらない。それはパターン化された表情以外の作り方さえ忘れてしまったかのようだった。


 日時は一週間後、場所はウームリュイナ家が所有するテンブラム用の敷地を使用。

 これはウームリュイナ家の屋敷とは距離があり、正確にはルサールカ側に面した中層と富裕層の中間に位置した未開拓地で行われる。

 アルファにおける唯一の自然だ。同様に外界に近いままの自然を残している。


 必要なことだけを言い終えた瞬間にアルスは扉を手ずから開けた。


「お引き取りを……」

「なっ!!」


 またしても声を上げたのはシルシラだ。これ以上ない失礼な態度に普段の彼女では想像もつかない奇声にアイルは「プッ」と口元を抑えた。


 ウームリュイナ家に対して暗に早く帰れとは、相手の順位をしても初めてのことにシルシラは憤然としたが、主のアイルがこの調子では逆に恥を掻いたのは彼女一人となった。

 シルシラは一本に結った髪が前に来てしまうほどの勢いで顔を背ける。薄らと耳が赤みを帯びていた。


「これはこれで贅沢さ。一週間後を機にまたそうしてくれると思うと今はなんだって心地が良い」

「…………」


 無言の見送りはこれ以上言葉で交わすことは何もないと、アルスはしたたかに目を伏せて扉の脇で壁面に寄り掛かった。

 その脇を通り過ぎる災い。


「ちょっとした意地悪は許しておくれよ」


 擦れ違いざまにそんな捨て台詞をアイルは口にしたが、アルスの意識は別に向いていた。

 もちろん、狂犬のように目力で牽制してくるシルシラではなく、そのすぐ後ろだ。


 オルネウスという美丈夫の男だけはすべからく敵意とも違う不穏な視線を注がせていた。


 これまでの一幕においてアルスが警戒していたのはオルネウスという男ただ一人だ。戦闘能力の危険度ならばシルシラもまた一流に違いない。

 殺気を放った瞬時の対応はどちらも申し分ない動きだ。しかし、オルネウスにアルスの偽りの殺気を見破ったかは判断が付かなかったが、彼の対応はなんともお粗末極まりないものだった。


 まるでしたくもない演技をしているかのように。

 それもまた気付けたアルスでさえ確信には至っていない。


 パタンと扉の閉まった音を横に聞きながらアルスはいつになく熱くなった自分が少しだけ恥ずかしくなった。最後に残ったのはもしかするとその熱を冷ますためだったのかもしれない。


 それでもこれだけは言葉として発したのは溜飲を下げたいがためだったのだろう。


 散らかった惨状にこめかみを押さえながら、


「釈明はさせてくれるんだろうな、いや、この弁償の請求ぐらいはあいつに負担させるべきだな」


 理事長への申し開きを考えながら床に散らばる復元不可能な食器とガラスで作られ、現在は縁だけを残したテーブルを一瞥する。

 知らない者が見れば取っ組み合いでもあったのかと勘違いすること請け合いだ。ただしその当事者を見れば止めに入れたとは誰も考えないだろうが。


 


 部屋を出て、学院を出た辺りでアイルはため息を吐き出した。

 忘れて久しい感覚、もしかすると初めての感覚だろう。頭でいくら遮断しようとも人間、生物である以上逃れ得ない命の危険。

 それに身体が反応してしまうのはまだアイルが正常である証拠でもあった。ただ本人には自覚はない。ただ手が小刻みに震えているだけだ。


 まじまじと不思議そうに手を見下ろすアイル。その手を柔らかく包む手があった。


「アイル様……」

「はは、こんなの初めてだよ。人間は面白いよねホント。それよりシルシラ、さっきのあれを見た上で君は真っ向からやりあって勝てそうかな?」


 シルシラはあえて言葉ではなく、首を振ることで否定を示す。咄嗟に彼女が思ったことは自分の思い違いだった。

 相手は魔物相手に連戦連勝、魔法を極めた最高位。そう思っていたが、あの殺気は確実に非なるものだ。人を殺すことに長けた者が発する類のものだった。

 現代の魔法師は魔物相手に特化している傾向にある、だから対人戦闘ではシルシラに遠く及ばないはずなのだ。

 だが、アルスは違った。あれに魔法が加わればシルシラでは難しい、強いて言えば差が測れなかったことが彼女に言葉を失わせた。

 まだ、懸絶していようともその差が判断できれば戦闘ではいくらか不利になろうともやりようはある。だというのにアルスの力はシルシラをもってしても底が知れない。


「そっか、ちょっと早まったかな。でも、彼が魔法を満足に使えないとしたら?」


 頬を上げたアイルにシルシラは答えず一歩引いて歩き出す。

 オルネウスは反対側でただ黙するようにじっと闘争心でも溜めているように映った。


 底が知れないという意味ではシルシラはオルネウスの本気の戦いを一度として見たことがなかった。無論、自分もオルネウスの前で本気を出したことなどない。そんな経験がないのだから彼がどう思っているのかわかりかねた。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] 相手の土俵に簡単にたってる…。 元首に借りを作ろうとも頼るとか色々方法はあると思うんだけどなぁ…。
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