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最強魔法師の隠遁計画  作者: イズシロ
第2章 「試験」
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禁忌の背景~回想~

 合図と同時に動いたのはロキだ。

 低い姿勢のまま直進して両手を背後に回し、腰から何かを引き抜く。


 アルスがそれを確認したのは、ロキの手から投げ放たれた後のことだ。


 投擲用のナイフで柄と呼べるものはほとんどなかった。指に挟んで使うタイプだ。そして刃がやや厚い。

 両手から二本ずつの計四本がアルスに向かった。

 速いには速いが真正面からの攻撃が通用すると思われた時点で嘗められたものだと思う。

 無論、目論見も含めて――。


 アルスは両手に二本ずつ挟みなんなく受け止める。当然魔力で覆われたナイフ。そこに記された魔法式が淡い光を浮かべたが、そこから魔法が放たれることはない。

 一瞥すると自分の魔力で瞬時に上書きする。魔法式の発光はすぐに止んだ。

 その光景を呆気にとられた表情を浮かべたロキに向かって同じように投擲し返す。


「――――!!」


 さらに引き抜いたナイフで以て応戦するが、アルスの魔力で覆われたナイフを叩き落とすことは出来なかった。強引に上書きされた魔力はナイフ型AWRの強度を引き上げ、瞬きすら許されない速度で向かってきていた。

 ロキは飛び退くように躱す。その表情から間一髪であることが窺える。

 咄嗟のこと……ロキは一瞬アルスを視界から外してしまった。


 彼女の経験で、それが大きなミスであることに気付くのは少し遅かった。


「終わりだ」


 その声はロキの背後から聞こえた。僅かな一瞬――――瞬き程度の間がアルスを相手に命取りとなる。

 アルスは手刀で昏倒させるように薙いだ。


「――!」


 しかし、その手刀がロキの首を打つことはなかった。

 アルスの手刀は途中で目的を変える――その手はロキの腕を掴んだ。


「さすがに探位を冠するだけのことはあるな、魔力で察知したのか」


 後ろ向きに放たれたロキの手には逆手にナイフが挟まれている。

 このまま、空いた手で昏倒させることは簡単だったが、挟まれたナイフが指の力だけで投げられ、顔をずらし回避と同時にアルスは敢えて手を離した。

 すぐさまロキが距離を取るために大きく跳躍。


 確かに理事長の言うとおり優秀だ、とアルスは称賛した。口には出さなかったが。


 魔法師としても十分やっていけるだけの腕はあるようだった。あのナイフは魔物を想定して作られているAWRになっている。僅かに放電し、電気を纏ったナイフは速度も貫通力も増しているはずだ。

 最初の時もアルスの魔力操作でコンマ数秒のうちに上書きしなければ到底掴み取ることはできない。


 レートの低い魔物程度ならば初撃の投擲で貫かれていたはずだ。

 だからなおさらアルスは疑問に思った。


「なんで前線に出ない。十分な働きができるだろうに」


 理事長はその理由を知っているのだろう。答えの代わりに呆れの籠った表情が返ってきた。

 それにシングル魔法師のパートナーに選ばれることは名誉なことだ。アルスは全て断ってきたのだが軍にいた頃は志願者が続出した。

 それが続いたことで『孤高の魔法師』なんて呼ばれたこともある。



 敵わないことはロキでも分かっていたことだ。それでも次元の違いが分からないほど堕落してはいない。

 専門が探知だからという言い訳はしない。

 せめて一太刀は絶対に入れなければならなかった。そのために総督に無理を言ったのだから……。

 もしかしたらこれが最初で最後のチャンスかもしれないのだ。

 その必死さが顔に表れたのだろう。


 アルスも何事かを察せられたわけではなかったが、真剣な眼差しに答えねばならなくなった。

 一変したのは一瞬、それはアルスが倒すべき敵であると認識を切り替えた証。

 身体から幽鬼のように魔力が洩れ出る。それは魔力であって魔力の様相を呈していない。

 体を覆う魔力がうごめく……魔力そのものに意思があるかの如く自在にアルスの周りを奇怪に揺らめいた。


「な……!!」


 何! という疑問とも、驚愕ともつく言葉には明らかな恐怖があり、その後を紡ぐことが出来なくなった。

 悲鳴がロキの口から洩れる。嘆きではない。

 絶対的な力の差だ。

 それが不満に変わることはない。寧ろ嬉しくすらあったのだ。

 ロキは決心を固めた。


 離れた位置にいるとはいえ、喉を鳴らさずにはいられない。理事長ですら初めて見る。魔力でありながら魔力でない動きに声が出て来ない。アルスに限って心配は無用だが、これを目の当たりにすればロキの身に何が起こっても不思議ではなかった。


(これが1位……)


 何かあれば止めるつもりでいたのに、怖気は足を地面に貼り付かせる。



 恐怖の中でロキだからこそ動けた。

 膝が笑い、長時間立つことを許さないように足が拒む。たかが模擬戦をそれ以上にしてしまったのは彼女自身でそれを今更取り下げることはできない……意地でも拒絶する。

 この機を逃すぐらいならば……。

 ロキは引き抜いたナイフで震える足を刺した。刃が皮膚に埋まることはない。その代わりに鈍痛が頭を刺した。

 額には汗がびっしりと浮かび上がり、絹のような細い髪が顔に張り付く。

 

 ロキが視線をアルスへとゆっくり向けた。

 大きく肩で深呼吸してやっと立ち上がる。そして――震える口で静かに紡ぐ。

 

「轟雷を以て、雷霆らいていの尖角極致を顕現せす」


 腰から引き抜いた十本のナイフが刃を下に向けて浮遊する。柄に空いた小さな穴がナイフの間に電界を作り上げた。

 円を描き、十本のナイフが回転し始める。詠唱に伴い徐々に高速となり、ナイフがゆっくりと刃先をアルスに向ける。輪郭がぼやけるほどの速度になると、円の中心、空間にバチバチと雷光が生まれ電気が迸った。

 震える声、それでも確かに詠唱に必要な韻を踏んでいく。決して力強いものではないが、そこには決意が込められているようにアルスは感じた。


「嘘! 雷霆らいていの八角位。その歳で一角を――」


 理事長、システィが最後まで言い終えるより早くロキの詠唱は終わる。

 

 ロキの呼吸は荒々しかった。誰が見てもすでに満身創痍である。

 最後の力を振り絞るように右手を引き、空間の中心に向けて弱々しく、されども力強い掌打を放った。


「【鳴雷ナルイカズチ】」


 落雷のような轟音が一直線にアルスを襲う。

 雷撃は一瞬にしてアルスとの距離を詰めた。

 人間の反射速度を遥かに凌駕する雷撃は音を置き去りに空気を焼く。躱すことなどできない神速の域。

 爆発、それも午前中の比ではなかった。

 爆風が破壊した地面から砂煙を舞わせる。一瞬で焦土化したのだ。焦げ付いた砂埃は訓練場内全てを埋め尽くすほどだった。


 ロキはそれを最後に力なく突っ伏した。意識を失い深いまどろみの中へと沈んでいく感覚。

 魔力の枯渇を遥かに超えた。超過した魔力消費により無いものの代償を支払う。



 砂煙は理事長によってすぐに取り払われる。わらわらと様子を窺い見る生徒や教師がまたかといったふうに押し寄せたが、これも理事長によって撤収させられた。


 視界の妨げが取り払われると……。

 そこには同じ場所で直立するアルスが片手を前に突き出し、何事もなかったかの双眸で怪訝そうに自分の腕を見返していた。


「予想以上だったな」


 腕に視線を移すと、訓練着の袖が引き裂かれたようにズタズタになっている。露わになった腕から傷一つない肌を覗かせていた。焦げた臭いは早々に払われたがアルスの衣類から今もぷすぷすと立ち込める。


 雷霆の八角に属する一角を使ったのだ、最上位に分類される魔法はやはり訓練場内で変換されるべきダメージを超えていたということだろう。それでもアルスの腕に傷一つないのは彼の力によるところが大きい。

 

 この砂煙では理事長に防いだことはわかっても、その方法までは見られていない筈だ。

 アルスは予想を上回る威力に合点がいかなかった。

 そしてすぐに倒れ伏したロキを視界に収めたことで理解する。


「まさか――」


 一瞬で駆け寄るとアルスは首に指を当てた。


「理事長、医療班を呼んでくれ」

「えっ!―――――わかったわ」


 つい医療班などと軍にいたときの癖で言ってしまったが、理事長はすぐに察してくれた。


 ロキの脈はひどく弱々しくなっている。それもいつ途切れてもおかしくないほどに。

 呼吸は一定のリズムを刻めずに気息奄奄きそくえんえんであった。


「どういうこと」


 緊急を要する事態は理解できたものの、理由の理解が追いつかないのだろう。

 混乱しているわけではない証拠に理事長は説明を求める。

 原因が分からなければ対処のしようがないということだ。


「不履行だ」

「――――!!」



 この意味するところを理事長はすぐに理解できた。

 つまり、保有魔力量を上回った魔法を行使したために不足分が生じたのだ。それは自身の命を以て引き替えられるのが道理だ。


 アルスはすぐにロキの服の中に手を入れて探った。

 事態を把握した今、それが不埒な行いでないことは誰が見てもわかることだ。真剣な顔で何かを探す。


「これか……」

「依り代!」


 理事長はギョッとしてアルスの手を見つめたまま固まる。


 アルスは手の平程の宝石のような六角の塊に憤りをぶつけて掌の中で砕いた。

 魔物の核だ。

 依り代としての役目を持つのは魔力の多い高レートに限る。これもAレート以上の物なのだろう。


 本来ならば魔力を供給した後の対価として魔法が発現する。しかし、例外はある。

 それが依り代だ。不足分を一時的に補う媒体としての役割を持ち、それは支払うべき魔力を発現後に徴収するという諸刃の剣だ。

 人類が僅かに防衛ラインを敷くための時間稼ぎとして使われた外道の法具。

 それも今となっては禁じ手として使用は国際間問わず違法とされている。


 特性もあったのだろう。ロキの使っていたナイフはAWRだ。それでも四節の詠唱を用いるほどの大魔法。

 そしてアルスが予想を見誤ったのは依り代が原因だろう。彼女本来の魔力以上の魔法が使われたことによって生じた誤差だ。


 ロキはもうダメだろう。もって数分……。

 助けてやる義理はないし、パートナーになると言って死んでしまえば元も子もない。


 外界でもやったことだ。

 軍の連中と部隊で出動するときはその都度あったぐらいだ。今更自分の手が汚れたところで気にはしない。

 苦しまないように…………一撃で……。


「――! 待って」


 理事長はアルスの腕を掴んだ。握られた手の握力は女性にしては強く、離さない意思が込められている。

 何をしようとしていたのかは一目了然だ。

 アルスの指先から魔力で形作られた針のようなものが伸びていたのだから。


「ですが、もう……」

 

 アルスもこの役目は好きではない。無感情になることは容易いが、その後味は最悪だった。助かる方法があるのなら、真っ先に優先させるだろう。


「魔力が足らないなら、補填するのは」

「それは無理です」


 魔力は個人の情報を含むため他者の魔力は受け入れないのは常識だ。

 理事長にもわかっていたのだろう。案を出した直後に次の方法を考えていた。

 安直な考えだったが、否定したもののアルスは何かが引っかかった。飲み下すには大き過ぎる違和感。


「じゃあ……」


 理事長の前に手を突き出して、言葉を遮る。

 何かが引っかかる。

 確かに、補填すれば解決するはずだ。

 まだ息があるということは一瞬で対価を支払っているわけではない……それでも徐々に、確実に命を削っていることだけは確かだった。



「いや……!! 方法はあります」

「なら……」


 可能性で言えば見込みがある程度だが、一つの方策であることは事実。しかし、それを行使するためには弊害がある。

 言葉を遮って続けた。


「ですが、この場にいるのならば理事長には秘匿を強いることになりますよ」


 強いる。強制である。システィはそれがどういうことなのかすぐに理解する。


「後二秒でお願いします」

「――わかったわ」


 システィは訓練場の出入り口をパネルでロックした。

 アルスが秘匿というモノが何であれ、その重みをシスティはアルスの目で理解していた。

 きっと、システィが口外した場合はアルス自身で以て制裁に当たることになるだろう。

 それでもシスティは二秒もの間、待つことはなかった。


 アルスも実行は早かった。ただ何故自分はここまでしているのかがわからない。それでも動かす腕と魔力は淀みがなかった。

 見捨てることも厭わないアルスがあえて助ける理由。


 アルスは神経を集中させながら、ふと銀髪の少女の顔をまじまじと眺めて口が反射的に開きかけた。

 が、そこから音が発せられることはなく、静かに閉じて行く――ただ口元は微かに微笑んでいるようでもあった。



 ♢ ♢ ♢ 



 まどろみの中、古い記憶が呼び起こされる。それはこれまでの人生で唯一すがって来たもの、縋れてこれたものだ。


 軍での訓練施設。

 そこにはまだ、幼い孤児達がいた。

 ロキは幼くして両親が魔物に食われ孤独の身となった。軍に所属していた両親の子供という理由だけではないが、彼女が軍預かりになったのは必然だったのだろう。

 見たこともない魔物への怒りは根強くはなかったが、突発的な怒りの感情は全てにおいて優先された。だから訓練魔法師としての誘いがあった時、迷いなく首を縦に振ったことを後悔したのはずっと先のこと。


 憎しみが感情を埋め尽くし、楽しかった思い出すら塗りつぶしていた当時。

 八歳で兵役。

 過酷な訓練にも耐える毎日。

 精神が摩耗していくのは避けられなかった。

 魔物に対する憎悪を抱く余裕すらなくなったとき、ロキはふと思ったのだ。


「なんでここにいるんだろう」


 簡素なベッドに囚人のような部屋。

 服装は幼き訓練兵全員に共通するものだ。汚れた……白かった・・・・服だ。


 両親が魔物に殺された現場を見たわけでもない。遺品が手元にあるわけでもない。

 埋葬すら出来ず、未だに外界でその身を置き去りにされた両親。

 憎しみはとうになくなっていた。残ったのは両親を埋葬してやりたいという恩返しだけだった。

 不思議なことに涙を流したのは最初だけ、実感もないまま心を塗り潰したのは楽しかった日々ではなく、安らかな寝顔のような両親の顔だけだ。


 荒んだ心から、真っ直ぐに思いを遂げる目標を得たことでロキは誰よりも熱心に訓練に臨んだ。

 生傷が絶えない過酷な訓練。それが二年も経てば、慣れてくるというものだ。

 脱落者は確かに多かった。軍は過酷な訓練を課すが、訓練によって死者はでていない。不慮の事故によって魔法師生命を断たれた訓練兵もいたが、安全面での管理は徹底されていたと言える環境だった。



 ロキは同年代で頭一つ抜きんでた実力を身に付けた。対人近接格闘術や外界での身のこなし、更には魔法も覚え、戦闘に組み込む。

 それも身近な目標・・と両親への思いだけで。


 当時、ロキの訓練相手になる者はいなくなっていた……ただ一人を除いて。

 自分から見ても相手にならないだろうと思ってしまうほどひ弱な体躯だった。

 しかし、何回かの模擬戦でいつも地面に突っ伏すのはロキだけだ。大人とやっているような気さえする。

 研鑽を積む日々は彼に勝つことだけを考え、磨かれていく。

 しかし、そんな日々はあっという間に幕を閉じた。一つ年上の彼は半年以上前に姿を見せなくなったのだ。唯一彼女を凌ぐ身体能力に魔力操作。

 ロキは一方的に彼と張り合いながら背中を追い、訓練を続けていたこともあり、そのおかげで上達が早かったと思っている。話したこともなければ名前も知らない彼。


 試合形式の訓練にのみ姿を見せていた彼は平然と同期の訓練兵を薙ぎ倒し、無言でロキと試合を行うだけが常だった。

 使い慣れた魔法に磨き上げた体術の全てが軽く往なされる試合ではあったが、確実に強くなっているという実感を得られたのだ。


 ある日を境に彼は訓練場に姿を見せなくなってしまった。脱落したのだと決めつけていた。あれほど強く見惚れてしまうほどの体捌きだったが、ここはそういう場所だとわかっていたことだ。


 訓練から二年半が経った時、予想以上の早さで魔物の侵攻が大規模に行われたことで第一次防衛ラインが突破され、甚大な被害をもたらしていた。

 その時は国内の魔法師が総出になって防衛戦を繰り広げなんとか殲滅に成功。


 そして凌いだ大国アルファはすぐに残党狩りに出た。

 侵攻に伴い多大な被害を出したアルファは魔法師の人員不足に陥っていた。そこで借り出されたのがロキ達訓練兵である。

 訓練課程は一通り終えて、魔法師としてのライセンスも所持していたのだから駆り出される命令が下ってもおかしくはなかった……年齢さえ気にしなければ。


 十数人で一部隊。

 誰もが顔に自信を湛えて軽口が飛び交う。それも魔物と出くわすまでの僅かな間……。


 異形の魔物に怖れ慄き、ほとんどの訓練兵が膝を屈した。彼女達は未だ十歳前後なのだ。

 大型の獣に似た魔物。黒っぽい皮膚に異様に大きい口、それは不気味で怪異のような異形だった。

 一人また一人、見知った顔が蹂躙されていく。異臭を放ち、裂けたような口は隙間ない犬歯だけで鋭い歯が並ぶ。歯に挟まった衣類は引き千切られたのだろう原型も色も変わっている。

 ロキは震える体で、震える腕で魔法を行使しようとした。


「――――!!」


 しかし、念じ発現すると信じて疑わなかった魔法が不発に終わる。魔力が知覚出来なくなっていたのだ。


「な、なんで……!!」


 視線は訓練兵を食らう魔物から離せなかった。誰かの血がロキの顔を鮮血で染める。見知った仲間の血は混ざり合って、変わりない朱色だけが付着した。

 空虚な言葉は不発に終わる魔法を無意味に繰り返していた。凄惨な光景を見ている一方で口は痴呆のように勝手に発現しない魔法名を綴っている。


「なんで、どうして、なんでなんでなんでなんで……」

 

 何もかもが上手くいかなかった。気が付けば残ったのはロキ一人、獰猛な魔物は矮小な自分に目星を付けるとその口が弧を描き笑ったように感じた。


 嗜虐的なおぞましさに魔法を使うことすら忘れ、ただただ恐怖に顔を伏せるしかできなかった。涙は止めどなく、歯は噛み合わないように空を挟み、温かいものが足を伝う。

 死んだ。そう心が屈した。

 自分も起居を共にした仲間達同様に何も抵抗出来ずに終わるのだと……ロキの悲願である、両親を埋葬するというのも外界に出て早々に崩れ去った。甘かった、強くなったと思っていた自負がいとも容易く裏切る現実。


 俯かせた顔、瞼を閉じた瞳の中でロキは嗚咽を堪えて静かに謝罪した。


「ごめんなさい。お父さん、お母さん」


 魔物が眼前に迫っているのが目を閉じていてもわかる。嘔吐しそうなほど濃厚な鉄の臭いが生温かい風に乗ってロキを覆う。

 それは大口を開けた証拠だった。


「ちっ……間に合わなかったか」


 そんな場違いな舌打ちは鮮明にロキの鼓膜を震わせた。


 何か巨大なものが倒れる音。

 続いて――。


「大丈夫か」


 その声音は声変わりがまだ来ていない子供のもので、ロキに対して放たれたものだった。


 くっついた瞼をなんとか開けるとぼやけた瞳で見えたのは黒い髪だけだった。


「無理はしなくていい」


 優しく頭に乗せられた小さな手は温かく感じられた。

 少年は辺りをキョロキョロと見渡すと残念そうに口を開く。


「遅くなって悪かった」


 ロキは恐怖から回復できず声が出せなかったが、代わりにブンブンと首を横に振った。

 視界が少し回復すると少年は目の前で背を向けてしゃがんだ。


「動けないだろうから乗れ」


 咄嗟に足を閉じる。

 少年に気付かれてしまっただろうか……粗相そそうをしてしまったことを。


「気にするな」


 その言葉は気遣ってのもののはずだ。追い打ちが無ければ。


「乗らなきゃ抱えて持ってくぞ」


 ロキはこの状況で手の平を返したように強引な手段を取ろうとする少年に自分は拒否権がないのだと悟った。

 未だ震える足では踏み出すことも出来ずに倒れるようにして身体を小さな背中に預けると、少年の腕がそのままお尻の下へと組まれた。

 濡れそぼつ服、あまりの羞恥に小刻みに震える身体とは反対に少年の腕は力強くロキの身体を支える。

 おんぶする形で帰還する。道中少年は目に付く魔物を片手で瞬く間に屠ってみせた。ロキがいることすら感じさせない動きに目を瞠る技量、自分があれほど苦戦し――いや、膝を折り、目を背けた相手だ。それをゴミでも掃除するかのように一撃で滅ぼす。


「待ってそこで下ろして」


 少年が魔物を一瞬で薙ぎ払う場面を見たせいか魔物に対する恐怖が一時だけなりを潜めた。それは麻痺にも似た感覚だったが、ロキはそれによって機を逃さずに済んだ。

 突然のロキの言葉に少年は一瞬無視しかけたが、必死の訴えはなんとか聞き入られる。


「三分だ」

 

 そう言うと近くにある大木の根にゆっくりとロキを下ろす。


「間違いない!」


 辺りの景色と以前に見た地図の位置が整合した。しかし、そこにはロキの探している者・物はすでになかった。

 ロキの両親が亡くなった場所で間違いはない。わかってはいたことだ。もう三年近く経っているのだから。

 想像するのもおぞましいが、考えたことがないと言えば嘘になる。

 魔物が人間を食らうということは知識としてはあったのだ。それがどういった形にしろ何一つ残されていない現場を受け入れざるを得なかった。


「ここに何があるんだ」

「私の両親が死んだ場所……正確には死んだと思われる場所……」


 少年は歩みを止めて、ポツリと応えた。それは何の気なしの相槌のようなものだ。


「そうか」


 それに続く言葉はなかったが、ロキはそれを非情だとは思わない。今はその返答が優しく聞こえるのだから。

 二人は大木の下に大きな岩を移動させて墓石とした。

 ロキの隣で手を合わせる少年。

 その顔からは何も窺えない。


(遅くなってごめんね)


 そう告げるとロキは吹っ切れたように少年に向き直った。


「ありがとう」

「気にするな」

 

 ロキが少年の顔を正確に見たのは帰還してからだった。月明かりの下では輪郭ぐらいしか見えなかったのだ。

 それは脱落していたと思い込んでいた一つ年上の黒髪の少年。

 あの頃より少し背が伸びていてすぐにはわからなかったけど、やはり当時の面影を残していた。


 彼はロキを下ろすとすぐに外界の闇に溶けて行ってしまった。

 彼と話をしていた上官と思しき人物が、彼の名を口にしていたのをロキはしっかりと脳に直接書き込むように反芻した。


「アルス・レーギン」


 ロキは防衛線で軍医に肩を借りながら自分の足で歩いた。

 命を救われ、長年の願いも彼のおかげで達成できた。後に残されたのは……何もない目標。

 ロキはこの後の人生をどう使えばいいかわからなくなった。

 しかし、答えが出たのは意外とすぐのこと。


(だったら私は彼の助けになる。彼のためにこの命を使うことにしよう)


 ロキはそれからさらに魔法を磨いた。実戦でも魔物を討伐し、経験を積んだ。

 しかし、ロキは少年が今どれほどの高みにいるのか知ってしまう。

 

(このままでは彼の助けになんてなれない)


 ロキは以前より適性があった探知の分野へと道を切り開くことを決めた。それは僅かな逡巡もなく。ただただ彼の助けになれることだけを考えた結果だった。



 

・「最強魔法師の隠遁計画」書籍化のお知らせ

・タイトルは「最強魔法師の隠遁計画 1」

・出版社はホビージャパン、HJ文庫より、2017年3月1日(水)発売予定

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[一言] 当時はなんも思わなかったけど…おしっ〇…(๑ ิټ ิ)ヘヘッ
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